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第三十八回 乙女通信 「西南戦争」

2013年09月29日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
大河ドラマ「八重の桜」感想 乙女通信

「「男性大河ファン」の直感的で素直な感想」

●歴史にはいちいち意味がある!会津戦争は武家の責任の取り方だったが、西南戦争は・・・!西郷はすっげー策士だったんだね、最後まで!怖いひとだ、西郷隆盛!

というわけで、一週間遅れの八重の桜、第三十八話「西南戦争」のレビューになります。

まあ、遅いですねー。にしても、この記事は書かなければいけませんね。


この「八重の桜」の表現すべき主題のひとつに、

「なぜ、会津は滅ぼされなければならなかったのか?」

というテーマがあります。これは一貫して問われかけてきた命題で、今回も八重が、

「西郷さんに聞いても教えてくれなかった」

と話していましたよね。僕はこの物語の中で、最も大事な主題だと思っているんですが、だからこそ、今回、西郷に山川浩さんが問いただしたシーンがあったのだと、

思っています。いや、あそこでそういうシーンを作らないと、この物語が成り立たない・・・それくらい大事なシーンだったと思います。


いやあ、西南戦争の物語って、今まで大河ドラマでたくさん見ましたけど、最前線でもない場所で山川浩に出会っちゃうという今回のシーン程唐突なシーンはなかった、

ですけどねー。夢オチのシーンか、幻を見たとか、そういう表現に逃げるのかと思いましたが、実際に出会ったことになってるので、

ちょっとおもしろかったですねー。

「犬を見つけててさー」

っていう理由づけも西郷さんらしくて、おもしろかったですねー。


でも、おもしろかったのは、西郷は何も言わないんですよね。

「会津は人柱になったのか?今の日本は会津人の血の上に成り立っているんじゃないか!」

という山川浩の問いかけに、

「わしはそれを忘れたことはなか」

と答えるのみで・・・そういう表現なんですねー。


この劇中の西郷は、何も言わないことで、その思いを強調したことになるんですね。

「秘すれば花」

と世阿弥は言いましたが、まさにそれを地で行く、そういう強調表現になっていました。


ところで、僕は西南戦争の意味を私見では、

「日本において、反乱分子の塊になってしまった薩摩士族を、積極的に削除するために、日本の為に、西郷が起こした、自滅を狙った政治的行動」

と見ています。


大久保利通は、それがわかっていたんじゃないかなとさえ、思うほどですが、今回の劇中の西郷の言葉がその思いに合うモノだったので、おもしろかったですね。

「わしが皆を抱いていく」

というようなセリフだったと思いますが、西郷はもう内乱を起こさせない為に、西南戦争を起こした・・・そういう内容になっていたかと思いますね。


西南戦争を描いた作品と言えば、大河ドラマにもなった司馬遼太郎氏の書いた「翔ぶが如く」が有名なんですが、

あの作品は、読者に戦中派、つまり、第二次大戦を経験した人間の多い時代にその読者に迎合して書いた作品なんですよね。あれは。


だから、当時の読者の怒りの意識、

「軍部上層部がアホだったから、戦に負けた」

という読者の意識に迎合して、

「西南戦争は、西郷を始めとした、軍上層部がアホだったから、敗北した」

という主題で書かれた作品なんですね。


だから、まあ、西郷を始めとした、上層部がアホに描かれている。

当時の読者はそれを読むことで、快哉を叫んだことだと思いますが、時代が変われば、それがいかに志の低い表現であるかがわかります。


ただ本を売るために読者に迎合して作品を作ることがいかに愚かしいことか・・・と、僕には思えます。

自分の為に歴史を曲げる・・・それは罪だとさえ、思います。

なぜなら、歴史は知恵の宝庫であり、僕らがしあわせに生きていく為の重大なヒントをいつでもくれるからです。


そういう使い方をせずに、金儲けの手段にのみ使うとは・・・恐れ多い使い方だと思いますね。僕は。


まあ、それはいいとして、今回、あっさりと描かれた西南戦争ですが、やはり「八重の桜」としては、主題として描いてきた、

「会津戦争は何故おこったか」

を表現する上では、非常に重要な歴史イベントだったと思います。


実際、会津戦争は、日本を治めてきた統領たる徳川家が、日本の統領たる資格を失った・・・それを薩摩が気づいたところから始まるわけですよ。


徳川幕府に日本を治めるに足る人材がもういない・・・この現実に薩摩が気付き、倒幕の為の政治が始まる・・・なにしろ、薩摩は島津斉彬の頃は、

幕府を助けるカタチをとろうとしていたんですからね。


それがメッキがはがれ、幕府にその人材がいないと見るや、薩摩は長州と手を握り、倒幕に走った。

幕府側も切り札として、徳川慶喜を将軍にするんですが、この徳川慶喜が絶対に上には置いてはいけない「俺偉い病」の人間だったから、

幕府どころか、徳川家そのものも失ってしまうという大失態・・・いや、なるべくしてなる現実を引き寄せた・・・そこまで幕府の人材は払底していたんですね。


そして、徳川慶喜は、自分が創りだしてきた「負のエネルギー」の責任すら、取らなかった・・・平家の二の舞いを避けたとも言っていいかもしれませんが、

徳川慶喜が出した「負のエネルギー」の責任を取らされたのが、会津藩だった・・・そう説明すべきだと僕は思いますね。


だから、「負のエネルギー」は絶対に振りまいてはいけないんです。


それは絶対に戻ってくるものだから。


日本社会は、金子みすゞさんが言うように、「こだま」なんですよ。

「遊ぼうって言ったら、遊ぼうって言う。遊ばないって、言ったら、遊ばないって言う。こだまでしょうか?いいえ、誰でも」

そういうCMが東日本大震災の時にしきりに流されましたね。


あれが日本社会なんです。

「こだま」

なんです。


だから、「負のエネルギー」を振りまけば、絶対に自分に「負のエネルギー」が返ってくる。いや、自分に集中すると考えた方がいい。

結果、平家になる。

それが歴史の教えてくれる、知恵なんですよ。


徳川慶喜はそれを避けた・・・だから、その「負のエネルギー」が会津藩に向かった・・・そう考えるべきなんですね。


「エネルギー保存の法則」


が、正しく機能したと言うべきでしょうね。

徳川家が創りだした「負のエネルギー」は会津藩を押しつぶした。

それが会津藩が無くなった理由です。実際は、ね。


で、ですよ。じゃあ、西南戦争は、なぜ起きたのか?という、もうひとつの主題が語られるべきなんですよ。


今回、鬼の佐川官兵衛さんが奮戦しましたが、彼らには会津藩の名誉回復の思いが濃厚にあったことが描かれていましたね。

薩摩によって発せられた「負のエネルギー」・・・会津戦争からの名誉回復・・・それは会津藩士による「負のエネルギー」の揺り返しと見ていいと思いますね。


まあ、しかし、僕はこの佐川官兵衛が大好きでしたね。このキャラ・・・熱いのに、大事なところでヘマを犯してしまったり・・・。

殿の前で寝ちまったり、大事な戦に寝坊してしまうなんて、人間臭くていいじゃないですか。

というか、男、佐川官兵衛のあの会津弁がよかった・・・徳川慶喜の前でわざとあてつけの舞を見せたりと、非常に多才でもありました。

男臭い、いい顔してるんですよ。佐川官兵衛さん・・・いや、中村獅童さんとこの場合言うべきでしょうねー。


お疲れ様、中村獅童さん・・・実にかっこいい佐川官兵衛さんでした・・・うん。ほんと、そう思うな。


で、話を戻しますが、西南戦争・・・これをどう見るか、なんですけど、上にも書きましたが、僕の私見では、

「日本において、反乱分子の塊になってしまった薩摩士族を、積極的に削除するために、日本の為に、西郷が起こした、自滅を狙った政治的行動」

という言葉になります。


まず、戦争というのは、政治的行動の一表現なんですよね。


だから、明確な目標が必要なんです。そこには。

そして、その目標が達成出来るか、その可能性が論じられなければならない。

そして、目標が達成出来る可能性が高いと判断出来た場合に初めて、戦争というのは、起こるべきなんですよ。


しかし、実際の西南戦争は、幕末、長州が起こした外国船砲撃や、薩摩が起こした対イギリス戦争と同じで、

勝ち負けの可能性を考えず、無闇矢鱈に、自尊心を満足させるための行動でしかない。


武士としてのプライドを満足させるための行動でしかないんですよ。


戊辰戦争にて、近代戦を戦った、薩摩軍と到底同じ人達と考えられない程、戦争に対する意識が後退している。


戊辰戦争で、近代戦を指揮した大村益次郎は、戊辰戦争後に、

「九州から、足利尊氏的な存在が現れ上京してくるだろう。だから、アームストロング砲をたくさん作っておけ」

と側近に言い放ち、大阪に銃の弾の製造工場を置きました。


これはどう考えても、西郷隆盛と薩摩藩を想定した言葉ですよね。


その大村益次郎は、常々、

「戦闘とは、常に合理的に勝ち負けを勘案し、相手の弱点に兵力を集中し、一点突破を旨とし、その後、分散した敵を各個撃破するを上策とする」

と側近達に説明していたそうです。


まあ、ナポレオンの兵の運営思想とほぼ同じですが、戦闘の基本中の基本でしょうね。それが。


つまり、敵の兵力を合理的に勘案し、自軍の兵力と緻密に比較するところから、まず、作戦というのは、始まるわけですよ。

そして、敵を分断する作戦を考え、敵の弱点を暴き出し、そこに兵力を集中する。

それが作戦思想の基本となるんですよね。


それを精密に運用したのが、戊辰戦争での大村益次郎であったわけです。

西郷はそれを見ていたはずなんです。


「八重の桜」でも描かれた会津戦争を思い出してください。


大山巌率いる新政府軍がアームストロング砲で、鶴ケ城をボコボコにしたのが、会津藩降伏のきっかけになっていたじゃないですか。

会津藩を降伏させたのは、なにより、大砲だったんです。

さらに言えば、戊辰戦争で何より大切だったのは、最新の銃をどれだけ装備出来ていたかです。

それは「八重の桜」でも、しつこい程描かれていたじゃないですか。


覚馬の買い付けた最新の銃は会津藩に届かなかった。

対して薩摩藩は少し古い銃でも、たくさん買い付けて、量で持って圧倒した。

それでも、最新の銃をたくさん装備している方が圧倒的に有利・・・それは現場の感覚としてあったはずです。


そして、八重が会津戦争のさなか、経験した恐怖・・・弾が無くなるという事実・・・これが八重の一番の恐怖になっていることが描かれていましたよね。


つまり、この時代の戦争は、大砲をどれだけ運用出来るか・・・それと最新の銃の装備と大量の弾の確保・・・この3点が最も勝ち負けを左右する重要な要素になるんです。

そして、もちろん、合理的な戦略・・・何を目標に戦闘行動に移るのか・・・それが最も大事な大戦略になるんです。


会津戦争の場合、新政府結束の為に、徳川家を倒せなかった「負のエネルギー」を会津藩を倒すことで一掃することに眼目が置かれていた。これが戦略です。


戦術的に言えば、新政府側は、アームストロング砲を多数装備し、遠距離からの大砲攻撃で、拠点としての鶴ケ城を破壊し、会津藩を降伏させる作戦に出た。

自軍の損耗を少なくし、敵側を圧倒する非常に合理的な戦術ですよね。

多分、大村益次郎の戦略、戦術でしょう。

これは、大村益次郎自らが作戦指揮を取った上野の彰義隊を壊滅させた時の作戦に酷似しています。


まあ、戦術的には砲のプロ、大山巌が実施するのですが、そりゃ上手くいくわけです。


これ、面白いことに気づいたんですが、合理的な思考の出来る人間は、政府軍側にいるんですよね。

大山巌しかり、大久保利通しかり。


前時代的思考・・・つまり、武士的思考の者が政府から離れ、西郷隆盛の元に集った・・・そう見るべきなんじゃないですかね?

薩摩藩の中でも、壮士的思考の人間が、武士的思考の人間が、西郷隆盛の元に集った。

明治新政府に残った薩摩藩の人間は、もはや武家の時代ではなく、日本という国家の枠で考えられる合理的思考の人物だった・・・そういうことだと思いますね。


だから、西南戦争は、薩摩藩がイギリス艦隊に砲撃をしたように・・・武士的に発想の元、自分のプライドを満足させるだけの行動になったのだ

・・・そう考えると納得がいきます。


つまり、日本国民に進化出来なかった、前時代の亡霊達が、武家的発想で、起こした内乱・・・そう位置づけることが出来ますね。


だから、彼らには戦略も無く、ただ自分たちの武威を示し、満足出来ればよかった・・・日本国民に進化出来なかった、武士という、哀しい亡霊たちの祭りだった。

そう断定することが出来そうです。


そして、その哀しい亡霊達の末路を西郷隆盛は知っていた・・・だから、祭りに浮かれる若者達を哀しい笑顔で最後の場を作ってあげたのが西郷だった。


そりゃあ、西郷はわかっていたでしょう。


だから、ドラマでは描かれなかったですが、西郷は壮士達の前で、

「わたしの身体を投げ出しましょう。あなた達で使ってください」

的な言葉を吐いているんですよね。


「んじゃ、おまん達の祭りにつきあってあげるよ」


そういう思いだったんでしょうね。西郷隆盛は・・・。


新政府軍は、合理的な集団です。

戦略も立てるし、戦術も徹底している。

大阪には銃の弾の工場があり、フル稼働している。

補給路もしっかりと確保し、万全の体制とはいえないけれど、絶えず補給はされる。


西郷軍に比べれば、大砲の数も段違い。


対して西郷軍は、自分のプライドを満足させる為だけに立ち上がった武士の集団です。

戦略なんて無いし、戦術は個人任せ。

銃は戊辰戦争当時の古い銃。

弾だって潤沢とは言えない。いや、むしろ、不足気味だ。

大砲なんて、それほど揃えていない。


つまり、この戦いは、日本国民に進化した合理的集団と、前時代の武士の亡霊との戦いだったから、初めから、武士は滅亡するために戦った、

・・・そういう位置づけなんですね。


西郷は、武士の最後の祭りにただただ付き合った・・・その末路も知っていた・・・そういうことなんですね。


実際、西郷が献策したと言われる、二方面作戦・・・ドラマでも出てきましたが、一方を熊本鎮台に張り付かせて、一部を割いて、

政府軍にぶつける戦い・・・これは絶対にやってはいけない戦い方です。


上でも言いましたが、戦いは兵力を一点に集中し、相手の弱点を突き、軍団を分断させて、分断し、兵力の少なくなった敵を各個撃破するのを目標とします。


ですから、二方面作戦なんて、余程兵力に余裕がある場合に出来ることで・・・西郷は薩摩士族が早めに兵力を損耗することを狙って、

そういう作戦を献策した・・・としか僕には思えません。


というか、西郷軍には、作戦を合理的に献策出来る人物がいなかった・・・いたとしても、西郷以外の将領級にそういう人物がいなかった、と言えるかもしれません。


それにおもしろいことに、西郷軍を苦しめた熊本鎮台・・・西郷軍は、銃や砲、銃の弾を補給するために、熊本鎮台を落としにかかったのでしょう。

戦闘において、まず、課題になるのが、補給をどうするか・・・ですからね。

現実的に戦闘になれば、弾は無くなっていくわけですから・・・それで熊本鎮台に目をつけた。


しかし、会津戦争を見ればわかるように、城を落とすには、強力な砲が必要です。

会津藩の降伏もアームストロング砲の徹底的な攻撃力があったから、成功したわけですから・・・銃だけでは、落ちないのが、鉄則です。


しかも、熊本鎮台に籠もるのは、合理的薩摩人達・・・司令官は谷干城・・・この人おもしろいことに戊辰戦争時に日光口で山川大蔵さんと戦った戦将なんですよね。

ドラマでも、

「なぜ、薩摩は日光口を抜けないんですかな?」

というセリフがありましたが、あの時、日光口で山川大蔵さんと戦っていたのが、この谷干城さんなですね。

で、おもしろい事にその時の経験があって、谷干城さんが、山川大蔵さんの陸軍への入隊を後押ししているんですね。


だから、今回、一番最初に山川浩さんが、熊本鎮台に入城した・・・それを喜ぶ八重さん達のシーンがありましたが、彼は、恩人に報いたいという意識が濃厚にあったから、

抜け駆けして、一番に谷干城が守る熊本鎮台に入城した・・・という話になるんですね。


そういえば、この時、西郷さんのやったことで、非常に政治的な手法があるんですが、

熊本鎮台に、西郷隆盛陸軍大将名で、

「全員整列し、我が軍に敬礼を持って、見送ること」

的な手紙を書いているんですね。


これね。すごいなと思いますよ。


だって、こんな手紙見たら、誇り高い薩摩人達は、絶対に西郷に従わないでしょ?


でも、西郷軍の人間達は、この手紙を見て、西郷は本気だって思うじゃないですか。


でも、違うんです。西郷の意図は、熊本鎮台の薩摩人が絶対に自分たちに従わないように、こういう相手をなめたような手紙を書いたわけですよ。

つまり、どこまでも、薩摩士族削除の為の手を打ってるんです。


西郷にしてみれば、熊本鎮台の薩摩人が自分に従ってしまったら、最初の戦略が成り立たないわけです。

西郷は熊本城を建てた、加藤清正と戦をしているようなものだ・・・と言って周囲を笑わせたという話がありますが、

もちろん、これは徳川家康の対薩摩藩戦略で、島津氏抑えのための城なんですよ。


西郷は、この城を薩摩士族削除の為の戦場に決めたんです。言わば薩摩士族削除システムです。熊本城は。


彼は砲を持たない自軍の弱点をうまく突き、最も苦手な攻城作戦をとらせて、自軍を弱らせる作戦に出た。

攻城に手間取るうちに、日本陸軍、海軍が九州に上陸すれば・・・いや、海軍はどこからでも、上陸できますからね。

補給能力に劣る自軍に、弾や砲の補給目的の為の、熊本鎮台攻撃をちらつかせれば、絶対にそうなると西郷は踏んでいたでしょう。


西郷はあくまでも合理的に自軍の弱点を勘案し、最も苦手とする攻城作戦に自軍を引きずりこみ、消耗させる手に出た。

砲を持たない自軍が攻城に成功する事はない・・・だから、西郷は熊本鎮台内の薩摩人が自軍に絶対に加担しないように、例の手紙を送ったんです。


西郷の目論見通り、最後の武士達は、熊本鎮台に張り付き、城を抜くことはもちろん出来なかった。

補給も思う通り出来ず、やがて、日本陸軍が九州に上陸し、南下してくる。

田原坂で激闘するも、弾が無くなっては、損耗するばかり。剣による白兵でしのぐも、警察隊にいる会津武士を中心とした抜刀隊がこれに対抗し、万事休す。


田原坂を抜かれた西郷軍は、熊本鎮台を諦め、諸方を転戦し、最終的には、鹿児島へ戻り、城山で自刃・・・西郷の思い描いた意図どおりの終結を見たわけです。


だから、西郷にすれば、最後の武士達の祭りを華やかにしてあげたかった・・・それだけだったと思います。

だから、目的は最後の武士達が華やかに祭りを楽しめれば、それでよかったんです。


それが西郷の意図だったんですよ。


それと同時に、日本陸軍の強さも確かめたかった・・・最強の武士と言われた薩摩隼人とどれだけわたりあえるか・・・彼は将来的に対外戦争も見据えていました。

ロシアの南下に対する牽制の意識もあって、征韓論を進めたとも、言われていますからね。


それが日露戦争の勝利にもつながった・・・のかもしれませんね。


ま、それは言い過ぎかもしれませんが。


なるほどね・・・西郷隆盛の構想の大きさがよくわかりました。

というか、「八重の桜」のレビューというより、西南戦争と西郷隆盛のレビューとなってしまいました。

ま、この話は一度じっくり考えてみたかったので・・・なるほどね、西郷隆盛の意図はそこだったか・・・。


ま、今回の話で、維新の元勲のみなさんは、退場になってしまいましたが・・・いろいろなお約束が出てきて楽しかったですね。

「西郷、もう大概にせぬか」

という木戸孝允さんだったり、赤マントの篠原さんが銃で撃たれたり、泣いちゃう大久保利通さんだったり、

「3月には、東京で花見が出来るたい」

と言う桐野利秋さんだったり、おもしろかったですねー。


しかし、西郷さんが、山川浩さんと出会っちゃうってのは、おもしろかったですねー。


ああ、そういえば、西郷さんが死ぬ時の、

「もう、よか」

も、お約束でしたねー。


いやあ、大河ドラマウォッチャーとしては、ああいうお約束が楽しいんですよね。

そして、お約束でない、西郷さん突然の出現も楽しめました。


会津戦争は武家として、徳川家の蜂起した「負のエネルギー」の責任を取った、戦いでしたが、

西南戦争は、古い武家の最後の生き残りが、自滅した、武家の最後の祭りだったんですね。


武家のプライドが、最後に爆発し、最後の踊りを踊らせた、そういう出来事だったんですね。

言わば、自分の「負のエネルギー」に自滅した武家の亡霊・・・そう言う出来事だったんですね。


いやあ、勉強になりました。歴史の出来事って、それぞれ、意味があるんですねー。


いやあ、長く書きすぎましたか。

ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。


今週のあれ、どうなん?
なんか、この時代の女性って強かったんだねー。って、最後の3人の女性を見て、思いました。

9月26日 鈴鹿ひろ美さんの「潮騒のメロデイー」に感動して!(深夜に文章を書くと!)

2013年09月26日 | お昼間カフェ
おはようございます。

えー、これは深夜に書いた文章なので、より感情的になっているので、いいおとなはこんな文章書いちゃいけません!

という例になっていますので、お気をつけになってください。


だいたいが、深夜は感情的になっているんだよなー。

ま、笑ってやってください。

とにかく、感情的な文章ですから、そういうことで、ね(笑)。


ま、いつもながら、アホです。ほんと、すいませんねー。

ということで、お詫びを、まずしてから、本編に入っていきましょう。

恥ずかしい文章ですよ。実際ねー。


いやあ、「あまちゃん」最終週ということで、なんだか、毎日、泣きそうになっています。

ほんと、涙腺弱いんだから、困っちゃいますねー。

まあ、いろいろなことがここに来て結果になってきているので、

それらにやられちゃっている・・・そういうことでしょうねー。


さて、今回も「しあわせになる為の知恵」を作っていきたいんですが、

「あまちゃん」やっぱり、おもしろいですねー。

先週の土曜日の朝方、NHKの生放送の番組に宮藤官九郎大先生が出ていたんですが、

「今週の「あまちゃん」を見ただけで、「あまちゃん」全部を堪能したと言ってもらえると思います!」

と、豪語されていたので、最終週はどんな出来になるのかなーって思っていたんですが、

おっしゃる通りでしたねー。


ほんと、毎日、泣きそうになるくらい、感動していますねー。

まあ、昨日は鈴鹿ひろ美版「潮騒のメロデイー」披露でしたからねー。

もう、感動しちゃって、朝から泣きそうになりました。

というか、今週は毎日、泣きそうになっていますねー。

YouTubeにもアップされていますが、薬師丸ひろ子さんの「潮騒のメロデイー」いや、鈴鹿ひろ美さん、超感動的ですよ。

古田新太さんじゃないですけど、泣きますねー。


だいたい、小泉今日子さんと薬師丸ひろ子さんですよ。

僕らの世代にすれば、歌の上手いアイドルツートップですからねー。

というか、「逃げるのいやなんです」って言った、鈴鹿ひろ美のあり方が・・・遠い昔の自分だったりして。

逃げるの嫌だから、僕は今の人生に入った。そういう思いがあるから、余計泣きたくなるんです。

エーマイナーのアルペジオ・・・高校の頃、指痛くなりながら、オフコースの曲をコピーして、人前で歌っていた、あの頃を思い出します。


ひとには、思い出したくなる、若い時代がある。つらい時代がある。


薬師丸ひろ子さんや、小泉今日子さんの歌を聞いていると、一生懸命、恋をしていた、遠い時代の自分を思い出します。

そういうキュンキュンしていた時代を思い出して、ちょっと笑っちゃいます。

うまくいかないのに、真面目に恋していたあの頃。


それでも、自分の思いから逃げたくなかった。


エーマイナーのアルペジオ・・・逃げなかったな、あの頃。

そして、今も逃げていない。多分。

もっと難しいのは、ビーマイナーのアルペジオだからね(笑)。


「逃げるの、もう嫌なんです」


誰だって思う、こころからの言葉。

やっぱり、宮藤官九郎大先生は、すばらしいエンターテナーです。素晴らしい。勉強になるなあ。


誰だって思う言葉をすくいあげて、それを登場人物の言葉にする。


誰だって、弱い瞬間がある。

それを笑いにまぶしながら、表現していく。

さすがだなあって、思いますね。


「逃げるのもう、いやなんです」


鈴鹿ひろ美さんにそう言われちゃったら・・・小泉今日子さん、いや、天野春子さんの複雑な思いがあってからの、鈴鹿ひろ美さんの思い。

だから、彼女が歌い上げた時・・・涙につながるんですね。


誰だって、うまくいかない時代があります。


うまくいかなくて、上司が浮かない顔をしていて、同僚が慰めてくれる、その瞬間がどれほど嫌なことか。

自分では精一杯やっているつもりでも、上から見れば、ただ何かをやっているに過ぎない、そんな時間。

自分でもわかっていますからね。つらい、そういう時間ですよ。


「逃げるのもう、嫌なんです」


たくさん逃げてきた。わかっていた。逃げるのは、嫌だった。それでも、逃げるしかなかった。

そういう時間がたくさんあった。若い頃・・・。


自分の胸の傷をさらにひどくすることはわかっていたのに。


わかっていたのに・・・。


あの少女の姿は・・・その象徴だったのかもしれない。

もう、その少女は、見えなくなったけれど。


そういう時代が誰にでも、ありますよね。

うまくいかない時代。

でも、過ぎてみれば、そこから成長した自分の姿がわかる。

そして、その若さに戸惑っている、他人の若さを見通す事もできる。


「逃げるの、もう嫌なんです」


それを経験したからこそ、他人の痛みもわかる。

他人の陥っている、その状況もわかりあうことも出来る。

すべては、自分で経験したから・・・だから、わかるんだ。

それは、素敵な経験・・・だと、思いますね。


でも、僕はもう、ビーマイナーのアルペジオ、綺麗に弾けるようになった・・・。


三代前からのマーメイドも、笑顔に出来るようになった。


大人になるということは、前から言ってる通り、自分の周りのネガテイブをすべてポジティブにしていくことです。

ネガテイブがあることで、悲しむこころも、ポジティブに変えて、こころに喜びが溢れる。

それが大人ってもんでしょう。


大人の男性は、女性をこころから笑顔にしてなんぼです。

そう叔父さんも言っていた・・・。

だから、笑顔にするんです。


女性を笑顔にして、楽しく毎日を過ごす・・・それが大人の男ってもんじゃないですか。


大人の女性を自然に笑顔に出来る男こそ、大人の男です。


そうやって、自分も笑顔になっていかなきゃ。


少し、いや、全面的に「あまちゃん」にやられていますかね。

今、低気圧が北上中ですからね。

低気圧に乗って、北へ向かいますか?


「逃げるのもう、嫌なんです」


そうしてきた自分を思い出します。

そこから強い気持ちで、脱出してきた自分がある。

強く強く、そこに戻りたくない自分がある。


そういう過去を乗り越えてきた、自分がある。

それを思い出して、鈴鹿ひろ美さんを見ると、涙が出るんですねー。

逃げてばかりの、そんな自分が嫌いだった。


大嫌いだった。


その自分を鈴鹿ひろ美さんに重ねた。

薬師丸ひろ子さんに思いを載せていた、遠い昔の自分を思い出した。

何も出来ない自分が、そこにはいた。

それを思い出したんです。


だから、涙が出るんですね。ようやくわかった。

宮藤官九郎大先生のすごさが。


蹉跌と笑い・・・それを一緒にして、提供すること。

ひとは皆、たくさんの蹉跌を持っている。


「逃げるの、もう嫌なんです」


そうですよね。誰だって、そうですよ。

だからこそ、がんばれる。


ビーマイナーのアルペジオも越えてきたじゃないか。


いやあ、ほんとは別のネタを書こうと思っていたんですけど、

鈴鹿ひろ美さんの「潮騒のメロデイー」があまりに感動的だったもので、

それに引っ張られてしまいました。

もちろん、天野春子さん版の「潮騒のメロデイー」は素晴らしいですけどね。


「逃げるの、もう、嫌なんです」


誰だって、自分の人生の中で、嫌なことってあるんですよね。

うまくいかないことがある。

でも、それを乗り越えるから、大人になれる。


僕は大人になった。


そして、恋をする。


さあ、笑顔で行こう。

目標に向かって、歩いて行こう。

新しいマーメイドを探しに。


いかん、「潮騒のメロデイー」に完全にやられてる。

鈴鹿ひろ美さんに、やられてる。


ま、今週はしょうがないか。最終週だし。


だいたい、深夜に書いてますからね。

恥ずかしいことを書いちゃうんですよ。深夜に文章を書くと。

ま、それをわかっていて、書いているんですけどね。


それを恥ずかしいと思わない、そういう大人になっちゃったってことですけどね。



さてさて、「あまちゃん」最後まで楽しみましょう。


大人になって、涙を流すのも、悪くない。

あの少女はどこへ行ったかな。

さあ、笑顔で涙を流しましょう。


ビーマイナーのアルペジオ、指傷いんだけど、今でも(笑)。


やっぱり、僕だけのマーメイド探さなきゃ、ね。


ではでは。

9月23日 自分の思いを理解してくれる相手こそ!(信頼感!)

2013年09月23日 | お昼間カフェ
おはようございます。

暑さ寒さも彼岸まで、と言いますが、まあ、そんな感じですねー。

朝夕は涼しくなって、夜も長くなって・・・季節はドンドン動いていきますねー。

というわけで、三連休もあっという間に3日目を迎えて・・・速いですねー。

というわけで、今日は、飲みの話でも、しましょうかねー。


鈴木タケル(32)は、仕事仲間の潮崎ソラ(26)と行きつけのバー「Gentil」に来ていた。

「おっと、タケルさん、ご無沙汰じゃないですか!」

と、マスターの木崎(40)は少し太めの身体を揺らしながら豪快に笑う。

「ちょっといろいろあって、時間が取れなくてね」

と、タケルは話す。

「ソラちゃんはここに座るといい」

と、タケルはソラに気を使いながら、自分もスツールに座りこむ。

「タケルさん、わたし、あまりバーって来たことがなくって・・・。初心者は最初は何を飲めばいいかしら・・・」

と、スレートグレーのスカートスーツ姿のソラは話す。

「そうだなあ。さっき一次会で、少し飲んだから、軽いカクテルにしようか?」

と、白いデニムに白いポロシャツ姿のタケルは普通に話す。

「はい。そうですね。アルコール度数が低くて、すっきり飲める感じがいいかな」

と、ソラは話す。

「ダイアナ妃が好んだっていう、軽いカクテルがある。それにする?」

と、タケル。

「ええ。ダイアナ妃ですか・・・美しい方だったんですよね?」

と、ソラ。

「え?そうか。ダイアナ妃をあまり知らない世代か・・・まあ、いいや、マスター、スプリッツァーを彼女に」

と、タケルはマスターに頼んでいる。

「はい。スプリッツァーね」

と、マスターは気軽に受け答えるとソラのカクテルを作り始める。

「はい。こちらです」

と、マスターが渡してくれたカクテルをソラは興味深そうに見ながら、口をつけてみる。

「ほんと・・・軽くて飲みやすーい」

と、ソラは喜んでいる。

「スプリッツァーは、白ワインをソーダで割ったモノだからね。アルコール度数は低いし、飲みやすいんだ」

と、タケルは説明すると、

「マスター。いつも通り、カクテルの王様、ドライ・マティーニを僕に」

と、タケルは話す。

「わかりました。タケルさんの舌は肥えているから、怖いなあ」

と、マスターは微笑しながら、カクテルを作り出す。

「タケルさんは、そんなにドライ・マティーニには、厳しいひとなんですか?」

と、ソラは興味深そうにタケルに聞く。

「いやあ、そんなことないさ。店の数だけドライ・マティーニの味もある。ただ、この店のドライ・マティーニが美味しく感じるから、ここに来るだけ、それだけだよ」

と、タケルは話す。

「そう言ってくれると嬉しいですね。はい、ドライ・マティーニ」

と、マスターは苦笑気味にドライ・マティーニをタケルに差し出す。

「うん。いつもながら美味しいです」

と、マティーニに口をつけたタケルは言う。

「それに、このキリリと冷えた温度がいいんですよ。マスターの本気がそこに出てる」

と、タケルが言うと、

「キリリと冷たくしないと、ドライ・マティーニは美味しく出来ませんからね」

と、マスターは笑顔で話す。

「お客さんがそれを理解してくれていると、作る方も嬉しいですよ」

と、マスターは言う。

「なるほど、魂を込めても、それを受け取る側が理解しないんじゃ、ダメなんですね。ふーん・・・」

と、ソラは感心したように話す。

「マスターとタケルさんの信頼感、半端ないって感じです」

と、ソラは嬉しそうにマスターとタケルに言うのだった。


それを聞いた、マスターとタケルは静かに笑みを交わすのだった。


「そう言えば、ソラちゃんって、彼氏とラブラブだったんだよね?」

と、タケルはしれっと探りをいれている。

「いえ。あの彼氏とは、とっくの昔に別れました」

と、ソラもしれっと答えている。

「え?でも、前回飲んだのって、夏前くらいじゃなかったっけ?その時はラブラブだって、言ってたじゃん」

と、タケルは記憶を思い返している。

「ま、その直後くらいですかね。別れたのは・・・」

と、ソラは2杯めのカクテル・・・ソルティドッグを飲んでいる。

「ふーん、あんなに、楽しそうに話してたのにねー」

と、不思議そうな顔をするタケルだった。

「さっきのドライ・マティーニの話と、どこか同じかな。結局、相手の男が信頼出来なくなったんです。わたし」

と、ソラは不平顔で言う。

「どういうこと、それ・・・後学の為に教えて貰えると嬉しいな」

と、タケルはギブソンを飲みながら、しれっと話している。

「どんなにおしゃれしても、全然わかってくれない男だったんです。髪型変えても、髪の色を変えても、おしゃれなヒールを履いていても、アクセにお金かけても」

と、ソラは少し怒り顔で話している。

「なるほどね。それじゃあ、ソラちゃんの努力は無駄になっちゃうもんね」

と、タケル。

「それに、夢のない男だったんです。退職するまで、サラリーマンをやって、マンションのローンを払って、退職後は退職金で悠々自適・・・みたいな」

と、ソラ。

「いや、現実的には仕方ないかもしれないけれど、少しは夢を追いかけて欲しいと思って・・・少しわたしのワガママかもしれないけれど・・・」

と、ソラ。

「まあ、それはその人の生き方だからねー。堅実な生き方だとは思うけどね。僕的には」

と、タケル。

「タケルさんは、脱サラして、自分の夢を追っているじゃないですか。そういう人が周りに多いから、わたし、そういうのが普通の感覚になっているのかもしれない」

と、ソラ。

「夢を追っていても、かみさんひとり養えない、僕の環境はあまりオススメしないけどね。僕的には」

と、タケル。

「今はそうかもしれないけれど、年々評価はあがってきてるじゃないですか?年収的にもそうでしょう?」

と、ソラ。

「まあ、それはそうだけど、苦労も多いよ。こういう生き方は。離れていく人間も、割りと多いしね」

と、タケルは冷静に話す。

「ただ・・・夢を見ることは出来る。それは確かだ。その為にがんばっているんだしね。それが気持ちの支えかな」

と、タケルは少しだけ笑顔になって話す。

「でしょう?そういう生き方をしている人をたくさん知っているから、わたしも、ついつい、比較してしまうのかもしれない。というか、わかってほしかったのかな」

と、ソラは少し悲しそうに言う。

「何をわかってほしかったの?」

と、タケル。

「クリスチャン・ルブタンの真っ赤なヒール・・・ボーナスが出た時に無理して買ったんです。彼に喜んでもらいたくて」

と、ソラ。

「ほう。奮発したね。女性向けの高級靴だね。クリスチャン・ルブタン」

と、タケル。

「11万円もしたけど、でも、彼のためならって、思ったから・・・でも、デートに履いていっても、気づいてもらえなかった」

と、ソラ。

「ある意味、賭けだったんです。これでわかってもらえなかったら、もう会うのは辞めようって思ってた。わたしがどんなに努力してるかなんて、彼には永遠にわからない」

と、ソラ。

「そう、結論が出たから・・・別れたんです。自分のことばかり考えている彼だったし、自分にとって嫌なことはダメで、自分にとっていいことはいい。それだけの彼」

と、ソラ。

「結局、わたしの事なんて、どうでもいい彼だったんです。自分の事ばかり考えている。それ見抜かれないとでも、思ったのかしら・・・」

と、ソラ。

「人は成長すれば、容易に相手の中身を見抜く。考えている事なんて、簡単にわかってしまう。その彼はそういう当然の事実を知らなかったんだね」

と、タケル。

「クリスチャン・ルブタンか。素敵な赤いくつを履いている女性も、彼の中では、意味を持たなかったんだね」

と、タケルはギブソンを飲み干しながら言う。

「自分の思いを理解してくれない相手では、一緒に生きるかいがない・・・そういうことか・・・」

と、タケルが言うと、ソラは、悲しそうに微笑む。

「マスター。ジン・リッキーお願い」

と、タケルはマスターに頼む。

「そう来ると思ってました」

と、マスターは、笑顔でそれに答える。

「わたしの思いを、到底理解出来ない彼なんて・・・彼とは呼べないわ・・・」

と、ソラはつぶやきながら、ソルティドッグを飲み干している。

「タケルさん、次、何がいいですかね?」

と、ソラはタケルに質問する。

「そうだな。華やかなカクテル、マイタイでも飲んで、少し気分を和らげたら?」

と、タケルは話す。

「パイナップルが入ってるカクテルでしたっけ、それ?うん、それにしましょう」

と、ソラは笑顔で返す。

「マスター、彼女にマイタイを」

と、タケルが言うと、

「承知しました」

と、マスターは笑顔で返す。

「やっぱり、そういう信頼感が大事ですよ。恋人同士でも」

と、ソラはため息をつく。

「じゃあ、今度さ、週末にデートしようか。君はルブタンを履いてくる。それに似合うファッションで来る。僕も、釣り合うような服を着て。そうだな、銀座デートかな」

と、タケルは話す。

「え、ほんとですか?タケルさん、わたしを誘ってくれるんですか!わーい、だったら、全力でおしゃれしてきます!やったー!」

と、ソラは笑顔になる。

「たまには、そういうのも、いいじゃない。サービスサービスってことで」

と、タケルが言うと、嬉しそうにするソラだった。

「はい。ジン・リッキーとマイタイ。楽しそうなお話ですね」

と、笑顔のマスターはさらに笑顔になるのだった。


おしまい。


えー、なんか、そんな感じで書いてみました。

まあ、やっぱり、ひととひととのやりあいって、相手の気持ちがわかることが大事なのかなって、思っていますね、僕は。

自分がよければ、それでいい的な感じって、すぐに相手に見抜かれるし、よろしくないのかなーって、そう思っていたりもするし。

結局は、おもてなしの心かなーって、やっぱり思うしねー。それ出来ないと日本人じゃないし。


まあ、相手に対する真心のない人は、所詮、相手にされない・・・そういう思いですね。


さてさて、今日もお休み、ということで、

のんびりとやっていこうかと思いますね。

楽しい時間を過ごしていきましょう!


ではでは。

第三十七回 乙女通信 「過激な転校生」

2013年09月22日 | ゆるちょ!のドラマ・レビュー!
大河ドラマ「八重の桜」感想 乙女通信

「「男性大河ファン」の直感的で素直な感想」

●熊本バンドって、キリスト教の本質を理解してないじゃん!つーか、知識をひけらかす人間って不快だよねー!ま、ああいう人間こそ、人から嫌われるんだけどね!「愛」を知らないんだな!

えー、久しぶりに大河ドラマ・レビューが出来ます。

まあ、八重の桜・第三十七回「過激な転校生」のレビューになりますねー。

まあ、全体的な印象としては、

「ああ、学園モノになったんだなあ」

という印象で、ちょっとおもしろかったですね。


というか、要は「俺偉い病」の人間の話・・・そういうことになりましたかねー。

まあ、僕のブログでは何度も主張してきましたが、この日本においては、社会とどのようなつながりを持つか?・・・ということが自分のしあわせに直結してきます。

だから、社会との関係性を悪くする「俺偉い病」や「逃げ込み者」になると、途端に自分をふしあわせにする・・・そういう結果を導くんですね。

要は周囲から愛されることが大事なわけです。だからこそ、運も縁も恩も、自分にプラスになってくる・・・そういう流れなんですね。日本の社会というのは。

「情けは人の為ならず」

です。まあ、日本には、「情」システムがありますから・・・それが自分のしあわせに直結してくるんですね。


まあ、今回フューチャーされた熊本バンドですが、彼らは地元では、棄教すら求められたくらい、嫌われたわけです。

つまり、彼らは、自分らに価値はない、と感じていた・・・それでも、どこかに逃げ場所を求めて、同志社英学校に移籍してきた。

しかし、同志社英学校に来てみると、実は自分たちには、相当な価値があると、勘違いしてしまった・・・そういう話ですよね。


まあ、僕も大学時代に経験がありますが、大学での価値観と社会に出てからの価値観と言うのは、まったく違うんですね。


例えば、大学にいる場合、勉強が出来るというのは、大きな価値になります。

まあ、僕なんか、大学時代、Cばかりでろくに勉強も出来ないダメ学生でした。

それでも、マスターまで行って卒業するわけですが、その時に、ハッキリと、

「僕はコンピューター技術者という仕事に向いていないんだ。だから成績も悪かったんだ。なーんだ」

という結論にたどり着くわけです。


それまで、僕は、努力が足りないから成績が悪いんだ、とばかり思っていたわけですが、

考えてみてください。その仕事に向いている人間が努力するんだから、成績はいいわけで、

向いていない人間が、いくらがんばっても、向いている人間を越すことは、あり得ないんですよ。


ひとは向いている仕事をするからこそ、輝く。努力は、向いている仕事にこそ、向けるべき・・・そういう真理にたどり着くわけです。僕はその時に。


ドラマの中でも、そういう描写がありましたね?


「信心が足りないから、ダメなんじゃね?」


そういう言葉をあえて他人に出すことによって、自分は偉いと誇る・・・「俺偉い病」の典型的症状です。


熊本バンドの人間達は、知識があることを誇り、知識が無い人間を差別し、下に見て、退学すら要求する。

あまつさえ、校長の新島襄すら、否定する。

自分に価値があると勘違いし、自分たちは何をしてもいい・・・他者との関係性など結果的に破壊してもいい・・・そういう考えに支配されてしまう。


まあ、勘違いも甚だしいですよね。


まあ、僕も相手の問題点を指摘する場合がありますが、それは、

「その問題点を直せば、結果として、いい方向に向かうから」

という愛情を持って、言う場合がほとんどですが、彼らには、その愛が無い。


まあ、その愛に気づけない人間も多いですけどね。

まあ、この場合の愛を「情」と言い換えてもいいですね。


つまり、簡単に言ってしまえば、この日本社会は、「情」のある人間のみが、評価されるんです。

そして、「情」のわからない人間、「情」の無い人間は、否定され、ふしあわせになるのです。


日本社会の最高正義は、何度も言いますが、

「和をもって尊しとなす」

です。

和とは、「情」によって、形成される。

だからこそ、「情」のあるなしを日本人は、厳密に見ているのです。


熊本バンドのやり方に「情」がありましたか?

新島襄は、「情」があるからこそ、熊本バンドの苦境を知り、同志社英学校に受け入れた。


そして、彼らの改革要求にも、

「わたしは、誰も退学はさせない」

とはねつけた。当たり前ですよ。だって、同志社英学校は、キリスト教の精神を学生達に教える学校なのですから。


キリスト教のキモは何か?


「汝の隣人を愛せよ」


この言葉に集約されていませんか?


「愛」


ですよ。そして、「情」でもある。


もちろん、「愛」と「情」は厳密に言えば、違うものです。


でも、日本においては、それは同じと言っても構わないと思いますね。


熊本バンドの人間達は、


「キリスト教の宣教師になるために、学んでいる」


と言いましたが、彼らは知識としての、キリスト教を収めれば宣教師になれると誤解している。


今のままでは、彼らは到底宣教師になど、なれません。絶対に。


「俺偉い病」の人間達の言葉など、誰が聞き入れますか?


周囲から蛇蝎の如く嫌われ、排斥されるだけです。


「情」の無い人間、キリスト教の本質である「愛」を忘れたキリスト教の宣教師など、この日本では意味を持ちません。


それを彼らは理解すら、していない。そここそが本質だと言うのに・・・。


まあ、彼らは地元で強力に排斥を受けたわけだから、「愛」を知らないんでしょうね。


「愛」されることを知らない、そういう人間達なんでしょう。


まあ、そこまで言わなくても、新島襄のあり方は、キリスト教の本質「愛」をベースに、それを建学の精神にしているのが、同志社英学校だった、


そういうことを表現していましたね。


「愛」を知る新島襄と、「愛」を知らない熊本バンド・・・そういう構図なんです。


話を元に戻しましょうか。


知識など、いくらあっても、それは価値にはなりません。


社会に出てから、要求されるのは、そのひとオリジナルな知恵をどれだけ持っているか・・・そこに尽きます。


だから、勉強などいくら出来ても・・・それが大学の中では、価値にはなるけれど、一般社会に出てしまえば、知識などあって当たり前という価値に変わってしまう。


社会に出たら、そのひとがどれだけ独自な価値を発揮出来るか・・・独自な知恵を持っていて、それが他人からどれだけ評価されるのか・・・そこに価値は移ります。


だから、勉強が出来るだけ、という人は社会に出てから、それほど評価されることはありません。


だって、仕事なんて出来て当たり前なんだから。


むしろ、独自な価値を発揮し、たくさんの独自な知恵を披露しながら、周囲を笑顔に出来る人間こそ、出世もするし、しあわせになっていくんですね。


そういう観点から見たら、熊本バンドの人間達は、どのように評価出来ますか?


一緒にしゃべりたくもない、単に不快な人間たちの集まりじゃないですか。


自分の知識を披露することだけに、快感を感じ、他人がどう感じようと一切考えない・・・周囲を不快にする「俺偉い病」の典型的な症状です。


社会に出たら、失敗して、不幸になっていく・・・それが目に見えている人間達・・・僕にはそう思えましたね。


まあ、新島襄さんは、自分の不甲斐なさに怒りを感じているようですが、八重さんの腹の据わり具合は、ちょっとレベルが違うように見えましたねー。


そりゃそうですよ。会津戦争を闘いぬいた八重さんから見れば、熊本バンドなど、所詮ガキンチョですからね。


自分の知識を誇ることしか出来ない、世間を知らないガキンチョそのものですから、死を間近に見てきた八重さんにすれば、ケツの黄色い存在に過ぎないでしょう。


「新島ぬえ」


そう自称しても、どうってことないでしょうねー。


むしろ、危機を楽しんでいるようなところが、ある。


いやあ、新島襄さんも、いい伴侶を得たよなー、そんな感じがしますねー。


子供達を指揮して、薩長の軍団と戦っていた八重さんですから・・・そりゃあ、熊本バンドなんぞ、へとも思ってないんでしょうね。


結局、経験がひとを強くする・・・そういう表現なんだと思いますねー。


それと、キリスト教の基本は「愛」・・・であるなら、「愛」の無い熊本バンドは、キリスト教の本質がわかっていないことになる・・・。


だからこそ、新島襄は、泣いたんでしょうね。


「愛」こそが、戊辰戦争後の荒廃した日本人のこころを癒すモノ・・・そういう思いが新島襄にあったからこそ、同志社英学校は建学された。


その強い思いがあるからこそ、知識欲に凝り固まっただけの、「愛」の無い「俺偉い病」の差別主義者達を前にして、新島襄は「愛」を説いた。


「愛」こそが、キリスト教の本質であり、宣教師が何より大切にしなければいけないことだったから・・・。


つまり、大事なことがわかっていないわけです。熊本バンドは。


うーん、そうなってくると、同志社英学校の教育もうまく機能していないってことになっちゃいますけどね(笑)。


それに対して、八重さんの「情」が・・・熊本バンドの服を縫うことで、ちょっとずつ効いている、という皮肉。


後の徳富蘇峰さんが、ちょっとずつやられていく、ということで、まあ、面白いですね。そのあたりは。


やっぱり、人の心を動かすのは、「情」なんですね。


●政府は士族を追い詰め過ぎだ!しかし、追い詰めなければ文明国家になりきれない!新たな価値観を創りだしたものと古い価値観に囚われた人間!その違いが不幸を呼ぶ!

というわけで、歴史の動きについて言えば、廃刀令があって、士族の反乱一直線・・・まあ、その最終章が西南戦争になるわけで、

維新の元勲が次々といなくなる世になっていくわけです。

山川浩さんは、陸軍の軍人になっているわけで・・・佐川官兵衛と斎藤一は、警察官なんですね。

まあ、このあたり、薩長を目の敵にしている・・・そういう価値観から、日本という国という意識に変わっていく過渡期だったんだろうと思いますね。

昔の価値観を捨てられない人間と、今の価値観に身を委ねる人間と・・・その差が行動に出ちゃう感じですかねー。

自分なりに自分の最新の価値観を作っておくこと・・・これが大事だってことを僕らに教えてくれているんでしょうかねー。


ともあれ、西南戦争の序章ということで、時代は、西南戦争へ全面的に突入していくんですねー。

会津の戦で戦った男達も、「戊辰のかたき!」という言葉を吐きながら、西南戦争へ突入していくわけで、会津人の誇りの回復につながっていくんでしょうね。

というわけで、今晩が楽しみになりますねー。


今週の喜び

さて、熊本バンドの人間達の価値観なんですが、当時の九州は非常に男尊女卑な価値観でした。

だから、八重にも、きつく当たるわけですけど、要はがきんちょの熊本バンドからすれば、八重は本能的に畏怖する存在だったんでしょうね。

だから、「ぬえ」などと呼ぶことで、下に見ようとした・・・実際は八重を怖がっている、現実的な弱さがその「ぬえ」という名称に現れていますね。


まあ、熊本は神風連の乱の舞台にもなった場所ですし、武士的価値観の強く残っている場所と言っても過言ではないわけです。


だから、男たちの自分を強く見せたいという武家意識が「ぬえ」という八重の呼称につながったと見るべきなんでしょうね。

まあ、幼さ、弱さの裏返し、と取った方がわかりやすいですけれど。


新島襄と八重の夫婦は、キリスト教文化にどっぷり浸かっているわけですよ。

男女平等、博愛主義・・・つまり、新島襄と八重VS熊本バンドの対立は、キリスト教文化VS古い武家文化の構図そのものなんですよね。

新島襄は、キリスト教の本質である「愛」をベースにした教育を目指しているのに対して、熊本バンドは、それを理解していないどころか、

キリスト教を知識としてしか捉えておらず、武家的な差別文化の中にいる。


そりゃ、対立するわけですよ。そして、物事がわかっていないのは、熊本バンドの方なんですねー。


新島襄も、「愛」でもって、学生に接している。八重も「愛」でもって、学生に接している。

この「愛」が、熊本バンドを始めとした、同志社英学校の人々、ひいては、京都の人間達、日本の人間達を変えていく・・・それが新島襄と八重の考えなんでしょうね。


まあ、このあとのストーリー的には、二人の「愛」がどこまで、日本を変えていくのか・・・そういう主題になっていくのかな、という感じに思えますね。

まずは、撃破すべき小ボスとして、熊本バンドが設定されたと見るべきでしょうか。


新島襄と八重の「愛」攻撃が、いかにして、熊本バンドを撃破するか?


それが今後の見どころにになっていくんでしょうね。


やっぱり、人間、「愛」が無くっちゃ。


「愛」があるから、他人に言葉も出せる・・・そういうもんなんですけど、それがわからないひとがいるからなー。


と、愚痴を言って、今日は終りにしましょうか(笑)。


さあ、今晩の「西南戦争」楽しみにしましょう!


ではでは。


今週のあれ、どうなん?
みんなで、瓜みたいの食べてたけど、あれ、美味しそうだったなあ・・・と単なる感想です。はい。

9月21日 本当の大人は、いつも笑顔!(じぇじぇじぇ!)

2013年09月21日 | 毎日のしあわせの為の知恵
おはようございます。

まだ、本調子ではありませんが、リハビリ的に文章を書いていこうと思いますね。

ま、三連休だし、のんびり行きましょう。

冷たいウーロン茶がまだまだ、美味しいです。


最近、僕が思っているのは、自分の人生って、自分自身が作り上げているんだなって、当然の事を思っていたりするわけです。


いわゆる、他人との関係性の事で・・・自分のあり方が他人に反響して、他人の対応が変わってくる・・・そういう当然の事を思っていたりするわけです。

他人の対応って、自分のあり方の鏡・・・というか、そういうもんですよね?

「情けはひとの為ならず」

という言葉通りで、真心だったり、おもてなしの心があるからこそ、他人も真心を返してくれたり、おもてなしの心で接してくれたりする。


「ハッピーエナジーは人の為ならず」だなあ・・・と素直に思ったりするわけです。


僕も、今まで、いろいろなひとを見てきました。


結局、そういう経験から出てきた言葉が、

「「俺偉い病」や、「逃げ込み者」になるな。日本においては、他人との関係性がすべてであって、それが自分のしあわせに直結する」

という事なんですよね。


やはり、人間って、感情の生き物なんですよ。

だから、僕は大人の定義って、

「自分の感情を良くしながら、周囲の感情も良くして生きていける人間こそ、「本当の大人」である」

という考えに辿り着いています。


これが、ねー、出来ないひともいるわけで、

「自分は常に正しい。相手の感情を害しても許される」

って考えているひともいるんですね。


もちろん、こういう人は、大人ではないし、「俺偉い病」の人間そのものなんですよね。


で、そういう人間は、当然、周囲から相手にされなくなるわけです。

だって、相手にすると感情的に害されるので、自然、話したくなくなるわけです。


人って、やっぱり、感情に素直に支配されているわけですから。


まあ、「真心」も「おもてなしの心」も失った・・・日本人でもない人ですよね、そういう人は。


だから、そういう人は誰からも、まともに相手にされなくなるし、孤独になっていく・・・自分でそういう現状を引っ張っている事を理解出来ないんですね。

だいたいこういう人って、怒りっぽいわけですよ。

「なぜ、自分は理解されないんだ」

みたいな怒りを抱えているから、さらに人生ダメスパイラルなんですよね。


だって、そんな人間、最初から相手にする必要ないわけだし。


そんな人間、誰も言葉をかけないでしょ?普通に。


で、さらに当人の怒りはつのる・・・ダメスパイラルは、さらにひどくなっていく・・・しょうもないですよねー。そういうのって。


まあ、頭が悪いですよね。普通に・・・。


哀しい存在だなって、普通に思いますね。


結局、自分がそういう周囲の状況を作り出していることに、自分で、気づけ無いし、理解出来ないんですね。こういうひとは。

だから、まあ、大事なのは、自分のあり方なんだなーって、つくづく思いますねー。


だって、男性にしろ、女性にしろ、この世には、たくさんの人間がいるわけですから、

ひとは比較する人間なんですよね。

「こいつと話していると不快なんだよな。ま、他のやさしい真心のある人間、おもてなしの心で接してくれる人間と話そう」

と、誰でも考えるわけですからねー。


そういう事に考えが至らない人間がいるんですよね。

自分だけは特別みたいな考えを持っちゃったひと・・・「俺偉い病」の典型ですよねー。


まあ、だから、やっぱり、「真心」や「おもてなしの心」を自分のエンジンにすることが大事なんですよね。

だって、日本人だったら、当然じゃないですか。そういうあり方は。

「他人へのやさしさ」こそが、人のこころを動かしていくし、

「こいつと話していると、おもしろい」

と思って貰うことが大事になってくるんですよねー。


それが大人になるって事だし、自分のしあわせ、他人のしあわせを作り出していくことに直結していくんですねー。


えー、ここで、「じぇじぇじぇ」の話になるんですが、「あまちゃん」も、あと一週間ですか。

まあ、僕は朝ドラって、ほとんど見ない人間なんですが、今回は、東北復興の為ということと、

宮藤官九郎大先生が、朝ドラを書く、ということもあって、勉強の為に初回から見だしたんですけど、まあ、おもしろかったですねー。


まあ、主人公のあまちゃんは、僕の子供以下の年齢ですから、まあ、特にいいとして、その周りの大人達の演技に魅了された感じですねー。

皆、はっちゃけた演技をしていて、毎日楽しかったですねー。古田新太さんとか、渡辺えり子さんとか、木野花さんとか、まあ、あげるとキリが無いですけど、

皆さんの演技が、特に楽しかったですねー。

勝地涼くんなんて、裏で大河ドラマで、超真面目な役をやっていながら、いけすかない超ナンパな役をやってましたしねー。

振り切れた演技で、おもしろかったです。

それに、80年代の音楽が一杯出てきて、小泉今日子さんの歌も聞けたし、「くすぐり」というか、いろいろなパロディがいっぱい出てきて、それも楽しかったですよねー。


というか、「笑い」って大事なんだなーって、改めて思いましたね。


「人生は楽しくなきゃ、いけない」


そんなシンプルな思いに、改めて気付かされました。

だから、自分も楽しくしていないと・・・それが人生になっていかなきゃ、嘘だよなって、改めて思いましたねー。

他人にとっても、自分にとっても、楽しい存在でいる・・・それってすごく大切なことだなって、そういう思いにたどり着きましたねー。


それこそが、しあわせを実現出来る、本当の大人・・・そういう思いが強いですねー。


昨日、「あまちゃん」終りに始まる、NHKの朝の情報番組「あさいち」に能年玲奈さんが出てたんですが、

彼女が、普通に人見知りな少女で、ある意味、安心しましたね(笑)。

いやあ、天野アキさんは、創作物ということで、ドラマの魔法が解けて、よかったかなって感じですねー。


いずれにしろ、随分楽しませて貰いました。


もちろん、人生楽しい事だけじゃなけれど、大人になるってことは、ポジティブなこと、楽しい事の方が多いってことかなって、思いますね。

本人が「真心」や「おもてなしの心」をエンジンにしながら「ハッピーエナジー」を周囲に放っていれば、周囲だって「真心」や「おもてなしの心」で対応してくれる。

それが自分にとっての「ハッピーエナジー」になって返ってくる。


「あまちゃん」


は、それを教えてくれたじゃないですか。

逆に、「真心」も「おもてなしの心」も無く、相手の事も考えずに、不快な言葉ばかり吐いていたら・・・いつの間にか、誰も相手にしなくなる。

結局、自分はすべての人生の「原因」であり、「結果」を引き受ける責任があるってことです。


僕はしあわせでいたいし、他人の笑顔を見ていたい。


であれば、「ハッピーエナジー」を出し続けて、「ハッピーエナジー」が帰ってくるのを、楽しみに生きていけばいい・・・そういうことになりますね。


「あまちゃん」


に出てきた人たちは、皆、その法則を知っていたような気がします。


あとは、自分の「毎日の人生の生き方」です。


日本人なんだから、「真心」と「おもてなしの心」を自分のエンジンにして、生きていかなければ。


「ひとりよがりは、孤独を生む」


って、ことですかねー。


「「俺偉い病」と「逃げ込み者」は孤独を生む」


言い換えれば、そういうことですねー。


まあ、今年は、いろいろな事を、


「あまちゃん」


に教わったって、感じですかね。


しかし、あのオープニングテーマを聞くと、朝から、気分がアゲアゲになりますねー。


それが聞けなくなるのは、少し寂しいけれど、随分と元気を貰った気がします。

2013年がいつもより、早く駆け抜けていくのは、「あまちゃん」を毎朝見ていたおかげかもしれませんね。


秋は深まっていきますねー。


さてさて、今日は三連休の始めの日。

土曜日を楽しく過ごしていきましょう。

笑顔を貰って、笑顔を返す。

そんな気持ちのいい時間を過ごしていきますかね。


ではでは。

9月20日 僕の背中を押す、素敵な叔父さんの言葉!(恋は楽しい!)

2013年09月20日 | 毎日のしあわせの為の知恵
おはようございます。

えー、夏バテか、えらく体調を崩しまして、ちょっとお休みを貰っていました。

まあ、まだ、本調子には、戻っていませんが、少しずつ、復帰していこうと、まあ、文章を書いた感じです。

まあ、たまに、こういうことがあるんで・・・独り身も楽じゃあ、ありません。ほんとに・・・。

と、愚痴りながら、復帰です。はい。


えー、最近の若い子は、恋愛をしない子の割合が多い・・・なんて話を聞いて久しくなりますが、

面倒だから、恋愛しない・・・そういう人も多いんだそうですね。

まあ、僕はモノには、向き不向きがある、というのを知っていますから、向いていないモノを必死にやる必要はないかなあ、

って素直に思っていますね。実際、恋愛、結婚に向いていない人間と言うのは、いますしねー。


ただ、僕的には、恋愛って、良いモノだなあ、という感想を持っています。はい。


僕が初めて恋愛の良さを知ったのは、僕が小学6年生の時です。

当時、僕が大好きだった母方の叔父がいたんですけど、この叔父がかっこよくってねー。

いつもバリッとしたカッコイイスーツを着ていて、

「おい、どうした。お前、好きな女の子、出来たりしたか?」

なんて聞いてくれたり、

「いいか。世界の半分は、女だ。だから、お前は、女性を自然と笑み崩せる、本物の男になれよ。そうすれば、世界の半分が味方になってくれるぞ」

「それに、そういう男は、同じ男からも注目されるし、慕われるからな。そういう大人になるんだぞ。いいな」

なんて、言ってくれたりする、味のある素敵な叔父さんでしたねー。


まあ、この叔父さん、若くて美しい奥さんと、かわいい二人の女の子の家族を持っていたんですけど、

どうも男の子が欲しかったらしいんですよ。だから、僕を子供の頃から息子みたいな感じで、見ていたんでしょうね。


「いいか、男は女を自然な笑顔に出来て、なんぼだ。それが本当の男ってもんだからな」


なんて、小学生の頃から僕に教えてくれて・・・女性にモテるかっこいい叔父さんでしたねー。


まあ、話を戻しますけど、そんな小学6年生の僕は、クラスメイトに初めて好きな女の子が出来るわけですよ。

まあ、今考えてみれば、その子がまず僕に恋に落ち・・・毎日笑顔でやさしく話しかけてくるようになったので、

僕もその子に恋に落ちた・・・そういう流れだったと思いますね。


僕は当然、この話を叔父さんにするわけですよ。

「どうしたら、いいかなあ?」

って、質問したわけです。


すると、叔父さんは、

「その女の子、お前を見る時、目が笑っているか?」

と、ズバンと聞いてくれたんですね。

「うん。目が笑った、すっごくいい表情をしてくれるよ」

と、僕が言うと、

「なら、大丈夫だ。お前、男を見せてやれ、その女の子に。告白するんだ、かっちりと、な」

と、叔父さんは、言ってくれたんですね。


この叔父さんの日頃の口癖に、

「男ってのは、まあ、なんでもそうだが、負けるとわかっていても、戦いに出なきゃいけない時もある」

「理不尽とわかっていても、やらなきゃいけない時がある。だからな、男は、自分の人生に誇りを持てるんだ。だから、決して悔いは残すなよ」

「そして、男は男を見せなきゃならない日が、必ず来るんだ」

という言葉がありました。


まあ、大人の男性だからこそ、言える、重い言葉ですよね。


僕は普段から、その言葉を聞いていたからこそ、

「男を見せてやれ」

と言われて、

「ああ、この時が僕にも来たんだ」

と納得して、すぐに行動に移ることが出来たんですね。


日曜日に叔父さんに相談してから・・・数日で、僕はその女の子に告白しました。

そして、オーケーを貰ったんですねー。


もちろん、僕はそのことを叔父さんに電話で報告して・・・叔父さんは、とても喜んでくれて・・・お寿司をごちそうになった記憶がありますねー。

叔父さんは、横でビールを飲みながら、自分のことのように嬉しそうにしてましたねー。


「どうだ、毎日、学校に行くのが楽しいだろ?」

と、叔父さんは言ってくれました。

「うん。とっても楽しい。今まで感じたことの無いくらい、楽しい」

と、僕が言うと、

「そりゃあ、そうだ。惚れた女が自分を好きでいてくれて、いい笑顔をくれる。それがこの世で一番楽しいことなんだからな。おめえも、また一歩、大人に近づいたな」

なんて叔父さんは、言って、僕の頭を強い調子で、撫でてくれました。


いやあ、叔父さんもいい表情していましたねー。あの時は・・・。


つったって、小学6年生・・・まあ、学校行ってしゃべるとか、帰りに家まで送るとか、週末彼女の家に遊びに行くとか・・・それくらいしか出来ませんけどね。

中学に入ると、彼女は家の都合で、遠くへ引っ越してしまって、その恋愛は終わるんですけど、

あとに残されたのは、恋の楽しさをすでに知った自分・・・いやあ、いろいろな事を知っちゃったなーって感じでしたね。


まあ、その後、僕は太ってしまって・・・女性の笑顔は僕の周囲から消え・・・女性不信に陥ったりもするんですが、

その後、ダイエットなどをして、体重を67キロ以下にすると、周囲の女性の笑顔が復活することに気づき・・・太ったり痩せたりしながら、

つまりは、モテない期とモテ期が交互にやってくる・・・そんな生活で今に至る感じですよねー。


まあ、いろいろな事を教えてくれて、僕にかなりの影響を与えた叔父さんだったんですが、残念な事に僕が大人になる前に、

交通事故で亡くなってしまいました。


もし生きていたら・・・一緒に酒でも酌み交わしていたでしょうねー。

「いいか、女を落とすやり方ってのはだな・・・」

なーんて、話してくれたでしょうねー。


まあ、それに類する話をたくさん聞いたんですけど、

そのあたり、ちょっと覚えてなくて・・・でも、とっても、おもしろい人でした。


そう言えば、僕が大学生の頃・・・僕はとある女性に恋をするんですが、その女性が僕を受け入れる事は100%無いこともわかっていたりするわけです。

告白すれば、瞬殺・・・そうなることは最初からわかっていたんですね。


でも、その時、僕は叔父さんの、

「男ってのは、まあ、なんでもそうだが、負けるとわかっていても、戦いに出なきゃいけない時もある」

「理不尽とわかっていても、やらなきゃいけない時がある。だからな、男は、自分の人生に誇りを持てるんだ。だから、決して悔いは残すなよ」

「そして、男は男を見せなきゃならない日が、必ず来るんだ」

っていう言葉を思い出すんですねー。


「人生に悔いは残したくない。あいつに、俺の男を見せてやる!」


そう決意した僕は、その女性に告白し、瞬殺されるんですね。

もちろん、心も痛いですよ。人間全否定ですからね。


でも、その時に同時に、

「失恋の痛みも、時が癒してくれる」

・・・ということも経験するんですね。

そして、その痛みを乗り切った僕は、また、ひとつ成長していました。


次の恋に落ちた時、

「どうせ瞬殺されたって、時が癒してくれる。それに今の僕に、無くすものは何もない。彼女の他には・・・」

と、思うことが出来て・・・告白に成功するんですね。


こう、見てくると、叔父さんの言葉って、ものすごく僕の背中を押してくれていたんだなーって、思いますね。

こういう言葉を貰っていて、それを人生で実践出来てきたから、恋というものを手に入れたり、無くしたり・・・豊かな人生を作ってくることが出来た。


叔父さんのくれた言葉の威力、半端ねえなって、感じですねー。


まあ、それに、恋というのは、女性を見る目も養ってくれます。

すべての女性が恋に向いているわけじゃあないし、結婚に向いているわけじゃあない。

そういう厳しい現実に気づけたりもするんです。


さらに言えば、相手の女性がどういう女性か、気づけるようになったりもする。


恋しちゃうと、どうしても相手の女性が素敵な存在に見えてしまいがちです。

でも、女性にだって欠点はあるし、向いていないモノもある。

だから、だんだん、自分に向いている女性のタイプというのが、絞られてきたりするんですね。


まあ、以前にも書きましたけど、理想の結婚のカタチというのは、

「スター&マネージャータイプ」

だと、僕は考えているわけです。


男性、女性、どちらでも、いいんですが、

どちらか一方が、前に出てぐいぐい引っ張っていくタイプ・・・もう一方は、そのスターを影で支える、サポートすることに威力を発揮するタイプ。

まあ、スポーツ選手とそれを支える側・・・に多いですけど、こういうペアは、ほんとにしあわせそうにしていますねー。


夏木マリさんは、先ごろ結婚して、しあわせそうにしていますが、やはり、夏木マリさんがスタータイプで、

旦那さんは、そんな夏木マリさんに毎日手作り弁当を作ってあげる、サポートタイプですねー。

「このお弁当を食べる時が、一番しあわせなの」

と、しみ通るような、いい笑顔で夏木マリさんが言ってましたねー。


まあ、僕は完全に前にぐいぐい出て行くタイプなので、支えることに喜びを感じる女性を探していこうと思いますね。


「いいか。人間、経験だ。経験こそが、自分を成長させてくれるし、強くもしてくれる。大きくもしてくれる。だからな、将来、心の広い女を見つけてかみさんにするんだな」

「一緒にいて、つい笑顔になっちまうような、そんな心の広いおんなをよ」


そう言えば、そんなことも言っていましたねー。叔父さん。

その頃は、その言葉の意味が、あまりピンと来なかったもんですが、

今となれば・・・なんとなく、わかります。


まあ、そういう意味じゃあ、恋って、いいもんですね。

いろいろな事を教えてくれる。


さあ、また、恋をしますかねー。

ま、とりあえず、身体、治さなきゃ(笑)。


さてさて、今、月を見てみたら、中秋の名月・・・いい感じです。

秋だよなあって感じですか。

ま、今日がんばれば、明日から、3連休。

ちょっと楽しんじゃいますかねー。


ではでは。

9月14日 「竹林の風景」(癒される!)

2013年09月14日 | お昼間カフェ
今日の一枚 懐かしの思い出たち!


さて、今日も懐かしい写真から、楽しい記事を書いていきたいと思います。

さて、今日の一枚は、どんな写真かなー!



えー、今日の写真は、「竹林」ということになりますね。

まあ、昨日の昼間の写真になりますけれど、やっぱり、竹林はいいですねー。

なんとも、気分が落ち着いてきます。


まあ、鎌倉に住んでいる頃は、竹林の中に緋毛氈が敷いてあって、そこでお茶を立ててくれる場所があったりして、

よくそこに行って、「無」になったりしていましたねー。サラリーマン時代はそんな感じで、ストレス解消していましたねー。


まあ、僕は30歳くらいの頃、サイクリストになったんですけど、その頃から自然の風景の方が大好きになって、

こういう竹林なんかにも、だいぶ行きました。


なんだろう。若い頃は、都会の風景、人工物が大好きだったんですよ。


おしゃれなインテリジェント・ビルとか、そういう風景が大好きで、東京タワーなんかも大好きだったんですね。

東京の夜景とか、それこそ、大好物で・・・都会って、かっこいいなあって、本気で思っていましたね。

まあ、今でも夜景は好きですけど、若い頃に比べると、それほどでもない・・・むしろ、自然の風景の方が大好きになっちゃったんですね。


だから、自然の見せる風景・・・こういう竹林とか、森とか、林の風景・・・海や山の風景なんかの方が大好きになってしまいました。

まあ、サラリーマン時代は、湘南の大自然の中で、サイクリストとして、毎週末走っていましたからねー。それは自然なことだと思いますね。


だから、例えば東京ミッドタウンで働いていたりしても、特に感激とかはないわけです。

六本木ヒルズで働いていても・・・人工物ですからね、結局は。

「だって、作ればいいわけでしょ?」

的に思っちゃうんですよね。

むしろ、六本木ヒルズの裏にある、自然な公園の方が、気分が癒やされるというか・・・そういう気持ちになっていますねー。


だから、こういう竹林の風景とかに出会うと、のんびりとお茶を喫したくなる・・・ま、昨日はペットボトルの紅茶で、その気持ちをやり過ごしましたけど(笑)。


なんか、癒やされますね・・・時が止まって感じられる・・・こういう風景はいいですわ・・・。


だから、自然の風景の中にいる時が、僕的には、満喫という感じになりますね。

なんか、ビルの中で、働いていたりすると、あんまり落ち着きませんからねー。


こんな風景を見ながら、緋毛氈を敷いた場所で、お茶でも喫することが出来たら、最高なんだけどな。


そんなことを思いながら、竹林を見ていた昨日の午後でした。

やっぱり、自然の風景は、いいですね。


さ、今日から3連休、気持ち的にのんびりしましょう!


ではでは。

9月13日 結婚で大事なこと!(ルブタン行っとく?)

2013年09月13日 | お昼間カフェ
おはようございます。

なんだか、暑さが戻ってきましたねー。

とは言っても、なんだか、夏の最後の抵抗みたいな感じで、蝉の声も弱くなってきました。

少しずつ秋感が強くなっていくんでしょうねー。


さて、今日は久しぶりに飲み設定なお話にしましょうか。

少し考えてみたいこともあるので・・・。


鈴木タケルは、仕事仲間のエマ(28)とユミ(26)と、なじみのバー「C'est I'heure」(「時間ですよ!」の意味)に来ていた。

「しかし、最近、仕事に追われたり、仕事の邪魔されたり、なんだか、散々だー」

と、タケルは言う。

「忙しそうですね、タケルさん。いろいろな意味で」

と、エマが大人っぽく笑う。

「ほーんと、私達を誘ってくれるのも、すっごい久しぶりじゃないですかー?」

と、ユミが少し膨れ顔で言う。

「まあ、仕方無かったんだよ。いろいろとね。でも、もう、大丈夫だから」

と、タケルは言いながら、マンハッタンに口をつける。

「にしても、最近考えるのはさ、結婚したら、どういう夢を持ったらいいのかなってことかなー」

と、タケルは言葉にする。

「結婚、したらですか?」

と、エマは言う。

「うーん、独身のわたしには、少しわかんなーい」

と、ユミも混ぜっ返す。

「人間ってさ、やっぱり、目標とか夢が無いと、毎日惰性で生きちゃうじゃない?それが僕はいやなんだよね」

と、タケルは言う。

「それはわかります。やっぱり、人は毎日に流されていては、毎日の成長を望めないし、それはある意味、ふしあわせスパイラルだし・・・」

と、エマが言う。

「そうですね。タケルさんがいつも言ってくれるように、ひとは、毎日の成長が大事ですもんね?」

と、ユミは笑顔で言う。

「まあ、僕的には、今の仕事で、もっと成長出来る事が最終的な目標だし、いつもの目標だけど、家族を持ったら、別な目標も必要なのかなって思ってさ」

と、タケルは言う。

エマはそんなタケルを見ながら、テキーラのパイナップルジュース割りの「マタドール」に口をつける。

「結婚する相手でも、見つけたんですか?タケルさん」

と、エマは静かに口にする。

「いや、そういうわけじゃないさ。むしろ、そんな相手が見つかっていないから、今のうちに考えておこうって考えたのさ」

と、タケルは言う。

「タケルさんは、どういう女性と結婚したいって、考えているんですか?」

と、ユミがカンパリにグレープフルーツジュースとトニック・ウォーターを加えた「スプモーニ」を飲みながら、言葉にする。

「僕はどう考えたって前に出るタイプの人間だ。アクも強い。だから、男性をサポートすることに喜びを感じる女性が、いいかなあっとは、ボヤっと思ってるね」

と、タケルは言葉にする。

「高校野球のマネージャー・タイプの女性ってことですか?」

と、ユミが言う。

「まあ、そう言う感じかなあ。断言出来るわけじゃないけど・・・」

と、タケルは口にする。

「タケルさんは押しも強いし、一人で世の中渡って行くタイプだから、そういうタイプの女性がいいのかもしれませんね」

と、エマは言葉にする。

「ま、わからないけどね」

と、タケルは、マンハッタンをゆっくりと飲んでいる。

「これから、どういう女性に恋をするかは・・・僕自身、謎なわけだし」

と、タケルは苦笑している。


「でさ、結婚したとして・・・そこからが大事な始まりなわけじゃん?二人の関係性としてはさー。そこからの目標はどう置いたらいいのかなって、思うわけ」

と、タケルは言葉にする。

「そうですね。でも、女性の立場から言えば・・・旦那さんには、お仕事で輝いて欲しいってのは、あると思いますよ」

と、エマは言う。

「うん。わたしもそう思うな。特にタケルさんは作家なんだから、いい作品をたくさん世に出してくれれば・・・それを読むのは、楽しいし、誇らしいし」

と、ユミは言う。

「まあ、そう言ってくれると、有難いけどね・・・やっぱ、男は仕事か・・・」

と、タケルは言う。

「でも、奥さんとしての立場で言わせてもらうなら・・・やっぱり、好きな相手には、毎日気持ちを通じ合わせて欲しいかなって、思います」

と、エマ。

「うん。それはあると思う。仕事が大切なのは、わかるけど・・・毎朝、わたしの事、思ってほしい。素敵な笑顔が欲しいもん」

と、ユミ。

「なるほどね・・・それは必須な事になるだろうね。だって、男性は女性がいなかったら、すぐに寂しくて枯れて死んでしまうもの」

と、タケルは笑顔で言う。

「それ、どうですか?タケルさんは、いろいろなところで、女性に笑顔を貰っているから・・・喧嘩とかしたら、絶対に別な場所に言ってしまいそう」

と、エマ。

「それは・・・結婚相手は、特別な女性だもの、そこは、ちゃんとするんじゃないかなー。まあ、確かに僕は一度決めたらテコでも動かない頑固者ではあるけれど」

と、タケル。

「ま、そこは仕方ないんじゃないですか?と言うか、タケルさんは、辛辣で、人に厳しい面もあるから・・・逆にちゃんとやれば、わかってくれるでしょう?」

と、ユミ。

「うん。そうだね。納得すれば、全然・・・僕は普段、そんなに怒ったりしないし・・・僕が怒る時は、余程ひどいことをされた時だよ」

と、タケル。

「それより、まあ、目的として、仕事の目標を置く事はわかったけれど、家庭的な目標としては、どうしたら、いいんだろう?」

と、タケル。

「そうですねー。やっぱり、毎朝、奥さんと笑顔を交わせる、とか、夜、一緒に御飯を食べられるとか、家庭の時間を大切にすることがあげられるんじゃないでしょうか?」

と、エマ。

「そういう状況に持っていく為には・・・やはり、コマメに言葉を交わし合うってことかな?お互いの意識にお互いがあるようにするって言うか・・・」

と、タケル。

「それ、大事だと思いますよ。女性って、今気になっている男性の事しか、考えられないから・・・」

と、ユミが言う。

「うん。今恋している男性の事しか、考えられないのが女性ですもの・・・常に女性の気になっていることが・・・大事だと思います」

と、エマもマタドールを口にしながら、言う。

「うん。なるほどね・・・」

と、タケルもマンハッタンを飲みながら、感心したように頷く。

「それと・・・やっぱり、奥さんのやりがいを作るというか・・・旦那さんは、自分の仕事の成果とそれに対するねぎらいを奥さんに示すべきだと思います」

と、エマが言う。

「うん。具体的には、どういうこと?」

と、タケルは言う。

「あなたがこれをやってくれたから、これをこうすることが出来た・・・いわゆる奥さんの努力が旦那さんの成果につながったということを明らかにするというか・・・」

と、エマは言葉にしている。

「あ、それ大事だと思う。奥さんの努力が何につながったかって、やっぱり、明らかにして欲しいし、それを褒めてほしいし・・・」

と、ユミも言葉にする。

「何より、言葉にするって大事よね。女性って、気持ちを言葉にしてほしい動物だし」

と、エマも同意している。

「「好き」とか「愛している」とかだけじゃなくて、「ありがとう」の気持ちも言葉にしてほしいもん・・・」

と、ユミが言葉にしている。

「なるほどね・・・まあ、気持ちをカタチにすることは、女性にとって、とても大事だってことは、僕もわかっているさ。というか、言葉にしやすい雰囲気を作らなきゃね」

と、タケルが言葉にしている。

「そういう雰囲気にするには、普段が大切だと思うけど・・・そういう雰囲気作りの出来る女性でないとね・・・」

と、タケルは感慨深そうに言葉にしている。

「何か、あったんですか?」

と、ユミが不思議そうに聞く。

「いや、そういう女性を見つけないとって、改めて思ったの」

と、タケルは言う。

「タケルさんは、案外、人に厳しいから・・・どんな女性がその目に適うんでしょうね?」

と、エマは、マタドールに少し顔を赤らめなが言葉にする。

「ほーんと、どんな女性を選ぶんだか!」

と、ユミもスプモーニに顔を赤らめながら、言葉にする。


「あと、もう少し、ワガママを言わせて貰うなら・・・」

と、ユミが少し下からタケルを見つめながら、言葉にする。

「へー、ワガママ?何?」

と、タケルは返す。

「やっぱり、ちょっといい場所でのお食事に連れて行ってくれたり、旅行とかのご褒美も欲しいかな」

と、エマが顔を赤らめたままで、言う。

「あ、それ、グー!っていうか・・・それなら、服とか、靴とかも買って欲しい!」

と、ユミも続く。

「なるほどね。女性だったら、そう言うだろうね。ルブタンの靴くらいは、ゲットしておきたいもんね?」

と、タケルは笑顔で言う。

「結婚しても・・・男と女の関係では、いたいから・・・おしゃれして、デートやお食事にも、行きたいかなって」

と、エマが言う。

「わたしもそう思う。パパとママになんか、なりたくない・・・年齢重ねたら、どう考えるか、わからないけど・・・」

と、ユミも言う。

「まあ、そこは、僕もそう思うよ。いつまでも男と女の関係では、ありたいね。奥さんのおしゃれ修行は終わらせたくないかなー」

と、タケルも言う。

「ま、その為には、稼がないとねー。ルブタンの似合う服くらい、買ってあげられないと、いけないし」

と、タケルは笑う。

「がんばってくださいね。タケルさん」

と、エマも笑う。

「ほーんと、いい作品書かなきゃ、タケルさんは!」

と、ユミも笑った。


「ま、それはそれとして、秋になったら、近場に日帰り旅行でも、行かない?伊豆とか、そんなあたり」

と、タケルはマンハッタンを飲み干しながら、言葉にする。

「あ、行きたいですねー。温泉ですかー?」

と、エマは声をあげる。

「あー、それいいー!」

と、ユミもご満悦な表情。

「さ、秋も楽しんで行こう」

と、タケルは満足そうな表情をするのでした。


おしまい。


さてさて、明日から3連休ですけど、まー、楽しんでいきましょう。

やっぱり、人生楽しまなきゃ。

いい週末を過ごしていきましょう。今日の仕事をがんばってね。


ではでは。

9月11日 「秋の空」(空が高いね!)

2013年09月11日 | お昼間カフェ
今日の一枚 懐かしの思い出たち!


さて、今日も懐かしい写真から、楽しい記事を書いていきたいと思います。

さて、今日の一枚は、どんな写真かなー!



えー、今日のお題は、「秋の空」という感じでしょうか。

つい一週間前の9月4日の記事で、「入道雲」をテーマにフォト・エッセイを書いたのに、一週間で「秋の空」ですから、

季節の移ろいは、速いということなんでしょうねー。


まあ、これ、昨日の午後の空ということで、用事があって、街を歩いている時に、

「うわー、空が高い・・・秋の雲だなあ、これは・・・」

と思ったので、すかさず持参のデジガメで撮った写真になります。


まあ、それでも、急激に季節が変わっていきますねー。

もう、すっかり朝夕は涼しいですもんねー。なんだか、天気予報では、明日からまた暑くなるということですけど、

まあ、30度前後で推移するようですから、もう、先月のような夏本番の暑さは戻ってこないんでしょうねー。


まあ、夏が好きな僕としては、少し寂しい気もしますが、秋もまた、美味しい食べ物が出てくる季節でもあるので、

それを楽しみにしていきますかねー。


まあ、スポーツの秋ということもありますからねー。サイクリストとして、スポーツを楽しめばいいんじゃん、という気になりますね。


そう言えば、昨日、街を歩いていたら、小学校で、鼓笛隊が練習していました。

まあ、秋の運動会を目指して、子供たちも準備に入ってるということで、なんだか、ちょっとニコニコしちゃいましたね。

鼓笛隊の演奏って、どうして、こう、ひとを朗らかにする力があるんでしょうねー。

こう、ちょっとズレてたりするところが、また、微笑ましくて、

「ほんと、秋だなあ・・・」

と、思わせてくれますねー。


まあ、暦的に言うと、9月は、長月という季節ですから・・・やっぱり、秋の夜長から来ているみたいですね。長月・・・。

恋の歌にも散々歌われているらしく、

「あなたが来るって言ってくれたから、待ったのに、秋の夜長を月を見ながら、待ち続けてしまった」

的な歌があったりしますねー。


まあ、そういう意味では、月を楽しむ季節でも、あるんですねー。


美しい月を楽しみながら、美味しいお酒を飲み、遊ぶ・・・昔の人はそんな中で風流を感じていたんでしょうねー。

うん。芸術の秋でもあるんだなー。


まあ、そんな季節が来始めている・・・そんなことを思いながら、楽しく日々を過ごしていきましょう。

秋は恋の季節でも、あるんでしょうねー。

ま、僕には関係ないか(笑)。


ではでは。

9月9日 きらめきの彼方へ!(日本の未来は!)

2013年09月09日 | 毎日のしあわせの為の知恵
おはようございます。

えー、季節の変わり目で思わず身体を冷やしてしまったようで、風邪を引いてしまい、高熱を出してダウンしてしまいました。

いやあ、まだ、本調子ではないですけど、まあ、少しずつ復活していこうと思います。

今日も忙しいですからね。


なので、いつもは、朝アップは写真&軽いエッセイにしているんですが、

ちょっと思ったことを書こうかと思います。


まあ、本来昨日書くべき内容だったんですが、そういう理由で、昨日書けなかったので、今日書きますが、

2020年、東京オリンピック招致・・・おめでとうございます。


いやあ、僕もなにかと気にかけていたんですが、やっぱり、素直に嬉しいですね。

サイクリストがよく言う言葉ですが、

「ツール・ド・フランスを母国開催出来るのは、フランスだけなんだ」

なんですよね。

オリンピックの母国開催・・・まあ、前回の東京オリンピック開催時は、僕はまだ生まれてませんし、

夏季オリンピックの母国開催は、ちょっと格別なモノがある感じですねー。


それを楽しめる機会が7年後にやってくる・・・そう思うと、やっぱり、有難いですよねー。

僕が生きている間に、そういう機会があるとは・・・あまり考えられなかったので、でも、今回、こういう決定があって、すごく嬉しいですね。

7年なんて・・・すぐですよ!いやあ、また、年齢重ねちゃうけど、でも、その7年・・・ちょっと気合いれないといけませんね。


なんだろう。この7年で日本はさらに素敵になれるんじゃないでしょうか?


いろいろ暗いニュースがありました。つらい経験もしてきました。

そういう中、新たに日本が輝く為に、この新しい東京オリンピックが設定された・・・僕はそう見たいですね。

日本中の人々が7年後を見据えて、その7年後に輝く為にロードマップを心の中に作るでしょう。

日本が新たに生まれ変わる・・・輝く未来を作り上げる為に日本は、新しく生まれ変わるんです。


そのきっかけになるのが、この東京オリンピックになると、僕は確信していますね。


やはり、新しい日本に生まれ変わるキーワードは、「おもてなしの心」と「絆」です。


相手の立場に立ってモノを考えられる人間こそ、しあわせになれる。


そして、「絆」を大切にする人間にこそ、しあわせがやってくる。


僕はこの2つを大事に今後の7年間を生きていきたいと思いますね。

もちろん、その7年間の間にやらねばいけないことは、たくさんあります。

実現しなければ、いけないことは、たくさんある。

それでも、自分の人生を素敵に輝かせることが出来れば・・・そこに集中して生きていきたいですね。


日本の未来は、世界がうらやむ・・・そういう歌がありましたね、昔。

それを実現しようじゃないですか!日本中の皆で結束して。


なにより、子供たちに夢を与えられた。それは素敵な事じゃないですか?

バブルがはじけ長い低迷の時代があった。

自信を失っている人々がいる。


そういう人たちが自信を取り戻す時・・・今、その目標が出来たんです。

その時が来たんです。


さあ、行こう。輝きの彼方へ。

僕らはもう、一人じゃない。

世界が日本を認めてくれたんです。


やっぱ、ここで聞きたくなるのは、僕の好きな「栄光の架け橋」かな。

聞いたら泣いちゃうんだけどね(笑)。


さあ、行きましょう!

きらめきの彼方へ。


ではでは。