「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

楽しいおしゃべりと、真実の追求をテーマに、楽しく歩いていきます。

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お馬鹿な自分(笑)

2009年12月30日 | 過去の物語
ってなわけで、ちょっと遊びでネタ投稿でも(笑)。

先日、友人と飲みの席での会話です。最近の楽しいできごとについて、話している中、自分はこんな発言をしました。

まあ、気分よくなってるわけですから、こんな感じです(笑)。

「そういえば、最近は、昔自分が好きだったひとや、なつかしい女性の友人と連絡をとりあったりして、

なかなか楽しいよ。まあ、たまに会ったりして、飲んだりすることもあるし(笑)」

とご機嫌発言(笑)。まあ、思い出を共にした古い仲間と話をするのは、年月を重ねれば重ねるほど、味わいが深くなりますからねぇ(笑)。

と、これに対して、古くから自分を知る友人(と言っても、会社に入ってからの友人)が

「古い女性の友達とよく連絡とれるねー。おらなんか皆無だぜ。元嫁とすら、連絡とれないし(笑)」

というわけで、この友人はバツイチ既婚者です。

それに対して自分はちょっとわからない発言です。

「うーん、どうしてかねぇ?。ふった女がいないからかな?(その好きだったひとには、振られたわけです(笑))こちらからの関係性はいいままだし」

となんだか、自分でもよくわかっていないわけですね(笑)。で、自分は更に続けて

「まあ、なんか自分の思い出と遊んでいるようで、楽しいよ(笑)」

とまあ、楽しい自分です。機嫌いいんだよなあ、自分(笑)。まあ、基本機嫌いいですからねぇ自分。

それに輪をかけて楽しい話をしているわけですから、もう、「気分は上々」を地で行ってる感じです(笑)。

さて、それに対して、けっこう酔っている友人が話します。

「しょうゆーこと?(笑)。確かに楽しいだろうね。わかるような気がするなあ。一時的にタイムスリップする感じ?」

なんて感じで、ちょっと同調して、盛り上がってる友人です(笑)。そして、さらに続けて、

「でも、その年齢だと、たいていのケースはお母さんになって老け込んでいるか、男勝りになってる感じ、なのかなぁ?」

と、ちょっと不安そうな、そういう質問が出てきます。まあ、彼の中での我々の世代の女性に対する印象なんでしょうか。

なんで、そういう印象をもっているのか、自分はちょっとわからないんですね(笑)。


で、この質問に、ちょっととまどいながら、思ったままを話す自分なわけです。

「うーん、俺の友人は、バリバリの女性技術者が多いからねぇ。パナソニックとか、東芝とか。しかも子供いないし」

と、なんとなく女性達の素性を紹介し、話しを続けます。

「ふつーに、大学時代のノリで、今でも話してるよ。志も高いし、時代感覚も高いしね(笑)」

と、なんとなく、相手の思い込みを否定していますね(笑)。というより、普通に友人の良いところを紹介している、という感じでしょうかね(笑)。

「ま、中には専業主婦もいるけど、ブログとかやってたり、時代感覚は最先端だしね(笑)」

と新しいネタさえ、付け加えたりしている自分なのでした。ま、基本、自分の友人は、ほめるだわなあ(笑)。


さて、それに対して、友人は、

「なるほどぉー、○○大学だもんな。理系の女性って大体クレバーな人が多い気がするのは、偏見っすかね?」

というのは、案外ズバリあててたりして(笑)。クレバーなひと、むちゃくちゃ、多かったよ。

まあ、自分からみると、「独立意識が高い」、という感じに見えましたがね(笑)。

その証拠に友人達は、だんなからは、独立した意識を持っているようです。平日は、それぞれ別の場所で、仕事をバリバリこなしながら、

週末に集うなんていう生活をしている友人もいますからねぇ・・・。いやいや、すごい方達ですだ・・・(笑)。

人間的にも尊敬しちまいます(笑)。こちらも襟を正さなきゃって感じですからねぇ(笑)。

なんて思ってますから、自分がちょっと補足説明をしたりするわけです。

「あと、よく考えてみると、女性友達は、皆上品で、おしゃれもナチュラルで洗練されているんだよね(笑)。

まあ、いかにもリアルな大人の女性って感じだよね(笑)」

とか言いつつ、知らず知らず「そういうひとが、俺の女性友達なんだぜー」と自分アゲをしているわけです。

はははは。いつの間にか、ドラマ斬りと同じ手法で、自分も切り刻んでいる(笑)。

笑える・・・・、これは何に対しても使えるな(笑)。

まあ、自分アゲなんて気付かず、さらに自分は続けるわけで、

「まあ、ひとりひとりがある意味、高額所得者の娘であるリアルお姫さまばかりだからねぇ(笑)。そう言えば、君も知ってるあの○○大学の子も、

そうだった・・・(苦笑)」

とその友人の知っている女の子の名前を出しながら、盛り上げてる自分なわけです(笑)。で、自分について、「はた!」と、あることに気がつくわけです(笑)。

「そうか、俺って、ある意味、お姫様好きだったわけか・・・?」

と今頃、若い頃の自分に気づくわけですねぇ(苦笑)。遅いよ!今頃!(笑)。ほんとにおバカなんですねぇ、自分(笑)。


と若い頃の自分を知っている友人が、我が意を得たりとばかりに、斬鉄剣で、スパッと切りに出てきます(笑)。

「そうだよねー(笑)。○○の女性関係は、お金持ちのお嬢が多いよね(笑)」

と事実を知っているから、軽く断定(笑)。

「自然とそういうオーラに、○○が引き寄せられたってことかぁ?」

というなかなか、鋭い突っ込みです。


でも、ちょっと違うような感じがします。

引き寄せられたんじゃ、ないんですよねぇ。

その時、自分が求めていたのは、生き方に対する「香気」みたいなものでした。

彼女達だけが、もっている、「生に対する美しさ」を求めていたんです。

「お金」じゃあ、ないんです。

「生きる」ことに関する、「峻烈さ」を見せるひとたちこそ、愛していたんです。


だから、そういう人達だけを、愛した。


そういう人だからこそ、愛した。


お嬢様でも、そういう、荒ぶる魂を持ち、生きることに、美しさを求める真面目な人間でなければ、

恋愛対象には、ならなかった。


そういう想いだったんですねぇ。

美しいものを、愛する。


それは、生き方についても、言えるものだったんです。

それだけ、峻厳な考え方を持っていたんですねぇ。当時の自分は(笑)。


まったく、真面目すぎるというか、ほんと、お馬鹿です、自分は(笑)。

さて、

「じゃあ、芸能人の○○って、すごいお嬢様らしいけど、ああいうの、好きってこと?」

と具体例をあげて、友人から、さらなる追い打ちです。それ聞いてどうすんの?って感じもあるんだけど(笑)。

「えー?、○○ぅ?彼女はなんだか、ただのわがままって感じだしなぁ・・・」と○○さんのファンが聞いたらブチギレるようなことを軽く言い、

「ちゃんとしたお嬢様は、躾がしっかりとされているし、佇まいや物の考え方に、品があるからねぇ(笑)」

と、まあ、自分なりのお嬢様像を提示するわけです。まあ、そういうひとに実際会ってきたし、そういもんだろうと、素直に考えてるお馬鹿な自分なわけです(笑)。

「○○さんは、ただの金持ちの娘って気がするけどなぁ」

と、軽く否定するわけです。友人とお嬢様観が違っていたみたいですね(笑)。

「そもそも本物のお嬢様は、芸能界入らんのじゃね?」

と前論を補強するために、やってはいけない根拠レスのきめつけをしてしまう自分です。うーん、お馬鹿さんぶりが、すぐ露呈しちゃうんだからねぇ(笑)。

と言われて友人は軽く返します。

「葉加瀬太郎の嫁の高田万由子って、超お嬢様なのに、芸能会にいるじゃん?」

ズドー--ーン!(笑)。

斬鉄剣が額を貫いてしまいました(笑)。

二の句が告げない自分なのでした。こういうときは、素直に白旗掲げて降参です。

ほんとにお馬鹿な自分ですねぇ(笑)。


というわけで、リアルお馬鹿な普段の自分でした。

そんなの紹介して、どうしようっての?。

やっぱり、ドSでドMだからか?(笑)。

ま、そういうことですな。

というより、年末だし、遊んでみた、というところです。

というか、この記事、12月22日投稿の「クリスマスの思い出」という記事が見事なフリになってるわけでもあるんですね(笑)。

読んでおられない方は、ぜひ、御一読を。合わせて楽しめますので(笑)。

てか、こっちがあの話の後日譚という位置づけですね(笑)。


年も押し詰まってきましたね(笑)。


みなさん、正月を迎える準備は、いかがですか?。

自分はまだ、一杯残っています。だから、こんな事で遊んでいては、いけないはずなんですが・・・(笑)。

また、怒られそうだ・・・(笑)。

やっぱり、ドMだ、俺(笑)。


ではでは。


同じ気持ち

2009年12月30日 | ドラマについての小ネタ
ってなわけで、年賀状を書くのにも飽きてきたので、ちょっと気分転換に原稿などを(笑)。

なんか、押し詰まってきましたねぇ(笑)。

なんか、家族は台所で、わいわいやってるので、

こそーっと自分だけ、こそこそとPCの前に(笑)。

もう表情も、「俺知らんもんね」的な表情で(笑)。こういうの得意ですから(笑)。

ま、無用な突っ込みをいれられる前に、書きたいことだけ、書いちゃいましょうかね(笑)。


で、何か、というと、「「日清開戦」について、よくもあれだけ書きよったな」、といろいろ言われるので、

まあ、「評価」のところで、「自分なりの評価方法を確立したかった」とその思いを書いたんですけど、

まあ、それは、表向きの考え方で、それ以外にも実は思っていることがあったんですよねー、ということについて、

書きます。まあ、ちょっとした雑談、ということになりますかねぇ(笑)。


まあ、このブログを立ちあげて、「坂の上の雲」スペシャルドラマのレビューを始めたわけですが、まあ、ドラマだけ見てるのも、

あれだし、ってんで、原作を引っ張り出してきて、ほんとに久しぶりに読み始めたんですね。もう、ほんと10何年ぶり(笑)。

そいで、こう、スペシャルドラマが進むのに合わせて、読んだりしていくうちに、自分の中は、もう、「坂の上の雲」で

一杯になって・・・って、言うほど一杯じゃないけど、そのドラマ世界に親しくなったわけです。

なんて、やってたら、自分の中で、大きく育ったのが、いわゆる、のぼさんなわけです。素直に感情を表現するのぼさんが、どんどん自分の中で、

大きくなりまして・・・、まあ、いわゆる好ましい存在になったわけですね(笑)。

そいで、まあ、スペシャルドラマを見ながら、さらに原作も読み進むうちに、「はた」と気がついたことが、あるんです。

のぼさんも、いろいろなことを試しながら、俳句につきあたる。そして、その俳句の世界で、なにかを見つけるために、散逸していた、

過去の句集をかき集め、それら全てにあたり批評をくだすことで、自分の実力を培い、「写生こそ命」という句境に至った。

それを見ていて、これは、自分のやってることとなんとなく、同じ部分があるのではないか?といつしか思うようになっていたんです。

スペシャルドラマのセリフを全て起こし、そのすべてにあたることで、その内容を吟味し、制作陣の意図を感じ取る作業。

それを進めることで、レビュアーとしての能力を培い、いつしか新しい境地に立つことを望む自分、と。

いつしか、自分の中に育っていたのぼさんが、そんな自分を見て、こうささやくのです。

「あしと同じことをしてるだけじゃー(笑)」

(大丈夫か・・・俺?(笑))

ふと、そんなことを思って、「そうだ、俺、のぼさんと同じことをしている・・・」

と思うようになっていたんですねぇ。

そして、もうひとつ。このドラマを見始めて、そして、原作を読み直すことで、思ったのは、

「明治人ってのは、どんだけ、生きるのに、必死だったんだ?。いつも全力、すげえよなあ」

ということです。いわゆる、羨望の眼差しで、眺めていたわけなんですねぇ。

というのも、自分の世代は、よく他人に、「しらけ世代」などと言われ、ある意味、全力で事にあたることを、

「ださい」とか「かっこよくない」とか、敬遠していた世代でした。まあ、若い頃は、その態度こそ、かっこいいと勘違いし、

多くの成長の機会を逃してきたものです。でも、今になってわかるのは、その態度は、その瞬間瞬間こそ、かっこいいかもしれないけれど、

人間の健全な成長を阻害する以外、なにものでもない態度であることを、今では痛感しています。誤った態度なんです。


こんな風潮を作ったのも、その当時放映されていた、地上波によるものですが、それからもわかるように、TVなんて、有害以外なにものでもありません。

まあ、自分がTV、特に地上波を否定する立場に立っているのも、そういう何もわからない若い時代に、簡単にTVに騙されていたということが、

年齢を重ねてようやくわかってきた、というところにあるわけです。まあ、日本人というのは真面目ですから、なにかの目的を任されると全力でやってしまいますからね。

TVの製作者達も広告主のために全力をつくしますから、ああいった、おかしなことも堂々と主張してしまうんですね、広告主のために(笑)。

だから、好古じゃないけど、自分ができあがらない人間は、TVの地上波さらに民放などは、見ない方がよいのです。

まあ、安易な娯楽対象ではあるし、20代の終わりくらいまでは、熱心なTV信者でしたけどね。


んで、その「全力で生きる」ということに、感銘を受けてきたわけです。まあ、「坂の上の雲」のヘビーウォッチャーですから、

簡単に影響を受けるわけです。それで、自分も「全力で生きたい」願望がつのり、そのひとつの試みとして、このドラマのレビューに全力を傾ける気持ちで、

ああいう、「セリフの全抜き書き」「すべてを一つのセリフから感じてみる」「すべてのシーンに対して考察を加える」「自分なりの評価基準をつくる」

という行動につながったのです。そして、その行動につながった理由が、もうひとつあります。

それは、真之の行動です。まだ、本編では、それほど、真之は活躍していません。まあ、その活躍期は、後半になりますから、あたりまえなのですが、

その「智謀湧くがごとし」と後年言われるようになる人間をつくりあげるのは、彼が古今東西の全てのいくさに対して、レビューを加えてできあがった、

彼なりの独自な考え方にあったんだそうです。まあ、原作にそう書いてあったわけです。海のいくさだけでなく、陸戦についても、すべての戦いについて、

そのレビュー範囲をひろげ、すべてのことにあたり、自分なりの方法論を確立したそうなんです。

わかりますよね、これ。

のぼさんと同じなんです。すべてのことにあたり、レビューを加えることで、自分なりの方法論を確立する。

そして、そのことに刺激されたのが、自分なんです。

だから、ああいうレビュー態度になり、自分なりに評価基準をつくっているんです。

要はのぼさんや、真之のものまねなんです(笑)。


「全てのものごとの最初は、まずものまねから、入る」

とは、よく言われることです。

そういえば、今回「留学生」の回で、のぼさんが、

「ヨーロッパは16世紀において、お互いの国がものまねしあった。日本はそれが、19世紀になっただけじゃ」

というようなことを言っていましたね。

そうなんです。ものまねから入り、最終的に、自分なりの新しい方法論を打ち立てるのが、もっとも理想的なやり方なんです。

そんなのぼさんの「はげまし?の声」を聞きながら、自分は、レビュー記事を書いてきたのです(笑)。

だから、今、自分の中に、のぼさんが、住んでます(おいおいおい(笑))。

なので、レビュー記事を書いていると、

「そこは違うぞなもし。もっと違う表現で書かないと読んでいるひとに不親切になるぞな、もし」

などと、ささやく声が聞こえたりするのです(おいおいおい、やばいよやばいよやばいよー(笑))。

「そういう風に、私のゴーストがささやくのよ」

なんて、有名なセリフもありますが、今、自分のゴーストは、のぼさんに設定されているわけです(笑)。

「次、30メートル先、右折です」

とか、いうナビみたいに(笑)。

そして、生きることに「全力であたろう」という気持ちが日増しに強まっています。

「全ての時間を全力で使いきり、無駄な時間など、一切もたない」

という思いが強いです。そのおかげで、このブログにも全力であたっているのです。

まあ、有名な動画ですが、

http://www.nicovideo.jp/watch/sm4660488

の修造くんのように、自分もどんどん熱くなっています。そして、理解されないことを悩んで・・・は、いないな(笑)。

そして、考え方が、サムライのようになってきています。

攻撃するべきは、攻撃し、柔軟な発想で、いつもしなやかにし、硬軟自在にしている。

いつでも、果し合いができるようにしておく。

そのための準備はおこたらず、事にあたって、しぶとい。

そう。東郷さんのような、あり方になりたい、

と、自分は思い始めているのです(笑)。

どんだけ、「坂の上の雲」に影響されているんだよ!(笑)。だって、ヘビーウォッチャーだもん(笑)。

「それでええぞな、もし」

そう、のぼさんナビが、笑いかけてくれます(おいおいおい)。


ま、言ってみりゃ、そんな感じかなぁ、と年末の押し詰まった我が家で、こたつに入りながら丸くなって、濃いお茶をすすって、パソコンに向かって、

そうつぶやいてみる、自分なのでした(笑)。

もろ、影響うけまくりー(笑)。

笑っちゃうね。


ではでは。