蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

思い思いの夏

2013年07月21日 | 季節の便り・虫篇

 岩を割り裂く勢いでセミが鳴く。「蝉しぐれ」というには、あまりにも烈しく、土砂降りのクマゼミの合唱だった。

 早朝、朝飯前に参院選の投票に走った。気持ちの高揚など皆無の、そして支持政党も支持候補者もいない苛立ちの朝である。そういえばこの小さな団地で、候補者の声を一度も聞かなかった。
 一党独裁のリスクが日々高まる中で、せめて牽制し拮抗する第二党の復活を期待しながら、貴重な一票を投じた。参政権を辛うじて堅持し、自分の意見を反映するには、この一票しかない。若者を中心に、多分半数以上の国民が、その一票さえ行使しないのだろう。
 朝の投票所には、お年寄りの姿ばかりが目立った。その醒めきった隙間に、右傾化する与党が不気味に触手を拡げつつある。

 せめて空しさを洗い清めたくて、観世音寺に足を伸ばした。朝の散策を楽しむ人たちと「おはようございます」と声を交わしながら、境内を囲む杜を抜ける。
 高い木立から、土砂降りの蝉の声が降る。叩きつけるように降り注ぐ。傍らのコスモス畑には、早くもたくさんの花が開いていた。あれ?「秋桜」と書くのに、と思いながら、連日の暑さに倦んだ目に、優しいピンクが嬉しい。
 朝の静謐に浸りながらお賽銭をあげ、合掌して、自宅静養中の家内の回復を祈る。隣りの戒壇院にも手を合わせ、束の間の散策を終えて、クゥと鳴るおなかを宥めながら走り戻った。

 早くも日差しは苛烈さを増し、今日も34度を超える酷暑が予報されている。あと半月余りで暦の上の立秋を迎えるが、容赦ない烈日に衰えの気配はない。
 例年になく早い梅雨明けで夏が長い。果てしなく長く感じられるのは、決して加齢のせいだけでもあるまい。……と負け惜しみを言いながら、今日もしとど汗にまみれるのだろう。
 一昨日、6時に起きて気になっていた庭の草毟りに2時間を掛けた。入梅以来の草が生い茂り、梅雨明けしても突然の暑さの殴り込みに怯んで放置していた。汗をかくのも身体の学習期間が要る。学ばないうちに襲い掛かった暑さについて行けずに、全国で熱中症が拡大した。
 漸く身体に馴染み感が出てきて、庭の手入れに取り掛かった。一本一本引き抜くなんてまどろっこしい。スクレーパーで根こそぎに削り取っていく。連日の照りつけに固まった土をホースの水で和らげ、陣取りゲームのように端から削っていく。
 そのまま一日放置して乾燥させ、日差しが陰った夕暮れに掃き寄せ、篩にかけて乾ききった草だけをごみ袋に回収する。見違えるように綺麗になった庭に散水しながら自己満足に浸る。温度計を見ながら耐えるだけの汗よりも、思い切り身体を動かして豪快にかく汗は心地よい。
 こうして、ようやく身体に夏のリズムが還ってきた。

 夜毎の命誕生のドラマは、まだ続いている。葉先にしがみつく抜け殻は、もう40個を超えた。
 微笑ましい光景がある。前の夜に羽化した抜け殻にしがみついて翌日もう一匹が羽化し、翌々日に又その上で次の一匹が団子のように重なって羽化したり、一つの枝先でそれぞれ違う方向を見ながら、3個が飄然と風に吹かれて思い思いの夏を見詰めていたり……枝は無数にあるのに、何故か一つの枝に群がることが多い。先に歩いた痕跡が何かあるのか、たまたま登りやすいコースなのか、そんなに「おしくらまんじゅう」しなくてもよさそうなものなのに、と可笑しくなる。
 蝉には蝉の事情があるのだろう……。真っ盛りの夏である。
                   (2013年7月:写真:思い思いの抜け殻)