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「ゆるちょ・インサウスティ!」の「海の上の入道雲」

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司馬遼太郎作品の、出来損ないブリを、具体的に、指摘する!(常に新しい自分でいないと!)

2011年04月28日 | 先人の分析
おはようございます。

えー、雨ですねー。

まあ、8時くらいまでには、止む、ということですが、

まあ、たまには、お湿りがあったほうがいいんですかね?

まあ、その後、晴れるそうですから、通勤には、折り畳みの傘を持っていけば充分な感じですねー。


さて、こう、昨日あたり、電車に乗りながら、ボケーッと考えていたんですけど、

こう、BS時代劇「新選組血風録」の今回のストーリーだった、

「長州の間者」

ですが、どーも、納得がいかないんですねー。


まあ、以前、このストーリーについて、佳品、ということを書きましたが、

考えれば考えるほど、

「佳品とは、程遠い作品じゃん!」

という結論になっています。

まあ、司馬作品のファンだった、大学生頃の自分の結論だったんですね、佳品という評価は。

まあ、でも、司馬作品というのは、大人になってから触れると、まあ、アラが目立つ。

つまり、今の僕的に再度、評価してみなければ、ならない・・・という結論に至って、

んじゃ、ま、

「長州の間者」

の原作について、改めて考えてみたいと思います。



まず、第一に、この作品の出来は、あまたあるネット小説の域にも達していないことが指摘できます。

本来、日本人は、各人が各人なりの正義を持っていて、それを遂行しようとしています。

他人が間違っていると思えば、間違いを指摘するし、おかしな行いをしている首相がいれば、それを指摘する。

それは、各人に、自分なりの正義のものさしが、あるからで、日本人は正義のためなら、死すら厭わない、強い実行力を持った人間達です。

そういうあり方を「サムライ!」と言うわけです。

これは、武士道の考え方が、日本人のDNAにしっかりと残っているからで、武士道こそ、日本人の価値観です。


さて、新選組とは、土方の考える理想の武士をつくりあげるために、法度が運用され、

理想の武士たらんとした、集団だと言えると思います。

つまり、理想の武士であることが、新選組の正義だったわけです。

で、「長州の間者」という作品は、間者!という武士としては、あり得ない、卑怯者の存在として、

深町くんが、新選組の隊士に断罪される話です。

まあ、もちろん、長州の間者であることが、一番、重い罪だったりするのですが、

やはり、理想の武士たらんとした、集団の価値観からすれば、

「間者をやっているだと!卑怯者め!武士の風上にもおけぬ!許せん!」

という思考をまず、第一に、引っ張るだろうと思います。


では、なぜ、武士の風上にもおけぬ所業を、深町くんは、あえて、したのか?


という素直な疑問がわいてくるはずです。

つまり、深町くんの正義は、なんなのか?

ということに対する解答が、このストーリーにまず求められるわけです。


しかし、そんなの、どこにも表現されていないんだよねー!(笑)。


この「長州の間者」というストーリーの目的は、第一に、沖田総司は、仕事が出来てかっこいい、ということを表現することにあります。

誰も気づかなかった、長州の間者を、勘で、見分けて、見付け出してしまう、その能力の高さを表現することによって、

「沖田総司アゲ」

を実現している。

それについては、出来ていると言えます。

しかし、それだけじゃ、だめだ。

この相手役、あるいは、敵役になる、深町の行動に説得力がなければいけない。


そして、その説得力の根本になるのが、この深町がなぜ、長州の間者をやっていたのか。彼の正義は、何か、を、

しっかりと描くことにある、ということなんです。

敵役に説得力をつけることで、ヒーローというのは、輝く。

これは、ストーリーを作る上では、もう、普通に、お約束です。


ちょっと古いですけど、「北斗の拳」が、なぜ、あれだけ、盛り上がったか?を考えてみましょう。

その原因は、ケンシロウの強さだけでなく、

ラオウに、説得力があったからです。敵となった人物に多くのエピソードがあり、

なぜ、ケンシロウの敵役に回ったかが、十全に描かれていたからだ。

敵役の正義が、しっかりと描かれていたから、皆、説得され、納得したんです。

サウザーは、なぜ、あんな悪魔になったのか。

そのエピソードがしっかりと描かれているからこそ、ストーリーとして、盛り上がったんです。


しかし、「長州の間者」は、短編だ、という指摘もあるでしょう。

だから、敵役を丹念に描けないのだ、と。

しかし、それは、優先順位の問題だと思います。

深町の正義をちょこちょこっと、書くことくらい、わけはないはずです。


例えば、ちょっとしたエピソードをつけてやれば、深町くんの正義なんて、いくらでも表現できる。

「子供の頃に、長州の侍に助けられた」

でもいいし、

「高杉さんに恩がある」

でもいいし、それこそ、

「桂さんに自分が大変なときに、声をかけられ、助けられた」

でも、いい。


なんとでも、創作できるはずだ。

なぜなら、それがこのストーリーの肝だからだ。


そこが一番大切なんです。

なぜ、深町くんは、武士として、最も嫌われる行為を、したのか。


これが、表現されて、はじめて、画竜点睛になるんです。


つまり、この「長州の間者」は、画竜点睛を欠く、だめ作品なんです。


この作品では、オチとして、深町くんが、竹生島のお守りを肌身離さず持っていた、ということが語られます。

おそのさんも、竹生島参詣の帰りに、深町くんと船の中で出会ったことが、竹生島の神のお導きとして、

深町くんとの仲を大切に考えていました。

その竹生島のお守りを肌身離さず持っていた深町くんは、、おせつさんと同じくらい、おせつさんとの仲を

それはそれは、大事に考えていた、ということになるわけです。


おせつさんは、

「私の仕事を手伝ってくれるものと、思っていたのに・・・」

というようなことを言っていましたね。

つまり、働き者で、店を切り回しているおせつさんの経済感覚で言えば、おせつさんと深町くんの二人くらいは、充分食わせていける仕事だ!と

認識していたことになるんです。

おせつさんとの仲をそれだけ、大事に考えている深町くんなら、

普通、おせつさんと二人で店を切り盛りする方向にいくのが、自然でしょう。


だって、食えるわけだし。


愛し合っている二人が、普段から、一緒にいれたら、どんなにしあわせなことか。


それをしないで、長州の間者になった、というのであれば、

そこには、深町くんの余程の想いがなければ、いけない、ということになるんですよ。


だから、長州の間者になった、深町くんの正義が、このストーリーの肝になるんです。

一番大事な、モノになるんです。このストーリーにおいては。


さっきもいいましたが、そこに、

「実は若い頃桂さんには世話になっていて・・・今の自分の剣の腕を見込まれて、長州の間者になっているんだ・・・」

と、自分で自分にいい聞かせてもいいじゃないですか。おせつさんに言えないのであればね。

それが、あって、はじめて、ストーリーは納得出来る物になる。深町くんに説得力ができあがる。


だいたい、深町くんの人間の器量の小ささについても、昨日指摘しましたけど、剣技があれだけできて、人間性が劣るなんてありえない。

そんな人間は、リアルにいません。ここも、説得力を作る上で、大失敗しています。


だから、このストーリーは僕に言わせるなら、不完全どころか、ブログ小説のレベルにも、達していない、超最低の、出来そこない!と言えるんです。


僕はこの作品、司馬遼太郎という俺偉い病にかかったバカが、時代にあわせた作劇をしたんだ、と踏んでいます。

この作品のオチを見てみると、見えてくる物があります。

この作品のオチは、

「実は、深町くんも、おせつと同じくらい、おせつを愛していたのだ」

です。

つまり、この作品が発表されていた当時、男が女に、

「愛している」

などということは、恥ずかしいことだったんでしょう。

「男がそんなこと、言えるか」

という時代だった。

だから、

「そうか。深町も実は、おせつを愛していたんだな」

というオチで、納得するひとが、多かったんですよ。当時は。


しかし、今や、時代は、違う。

好きでつきあっている女性に、男性が、

「君は素晴らしい。愛している。大好きだ」

と言うのは、これは、もう、男側の一種のサービスとして、とても、必要なことだ。

義務とさえ、言っていい。

そういう時代に、変わっている。


つまり、こういう古い感覚の作品を、そのまま、ドラマ化する問題点が、ここに露呈するんです。


今回、BS時代劇では、ピチピチ通信でも、指摘しましたが、草食男子時代に合わせて、ラブ表現自体、あっさりとした表現にしていました。

作劇が、古い感覚のままなのに、演出を、時代にあわせた・・・というこの作品。

どうです?

おかしい?と感じませんか?

僕は、おかしいと感じましたし、それを、ピチピチ通信にも、書いています。


例えば、あのオチ、

「竹生島のお守りを肌身離さず持っていた深町」

というシーンから考えられるのは、

「そうか。深町はそれくらいおそのとの仲を大事に考えていたのか。だから、おそののためにも」

「立派な長州の侍に取り立てられようと思ったのか」

と、視聴者が考えることを期待している、と考えられます。


でも、そうなるわけないじゃん!


だって、おそのさんと二人で、あの小間物屋を、やっていける、わけだし、それをおそのさんも望んでいたわけだからね。

だいたい、深町くんが、侍になることを、おそのさんは、望んでいないわけよ。

となれば、さらに、深町に絶対的な思いがないと、おかしなことになっちゃうでしょ?

そーれが表現されていないんだから、まー、ろくでなしのストーリーだよねー。


ま、あえて、あのBS時代劇を評価するなら、

「お、原作通り!」

ということくらいでしょう。

でも、その原作がこの体たらくだからねー。

なにをか、いわんやです。


ここに、司馬作品を、今の時代に、そのまま、表現する意味のなさが、露呈してしまったんですね。


つまり、司馬氏は、ストーリーの創作者として、

「ま、今の時代なら、これくらいのストーリーで、いいだろう。どうせ、ろくなヤツいなんだから」

と、俺偉い病のまま、判断して、このストーリーを脱稿したことがありありとわかる。

そう考えているのが、手にとるようにわかっちゃうでしょ?


だから、出来損ないのストーリーになってしまったんです。

俺偉い病が、司馬氏を、出来損ないのストーリーを作る人間にしてしまったんです。


まあ、製作者の言い分とすれば、

「「新選組血風録」を題名に掲げているからには、ストーリーは、原作のままにしなければ、いけない」

という言い分があるでしょう。

もちろん、この「新選組血風録」が、司馬作品ファンに向けたモノであることも、明白ですし、手をいれるなんて、とてもとても・・・というところでしょう。

もしかすると、この原作を使うからには、

「内容を変えないこと」

という契約があるのかもしれません。まあ、そのあたりでしょうね。


でも、はっきり言って、司馬遼太郎の作品は、ここで、具体的に説明してきたように、素晴らしくない。

この「長州の間者」なんて、これまで指摘してきたように、出来損ないのストーリーだ。


「司馬遼太郎の作品だから、すごい!」


とか、言っているひとは、自分の目で、モノをしっかりと判断できないひとです。


僕が間違いを犯したように、自分の若い時代や、その昔、自分が司馬作品に触れた時の感動のまま、司馬作品を見ている。


大切なことは、常に考えて、モノを見ることです。


今の自分の感覚で、モノを見て、内容を判断して、結論を出すことです。

遠い昔に出した結論なんぞ、意味はない。いや、害悪でさえ、ある。


大切なことは、今の自分で、考えてみることです。


こういうことって、いろいろあるんじゃないかなーって、思いますね。

そういう昔の自分の判断にとらわれていては、身を滅ぼす元ですからね。劣化してしまいますよ(笑)。



常に新しい自分で、いましょう。



それが、結論かな(笑)。



でも、ほーんと、出来そこないのストーリーだねー。改めて考えてみても。

ね?司馬遼太郎、だめでしょ?

具体的に指摘できちゃうんだから、笑っちゃうよねー。

ま、とにかく、新しい自分で、考えないとね。

自分を劣化させてはいけません。昔の判断で、止まっていてもいけません。


常に、新しい自分で、いないとね!



お、雨やんで、日が出てきた。

朝は、気分がいーですねー。

今日も、存分に、楽しみながら、仕事とプライベート、がんばりましょ!



ではではー。

時代の正義が、勝つんだな!(「翔ぶが如く」シリーズ!)

2011年03月18日 | 先人の分析
どうも。ゆるちょです。

さて、毎日泣いてばかりでは、いけません。

こちらも、普通に復興していかないとねー。


というわけで、今日の夜向け記事は、久しぶりに「翔ぶが如く」シリーズを再開しようと思います。

まあ、歴史論考は、このブログの基本でもありますし、

この「翔ぶが如く」シリーズは、完結してないからねー(笑)。


ま、この「翔ぶが如く」シリーズは、司馬遼太郎氏の「翔ぶが如く」をテキストに、

西南戦争前後に生きるひとの行動から、その人達の思いというものを見ていこうとするものでした。

が、途中から、この司馬遼太郎という作家の問題点も多々見つかるようになったため、

司馬遼太郎という作家の問題点も指摘する論考シリーズになっています。


まあね、新聞記者あがりとか言っても、人を見る目はないわ、学識レベルでモノを考える浅い脳なんだよね。

経験から、来る知というのが、このひとには、まったくありません。

ほんと、最低な人間です。

ま、そういうのに、怒りながら、怒りのエネルギーで、書いているので、書き終わると、どっと疲れますけどね(笑)。


まあ、そのあたり、通常運転に復興するには、ちょうどいい記事かと、思いますね(笑)。



さて、月日としては、三月三日になっています。

薩軍の精鋭と、政府軍の精鋭が、田原坂、吉次越え、でそれぞれ激突し、

軍備に優れる政府軍に、薩軍が敗退し、逃げ散ったという状況になりました。

薩軍が鹿児島を発ったのが、この年の二月十七日ですから、まだ、ニ週間程度しか過ぎていない。

実際、薩軍の蜂起は、当時の士族達にとって、希望の光でしたから、日本最強軍と見られていたはずの薩軍が、

たったニ週間で、これほど、追い込まれることになるとは、当時の人々にとっても以外の感があったのでは、ないでしょうか。


まあ、この戦いでの教訓は、

「常に攻撃側にいろ。すべてが有利に働くようになる」

というもので、実際、政府軍には、よい循環が現れています。

そして、薩軍側は、守勢に回ったがため、守備の姿勢に固執するようになり、どんどん悪い方向に流れていって、結局、敗退するということになりました。

これは、人生においても、使える教訓ですね。

人生、常に攻撃側に、いなければ、いけません。


さて、この時、スタコラサッサと、逃げた中には、指揮官の篠原国幹もいました。

その逃げてくる篠原に向かい、吉次越えを守備していた熊本隊の佐々友房が、

「篠原サン、あなたまで、逃げなさるのですか」

と、言ったため、篠原は、止まり、路上で大刀を抜くなり、

「止まれえー」

と、大音声をあげたために、薩摩隊は鎮静した、とされています。


まあ、このあたり、篠原の恥ずかしさに青ざめた表情が目に浮かぶようですが、

まあ、人間そんなもんでしょう。

ちょっと、笑ってしまいますね。


さて、ここまでが、前回書いたところですが、実は、この潰走軍の中に、フロックコート姿の村田新八も混じっているんですね。

まあ、彼は洋行組でもあり、この薩軍中にあって、もっともその才能に期待された男ですから(大久保に帰郷するなと言われていた)、

逃げる、という行動についても、いちいち説明ができるんですねー。

例の熊本隊の佐々が、この村田に対して、

「村田先生にして、然るか」

ということを言ったら、村田はごく普通に、

「これは退却ではなく、政府軍を誘ったのだ。誘って山あいに引きこみ一挙に叩き潰すつもりでやってみたのだ」

ということを言ったんだそうです。

ま、戦略的撤退後に、追ってきた敵を押し包んで壊滅させる方法を好んだ戦国の薩軍の後継の将としては、なかなか味のある

答えです。そのあたりを知っている人間は、ちょっとニヤリとしてしまうんじゃないでしょうか。

多分、村田も、そのあたり、狙っていたんでしょう。

そこに、知性を感じますね。


さて、この戦いの評価について、司馬氏は、

「薩軍は、撤退はしたが、死者も少なく、士気が上がった。政府軍は、薩軍が放棄した立岩村を占拠せず、後方に下がり、逆に戦いに対する恐怖がひろがったように思える」

としています。死者の数も、政府軍の方に大きく、意識を攻撃することにおいて、薩軍に軍配が上がったようです。

いわゆるモチベーションの問題なんでしょうね。

実際、命が掛かっている状況で、命のやりあいをしているわけですから、恐怖感と戦いへのモチベーションのバランスが崩れてしまうと、

先の薩軍の潰走を生む状況になるのでしょう。

つまり、戦争というのは、いかに、相手の戦いへのモチベーションを砕くか、というこれ一点にかかってくることが、わかります。

そういう意味では、この戦いでは、薩軍が勝利した、と言ってもかわまないのでは、ないでしょうか。


実際、薩摩兵の意識においては、戦(いくさ)というのは、男子一生に一回あるかないかの華やかな祭りですからねー。

それに対して、政府軍の兵士は百姓なわけですから、仕事としての意識レベルで、そうそうモチベーションを保ちにくいでしょうから、

政府軍は、そのあたりを優秀な兵器で、担保しているんですね。


さて、この後、薩軍は、どうしたか、というと、この緒戦における課題として、陣地構成の不備を感じた薩軍は、

田原坂から、吉次越えまで、ほとんど陣地化したんですね。


攻勢の際に最も力を発揮する薩軍であるのに、意識は守勢に退嬰化しているんですね。これ。


つまり、これ、逃げなんですよ。


熊本鎮台を攻撃している場合でもなく、もう、自分らを守るので精一杯になって、逃げに入っちゃった、ということです。


人生、逃げたら、その瞬間から、終わっていきます。


この定理は、絶対ですよ。まあ、もちろん、

「薩軍も、当てはまっちゃった」

ということです。


さて、政府軍を見てみましょう。

政府軍は、大山巌の旅団の到着で、増強されたんだそうです。

そして、三月四日、吉次越え方面に攻撃に出たが、薩軍は、強靭に防いだ、ということです。


つまり、薩軍が強靭に防いだということは、むしろ守りに特化したとみていいしょうね。

特化したからこそ、戦い方に余裕が出来たと見ていいでしょう。

まあ、でも、そうなると、確かにミクロ的に見ると、薩軍が優位みたいな風に見えますが、

マクロで見れば、もう、後は時間の問題ってことになるんですよね。


だって、薩軍は、まず、補給の問題がある。

当初は、例えば、熊本鎮台の武器庫を開いて、そこから、武器や弾薬を補給しようとしていたわけですから、

でも、現状では、まだ、熊本鎮台を落とせてません。というか、熊本鎮台に対しては、押さえの兵を置いているに過ぎない。

つまり、もう、落とせないわけですよ。

だから、武器弾薬の補給ルートは、ほぼないんですよ。


しかも、現状では、薩軍は、この田原坂と吉次越えに作った陣地に籠城している形なんですね。

そして、武器弾薬の補給の道がない。これは、やばいっしょ。

どう考えても。弾丸撃ち尽くしたら、あとは、白兵突撃して、死ぬしかないじゃないですか。


それに対して、政府軍は、武器弾薬の製造を日に日に増加させている。

兵についても、ガンガン増派していきます。そういう余裕がある。


であれば、もう、この時点で、詰みだと言って過言ではない。

というか、時間の問題だ、という状況に推移したと言っていいんですね。


さて、政府軍と薩軍の吉次越えでの戦いは、三月三日、四日と続くんですが、薩軍はさらに頑強になったようです。

政府軍と薩軍は、両軍入り乱れる状況で戦っており、時に薩軍、時に政府軍が優勢となる状況が交互に出現したようです。


そういう中、篠原国幹が、薩軍主力の先頭に立ったようです。

銀装の太刀を帯び、緋色のマントを翻し、立つ篠原は、薩軍全軍を奮い立たせるために、立って指揮を続けています。

それに対して、石橋清八という小隊長が、

「後方に下がってもらいたい。あなたになにかあれば、士気にかかわる」

と、言い続けたのだそうです。すると篠原は、

「俺(おい)は、戦(ゆっさ)をしに来たんじゃ。そげん危(あん)なかち、言うとなら、汝(わい)くさ国ぃ戻れ!」

と、うーん、薩摩弁かっちょいーねー、いや、そう言ったんだそうです。


この時、政府軍の江田少佐が、この篠原を見つけたそうです。江田は、篠原が近衛の司令長官だった頃の一中隊長であったので、

当然、篠原を知っているわけで、彼は射撃の上手な兵を呼び、

「あのマントのひとを撃て」

と、篠原を指差し命令したそうです。

「ズドーン」

という音ともに、篠原は、即死し、その場に倒れたそうです。

篠原は、死にましたが、彼が意図した作戦は、成功し、政府軍を吉次越えから、撤退させたそうです。

政府軍側の指令、野津道貫大佐は、吉次越えをとるこを断念し、哨戒の兵を伊倉村において、全軍を高瀬まで、ひきあげさせた、ということです。

守勢に回っても薩軍は強かったということでしょうか。

それより、篠原の弔い合戦ととらえた薩軍が、異常に強くなったということだと思いますね。


実際、戦に対するモチベーションとしては、篠原の死に、多いに触発されるものがあったでしょうから、その死が、薩軍のエネルギーになったと見るべきでしょうね。


だが、薩軍は、無為に、兵を統べることに卓抜した将を、失ったことになるわけです。

ミクロ的に敵を圧倒したとしても、マクロで見れば、この損失は、薩軍瓦解のきっかけとも言える現象になったんですね。

西郷は、後送されてきた篠原の死体に対して、

「冬ツドン、こげん早まりやった事(こつ)」

と呼びかけ激しく涙をこぼし、しばらく座から動かなかったそうです。


この西郷の言葉、どうでしょう?


遅かれ早かれ、という言葉が浮かびます。

つまり、西郷は、遅かれ早かれ、薩軍が死んでいくというこをやはり意図していたんじゃないでしょうか。

最終的には、薩軍は、全滅する。

それを知っているから、

「早まった」

という言葉になるのではありませんか。


死んだことをただ悲しむのなら、

「なぜ、こんな姿に・・・」

という言葉になるのではありませんか。ことの遅い早いは、問題にならないはずだ。


と、まあ、このあたりの言葉からも、西郷が意図的に薩摩士族削除をリードしていたことの証明材料になっちゃうんですね。


まあ、このあたりは、傍証ってレベルですかね。


いずれにしろ、決起から、2週間で、篠原が死に、薩軍破滅のきっかけが現れたと見るべきでしょうねー。


この篠原の死から見えることは、薩軍の兵の思想が、軍隊として戦うというより、

「個人個人がどう奮闘するか、それによって、個人の勇をいかに表現するか」

という方がメインテーマになっているということがわかります。


なぜなら、この篠原が死が薩軍全体に落とした影響というのは、計り知れないからです。

彼が生きていれば、まだ、さらに薩軍には躍進の機会があったかもしれない。

しかし、彼の死で、一気に退嬰的になったのは、否めない。


やはり将領の死というのは、軍隊にとって、その価値を大きく減じるものなのです。


近代的思想の元に運用されている政府軍と、個人の勇レベルで、運用されている、戦国時代的な古い思想で運用される薩軍の違いが、よく現れている事象だと思います。


もはや、薩軍の命運は、つきた、と言っていいでしょうね。


やはり、時代の正義が、勝つんだな、というのが、この記事の結論でしょうか。


うーん、珍しく今日は司馬氏に怒らなかったな(笑)。


ま、事実を淡々と書いていたからな。解説がなかったから、怒れなかったのか(笑)。


ま、今日はそんな感じでいいですか。

そういうのも、たまには、いいかもしれないね。


今日も長くなりました。

ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。

また、次回、お会いしましょう。


ではでは。






時代が見えている者と、見えていない者の戦い!(「翔ぶが如くシリーズ」論考!)

2011年01月25日 | 先人の分析
どうも!ゆるちょです!

さて、今日は火曜日、ということもあって、

んじゃ、久しぶりに論考シリーズを復活させてみましょうか。

もちろん、火曜日は、「翔ぶが如く」シリーズ!ということで、

西南戦争の人間像を見ていたはずが、いつの間にか、

「司馬遼太郎の人間としての浅さを見る!」

という論考になってしまいました(笑)。


まあ、この「翔ぶが如く」シリーズ、読み返してみると、案外おもしろいんですね。

言いたいことは言っているし、司馬氏の浅さが具体的に指摘できている。

まあ、このあたり、元々、このブログの初期からやっている、歴史を論考するシリーズですから、

なんか、ものすごく、やりやすい感がありますねー。


まあ、書いていても楽しいし(笑)。


大河ドラマがあの状態ですから、あっちは、適当にやっておいて、こっちに力をいれていきますかねー。


っていうか、最近、行ってなかったんで、他のブロガーさんのところをへろへろって観に行ったら、

僕に近い見方をされている方(男性大河を好きな方々)の言い分みたら、みーーーんな、

「なんだこの大河!くだらねえー。見る意味すら感じねー!レビュー書くのやめたい!」

って、言ってるじゃないすか!(笑)。結局、先週の僕の反応と変わらないじゃないですか(笑)。

だから、先週のプリプリ通信、けっこう俺まともだったんじゃん・・・って思い至りました。


ま、大河ドラマとしては、もう、見てませんからね。あんなの、ただの映像集として、ツールとして扱いましょう。


と、脱線しました、元に戻しましょう!


というわけで、大河ブログというより、論考シリーズを真面目にやっていこうと思いますね。


さて、前回、昨年の11月23日「政府軍のトップだからこその山県有朋の資質!」では、

「戦争は、賭博性があるから、かっちょいい!」

という浅い戦争観を露呈させた司馬遼太郎を否定し、

「戦いの場に立ったときには、勝ちを決している状況に持って行っておかなければならない。戦争とは、賭博性なく、戦略的に勝ちを希求するもの」

という高い戦争感を持つ山県有朋こそ、当時の政府軍のトップでありえた、ということを言いました。

実際、司馬遼太郎の言う戦争感は、じゃんけんレベルの賭博性であって、そこで、勝ってなんぼ、みたいな浅い思想です。

そんな浅い思想では、率いられる兵が迷惑します。


スペシャルドラマ「坂の上の雲」で、兵棋演習のシーンがありましたね。

モッくん演じる秋山真之は、あの兵棋演習を通じて、将領達が高い戦略性を持って、賭博性を排して、戦いを実行しなければ、兵達を無駄死にさせるとして、

常に自分を練磨しておくように、話していたではありませんか。あれ、司馬遼太郎原作でしょ?

司馬遼太郎の頭の中って、どうなっているんだ?


さて、この文章は、司馬遼太郎原作「翔ぶが如く」をテキストに西南戦争当時の人々の心の中の有り様がどうなっていたかを論考していくモノです。

ですから、そちらを第一義として、書いていきます。ただねー、司馬氏の臭みも指摘することになっちゃうんで、

まあ、どちらも楽しみながら、進めていこうと思います。


さて、政府軍と、薩軍の戦いは、高瀬の第三戦以降、大きく変わりました。当初、進出主義だった薩軍は、高瀬の第三戦で、決定的に敗北して以降、

熊本鎮台を包囲しながら、進出してくる政府軍を防ぐ、という退嬰主義となり、守りの戦いになっていました。

薩軍の掲げた大いなる理想は、潰え、今は、目の前にある現実をなんとか、踏みこらえるしか、なくなっていました。

あたかも青年が理想を胸に上京したものの、現実には仕事にもつけず、アルバイトや日雇いの仕事で、その日暮らしを続けているような状況です。

突破口は見つけられず、このままでは、ジリ貧と言った状況。

もちろん、これ、全て、論考者西郷隆盛が、

「薩摩士族削除」

を念頭に指示を出してきたからで、大久保利通とあうんの呼吸で、実施しつつある政策なんですね。

それでも、西郷は、

「薩摩士族には、最後に、祭りで精一杯踊らせてあげもんそ。そしたら、あとは、死ぬだけ、ごあんどな」

的に考えていたんだと思います。薩摩士族に、最後に活躍の場を与え、華やかに舞台を去らせようという、西郷一流のやさしさ、と見るべきでしょうね。


そういう西郷の一流の芝居にのせられた、薩摩士族達は、とにかく、進出してくる政府軍と精一杯戦い、狂喜していたと言ってもいいでしょう。


政府軍は、三月三日、総指揮官の野津鎮雄により、二手に別れ、行動を開始しています。

薩軍が鹿児島を出発したのが、二月十七日ですから、まだ、それから、二週間です。

政府軍本軍は、薩軍が堡塁を築いている田原坂へ、支軍は、吉次越えに向い、どちらかが、薩軍を圧倒して、熊本鎮台へ向かう道を打通させようという思惑です。

まあ、でも、本来は、兵を二分するのは、下策ですけどね。田原坂に兵を集中させ、打通させる方が上策だと思います。

吉次越えには、抑えの人数を置くだけで、足りるわけですから、田原坂に対する攻撃力は、はるかに大きくなるわけですからね。

まあ、このあたり、どうなんでしょうか。

さて、田原坂へ向かう本軍には、乃木が率いていた十四連隊のうちの七個中隊、そして、士族最強部隊と名高い近衛の五個中隊、ということで、実際乃木は、負傷して後送されていますから、

実際に薩軍と戦った経験があることから、その経験を買って、十四連隊を使い、最強部隊である近衛をつけた、という思惑でしょう。

つまり、政府軍として、最高のオプションということになります。まあ、当然と言えば、当然なんですが、兵道の常道です。

本軍の人数は、4300名程でした。


これに対して、薩軍側は、田原坂より、前方の木場に、別府晋介の郷士隊を布陣させ、薩軍としては、貴重な砲二門を配備した。

この郷士隊は、加治木兵児(かじきへこ)の呼称で知られた、生粋の薩摩兵児(さつまへこ)であり、ひとりが五人の政府軍兵士に

当たりうるであろうと言われていたそうです。

つまり、薩軍側も、でき得る限り、最大の戦力を置いた、ということになるわけです。


どちらもやる気です。

もちろん、追い込まれている側の薩軍も、追い込まれているだけに、気力十分なはずです。

なにしろ、彼らにとっては、人生の中でも、最大の祭りですからね。


午前五時、政府軍本軍、出発。

まだ、夜が明ける前で、暗がりの中を進んでいきます。

政府軍の先鋒にあたる乃木軍は、青山朗(ほがら)大尉が指揮をとっています。

彼は、すでに戦闘を経験していたし、木場にて、乃木と戦ったので、地理に明るく、それが戦闘指揮に好影響を与えるだろうと思われていました。

彼の部隊が木場の前方にあたる、安楽寺村にさしかかるころ、木場の方角から、二発の砲声が轟き、戦が開始された。


乃木軍を率いる青山大尉は、砲声を聞くと、

「大砲は、あの山とこの山じゃ」

と説明したそうです。まあ、こういう説明を聞くと、部下としても安堵しますね。

そして、青山の見る所、薩軍は、街道に対して、攻撃力を集中させており、その他に薄弱であったようで、

「んじゃ、街道を避けて、部隊を動かし、敵を高所から撃ちすくませるか」

ということで、権現山と言われる高地をたちまち占領し、そこから、薩軍に射撃を浴びせたそうです。


こういう臨機応変の処置が、力を発揮するわけですね。


結局、薩軍は、日が傾く頃には、田原坂に引き返しました。

最強部隊を投入したにも、かからわず、木場で、政府軍を止めることができなかったんですね。

薩軍の目論見は、こうでした。

田原坂の工事が、まだ、終っていないために、木場で政府軍を足止めし、少しでも長い時間、田原坂の工事をしたかったわけです。

そのための、最強部隊投入だったわけですが、青山大尉の臨機応変の処置にやられてしまった、ということなんですね。

本来、薩軍もこういう臨機応変の攻撃を得意としているんですけど、やはり政府軍の足止めが目的だったために、守りに重点がおかれ、

結果、臨機応変に立ち回れなかったんでしょうね。

これが、攻撃側の有利な意識と、守り側に入った不利、ということを生んだわけです。

つまり、攻撃側に回ると、どんどん自分らに有利な状況を作り出せることができる、ということなんですね。

それに対して、守り側に回ると、どんどん不利な状況に追い込まれていくわけです。

だから、最強部隊投入も、あっさり不発に終わったという結果を生んだんですね。


つまり、この教訓は、

「つねに攻撃側にいろ。守りに回るな」

という人生訓を生むわけです。

「攻撃している間は、臨機応変に有利に動ける。だが、一度守りに回ったら、もう、不利な状況に追い込まれるだけなんだぞ」

と、このストーリーは、我々に告げているんですねー。


さて、田原坂方面の戦いはこのように推移しましたが、政府軍が支軍を送った、吉次越えは、どうだったでしょう。


政府軍の前衛隊は、東京鎮台と、大阪鎮台の兵より成るニ個中隊ということで、後衛もまた、東京鎮台、大阪鎮台より成る三個中隊です。

東京鎮台と大阪鎮台は、土地柄、弱兵とも言われる兵達だったそうです。本隊とは、えらく違うわけです(笑)。

三月三日、午前7時、この部隊は、伊倉村を過ぎ、吉次越えに近い、立岩村付近まで進出しました。

このとき、立岩村には、薩軍の堡塁がびっしり並んでおり、先鋒の指揮官、迫田大尉は、

「主力が来るまで、戦闘を待つか・・・」

と考えたそうですが、やはり考え直し、戦闘を開始したそうです。

部下を散開させ、射撃戦に入ったそうで、その時間、午前10時。

薩軍は、屈しなかったそうですが、やがて、政府軍本隊も加わり、五個中隊で、撃って撃って撃ちまくったそうです。

午後三時になっても、戦況に変化がないため、支軍司令官の野津道貫大佐(野津鎮雄の弟)は、自隊を三軍に分け、

火砲の援護の元に、射撃と躍進を繰り返し、薩軍を撃退したそうです。

薩軍は、午後四時頃、立岩村を引き払い、吉次越えの方に、引き下がった、というわけで、ここも、政府軍が勝ちをとったことになります。


政府軍がこのように、勝ちをとるようになったのは、政府軍VS薩軍の初戦で、政府軍が薩軍に圧倒的に負けた経験がモノを言うようになったからです。

薩軍は、射撃戦もそこそこに、白兵攻撃をしかけ、サムライを本能的に怖がる百将兵を、思いのままに、蹂躙していたのです。


それを経験した政府軍は、自軍の有利な部分を活かすことを思いついた。射撃戦です。

なにしろ、政府軍は、最新式のスナイドル銃を装備しており、薬莢に弾頭がついている、現代の銃と同じ構造をすでに持っており、装填後、すぐ発射できます。

これに対して、薩軍側の銃は、弾を込めたら、薬包をおしこめて、しかるのちに発射するという物で、明らかに時代遅れの銃でした。

ですから、政府軍は、薩軍の兵士に対しては、白兵できないように、とにかく、撃ちまくって、倒してしまおうという意識が、高かったのです。

さらに、薩軍は、守勢に回っている。

守勢に回っているという意識がさらに薩軍から、行動の自由を奪い、結果、撃退される、ということが、続くようになったのです。


この立岩村を引き払い、後方の吉次越えに向かった薩摩兵は、ありようは、逃げたと言っていい、と司馬氏は、書いています。

「薩兵は、白兵において、勇猛だったが、敵の鎮台兵が、まさかこれほど・・驟雨のように・・・弾を注ぎこんでくるとは、思わなかったのである」

だそうです。兵というのは、一度、逃げ始めると、恐怖が体を支配し、あっけなく弱兵になる、というのは、長篠の戦いで、敗れた武田軍が、

敗走時に、あっけなく、たくさんの首をあげられた例がありますが、同じような情景がここでも、繰り返されたということなんでしょうねー。


その

「立岩村の堡塁が保てそうにない」

という情報が、薩軍の指揮所に伝わったのは、午後三時頃だったそうです。篠原国幹が、予備隊八百人を率いて、救援すべく立岩村に向かったそうです。

吉次越えを越えて、立岩の近くまで、来ると、砲弾が間断なく落下して、篠原の兵達は、物陰に張り付いて動かなくなったそうです。

それだけ、政府軍の射撃がすさまじかったんでしょう。

政府軍は、士気大いにあがり、銃剣による突撃も繰り返されたために、薩軍側は、ついに支えきれなくなり、兵達は、一気に逃げ去ったそうです。

篠原も叱咤していたのも、つかの間、その流れに押され、ついに自身も逃げ始めちゃったそうで、このあたり、薩人のひょうかんさとうらはらの、

一種のあっさり感が感じられておもしろいですね。

この時、逃げて帰ってきた篠原に、吉次越えを守っていた熊本隊の佐々友房が、

「篠原サン、あなたまで、逃げなさるのですか」

と、声をかけたために、我に帰った篠原は、

「止まれええ」

と大声をあげ、薩軍を沈静化させた、そうで、なんとなく、人間のおもしろ味を伝えるエピソードになっています。


このあたり、非常に、薩摩隼人の人間的おもしろ味が出ていますね。

戦を祭礼のひとつと考えているところ。戦で死ぬことが名誉であると、考えているところ。白兵には勇猛果敢であるところ。

ところが、一度、恐怖にかられると、さっさと、逃げ帰ってしまうところ。

戦国時代から、250年。薩摩は、そういう薩摩隼人を創り上げたんですねー。


しかし、武器の優劣には、かなわなかった。


兵の質では、政府軍に圧倒するものの、銃の質が、結局、政府軍に勝利を与えている。

このあたり、最初に、鹿児島の武器庫を抑えた大久保利通の時代を見通す目が効いていることを実感させます。


ほんと、時代がみえている者(大久保)と、時代が見えていない者(薩摩士族)の戦いになりつつありますね。


このあたり、非常に、現代にも教訓になりますね。


今、時代をみえている者は、誰なのか。

時代が見えていないで、歯医者、いや、敗者になりつつあるのは、誰なのか。


西南戦争に従事した彼らは、我々に何を教えようとしているのでしょう。


そのあたり、さらに興味を持って、読んでいくことにしましょう。


今日も長くなりました。

ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。

また、次回、お会いしましょう!


ではでは。


政府軍のトップだからこその山県有朋の資質!

2010年11月23日 | 先人の分析
おはようございます!

いやあ、今日は休みなんですね。

こう、お休みだったことを半分忘れていたんで、

なんとなく、得した気分ですね。まあ、昨日気がついたわけですけど、

これなら、四連休にしておけば、よかったかな(笑)。

でも、天気悪そうだしなー。まあ、のんびり過ごしましょうかね!(笑)。


さて、火曜日の「翔ぶが如く」シリーズですが、前回は、飫肥藩の小倉処平について、

「自分の評価を試したかったから、直接、飫肥藩部隊に身を投じなかったのでは」

としました。はるか後方の鹿児島県庁にいる大山に策を献策して、それを前線に送らせたり、

なんか、大いなる勘違いをしている様子だったので、そう見たわけです。

まあ、その策も策といえるほどのものでもないし、そんなにすごいひとには、まったく思えない小倉処平です。


まあ、とにかく、薩軍には、そういう他藩の協力部隊が、いくつも加わっており、それらはそれぞれの正義を持っていました。

ただ、その目的として、太政官政府をくつがえす、ということだけ、は同じ目的であり、

ある意味、呉越同舟な軍隊だった、と言えるでしょう。


さて、その薩軍。

高瀬の第三戦で、敗北した後、菊池川の内側に退き、天険を利用して、政府軍の侵入を防ぐ形をとったそうです。

実際、政府軍に菊池川を渡られたおかげで、そうするしかなかった、というのが実際のところだと思いますね。

まあ、政府軍は、熊本鎮台まで、進軍して、その鎮台を包囲攻撃している薩軍を排除するのが当面の目的ですから、

薩軍としては、その進軍を留めるために、途中の自然の要害を利用して陣地を構成することになるわけです。

そういう、途中の自然の要害に、田原坂が、あったわけです。


薩軍は、メインの陣地をこの田原坂に、据え、途中の間道に対して手当てをしておけば、政府軍の侵攻を止められるということです。


しかし、高瀬の第三戦から、薩軍の意識は大きく変わりました。

守るしか、なくなっちゃったわけです。

さらに、熊本鎮台は、攻略目標でもなかったのに、その熊本鎮台すら落とせていない。


どういうことなんだ?


と、薩軍の多くの人間が思ったと思うんですよ。この期に及んで。

それに対して、薩軍の側から説明があったということは、どうもないようです。

司馬氏は、この時期の薩軍の戦略について、

「田原坂、吉次越えで政府軍を防いでいるうちに、後方の熊本城は音をあげて開場するだろう」

と書いています。吉次越えも、田原坂同様、熊本城へ至る途中の道であり、薩軍はそこにも兵を出しています。

つまり、政府軍を防いでいれば、そのうちに・・・音をあげるんじゃない?

という希望的観測なんですよねー。


この時期、薩軍が熊本城包囲に使っている兵数は、八百人。対して、熊本鎮台側は、三千人が籠城しているわけで、

古来、城攻めには、籠城兵の三倍以上の兵で、はじめて戦えるとしているんですが、もう、全然だめです。

つまり、積極的に熊本鎮台を落とし、それを利用する、という戦略は薩軍側にないんです。

というより、政府軍との戦いに主眼を置いている、と言えるわけです。


これはやはり、薩摩兵が何を望んでいるか、というのが如実にでちゃったということなんでしょう。

城攻めより、陸戦で敵を倒したい・・・それが、薩摩兵の望みなんでしょう。


さて、その展開した薩摩兵ですが、田原坂に陣地をつくりあげたわけです。田原坂の特徴的なところは、道の両側に土が高く積み上げられていることです。

つまり、この土手に横穴を掘れば、政府軍の得意とする砲兵力、落下してくる砲弾を避けることができる。

その前に土俵を積み上げれば、堡塁になるわけで、そういう堡塁を何百と作り上げ、その堡塁の前には、政府軍の兵の突撃を退けるために逆茂木を植えたんだそうです。


いやあ、戦うことにかけては、非常に力をつくす薩軍です。本来突撃を好む薩軍ですが、こういう戦にも堪能なところ、関ヶ原から薩摩にたどり着いた戦国の薩摩兵の

匂いがしますね。というより、戦そのものを、本能的に楽しんでいるんではないか、と思いますね。

彼らにすれば、まるで、華やかな祭りの中に身をおいているようなそんな思いがあったのかもしれません。


だから、熊本鎮台を落とそうなんて発想がわかないのかもしれませんね。

「あんなのほっとけばいい。あのおもちゃは、つまらん」

的な想いがあるように、思えます。積極的に戦ってくるほうを相手にしたい、そういう想いが伝わってきますね。

こういう相手を敵に回して、戦うほうも大変ですねー。


というわけで、その立場にいるのが、政府軍であり、その参軍である山県有朋なんですね。

その山県有朋について、司馬氏が次のように語っています。

「政府軍としては、敵の退却に乗じ、すかさず川を渡って追撃すべきであった。が、遠く福岡にいる参軍の山県有朋の慎重さがそれを許さなかった。山県は、戦い」

「というものに賭博性をほとんど認めていない。彼は拙速に勝利を得るよりも臆病なほどに失敗を恐れつつ勝ちの条件が整うのを待つという性格だった」

「彼は戦闘を政治の中で、考えてゆこうとする男で、もし政府軍がうかつに脚をあげて薩軍にむこうずねを斬りはらわれでもすれば太政官の威信が墜ち」

「政権そのものが崩壊する恐れのあることを知っていた」

僕は、この司馬氏の見方について、立場というものが、わかっていないんじゃないか、と思うわけです。

山県の立場であれば、そうすることは当然であって、政治を考えながら戦いを考えられなければ、当然、その立場にはいられないんです。

そういう当たり前のことを、司馬氏は、全くわかっていません。

というより、戦車兵程度の思想しかない。

このひとは、織田信長についての著書がいくつもあるのに、織田信長がなぜ、あれだけ、強かったか、まったく理解していません。

信長は、この山県有朋と同じく、勝ちの条件が揃ってはじめて、戦いをしかけていました。

姉川の戦いでも、無理をして、追撃をしていないし、多くの戦いで、勝てる条件がそろってから戦っています。

だから、高い勝率を確保でき、全国平定を目前にすることができたのです。


それに対して、司馬氏の思想は、戦は賭博性の中にある、そして、その賭博に臨機応変で勝つことこそ、かっこいい、という幼稚な思想です。

だから、戦車兵が戦う程度の、幼稚な思想だ、と言うのです。


人の上に立つ人間は、それだけの大局観を持たなければならないし、そんな幼稚な賭博性の高い戦など指導していたら、すぐにお払い箱です。

戦とは、戦場に立った時にはすでに、勝ちを決めている。

それこそ、高い能力を持った戦略家の指導する戦であり、司馬氏の考えるかっこいい戦なんて、じゃんけん程度のものであって、はっきり言ってやってみなきゃわからない

という勝てば御の字程度の浅いレベルの戦いに過ぎません。


そんな人間は上には立てません。


ほんとに、ひと、というものが見えていないだめな作家です。


それに、この時期、太政官政治に対して多くの不平不満が日本中に充満しているのも、山県有朋だから、肌で感じることができたのだと思います。

実際、このような反乱が起きている。特に、敵は、当時のトップスター西郷隆盛です。

慎重に慎重を重ね、薩軍にむこうずねを斬られないようにするのは、当たり前です。

そういう立場すら、思いやることができないとは、あまりにも、モノが見えなさ過ぎて、笑ってしまいますよ。


さて、前線の政府軍は、薩人、野津鎮雄少将が指揮をとっています。野津は、薩摩人だけに、進襲主義で、高瀬の第三戦が終わった夜、熊本城への進軍の部署をし、

その旨、山県に送ったんだそうです。そしたら、山県は、

「軽挙妄動するなかれ」

と返信してきたそうです。それでも、進撃を主張した野津に、山県は、

「やがて大山巌少将が率いる四個大隊が博多に着く。その来着を待て」

と返信したそうです。野津の率いる部隊だけでは、熊本進撃は無謀だと思ったのでしょう。

これについて、司馬氏は、

「臆病だ」

として、笑っているのですが、どう考えますか?


確かに野津少将の主張通りに、進軍していれば、田原坂での陣地構築はならなかっただろうし、熊本へ進軍できたかもしれません。


でも、薩軍は、ゲリラ的にこの政府軍を襲い、政府軍は後退を余儀なくされる可能性がありました。

そういう弱さを敵軍に見せるのは、敵を勇気づけるとともに自軍の士気を粗相させるものです。

それを山県有朋は避けたのでしょう。


例えば、逆の立場なら、臨機応変に敵のふところに踏み込み、戦う、ということはできるでしょう。実際、高瀬の第三戦で、薩軍はそういう戦い方をしている。

それは、彼らの立場が、無くすものはなにもないからです。

だから、多少負けようとも、なんとも思わないし、それによる士気の粗相というものはない。


しかし、政府軍側は、そういうことができないんです。なにせ、新たに創り上げられた国軍だからです。百姓兵主体の軍隊だから、

士気が薩軍と比べものにならないくらい、弱い。だから、そういうあたりにも、気を使いながら、運用していかなければならない。

奇兵隊から叩き上げた山県だからこそ、そのあたりの機知をわかっていたのです。


それに政府軍は、そういう賭博性の高い戦いをしなくても、補給をして優位な数を保ちながら戦うことができる。


わざわざ、賭博性を高くする必要がないんです。


そういうすべてのことに、目を光らせながら、命令できるのは、この時、山県有朋だけだったのです。


戦場で勇気を見せたがる薩人の気質を知っていたからこそ、山県有朋はブレーキをかけているのです。


だったら、当然じゃないですか、こういう挙に出るのは。


そのあたり、全然考えられずに、馬鹿にしているわけですから、この作家さんは、何も考えられない、ということでしょうね。


大山の旅団が博多に上陸したのは、3月1日午前8時だそうです。

その時、山県有朋は、野津少将に打電しています。

「大山少将、軍隊を率いて至れり。これと力を合わせて、敵胆を寒からしむるは、先鋒の任なり。たとひ、進みて植木を屠ることあたはざるとも」

「ひきて必ず高瀬を扼し得るの成算あれば可なり」

これについて、司馬氏は、

「という慎重さをみても、山県の薩軍を恐れることの甚だしさを推察できる」

としていますが、これ、おかしいでしょ?

山県有朋は、

「大山と協力して、薩軍を攻撃するのは、先鋒の任だぞ。植木を屠れなくても、高瀬を守れるのなら、攻撃をかけても、いいぞ」

と言っているわけです。攻撃開始を命じているんです。

「植木をとれなくても、高瀬を守れるのなら、いいから、先鋒よ、やれ!」

と、言っているんです。どこが、慎重さなんですか?薩軍を恐れることの甚だしさなんて、どこから読み取ったんですか?

ただ単にあなたが、そういう間違ったミスリードをしているに過ぎない。山県有朋を馬鹿にするために。

自分は頭がいいと、自分アゲをただするために、そうしているに過ぎない。


司馬遼太郎は、ほんとうに、モノの見えない、俺偉い病にかかったどうしようもない作家ですね。


山県有朋も、その意気やよし!の一級品の司令官なんです。


まあ、そんなところですかね。

にしても、ほんと、考え方の浅い人間ですよねー。

立場とか、いろいろなものがまったくわかっていない。

このひと、社会で、生活していたんでしょうか?何もわかっていない!

まあ、とにかく、あまりに浅すぎて、苦笑の連続です。

ほんと、しょーもなーって感じです。


今日もここまで、読んで頂いてありがとうございました。

また、次回、お会いしましょう。


ではでは。


第18章 もうビックブラザーの出てくる幕はない

2010年11月18日 | 先人の分析

おはようございます!

朝というのは、静かです。

皆、眠っているんでしょうねー。

というか、これから、眠りにつくひともいるんだろうなあ、と思いながら、

元気に記事を書いているのも、なかなか、おつなもんです。

若い頃は、深酒して、深夜に目覚めて、飲み直し!なんてやって今頃寝てたこともあったなあ。

それで、週末、寝てすごしたり、まあ、若い頃はいろいろやっていたもんです(笑)。


さて、1Q84の世界を読み解くのも久しぶりです。

今回は、第18章ということで、天吾くんのストーリーです。

前回の天吾くんのストーリーでは、ふかえりが新人賞をとることが決まり、

その記者会見用の練習を、天吾くんがふかえりに施していたんでしたね。


というわけで、18章、はじめていきましょうか!


例の記者会見のあと、天吾くんに、小松から電話がかかってくるところから、話は始まります。

まあ、ふかえりは、そつなくこなした、ということです。

天吾くんが希望したように、ふかえりは、例のピッチリして胸の形がきれいに出るサマーセーターを着て

記者会見に臨んだようだし、小松に言わせれば、

「胸の形がきれいに出ていた。まるでできたてのほかほかみたいに見えた」

というわけで、多くの記者が男性だったということもあり、戦略はうまくいったということでしょう。

まあ、男性は、そういうのに、弱いですからね(笑)。

ふかえりは、美少女だそうだし、まあ、きつい質問はしたくないのが人情という奴でしょう。

ふかえりは、

「平家物語のどの部分が好きですか?」

という質問には、5分にも渡る暗誦で、答えたというのですから、まあ、型破りな美少女を演じきったわけですねー。

小松は、

「あの少女は特別だ。俺が特別と言う時、それは本当に特別なんだ」

と言っていますから、まあ、特別な少女ですよね。

その少女が新人賞を獲得したわけですから、誰もがその著作を読みたいと思うでしょうね。

小松は、

「数日で売り切れる」

と予想しましたが、その予測をはるかに越え、当日のうちにその作品を掲載した文芸誌は、売り切れました。

そして、そのことは、文芸誌の増刷を呼ぶわけです。

で、小松は、

「ホットなうちにこいつを売りまくるんだ。間違いなくこいつはベストセラーになる。俺が保証するよ。だから、天吾くんも、お金の使い道を考えておいたほうがいいぜ」

と言うことになるわけです。


単行本の出版4日前、ふかえりが朝の9時に天吾くんに、電話をかけてきます。午後の4時に会いたいと。

そして、天吾くんは、例の喫茶店にふかえりに会いにいくと、戎野先生も同席しているわけです。

戎野先生は、天吾くんの「空気さなぎ」のリライト作業が素晴らしい仕事だと考えていて、その御礼がしたかったと言うわけです。

しかし、天吾くんは、リライト作業に意味があったことは認めても、自分がしてしまったことの重大さに幾分、辟易しているようです。

それで、その作業を認めた戎野先生の考えを、聞こうとするわけです。

ふかえりをどうしようとしているのか、ということですね。

ふかえりの両親は、「さきがけ」の内部にいるし、戎野先生はだからと言ってふかえりの後見人でもない、という。

「ふかえりはベストセラー作家になる。それによって、さきがけ内部の両親は、ふかえりに対して、動きがとれなくなる。その後は、どう話が進むのですか」

と、天吾くんは、戎野先生に質問するわけです。そりゃ、そう聞きたくなりますよね。

それに対して、戎野先生は、

「それはわたしにもわからん。見当もつかない」

というわけです。

えーーーーー!ってなりますよね。普通は。

天吾くんは、言うわけです。我々は一種の詐欺行為を働いているんだ、と。それでもいいのか、と。

戎野先生は、それに対して、仕方がない、という立場をとるわけです。非常に高い知性を持った元学者先生の意見とは思えない話ですね。

そこで、そういう態度をとる戎野先生に対して、天吾くんは、推測を述べるわけです。

「「空気さなぎ」が騒がれることを利用して、「さきがけ」にいる、ふかえりの両親に何が起こったか、真相を暴く」

というようなことを天吾くんは、言うわけですねー。

戎野先生は、「さきがけ」という団体のあらまし、教義がなんで、教祖はいないこと、個人崇拝を排して、集団で指導する形であることなどを語ります。

そして、ふかえりの父親、深田さんが、「さきがけ」が教団に変容する際に、主導権争いに負け、それから幽閉されているのではないか、という推測を述べるわけです。

「ふかえりをベストセラー作家にして、その状況に側面から、揺さぶりをかける」

のが、戎野先生の腹積もりだったことが、ここに語られるわけです。

「えりさんを餌がわりに、大きな虎を藪の中から、おびきだそうとしている」

と、天吾くんは言います。そして、教団内で、なにか暴力的なことが行われ、それが外に出てくるかもしれない示唆を提示するわけです。

そのとき、ふかえりが、突然言います。

「リトル・ピープルが来たから」

あの青豆ストーリーの少女、つばさちゃんが、言ったことばと、同じ単語が出ました。

暴力的なこと、と、リトル・ピープル。

たしか、つばさちゃんは、女性機能を破壊されていたとしていた。今度も、暴力的なことに、つながることだ。

リトル・ピープルは、なんらかの、暴力行為を行うのか。

このあたり、一応記憶の片隅においておきましょう。


それに対してビッグブラザーというスターリニズムをシンボライズ化した言葉が提示されます。ジョージ・オーウェルが著作「1984」で表現した暴力表現。

その暴力表現が、有名になりすぎたために、もう、現実世界に、ビッグブラザーは出現しない、としています。しかし、その対比的表現である、

「リトル・ピープル」

が現れてきた。

戎野先生は、興味深いとしながらも、それを探らなければならない、としています。そして、リトル・ピープルをおびき出すべきだという態度をとります。

天吾くんは例のように慎重な性格ですから、それに危険な匂いを感じ取るわけですが・・・もう、後へは戻れないという言葉が戎野先生の口から

語られ、話しあいは、終を告げるわけです。


ここで、語られたことは、この詐欺的行為が、ふかえりの両親を「さきがけ」から助けだす支援になっていると、戎野先生が考えているということです。

そして、その暴力性にリトル・ピープルが関連していること。スターリニズムのシンボライズであるビッグブラザーとは、対比的表現であり、興味深いこと。

いずれにしろ、何が飛び出してくるかわからないが、やってみることだ、と戎野先生が考えている、ということです。


このことは、今後、「さきがけ」の内部に隠されたなにかがあって、それを詮索していくのが、この物語の流れになるということを示唆しています。

そして、そこにリトル・ピープルが大きく関わっていること。そらがなんらかのシンボライズなのか、そういう人々がいるのか、そのあたりが、

物語の筋の先にあるストーリーだということになります。


この「1Q84」がジョージ・オーウェルの「1984」のオマージュであるならば、現実世界の行く末というあたりも、今後表現されるということなのかもしれません。

いずれにしろ、この本が書こうとしているのは、「さきがけ」に隠される宗教的世界であり、そこにある価値観やら、新しい1Q84的世界の価値観も

描こうとしているのかもしれません。それは非日常の世界、それによって、我々をジェットコースター的ハラハラドキドキ感の世界へ誘おうとしていることが、

わかります。


戎野先生が帰ると、ふかえりと天吾くんは、喫茶店を出て新宿の街を歩きます。

そして、ふかえりは、天吾くんの家に泊まる、と宣言します。


美少女が、自分の部屋に泊まる!と言ったら、男子は、大喜びでしょう(笑)。

そういうあたりをくすぐっているのですが、まあ、草食男子向け施策です。

そして、いろいろ考える天吾くんですが、

「いいよ」

と、OKするわけです。そして、それがどうなるかは、次回の天吾くんストーリーでのお楽しみ、というわけで、本章が終わるわけです。


本章は、今後の展開の予告的な章で、何かが動くというより、いよいよ「さきがけ」にフォーカスが絞られてきたことを説明しています。

「さきがけ」内のふかえりの両親を助けるために、ふかえりの小説は使われたことも明らかにされたし、「さきがけ」内には

「リトル・ピープル」という暴力に関係するなにか、があることも提示されたわけです。


「リトル・ピープル」にフォーカスしてきた章とも、言えると思います。それは、何なのか。ほんとうに、暴力に関係があるのか。

そして、つばさちゃんとの関係は?ということで、ほんとに、次回予告のような内容でした。


そういう意味では、つなぎの章と言うことができると思います。

次回への期待を煽った回と言えるでしょうね。


そのあたりが、結論でしょうか。


ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。

また、次回、お会いしましょう!

 

ではでは。


自分の評価を確認したかったに過ぎない小倉処平!

2010年11月16日 | 先人の分析
おはようございます!

しっかし、最近は、朝が寒いです。

もう、すっかり冬な感じで、朝から暖かいココアでぬくもってます。

まあ、でも、寒いと頭がシャッキリしてそれはそれで、いい感じです。

まあ、何でも、とりようですね(笑)。


さて、前回、この「翔ぶが如く」シリーズでは、土佐勢力の動きを書きました。

なんか「龍馬伝」を見ているので、なんとなく、土佐のあたり、気になりますけど、

やはりこの時期、土佐には、人物がいなかったようだなあという感じがあります。

さて、土佐の次は・・・ということで、「翔ぶが如く」では、薩軍と共同した部隊の話になっています。


薩軍が薩摩を出発したあと、西郷には冷たくあしらわれたという県令大山綱良は、各府県に檄文や密使を出しているそうです。

おいおい。西郷が密使を出したということを、前々回書いてませんでした?それで、前に書いた西郷の密使も

「西郷の密使というより、実際は大山の密使だったのだろう」

と、ここで、けつまくってます。まったくもう・・・。


この薩軍の雷発に対して最も強く結束して行動したのは宮崎県の飫肥藩だったそうです。

飫肥藩の藩風は、「飫肥の正直」と言われるくらい、正直という徳目に価値をおいていたようです。

この飫肥藩で人物として評価されていたのは、小倉処平という人物だったそうです。

この小倉処平、幕末、19歳で京都において、藩の全権を帯びて、藩外交を一手に切り回していたそうで

なかなかの才幹のようです。このひとは、維新後、太政官の命令で、英国へ留学していたわけですが、

征韓論の決裂を聞いて、急ぎ帰国したという人物です。


「日向の飫肥へゆけば小倉処平を尋ねよ」

というのが、当時の不平家の常識だったそうですが・・・飫肥まで行く理由ってなんだ?

まあ、江藤新平も佐賀の乱で敗れたあと、小倉処平を頼り土佐へ脱出させたそうです。

そういう意味では、江藤新平に信頼されるくらいですから、なかなかの人物だと言えるでしょうね。

佐賀の乱の後、小倉処平は禁錮刑をくらいますが、数ヶ月で出てくると、東京に出ました。

そこで、大蔵省に出仕させたそうです。つまり、太政官としては、不平士族の親玉を取り込む気持ちがあったんですね。


おもしろいのは、同じような形で官に取り込まれた陸奥宗光なんですけど、彼は伊藤博文や大久保利通を暗殺しようと企てたことがあるんですね。

その陸奥、大久保が暗殺されたことで、警察に捕まってしまうんですね。これ、何故かって言うと、

「大久保が内務省の自室に保管していた書類の中に、陸奥の(昔の)暗殺計画の証拠書類が見つかったから」

というもので、要は大久保、自分を暗殺しようとした陸奥を

「使えるから」

と、言う理由で、暗殺のことなぞ、お首にも出さず、使っていたってことなんですねー。


これ、信長と一緒なんですよ!


信長も、敵側に回って自分に対抗した人間でも、使える人間なら、ガンガン使っていますからね。それと同じ状況が、大久保にも現れている。

「自分を殺そうとするくらいだから、度胸もあるし、使えるやつなら、そりゃ、ガンガン使うべきだ!」

と、信長と大久保は思っていたということなんですねー。

まあ、

「自分を殺そうとした」

ということをどう評価するかなんですね。これ。

普通のひとだったら、

「やだ、そんな奴。自分の周りにおけるか」

という自分保護の気持ちが強く出るでしょうけど、信長と大久保は、

「使える奴は、使うべきだ!」

その度胸と能力を高く評価した、ということなんですね。つまり、信長も大久保も

「そんな奴に殺されるくらいなら、俺はその程度の男だ。まあ、殺されるような俺じゃないよ」

と、強い気持ちを持っていた、ということがわかるわけです。すごいですねー。


小倉処平も、そういう存在なわけです。だから、太政官は彼を離さないわけですけど、伊藤博文に

「飫肥藩を鎮撫する」

と言って書類をもらい、飫肥藩に帰るわけです。そして、途中で

「薩軍の決起に加わる」

と、伊藤に連絡したそうです。

「飫肥の正直」

そのものですねー。



小倉処平が飫肥藩に帰った時、すでに飫肥軍が組織され、熊本に去った後でした。

小倉処平は、すぐに鹿児島に行き、県庁の大山を訪ね、戦略を献策したそうです。

「政府軍は熊本に兵力を集中している。豊後方面が手薄だから、日向で募兵し、小倉を占領すれば、政府軍は腹背に敵を受けることになるから、福岡、長崎に後退するだろう」

という案だったそうで、ごく妥当なものでしょう。

しかし、起死回生の策でもないんですね。戊辰戦争から10年後という状況を考えれば、これくらいの作戦を考えられる人間は、それこそ、掃いて捨てるほどいると思います。

それに、政府軍も兵員の補充は暫時やっているんですよね。このあと、警察の人間が元武士であって、戦闘力が高いということで、兵士として送られてくるし、

小倉の策は、熊本に兵が集中していて、補給がないなら、使えるというくらいの手なんですよね。


しかし、大山はこの策に喜んで、熊本に使いをだしたそうです。

大山の考えの浅さが、この行動に出ていますねー。

後方の人間が、知ったかぶりして、前線の戦いのプロ達に献策なんて、あきれてものが言えませんけどね。

それが前線の人間のどういう行動を生むか、わからないのでしょうかね。

まあ、握りつぶすのがオチでしょ?普通に考えたらねー。

「それくらい俺たちだって、わかっている。でも、それよりもっと大切なことがあるんだ、ばかやろー」

くらい思うんじゃないですかねー?


それに対して司馬氏は、次のように書いています。

「が、西郷の奇妙さは、これについて是とも非ともいわず、何の決断も下さなかったことだった。この態度は彼が軍事に暗いことを示すのか、密かにこの戦いを」

「投げてしまっていたか、あるいは軍事は桐野らにまかせっきりということだったのか、よくわからない」

まあ、よくわからない、と言いながら、暗に

「西郷は軍事に暗い」

と言っています。これは、司馬氏が、人間というものに、暗いということを示しています。


まず、大山と西郷の関係性を考えてみましょう。西郷は大山を嫌っているということを何度も司馬氏は、指摘しています。

前線にいる西郷に、その嫌いな後方の大山から、誰でもわかるような安易な作戦を献策されたら、どうすると思いますか?

まず、不快な想いが西郷を襲うでしょう。それでも、西郷は大山のために、表情は変えなかったでしょう。表情を変えることすら、バカバカしいことだからです。

もし、桐野だったら、怒りを爆発させて、

「相手にするのも、馬鹿らしい」

くらい言うでしょうね。西郷だから、不快感に耐え、何も言わないことで、その態度を、示したんですよ。

不快感を周りに示したんですよ。まあ、非言語コミュニケーションのひとつですね(笑)。周りは、西郷の不快感をよーくわかったと思いますよ。



それを奇妙と言ってのけるんですから、どっちが奇妙なんだ?って感じですよ。この司馬氏の決めつけ!

現場の人間の機知というものを、司馬氏は全然わかっていないですね。というか、そういう体験をしてないんでしょうか?

新聞記者なら、現場とデスクの確執くらい、わかりそうなものなのにねー。


そういうものを当てはめるという能力さえないんでしょうか?ほんとに、何もわからない人間だなあ、浅はかな人間だなあ、とあきれてしまいます。


さらに言えば、西郷は、薩摩士族削除のために、いろいろやっているんですから、そんな献策、絶対に採用しませんから。


まあ、それを出す以前の問題ですよ。この話はねー。


さて、そういう献策をした小倉処平という人間も、このひと、俺偉い病の人間ですね。


西郷を中心とした薩軍を、自分の作戦で救えると考えているんですから、その底の浅さは、笑っちゃうほどです。


それだけ自分の名前が西郷、薩軍に効くと思っていたんでしょうか。それとも、この作戦がほんとに薩軍に起死回生な作戦になると思っていたのでしょうか。

いずれにしろ、アホでしょ。こいつ。

司馬さんが素晴らしいとか、人材だ、とか言うから、素直に信じて書いてみたら、その行動を分析すれば、どういう人間かわかってしまう。


司馬氏は、小倉処平の名をもってすれば、北九州の不平士族が、二千や三千の兵は募れるだろうとしています。それで小倉を占領すれば、さらに不平士族の参加は

増えるとしています。ほんとかねー。このあたり、信用できない気がします。要は、西郷をくさすために、わざとこう書いているように思えてしまうからです。

このあたりは、小倉処平については、あまり信用しないでいこうと思います。


さて、この献策に対して、桐野が判断をしたようです。

「そんな馬鹿なことをして何になるか。ともかく、そんな兵があるなら、熊本へ来てくれ。こちらは兵力の不足で困っている」

と、二名の使者を鹿児島へやったそうです。

これについて、司馬氏は、

「桐野は野戦部隊の長としては最適の男だが、戦略などという感覚や奇才がまったくなかったことは、このことでも明らかであった。彼は小倉処平の名もよく知らず」

「ましてやその存在の利用価値なども思いつかなかった」

と、桐野をこきおろしています。また、出ました。

「俺は、小倉処平の名も知っているし、その存在の利用価値さえ指摘できるんだ。それに対して、桐野はなんだ!」

また、自分アゲです。ほんと、このひと、こればっかりです。


でも、それ間違いですよ。この大山の献策にわざわざ二名の使者を鹿児島に送っているんですよ。これについて、司馬氏は、

「小倉処平への敬意だ」

と言っているんですけど、前後で、言っていることが、まったく違うわけですよ。桐野が小倉処平の名を知らなかったら、敬意だって表さないでしょ?

桐野は薩摩一藩主義の人間ですよ。他藩の人間から、しかも後方から作戦献策されたって、そんなの容れませんよ。

それでも、敬意を表した。すばらしいじゃないですか。


ひとが前線で戦っているのに、わざわざ後方の鹿児島に行って、作戦を献策するなんて、それが男のやることですか?


そんな男の話なんて、誰が耳を貸すんですか?


そういうのが、わからない小倉処平も、そのレベルの男なんじゃないですか?

こんな愚にもつかない作戦を、前線の人間に送って、それが容れられると思っている浅はかな人間ですよ。

あるいは、

「俺は頭がいいんだ。名前だって売れてるんだ。俺が言えば、薩軍だって、作戦を採用するはずだ」

という思い上がり、俺偉い病にかかった、だめだめ君じゃないですか?

まあ、とにかく、桐野の返事を聞いた小倉処平は、

「もはや戦いの決なった」

と大山の前で露骨につぶやいて、

「もう、前線には、行かない。行っても無駄である。それよりこれから、東上し、政府に陳情活動をする」

として、西郷に手紙を書いたそうです。そして、西郷はこの案に反対したんだそうです。

小倉処平は、自分の献策がことごとく破れて西郷の敗北することを予見したが、飫肥の士族三百が既に参戦している以上、それを見捨てることができない、と

熊本に参戦したそうです。


これ、小倉処平は、自分の名前に自信がなかったんじゃないですか?


だって、自信があるなら、最初から、熊本に行き、正々堂々薩軍の本営に乗り込み、自分の作戦計画を話し、理非を説いて、薩軍首脳の

考えを改めさせるくらいの気概があってしかるべきでしょう。


それができないかもしれない、という危惧があったから旧知の、大山を使ったんですよ。


事実、桐野には、敬意は表されたけど、それだけでしたしね。


自分に自信がないから、わざわざ後方の大山から、作戦案を提示させた。それも、それほど、素晴らしいという策でもない。

もし実際にその策に自信があるなら、実際に北九州で募兵をして、小倉を占領してから、薩軍と連絡をとって、既成事実をつくりあげるという手だってある。

それをしなかったというのは、この作戦は、彼のポーズにしか過ぎなかったということですよ。

だいたい、軍資金をどう考えていたのかも怪しい。司馬氏は、声をかけりゃあひとが集まるみたいなことを言っているけど、

武器や軍資金を調達できなければ、勢力にはなりませんからね。そういう基本的なところ、何も考えていないように見えます。

だから、要は、絵に書いた餅なんですよ。言葉では何だって言える。でも、実際にやってないんだから、評価なんかできないんですよ。


要は、自分というものが、薩軍にどれだけ評価されているか、確認したかったに過ぎないんですよ。小倉処平は。

だから、大山を使った。だいたい、大山如きを使っているあたりで、人間というものがわかっていないし、人を見る目もない。

なんか、小才子程度なイメージしかありませんね。


飫肥の正直といいますが、大久保や信長が、自分を殺そうとした人間を使っていた話と比べてみてください。


正直なんて、誰だってできる。それより、自分が嘘を突いている状態がこわいから、正直になっているだけでしょ?

要は一種の逃げだ。正直なんてのは。

信長や大久保のスケールと比較すると、なんとなく、器の小さい人間のように、思えますが、そこらへんどうでしょう。

まあ、まだ、エピソードはでるはずですから、そのあたりも見ていきたいものですね。


いやあ、はからずも、大久保、信長と、大山、小倉を比較してしまいましたね。


まあ、ちょっと相手が悪すぎたみたいですね。いずれにしろ、ひとというのは、その言語や行動で、どういう人間か、簡単にわかってしまうものです。

だから、自分の行動には、責任があるということになるんですねー。

まあ、司馬氏に至っては、言っていることが、あちこちで違うんで、もうあきれます。


ひとを見る目がないなあ・・・というのが、今日の結論でしょうか。毎回だけどね(笑)。


今日も長くなりました。

ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました!

また、次回、お会いしましょう!


ではでは。



第17章 私たちが幸福になろうが、不幸になろうが

2010年10月21日 | 先人の分析
おはようございます!

いやあ、すっかりお寝坊さんです。

まあ、昨日の夜、遅くまで、いろいろ話し合っていたおかげで、

僕にしては、かなり遅くなってしまいました。

というわけで、今日の朝進行は、ゆっくりめ。

まったく、困っちまうわけですけどねー。


さて、木曜日の1Q84論考ですが、だんだんおもしろくなってきましたね。

やはり、いろいろなことが、わかってくると、村上さんが、何をしたいのかも、

なんとなくわかってくるし、いろいろな情報が増えることで、ストーリーを理解するのも、

何もない状態に比べれば、少しは、容易になりますからね。


さて、第17章、青豆さんのストーリーのはじまり、はじまりです。


青豆さんは、前回、天吾くんの書いた「空気さなぎ」の世界に設定された二つの月を現実のモノとして、

見てしまいました。そして、次の日の夜も、また、二つの月を見てしまいます。


これは、天吾くんの書いた「空気さなぎ」と現実の世界が、つながっていることを、示唆しています。


それは、うがった見方をすれば、天吾くんに、現実を作り替える能力がある、ということになるんですが、

その当たり、妥当な意見として、こころの隅においておきましょう。まあ、あとで、必要となる情報として。


さて、青豆さんは、その現実・・・月が二つあることに、混乱をきたします。もちろん、現実に月は、ひとつきりのはずだし、

見たことのない月・・・緑につつまれているんだそうですが・・・その存在は、どうしてもしらないし、どうもその月について、

青豆さん以外の人間には、ごく当然という解釈をしているようだからです。


用事があって、タマルと話したときにも、ちょっと月の話を匂わせたものの、特に何の反応もなかったし・・・例の柳屋敷の女性も

特に関心があるわけではなかったし・・・とにかく、青豆さんは、その月と会話をしてみることすら、やってみた・・・でも、月は、クールにしているだけだったわけです。


さて、青豆さんは、柳屋敷に出向き、いつものように、婦人にトレーニングするのですが、その前にいくらかの会話があります。

婦人は、CDをかけて音楽を流しているのですが、それは、クラッシックなわけです。400年前の。

そして、それが、意味するところは、

「400年前のひとたちと同じ音楽を聞いている」

ということなんですね。それについて、婦人は、ある感慨を覚える。妙な気になる、というんですね。それに対して、

「400年前のひとたちと、同じ月をみている」

と、言ってみる青豆さんなんです。まあ、

「いつ、二つになったんですか?」

と、聞いているわけですけど、それに対する反応は、

「そうね、同じ月ね。それを考えれば、400年前の音楽を聞くことも不思議ではない」

というものだったわけです。まあ、青豆さんの意図は、はずされたんですけど、そこから、400年前のヨーロッパが、いかにひどい世界だったかが、具体的に語られ、

そこで、このようなクラッシックを聞ける人間など、ごく一握りだった、ということが、指摘されるわけです。

それに対して、婦人は、自分なりの人間感というのを話します。

人間というのは、遺伝子の乗り物に過ぎないという、竹内久美子さんあたりが、たくさん書き散らしたあたりの説が提出されます。

「人間というものは、結局のところ、遺伝子にとってのただの乗り物にであり、通り道に過ぎないのです。彼らは馬を乗りつぶしていくように世代から世代へと」

「私たちを乗り継いでいきます。そして、遺伝子は、何が善で何が悪かなんてことは考えません。私たちが幸福になろうが不幸になろうが、彼らの知ったことではありません」

「彼らが考慮するのは、何が自分達にとって、一番効率的か、ということだけです」

まあ、ちょっと僕的には頂けない物言いですけどね、これ。

遺伝子というのは、単なる情報にしか、過ぎません。紙に羅列された、単なる記号です。そこに意志はありません。

人間という種が、一代一代、その改良をやっているに過ぎないんです。だから、ひとつの種として、遺伝子側を主だと考えると、

乗り物として、とらえることができる、という程度です。言葉のあや程度のものです。

人間は、無論、乗り物でなく、人間が、世代ごとに、渡していく地図に過ぎないのが、遺伝子です。効率化などという意志は無論、存在しません。

これに対して、青豆さんは、こう、答えます。

「それにもかかわらず、私たちは、何が善であり何が悪であるか、ということについて、考えなくてはいけない。そういうことですね」

と、言うんですが、ただ当たり前のことを主張しているに過ぎない。それに対して、婦人は、

「その通りです。人間は、それについて考えないわけにはいかない。しかし、私たちの生き方の根本を支配しているのは、遺伝子です」

「当然のことながら、そこに矛盾が生じることになります」

と、言うんですね。これね、確かに生き方の傾向や、性格、意志のつよさなどは、子供の頃は、遺伝子に支配されているのかもしれない。

でも、大人になるにつれ、逆に遺伝情報を支配していく、変えていくのが、人間だと思っているんですよね。

だから、矛盾というのも、ちょっとおかしく感じます。遺伝情報は常に書き換えられるものだと、思っているからですね。

つまり、村上さんは、遺伝情報というのは、書き換えられないものだと考えていることが、だだわかりです。

だから、ちょっと僕は、同意できない部分ですね。これ。

だって、そしたら、進化しないじゃん、種は。

種は進化するために、世代をつむいでいるんですよ。村上さん!


二人はその後、マーシャルアーツの実習を行い、それから、夕食を共にします。

婦人は、青豆さんを信頼している旨の話をするんですが、それは、青豆さんが、自分の中に溜まっていた秘密を吐露し、さらに婦人も秘密を話した、

そのために、醸造された信頼だ、ということが、語られるわけです。


青豆さんが、環が自殺したあと、その夫を、梅安的に殺したことは、語られましたが、やはり、ひと一人を殺したことは、重みとなって、青豆さんの

中にあったんですね。鬱懐とでも、呼べばよいでしょうか。それを、自分の中に置いておく限界に来ていた。だから、青豆さんは、婦人に、

話したというわけです。そして、婦人も

「不思議な偶然ですが、私も全くと言っていいほど、同じ理由で人を消えさせたことがあります」

として、具体的な事実を語るわけです。

婦人の娘も、環と同じように自殺していたわけです。そして、DVによる死だということが、婦人には、わかる。しかし、現実的には、法的に訴えることも

できないことが、示されるわけです。だから、婦人は・・・殺しはしていないが、社会的に破滅させたのだそうです。

まあ、そういう状況で生かし続けることが彼女なりの裁きということなのでしょうね。青豆さんより、一層倍、怒りが強いように感じます。


婦人は、自分の娘のような境遇にある女性達を助けるためにセーフハウスを運営しているのだそうです。


そして、地域のボランティアやら、弁護士などと協力しあって、そういう目・・・DVやら、親による性的虐待などに苦しむ人間達を収容しているのだそうです。

もちろん、収容するだけでなく、以後の人生についての対策も打つ・・・自立を支援したり、暴力を与えてきた元の夫や親から、守る手さえ打っているわけです。

その業務の中で、どうしても、処理し切れない案件を、密やかに処理できる人間を婦人は、探していた・・・そう、梅安的処理のできる人間を。

その白羽の矢を立てられたのが、青豆さんであり、それを受けたのも、青豆さんだったわけです。


DVに陥る人間は、弱い人間だ、ということが、この話の中で主張されています。

自殺もできない弱い人間が、そういうことに陥るのだ、と。弱い人間だから、さらに弱い人間に暴力を与えて、自分を慰めているんだ、と。

確かに、僕もそう思います。

ちょっとしたことを、理由にして、暴力を振るう。

これ、前回の章で、宗教者について論考したとき、宗教が、殺人の理由を与えている、という言い方をしましたが、構図が同じなんですね。

「理由があれば、暴力をふるっても、構わない」

と彼らは、考えているのです。自分が少しでも、気持ちよくなるために。

そういう意味では、DVは、弱者のオナニーなんですよ。

殺人は、宗教者のオナニーだ。


人間、弱くなったら、終わりです。若い頃は弱くても仕方ない。当たり前のことだ。だが、大人になって、強くなるのではなく、弱くなっていったら、

それこそ、遺伝子の進化なんて、できないでしょう。

DVや子供への性的虐待、殺人なんて、する奴は、種として、いらない人間なんですよ。

だから、そのDNAは、消えていくんです。そういう意味では、遺伝子にも、意志は、あると、言えますね。上で否定したけど、こういう意味において、

遺伝子に、意志があることになる。おもしろいですね。


さて、そんな中、新しい殺人の仕事が、青豆さんに、提示されようとしています。

本来なら、もっと、殺人の間隔をあけたいのだが・・・そうもいかない、というところらしいですね。

まあ、基本、女性を虐待する男性を、別の世界へ送る仕事ですから、女性虐待者ということなんですが、

その相手は、明かされません。

まあ、物語的に言うと、その男性は、すでに、僕らが知っている男性である可能性が、高いわけですけど・・・そんなDVやりそうな男性って・・・

小松くらい?

でも、今小松を無くすわけにはいかないだろうから・・・やはり、あの宗教団体「さきがけ」の人間ということになるのでしょうかねー。

ま、村上さんが、「オーム事件」取材のときに感じたなにか、を主張するには、そういう方向性になるでしょうからね。


で、そのターゲットについて詳しく話す前に、会ってもらいたいひとがいる、ということで、青豆さんは、そのセーフハウスに、案内されるわけです。

暴力を受けた女性・・・それは、十歳の少女だったりするわけです。6週間前に送られてきたその少女は、4週間、口をきけず、やっと話せるようになった

少女。なかなか、きついものがありますね。

そして、青豆さんは、そのつばさちゃんに、会うわけです。セーフハウスの2階。栄養が不足気味で、瞳は曇ったガラスのよう。

あまり言葉も吐けない・・・かわいそうな少女。それが、つばさちゃんなんですね。


そして、婦人は、話をする。男性と女性のメンタリティーの違いは、生殖システムの違いにある、と。

そして、つばさちゃんの子宮が破壊されている、ことを話します。

「いったいだれが、そんなことを」

と、青豆さんが、言い、

「はっきりしたことは、まだわかりません」

と、婦人が言います。すると、少女が、

「リトル・ピープル」

と発言して、この章が終わるのです。


そうです。ふかえりが、さきがけで、出会ったとされる、リトル・ピープルの名前が、この少女から、発せられたのです。

であれば、青豆さんの次のターゲットは、「さきがけ」内の誰か、ということになります。

また、青豆ストーリーと天吾ストーリーの邂逅が、設定されたのです。


いやあ、興味深いですね。早く次の青豆ストーリーが読みたくなりますが、ここは、ぐっと堪えることにしましょう。


この章の題名

「私たちが幸福になろうが、不幸になろうが」

は、婦人の話した

「人間は、遺伝子だ」

的セリフの中にありました。

「遺伝子は、私たちが幸福になろうが、不幸になろうが、知ったこっちゃない」

ということでしたけどね。


でも、それは、違うような気がします。まず、間違っているのは、他者である誰かが僕らに幸福を与えてくれるわけでは、ないということです。


それは、他者依存な人間・・・宗教やその他の誰かに依存しないと生きていけない人間が、持つ、弱者の思想なんです。

村上さんは、弱者否定なのか、と思ったら、そうでもない。宗教者という弱者を登場させている。

青豆さんも、弱者ではなく、どうみても、自己のみに依存の強者です。

柳屋敷の婦人も、強者ですよね。そして、強者こそ、満足した毎日の生活・・・しあわせ、というものを甘受する力を持つ人間達です。

そして、死んでいった人達、DVを受け、死んでいった女性達は、いつのまにか、DVだんなに依存しかできなくなった弱者なんですよね。


つまり、この青豆ストーリーは、強者が、愛した弱者のために、DVに依存した弱者をこらしめる話なんですよ。


僕は、依存したら、終わりだと思います。


人間は、どんなものより、自由である必要があると、考えています。

そのためには、自己にのみ、依存し、強く生きていくことが大事だ。

それこそが、しあわせを甘受する力になっていく。

そういうことを、思い出しましたね、本章を読んで。


弱者に逃げこむな、強者になれ!


これが、人生、しあわせになる原理だと、思います。


そんなところを、今日の結論にしましょうか。


ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。

また、次回、お会いしましょう!


ではでは。


大度量の西郷だから、他者勢力さえ、守れた!

2010年10月19日 | 先人の分析
おはようございます!

いやあ、秋から冬へ季節は動いている感じですねー。

サイクルロードレースも、ヨーロッパの最終戦、落ち葉のクラッシックと言われる

ジロ・デ・ロンバルディアが土曜日に終了し、まあ、シーズン終了しちゃいました。

で。

今週末、日本で開かれるジャパンカップに、選手たちがやってきたりするわけですねー。

いやー、宇都宮ですよ!餃子ですよ!

もちろん、ロードレースのある日曜日に、行ってくる予定です!

そりゃ、マキュアン来るんだもん、いかなきゃね!

と、今からルンルンなのでしたー!


さて、「翔ぶが如く」シリーズですが、全十巻のこの本も、

九巻に入ってきました。兵を起こした薩軍は、熊本鎮台を包囲したものの、これを落とせず、

さらに、政府軍との高瀬の戦いでは、全面的に敗北し、攻勢から、守勢に立たざるを得なくなっています。


その最高司令官である、西郷隆盛は、薩摩士族こそ、日本のガンであることを早くから理解しており、

これを削除できるのは、自分と大久保以外にいないことも、理解し抜いている人間なんですね。

だから、粛々とそれを実行している。今まで見てきた通り、打つ手すべてが、その目標に合致したもので

あったのでした。


前回は、そんな薩軍から、各地に密使が遣わされたことを話しました。

まあ、それだけ、薩軍的には、現状に危機感を感じるようになっていた、ということで、

相当やばくなってきているんですね。


まあ、

「便りがないのは、元気な証拠」

なんて、言われますからね。便りがガンガンくると、やばいぞ、これってのは、人間も薩軍も一緒です(笑)。


さて、そんな話が、語られる中、司馬氏は、土佐と西郷という感じで、文章を挙げています。

要は、司馬氏は、前回書いた、岡山県の勝田郡北部の郡長に密使を出したのは、西郷だと決めつけ、

「そういう人間に声をかけるのに、土佐には、声をかけなかった」

というところから、

「西郷は他郷の集団への警戒心の強さを残しているという点では、徹底して封建時代人であったといえるであろう」

とし、

「ともかく西郷が小集団に共闘を求め、大集団に共闘を求めなかったのは確かである」

としています。

これ、どう思います?

普通におかしいと思いますよね。


まあ、また、西郷を馬鹿にするために、文章をつむいでいるんですけどね。


まず、岡山県の郡長に密使をだしたのは、どう考えても、西郷ではありえません。それは、前回書きました。


では、土佐に、声をかけなかったのは、なぜ、でしょう。

これ、まあ、西郷の目的は、薩軍削除ですから、声をかけないのは、当たり前なんですけど、

そう結論づける前に、西郷と土佐に関するエピソードが乗せられているので、それを見ながら、さらに考えてみましょう。


明治七年春、土佐の林有造が西郷を訪ねています。このとき、西郷のまわりには、桐野、篠原、村田、樺山資綱らがいたようです。

そして、林は、次のように話したそうです。

「僕は土佐にて兵を挙げ直ちに大阪城を奪略すべし。閣下は薩南の健児を率いて熊本城を包囲し、その兵を分かち馬関に突出し、以て中国に押し出ては」

「四方の志士は閣下の麾下へ雲集し、天下を制する、又何の難きことあらんや」

まあ、この文章は、広瀬為興というひとが、書いているんですけど、土佐のひとなんですね。それも、この西南戦争のあとに、土佐の人間が、なぜ、

この戦争に呼応しなかったかを、言い訳する文章の中にあるわけです。つまり、ちょっとマユツバ気味なんですね。そこをまず、勘案する必要があります。

まあ、だから、

「土佐だって、動かなかったわけじゃない。実際、早い段階で、うちの藩の林が動いたんだ。だけどさ・・・」

という意識で書かれていることが、だだわかりなんですね。そこをまず、考えないといけません。


そして、この林の献策に対して、西郷は、しばらく沈黙したそうです。


これについて、司馬氏は、

「沈黙はこの際、侮辱にも等しいだろう」

と、書いていますが、果たして、そうでしょうか?


こんな話、軽々にあの西郷が乗るわけないじゃないですか。まあ、これ、征韓論が破れて下野した後の話ですけど、西郷は薩摩士族の処理に頭をめぐらしていた

時期ですから、そんなことすりゃ、自滅するのは、見えていたはずなんですね。そうならないように、いろいろ考えていたのが、西郷ですから、

まず、乗るはずはありません。であれば、この土佐の林に対して、

「西郷は土佐と共に決起することは、絶対ない!」

と、思わせる必要があるわけです。


であれば、西郷は、どうするか。


西郷は、土佐を嫌っている、いや、薩摩人は、全員、土佐人を信頼していない、と思わせることが必要となるわけです。

そして、それを、自分の周りにいる薩摩をうごかす人間達にも、言う必要があったんです。

「薩摩は、土佐と行動を共にしない」

これは、土佐を軽々に立ち上がらせないためでもあったし、それにつられて、薩摩が立っちゃう可能性もあったはずですから、

絶対に、土佐を立ち上がらせては、いけないわけですよ。この時の西郷にすれば。

だから、そういう方向で、発言する、と考えられるわけです。

さて、じゃあ、西郷が、どう言ったか、見てみましょう。


「土佐の諸君は、木戸大久保を助けて、政府の兵を率いて征鹿児島軍に投ずべし」


完璧じゃないですか!

これ、拒絶でしょ。完全なる。


もちろん、これを聞いた、林は、烈火のごとく、怒るわけです。

「なぜ、そのようなことを言うのか」

と、林は、言ったそうです。それに対して、西郷は、

「あなたの説くところ、理なきにあらざるも、しかし、わたしは今日に至っても、いまだ、土佐と結んで共に兵を挙げる意志を持つに至らない」

と、言ったそうです。そして、

「「木戸は、何とか名義を付し、討薩の軍を興さん」それを土佐派の存在がさまたげている。むしろ土佐派は、局外に立ったほうがいい」

「さすれば、木戸は討薩の軍を起こすだろう。自分はむしろ、それを待っている」

と言ったんだ、そうです。


これ、どう思いますか?

本気で、西郷がそう考えていると、思いますか?


むしろ、西郷は、本気で、土佐にそうすることを望んだんだと思います。


つまり、土佐が勝手に立ち上がることは、土佐派の滅亡だと、わかっていたんですよ、西郷は。

だから、まず、それを阻止すべく、

「俺、土佐嫌いだからさ」

と、言ったんですよ。こんなの本心じゃありません。西郷の演技ですよ。

このひと、個人的なことを、言うのが、最も嫌いなひとですよ。個人的なことで、ひとに迷惑をかけたくない信条の持ち主です。

こんな個人の感情で、一藩の意志にするわけないじゃないですか。


つまり、土佐を立ち上がらせないための、方便です。これは。


そして、

「土佐は、局外に立ち、討薩の軍が起きたら、それに合流しろ。私は待っている」

と、言うことで、完全に、

「俺は、土佐嫌いだもんね」

を完成させている。これは、完全に土佐コントロールのための、方便芝居じゃないですか。


まあ、昔書かれた文章だからって、何もかも信じちゃいけません。


みんな意図をもって、書いたりしているし、西郷だって、意図をもって、言葉を吐いている。


ほら、よく西郷を表す言葉で、勝海舟が、言った言葉で有名なのが、あるじゃないですか。

「西郷とは大きな太鼓みたいな人物だ。小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば、大きく響く」

これね、要は、小人物の言うことには、その程度で対応し、モノのよくわかっている大人物には、ちゃんと、それ相応の言葉を吐いていた、

という傍証じゃないですか。


だから、林程度の人間には、こういう、コントロール言葉を吐いていた、ということですよ。だって、時勢が見えていないじゃないですか、全然。

今の僕にだって、こんな簡単にわかるのに・・・ですよ。林が、いかに時勢眼がないか、だだわかりじゃないですか。

それをわかりもせずに、文章に残す、この広瀬為興というひとも、物事が何もわかっていないんじゃないですか?


まあ、このことについて、司馬氏は、先に示したような変な浅いこと書いているし、あんなの全然説明になっていないでしょう?

なにが、徹底して封建時代人だ?馬鹿じゃないの?ほんと浅はかだよねー。さらに、

「政治に含まれる多量の要素が感情であるとすれば、西郷も土佐を政治的に考える場合、言われるところの西郷の大度量は」

「その感情のために、蚤のように小さくなった、ということがいえるであろう」

だから、ゲロ脳だっつーんだよ!

ほんと、くそゲロ馬鹿だなあ!


政治を感情でやる、だと!馬鹿じゃないの。

感情を廃し冷徹に目標に向かって事態をすすめることこそ、政治だよ。

そんな基本的なことも、全然わかっていない。おまえに政治を語る資格なんかねーよ。このくそげろばか!が。


西郷は、大度量だからこそ、方便芝居をつかってでも、土佐を危機から回避させたんだよ。


それすら、わからない、おたんちんだな、おまえは。


まったく頭くるなー。ほんと、最低です。


さて、その後、土佐は、自前で政府転覆の策を持っていたようですが、お金がなくて、流れたようです。

ちょっとこの当たり、笑ってしまいますが、まあ、そういう状況じゃ、この林ってのも、絵に書いたもちを、材料にして話しているんだから、最初から、だめですよ。

西郷は、それも見越していたかもしれません。

大笑いですねー。

しっかし、この林程度の意見を、とらまえて、西郷ダメ論を提出している司馬氏も、相当あれですね。


ま、このあたり、陸奥宗光や、坂本龍馬の名前が踊ったりしているんですけど、まあ、今はいいですかね。

龍馬伝で、見ているから、つい、うれしくなりますが、あれは、あれ、これは、これです(笑)。


うーん、今日はこれくらいにしておきましょうか。


まあ、司馬氏は、坂本龍馬が、大政奉還を行ったことが、西郷の心象を著しく悪くしているとしているんですね。

まあ、龍馬の暗殺の黒幕には、いつものように、薩摩が挙げられますけど、僕は西郷や大久保は、人間の価値を知る人間だから、

そういうことはない、と思います。以前、それについて、論考したときは、西郷や大久保の憤慨を見た、西郷命の人間の価値のわからない

人間的レベルの低い人間が、黒幕だ、としましたけどね。


大村益次郎の暗殺指令を出した、有村俊斎あたりじゃ、ないかなあと、思いましたけど、そのあたりは、解答はでないんでね(笑)。


いずれにしろ、西郷は、大度量だからこそ、他人をも、他者勢力さえ、守ってやろうと、考えられるわけです。


ここらへん、履き違えると、司馬氏みたいになっちゃいますからね。気をつけたほうが、いいと思いますね。


さて、そんな当たりが今日の結論でしょうか。


今日も長くなりました。

ここまで、読んで頂いてありがとうございます。

また、次回、お会いしましょう!


ではでは。


第16章 気にいってもらえてとてもうれしい

2010年10月14日 | 先人の分析
おはようございます!

さて、木曜日の村上論考ですが、章が進み始めてだんだん楽しくなってきましたね。

というか、まあ、今回は、天吾くんストーリーということで、気の弱い男性向けストーリーなんですけど、

まあ、今までは、あんまり、自分向けじゃないなあ、と思いながら読んでいたんですが、

こう、昔の弱い自分を思い出せばいいのかな?と思いながら、読んだら、まあ、けっこう

楽しめたかな、ということで、まあ、そんな感じで、話していきたいと思います。


えー、天吾くんは、「空気さなぎ」のリライトも終え、凪のように平和な日々を手にしたそうです。


「日々は規則正しく滑らかに、こともなく流れていった。それこそがまさに天吾が求めている生活だった」

「ひとつの週が切れ目なく自動的に次の週へ結びついていくこと」


なんというか、平穏ということでしょうかね。僕は日々、文章をつむぐ、まあ、天吾くんと似たところもあるわけですけど、

毎日、論考シリーズや、お昼間カフェ、毎日のストーリーシリーズなどを書いていると、

「日々規則正しく滑らかに」

というのを実感しますね。

「あれ、さっきまで、書いていたと思ったのに・・・」

と、昨日書いた文章を思い出して・・・そして、先週書いた文章も思い出して・・・

「つながっているなあ・・・」

という感慨をよくもちますからね。やはり、似たようなことをしていると似たようなことを思うんでしょうね。


そして、天吾くんは、小説家として、生まれることを経験するわけです。

「自分の中に源泉のようなもにが生まれていることに気づいた」

ということで、

「そこから流れてくる水を手で掬い、文章の形にしていくだけだ」

と、小説家システムが、自分の中に出来上がったことに気づくわけです。


これね、村上さんの実体験を元にしていることが、ありありとわかります。

なぜなら、僕も、文章を書き、ストーリーを書いている経験から、同じ体験をしたからです。

ブログを綴っているうちに、いつの間にか、ずんどこ書ける源泉のようなものを見つけてしまった、というより、

身につけてしまったんです。書くシステムを。

だから、こんなに多作なんですね。さらに記事をひとつあげるのも、早いです。

だから、朝のちょっとした時間で、3つの記事を作っておける。2つの記事とひとつのストーリー。

それを毎日ですよ!(笑)。まあ、よくやりますねー(笑)。

まあ、自分が、そういう経験をしたから、この小説もそういう見方ができるようになったんですね。


そして、そういう「システム」を自分の中につくりあげた天吾くんは、意欲、というものが生じていることに思い当たったんですね。

子供の頃から、手にした覚えがないもの。何でも器用にこなすくせに、天吾くんに欠けていたもの。

「石にしがみついても」

という姿勢・・・これね、結局、自分の能力の意味を知ったから、自分の可能性を知ってはじめて出てくるものだと思うんです。

僕もまったく同じなんですね。

「ひとを押しのけてでも」

という意欲にかけていた。

「君が欲しいのなら、それあげるよ。僕はいい」

そんな自分でしたからね、アンポンタンの頃の僕は。

でも、今は違う。大人になった自分の能力の意味を知り、誰よりもうまく自分の能力を伸ばしたい、と考えているわけです。

だから、石にしがみついても・・・ひとを押しのけてでも・・・という言葉が出てくると思うんですね。

だから、天吾くんも、自分の能力を知ると同時に、自分の今の限界だったり、問題点が見えるようになったんでしょうね。

そして、深い無力感も感じる。

「空気さなぎ」

をリライトしたことで、自分の中にある文章を書くということに、特化し、小説を書き上げなければならないと、

はじめて、意欲が湧いたわけです。

そして、

「意欲がわく」

ということは、

「俺になら、できる」

と、自分で、自分に結論づけているということでもあるのです。


僕はアンポンタンの頃、ひとを押しのけるのが嫌いでした。

「そんなダサいことできるか」

と、考えていました。でも、これ、逃げなんですよね。

自分で、そういうポジションをとって、責任を、持つことから、逃げていたんです。

だから、自分に体の良い

「言い訳」

を作って、逃げこんでいたんですよ。

そんな人間に、神様がほほえむことは、絶対にない。

「何かを達成すべく、人を押しのけてでも、石にしがみついてでも、なにかのポジションを得て、徹底的にやりぬく」

これこそ、本当の意味をもつんです。

そういう人間にこそ、神様は、ほほえむ。

その地点に今立ったのが天吾くんだ、ということです。


5月になり、そういう天吾くんに、小松から電話が入ります。

もちろん、ふかえりの「空気さなぎ」が新人賞を受賞したことについてです。

そして、小松は、天吾くんに、ふかえりが、記者会見に対応できるよう、いろいろ教えてほしい、と頼むわけです。

さらに、小松は、その後のもろもろを処理するために、そして、もろもろの利益を分配するためにペーパーカンパニーをつくり、

天吾くんにも、そこに参加してくれと、頼むわけです。

でも、それについて、天吾くんは、次のような言葉を述べるんです。

「ねえ、小松さん、僕をそこから、はずしてくれませんか。報酬はいりません。「空気さなぎ」を書き直すのは楽しかった。そこからいろんなことが学べました」

「ふかえりが新人賞をとれてなによりだった。彼女が記者会見でうまくやれるように、できるだけ手筈を整えます。そこまでのことはなんとかやります」

「でも、そんなややこしい会社には関わりたくないんです。それじゃ完全な組織的な詐欺ですよ」

まあ、正論です。

天吾くんは、小説家としての「書くシステム」を体内に作り上げましたし、常識的に考えれば、早くこの仕事から足を洗い、自分の小説で金を稼ぐ生活を

早く始めるべきだ。でも、その「書くシステム」を創り上げたのは、「空気さなぎ」のリライトだったわけですから、ここは、仁義の問題になるわけですよ。


そして、もちろん、こんな反論を受け入れる小松でもないわけです。

「天吾くん、もう、後戻りはできないんだ」

と、言う言葉からはじめて、

「我々は、もう、一連託生だ」

ということを言うわけです。そして、最後に、こういう男なら一度は言われてみたい言葉を小松からもらうわけです。

「なあ、天吾くん、このいっとき、難しいことは考えるな。ただ流れのままに身を任せよう。こんなのって、一生の間にそう何度もあることじゃないぜ」

「華麗なるピカレスクロマンの世界だ。ひとつ腹をくくって、こってりとした悪の匂いを楽しもう。急流下りを楽しもう。そして滝の上から落ちるときは一緒に派手に落ちよう」

まあ、気弱な男は、ちょっとうれしい言葉ですね。まあ、気弱男性向けの施策って、やつですね、これも(笑)。


そして、天吾くんは、「ふかえり」と待ち合わせをして、記者会見への傾向と対策を練る・・・というか、予行演習をやるわけです。

そのとき、ふかえりは、胸のかたちがくっきりと出る薄い夏物のセーターを着ているんですね。

そして、いろいろな予行演習のあと、天吾くんは、気になっていたことを「ふかえり」に聞くわけです。

「僕が手をいれた「空気さなぎ」は、読んだ?」

「どうだった?」

と。

それに対して、「ふかえり」は、

「あなたはとてもうまくかく」

「わたしがかいたみたいだ」

と、答えるわけです。この言葉に、天吾くんは、

「それを聞いてうれしいよ」

と、喜びを伝えるわけです。これは、やはり、モノを書く人間としての根源的な喜びだと思います。

それを村上さんも知っているから、この章の題名が、

「気にいってもらえてとてもうれしい」

になっているわけです。この「ふかえり」とのやりとりが、この天吾くんの喜びが、この章の中心なんですね。


そして、「ふかえり」の胸の形が、美しいことが何度も描かれるわけです。天吾くんは、

「ひとつ個人的なお願いがあるんだ」

として、

「記者会見には、ぜひ、今日と同じ服装で来てくれ」

と頼むわけです。

まあ、

「記者たちは、ふかえりの胸にやられるだろう」

と、天吾くんは予想している、というわけで、ここらあたりは、イメージ的に、奥手男性を盛り上げているんでしょうね。

確かに、美しいボディラインというのは、異性に対する、最強の武器ですからね。

あれは、本能的にやられちゃいますから、何もできないわけですよ。ほんとに。

だから、美しいボディラインは、最強のおしゃれと・・・まあ、目力が、最強だっけ(笑)。まあ、そこらへんは、いいでしょう(笑)。

そして、ふかえりは、天吾くんの目を覗き込むんですけど、天吾くんは、赤くなるんですね。

天吾くんは、ふかえりを、女性として認識した、ということなんです。


そして、ふかえりを新宿駅まで送る天吾くんは、ふかえりと手をつないで、いるんですね。

以前は、感情は動かなかったはずなのに、今回は、

「彼女のように美しい少女に手を握られていると、天吾の胸は自然にときめいた」

となっちゃうわけです。ふかえりの女性性に目覚めてしまった天吾くんということですね。


天吾くんは、その帰り、紀伊国屋の近くのバーでジントニックを飲むんですね。そして、ふかえりのことを思い出すわけです。

握っていた手のこと・・・そして、おもしろいのは、こういう表現かな。

「それから彼女の胸の形を思い浮かべた。きれいな形の胸だった。あまりにも端正で美しいのでそこからは性的な意味すらほとんど失われてしまっている」

だそうで。でも、それは、奥手男性に、

「少女の胸のことを考えても、いいんですよ。だって、性的な意味は、失われているんだから」

と、パスポートを渡しているに過ぎないんですね。なぜなら、天吾くんは、これを考えた後、すぐに、例の年上のガールフレンドとセックスがしたくなるわけですから。

まあ、ふかえりの女性性に目覚めてしまって、実際、手を握っていたわけですから、そうなるのは、男性として当たり前です。

もちろん、大切にしたい少女だから、性的に見たくないという感情に配慮した表現なんですけどね。

さて、そんな天吾くんですけど、年上のガールフレンドに電話をかけるわけにはいかないわけです。旦那が出たら困りますからね。

それで仕方なく、小松のことを思ったりするわけです。もちろん、これからの不安をぼぅっと思いながら。


天吾くんは、家に帰って眠りにつくと、自分が巨大なパズルの1ピースになった夢をみるわけです。周りはきっちりとはまっているのに、

彼だけが常に形を変えている。彼のまわりで、いろいろなことが起こり、最後にふかえりが、

「これでおしまい」

と言うと、

「時間がぴたりと止まり、世界はそこで終結した。地球はゆっくりと回転を止め、すべての音と光が消滅した」

とされるわけです。

エヴァ的終結。宗教的世界で、語られる終末がそこに語られるわけです。

そして、物事は進み始めたんです。

「前にいるすべての生き物を片端から轢き殺していく、インド神話の巨大な車のように」


最後のところ、非常に、神話的宗教的世界の終結とはじまり、なんですね。

それは、ふかえりの作家としてのはじまりでもあり、天吾くんの作家としてのはじまりであり、小松のペーパーカンパニーのはじまりであり、

天吾くんのふかえりへの思慕のはじまりでも、あるんです。


そして、天吾くんが、青豆さんと同じことをしていることに気がつくんですね。報酬を拒否しているんです。

青豆さんは、純粋なら何をしてもいいわけではない・・・そのために報酬というシステムが必要だとされたんですね。

それに対して、天吾くんも、純粋に、「空気さなぎ」のリライトがしたかったから、いや、面倒にまきこまれたくないから、報酬を拒否した。

それに対して、小松は、

「もう、後戻りはできない」

と、言い、さらに

「子供の遊びじゃないんだ」

と、言っている。つまり、

「大人として責任をとれ」

と言っているわけです。青豆さんも、あの報酬は、責任なんでしょうね。だから、二人は酷似した環境にいる、ということになるんですね。

それが、二人をつなぐ環境なのか。そのあたりも、これから、楽しみにしていきたいですね。


いずれにしろ、今回は、はじまりが、語られた。

いろいろなはじまりが、そこには、ありましたね。

そして、その中心にあったのが、

「気にいってもらえてとてもうれしい」

という、気持ちのやりあいだったんですね。これが、すべてのはじまりを引き起こしていたとも、言えるわけです。


まあ、少女に自分の仕事を気にいってもらえて、ほめてもらったら、奥手男性は、天にも、登る気持ちだと思いますからね。

いずれにせよ、すべてのことが、はじまっていく、本章となりました。

これが、結論かな。


これから、どんなストーリーが編まれるのか、それを楽しみに、今日は、このあたりにしましょう。


今日も長くなりました。

ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました!

また、次回、お会いしましょう!


ではでは。



相当やばくなっている薩軍!(真の国際人とは!)

2010年10月12日 | 先人の分析
おはようございます!

えー、三連休明け、ということで、まあ、雨も初日だけでしたからね。

昨日は、運動会!なんてところもあって、なんだか、楽しい秋の快晴な日でしたねー。

まあ、論考シリーズですが、一週間の間に、いろいろやっているんですが、結局、ここが原点な感じですね。

ホームグラウンドみたいな感じで、ゆるやかな感じで、論考ができます(笑)。


さて、「翔ぶが如く」ですが、文庫本の八巻も、だいぶ終りに近づいてきました。

まあ、全十巻なんですが、ここまでの感じで言うと、

「薩軍って、最初は、なんだか、すごそうだったけど、政府軍が本格参戦したら、だんだんイマイチになってきたね」

という感じでしょうか。まあ、ここからの粘りが驚異的なんですけどね。


そんな感じで、今日も見ていきましょう。


さて、前回、薩軍は、熊本城を攻めながら、来襲する政府軍を撃退する、という西郷指導の方針を堅持することを決めた、

ということを話しました。また、戦場近くで、一揆が頻発し、打倒明治政府!の考えが広く農民に支持されていることも、

話しました。ま、それゆえ、薩摩士族削除がさらに必要だ!と西郷は考えただろうということにも、触れました。


政府軍からすれば、膿が出きった状態、というのでしょうか。


対策すべき、悪い部分が、自分から現れてくれた、そんな感じが、あるんじゃないでしょうか。


確かに、農民側からすれば、搾取政府なわけですけど、やはり時代の要請の上に成り立っている政府というのは、否めないと思うんです。

確かに農民個人的に見れば、お金をとられるわけですからね。だから、彼らなりの正義がある。

このあたりは、薩軍と非常に意志が近いわけです。だから、共闘できるわけです。


ただ、政府側にも、もちろん、彼らなりの正義がある。


ここにきて、言えるのは、その正義が、時代の要請にあっているか、どうか、ということが問題になる!ということなんですね。

正義そのものは、どれも同価値だと思います。

でも、勝ち残る正義というのは、時代の要請に合うものだ、ということになってくるわけです。

つまり、その正義を支持する人間の大小で、勝ち残るか、滅びていくのかが、決まる。

ただ、全てのひとが、自分の正義のために、生きていることに、変わりはないんですよ。

というより、時代を見て、自分の正義を変えるような人間を、日本人は、

「勝ち馬に乗る」

と言って、蔑んだんです。そして、それをなんとも思わないのが、この司馬遼太郎という人間なんですね。


僕はここに出てきた農民達や、もちろん、薩軍の人間達は、自分の正義のために、自分の一生を賭けた人間として、

非常に尊く感じます。それに対して、勝ち馬に乗ることにのみ、価値をみつけ、彼らを馬鹿にして、

この文章を書いた、司馬氏が、いかに、恥ずかしい人間か、蔑みの対象か、だだわかりになっているじゃ、ありませんか。


歴史を書く事を、生きる糧としながら、それをあげつらい、馬鹿にする。

その行動がいかに、蔑みの対象になるか。

ほんと、最低の行為だと思います。


さて、話を、明治十年に戻しましょう。

政府軍に敗れた薩軍ですが、その中にある熊本共同隊は、ルソー信者の集まりだったりするわけです。

いわゆる民権論者の集まりなわけです。

「人には基本的人権があり、その考えを元にした、政治をやるべきだ」

というのが、彼らの考えなわけです。そういう世を作るために彼らは戦っているわけです。


非常にわかりやすいんですね。


その彼らが当然考えたのが、

「占領地を、民権の地にしよう!」

ということなんですね。実際にやってみようじゃないか、それをテストケースにして、徐々に広げていこうというのが、

彼らの考えなわけです。そして、彼らが占領している、山鹿という地を、その

「民権の天地」

にしようと、画策するわけです。

熊本共同隊で、その名を知られた、野満長太郎を、山鹿の民政官にすべく、宮崎八郎は、西郷を説いたと言われています。

そのとき、西郷が、どう応諾したのか、わからないのですが、この野満さんの兄弟が、緒戦で、薩摩隼人すべてが認める勇敢な戦死をしていたので、

「いんじゃね?」

ということになったようです。

薩軍にあっては、勇気が価値なんですね。


さて、野満さんは、山鹿に赴任すると、民権体制をさっそく作り、山鹿の人々を集め、民権の本旨を説いたそうです。

そして、

「人民総代」

というのを普通選挙のやりかたで、選んだんだ、そうです。

いやあ、非常に進んだ、やり方です。治安維持のための

「人民保護隊」

というものまで、作ったらしいですから、現在の我々の政治体制に非常に近いわけです。

こういう辺りを見抜いている熊本共同隊のすばらしさというのが、出てますねー。

まあ、当時、日本で一番進んでいる政治の場所が、この山鹿という場所だったということになるわけですねー。

こういうことをするために、戦っていた、熊本共同隊に、やはり正義の意味を感じられますね。

まあ、アンポンタンの集まりだと論考したこともありますが、やはり、正義は、あるわけです(笑)。


まあ、しかし、全てがよかったわけでないんですね。

この時期、熊本共同隊は、3、400人にまで、増えていたそうです。当初は、40人くらいのものでしたからね。

それは、この軍隊が、民権軍だったからで、士族軍のように、身分の上下がなかった。

というわけで、いろいろな種類の人間が、入り込んで・・・まあ、土地のならず者なんかも、相当入り込んでいたらしいですね。

というわけで、軍資金調達のために、軍事占領地の戸長、副戸長(税金を農民から取る役のひと)のところにおしかけ、彼らを惨殺し、

その保管金を奪ったりしたそうで、まあ、けっこう、やっていることは、むちゃくちゃなわけですねー。

まあ、彼らからすれば、戸長などは、盗賊政府そのもの、みたいな感がありますからね。彼らの正義の元、惨殺が行われちゃうわけです。

戦後、このことが、問題視され、捕らえられた熊本共同隊士が、懲役を受けているようですから、

政府軍側は、粛々と後処理をしているんですね。まあ、民権と言っても、そういうあたり、まだまだ、意識は、未成熟だった、ということでしょうね。

まあ、でも、明治十年という早い時期に、民権によって、治められた地があったということは、日本の政治史にとって、特筆すべきことだと思いますね。

日本人の物を見る目の確かさが、ここに現れていると思います。


さて、「翔ぶが如く」も、とうとう九巻に入ります。


さて、薩軍は、まあ、

「やばいな」

と、そろそろ気がつき始めているわけです。高瀬の戦いで、士卒達は、それは勇敢に戦った。それは満足すべき点でしたが、

戦略的には敗北だったわけです。勇敢に戦おうとした薩軍と、戦略的に立ちまわる政府軍とでは、価値観が違うんですよね。

勝つことに特化する政府軍と、勇敢を最大価値とする薩軍とでは、どうしても、政府軍に勝ちがいっちゃうわけです。

これは、もう、自動的にそうなると、言ってもいいんじゃないんでしょうか?

つまり、二つの軍隊が戦った場合、それぞれの持っている価値観によって、現実が動くということですよね。


これ、第二次世界大戦時の、アメリカ対日本の戦いにおいても、そういう場面がたくさんあったんだと思います。

「カミカゼアタック」

なんて、欧米の人間には、理解できないでしょう。

でも、日本人は、理解できる。

まあ、以前、マイケルサンデルの「これからの正義の話をしよう」を論考した際に、欧米人は、日本人には当然ある価値観を、欠いている。

価値観の醸造が遅い、としました。それは、まるで、前々世紀の人間と、現代の人間が話すようなもんだと思いました。

そのときは、彼らに卑怯という価値観がないことを指摘しましたが、カミカゼアタックも、武士道にある、無償の行為から、出ています。

「家族と国を守るために、自らを捨てる」

これが、日本では、至高の価値です。


しかし、欧米では、

「死んだら終りやん」

ですからね。価値の醸造が、遅いだけなんですよ。彼らの社会は。

ま、遅れているんですよ。彼らは。そういうことをきちんと理解しないといけませんね。


そういう軍隊同士が、戦ったんですから、欧米は戦いに勝ったかもしれないが、日本人のものすごさ、というのは、全世界に響き渡ったんです。

腰抜けの米国兵士と、サムライである日本兵士。

彼らがあの戦争で、戦ってくれたおかげで、今の日本人が、いい感情で見られている、ということは、多々あると思いますよ。


今、フランスで活躍する、日本人サイクルロードレーサー、新城幸也選手は、昨年のツールで、カメラで抜かれて

「バンザイ!カミカゼ!」

などと、言われていましたからね。まあ、新城幸也選手は、それに続けて、

「ハラキリ!」

と、言ってましたが、これ、全部、第二次世界大戦で、日本が有名にした言葉でしょ。


その気高きサムライ精神を、全世界が認めているんですよ。


そして、フランスでは、新城幸也選手について、

「サムライが来た」

と、絶賛されているわけです。


まあ、いろいろつながっている、ということでしょうね。


さて、話を元に戻しましょう。

薩軍は、やばいと思い始めた証拠に、各地に決起をうながす、手紙をしきりに出し始めているんですね。

また、西郷の密使というのも、どうも、存在したらしい。

岡山県の勝田郡北部の郡長をしていた安達清一郎というひとのところに、それがあったらしいんですが、どうなんでしょうね。

まあ、このひと、幕末は、因州鳥取藩(池田家35万5千石)の京都留守居役だったそうで、あの竜馬と、

「日本から貧乏を追いだそう」

と、語り合い、竜馬は、貿易を、清一郎は、開拓を論じたんだそうです。なんだか、すごいですね。

それで、このひとは、維新後、北海道開拓の職に任じているわけです。後年、開拓次官としてきた黒田清隆と意見があわずに辞職したり

していますが、西郷は、北海道開拓を重要事項として考えていましたから、この安達氏のことは、よく覚えていたはずなんですね。


その安達に、西郷から、密使が?

このひと、確かに、元留守居役でしたから、薩長の士とは、同格意識は、あったでしょう。

さらに、薩長だけに壟断されている政府に対して、不満があったことは、事実なんじゃないでしょうか。

だって、今、彼は、郡長程度なわけですから、まあ、自然、我が身を比較するでしょうからね。

そこへ、西郷の決起なわけですけれど・・・西郷が、こういう実直に生きていこうとしている人間に、迷惑をかけるだろうか、とまず考えちゃうんですね。


西郷の目的は、ただひとつ、薩摩士族削除です。


その目的に合致しないじゃないですか。

負けるように負けるように仕向けているんですよ。

そんなところに、かつて、知っていた程度の、人間だとしても、呼びこむはずがないんですよね。


西郷の立場に立って、考えてみれば。


実際、この安達さんは、その西郷の決起に誘われたという話を聞いて仰天した彼の上司、高崎五六、幕末の志士、薩摩藩高崎猪太郎

に膝詰めで、説得されて、やめているわけです。まあ、この高崎さんは、大久保に入魂していた、らしいので、それは、当然なんですけど、

その程度の気持ちしかない、人間を誘うというのは、どういうことか、考えると、


これ、二つのことが、わかるわけです。


つまり、この密使は、西郷が放ったものでなく、幕末、志士活動をしていた、薩軍の人間が、放った者である、ということ。

そして、そんな程度の人間にまで、頼るようになっていた、薩軍の窮状です。


まあ、密使を放ったのは、いろいろ気を回すことのできる、鹿児島県令、大山綱良あたりじゃないですかね。

桐野などの薩軍の将領達は、決して、薩軍の窮状を認めないでしょうからね。

つまり、薩軍の窮状を素直に、認めることができて、さらに、幕末、志士活動をしていた、人間に絞られちゃうわけですよ。

まあ、桐野あたりが、薩軍の窮状を素直に認めているとしたら、さらにひどい状況だった、ということになるわけですけどね。


いずれにしろ、西郷の手によるものとは、思えませんね。

ま、いずれにしろ、薩軍が、やばくなっている、証拠ということになりますねー。

それが、今日の結論でしょうか。


いやあ、なんだか、いろいろなところに、話が飛びましたが、価値観というのは、そのひとの正義を決めるものでもあるんで、

これは、大切なものですよね。それが、遅れている欧米人と、進んでいる日本人では、そりゃ、戦争にもなりますって(笑)。

まあ、そのあたり、違いというものをまず、お互い知ることから、はじめるのが、欧米人とのつきあい方だと思います。


真の国際人とは、日本人というものをよく知りながら、欧米人との違いを意識できる人間だと、思いますね。


こっちが、本当の結論か?

まあ、いろいろ結論が出てくるのは、いいことです。それが論考のおもしろさですからね。


さて、今日も長くなりました。

ここまで、読んで頂いたみなさん、ありがとうございました。

また、次回、お会いしましょう!


ではでは。