蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

怪奇?月食

2014年10月08日 | 季節の便り・旅篇


 2年半振りの東京だった。あの日、平成中村座3月公演、場所を間違えて浅草寺から小雨の中をひた走ってようやく舞台に間に合って……それが、中村勘三郎を観た最後だった。

 「十七世中村勘三郎二十七回忌・十八世中村勘三郎三回忌追善十月大歌舞伎」
 発売の日に2台の電話を架け続けて、ようやくチケットを手に入れた。月曜日に上京してその日に夜の部を観て、翌日3年振りの歌舞伎座という横浜の娘も呼んで昼の部を観て、一緒に夕飯を摂ってもう1泊……マイレージの特典航空券の手配も済んで……そこに、無情の台風18号が容赦なく北上してきた。
 土曜日、急遽上京を繰り上げようとANAに電話を入れた。しかし、既に切り替えの許容期間を過ぎている。「もし、今日の午後か明日の朝、月曜日に台風の影響が避けられないという結論が出れば、明日のチケットに切り替えが可能になります」という。最悪の場合、日曜日に新幹線で走る代案も心づもりした。
 夕刻、再度ANAに電話を入れた。「月曜日、羽田空港閉鎖の可能性が出てきましたので、明日への切り替え大丈夫ですよ」勿論、即刻切り替えた。移動の困難を考えて、品川に取っていた宿をキャンセルし、東銀座に3連泊で宿を取った。歌舞伎座まで徒歩5分とある。暴風雨下でも、5分なら何とかなるだろう。
 娘からのメールには「土砂降りです。明後日、私も出社が危うい。都心は雨に弱いので、ほぼ地下鉄全線停まります。…明日の夜なら、孫達二人連れてけそうです。…晩御飯でも一緒にぜひ。…とにかく羽田に着いてください。フライト情報見ながら、13時には羽田に行ってようと思います。飛行機着いたら連絡ください。手荷物持っての移動はしろしかよ、今日は。銀座までお送りします」(注「しろしい」博多弁。憂欝、鬱陶しい。雨降りで鬱陶しく惨めな時に「しろしかね」などと使う。人間に使うこともある。「あの人、しろしかろうが」など)
 日曜日、曇天・微風の福岡空港を飛び立った。台風は九州の南に迫り、既に宮崎便は欠航となっていた。散々揺られながら降り立った東京は、台風外縁の雨雲で激しい雨の中だった。横浜から迎えて銀座まで送ってくれた、娘の心遣いがありがたかった。

 夕刻、急激に気温を下げた肌寒い雨の中を、孫たちがそれぞれホテルまで駆けつけてくれた。娘の提案で、ホテルの中のメインダイニングでフレンチのビストロでディナーを楽しんだ。フランス資本の世界的なチェーン・ホテルで、宿泊客も殆ど外人である。何となく海外旅行気分で、豪快な中高生の孫姉妹の食欲と仲の良さに目を細めながら、近付く台風を忘れていた。

 台風は一気に関東を走り抜けた。閉じこもったホテルの部屋でニュースを見ながら、ずぶ濡れを覚悟しているうちに、昼過ぎから一気に晴れて気温が急上昇し、汗ばむ陽気となった。人騒がせな一日だった。

 昼の部。「菅原伝授手習鑑・寺子屋」、「道行初音旅・吉野山」、「鰯賣戀曳網」
 並び席が取れずに、3階席で家内とはバラバラになった。横に指南役がいないと、何となく掛け声も引き気味で暫く遠慮していた。渋いいい声を聞かせてもらうのも、他流試合の醍醐味である。しかし、天候のせいか歌舞伎座には珍しく空席が目立ち、掛け声もいまひとつ冴えない。とうとう我慢できなくなって、松王丸・片岡仁左衛門登場の場面から「松嶋屋!」と声を掛け始めると、もう止まらなかった。

 翌日、娘と3人で昼の部を観た。奮発して1階席の花道そばだった。「新版歌祭文・野崎村」、「近江のお兼、三社祭」、「伊勢音頭恋寝刃」。(歌舞伎を論じるのは家内の分野であり、多くは語らない。家内のブログ「歌舞伎観たまま思うまま」にいずれ登場することだろう。)
 台風に振り回された歌舞伎座観劇は、その夜の歌舞伎座隣りの松竹本社ビル2階の「台湾しゃぶしゃぶ」で閉じた。娘の奢りだった。
 思えば25年前、フィリピン留学中の次女を訪ねる途上、東京の長女と台湾で落ち合い、次女もフィリピンから迎えに来て、4人で故宮博物院を訪ねた。これが、私達夫婦の海外旅行の始まりだった。そして、今年この日から九州国立博物館で特別展「故宮博物院展」が始まる。不思議な因縁の「台湾しゃぶしゃぶ」の夕べとなった。

 帰り着いて日が落ちると、石穴稲荷の山影から欠け始めた月が昇った。皆既月食の始まりだった。波乱の観劇旅行に疲れた目に、赤黒い月の姿はむしろ怪奇に映った。久し振りに三脚を伸ばし、300ミリの望遠で怪奇?月食を写し撮ってみた。
                   (2014年10月:写真:皆既月食直前の月影)

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