蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

夏への扉

2013年07月08日 | 季節の便り・虫篇

 6月30日、アブラゼミの初鳴きを聴いた日の朝、我が家の庭の八朔の枝に、今年初めて脱皮したセミの抜け殻がとまった。
 7月3日、石穴神社の杜で昨年より4日遅れてヒグラシが初鳴きを聴かせた。薄明の5時頃には、明けやらぬ梅雨の雨音が束の間途絶えた中に、涼やかな声を送ってくる。日増しにその数は増えた。
 7月8日、いつの間にか抜け殻が7つに増えて、その傍らに動かない雌のヒグラシの姿があった。カメラを向けてシャッターを押した瞬間、声もなく朝の空気を切って飛び立っていった。

 ……もう3度目である。すっかりお馴染みになった待合室で、外の屋上庭園の木立を揺する風を見ていた。7月2日13時40分、手を振りながら歩いて手術室に入っていくのを見送りながら、やっぱり落ち着かない気持ちに追い込まれていった。
 直前に「簡単な腹部瘢痕修復手術ですから、心配いりません」と言う傍ら、麻酔中の心停止などとあらゆる可能性を克明に説明されると、心配しない方がおかしい。万一の場合の事故の際の医療過誤の訴えを恐れるのか、たとえ10万分の一でも可能性があれば、患者と家族に説明するのが決まりらしく、説明は克明を極める。
 「99%聞き流していいんだからね」と言い聞かせながら、不安を鎮める自分自身が落ち着かない。
 「術法は、開けた状態で3つの選択肢があります」冷静に聴こうと努めた。

 ……刻々と時が過ぎる。手術室の入口に掲げられた時計の運針が、いつになく遅く感じられて、片手の文庫本を開く気にもなれず、足を組んでは伸ばし、腕を拱いてはほどき、時折吐息をつきながら空調の音を聴いていた。
 後から待合室にはいった3組の家族が、次々に「終わりましたよ」と呼び出され、そそくさと部屋から消えていく。15時半を過ぎると、とうとう一人ぼっちの待合室になった。
 これまでは、いつも長女が横浜から駆けつけて一緒にいてくれた。それがどれほど心強かったかを、今更のように痛感していた。
 木立が揺れる。烈風が吹き抜ける。外は嵐の前のような不穏な様相である。

 ……16時15分。ようやく待合室のアコーデオン扉が開いた。「終わりましたよ。説明しますか ら、こちらへどうぞ」と若い執刀医が呼びに来た。膝頭がカクンと折れるような安堵感に、一瞬立ち上がれなかった。
 現代医学の凄まじいまでの術法に圧倒されながら説明を聴いた。じわっと湧いてくる安堵感に包まれながら聞き漏らすことがないように、身を乗り出して聴いた。頭から血が引きそうな術法に耳を塞ぎたい思いだが、シッカリ聴いて、遠くで気を揉んでいる娘たちに詳しく報告する責任が私にはある。
 30分後、麻酔から覚めてベッドのまま運ばれてきた。「お帰り!」掛ける言葉は一つだった。

 回復期にはいった個室に通う。季節は乱調、関東甲信地方が15日も早く梅雨明けして連日の猛暑が続き、搬送される熱中症患者がうなぎ上りに増え続ける。取り残された西日本は梅雨末期の豪雨が続いた。
 そんな豪雨の中でも、泥まみれになりながら地中から這い上がり脱皮して、ヒグラシが誕生する。命の再生のドラマが、しばらくこの庭で繰り広げられる。例年になく嬉しい命の輝きだった。

 昨日の激しい雷雨が嘘のように、苛烈な日差しが叩きつける朝だった。梅雨明けも指呼の間、今日の予報は34度とある。過激に「夏への扉」が開こうとしていた。我が家にはジンジャーエールが好きな猫はいないけれども、明るく開く夏への、渇望にも似た想いがある。

           (2013年7月:写真:ヒグラシの誕生)

「夏への扉」:ロバート・A・ハインラインのタイムトラベルSFラブストーリー。

 我が家では家族全員の愛読書だった。その中に、ジンジャーエールを好む「ピート」という名のユニークな猫が登場する。主役を食ってしまう重要な存在である。
 和室の障子の一番下を1枚切り取り、そこに「夏への扉」というシールを貼った。当時飼っていた愛猫の、外への出入り口である。

(ブログを書き終えるのを待っていたかのように、九州地方の梅雨明け宣言が告げられた。油照りの熱波の中でアブラゼミがジリジリと鳴いて、本格的な「夏への扉」が開いた。)