
春の雨が秋月城址の桜を優しく叩いていた。3月晦日に近い日、咲き始めたまだ若い花びらは雨に負けることもなく、シッカリと満開に向けて準備を進めている。
束の間の寄り道で春を確かめ、ためらいながらもやっぱり予定通り山に向かうことにした。山屋の中川夫妻から届いた「マンサクの花を見に行こうよ」という誘いは、拒みがたい魅惑だった。
豊後中村から十三曲がりを駆け上がる頃には雨も上がった。車の窓から吹き込む山の冷気はビックリするほどにまだ鋭い。首をすくめながら窓を閉じ、足もとから吹き上げる暖気の中に逃げ込んで大将軍まで駆け上がったとき、思いがけない景色が眼前に拡がった。
飯田高原・長者原。鉛色の空の下、雄渾な三俣山、噴気を吹き上げる硫黄山、そして大きく裾を拡げる星生山に連なるお馴染みの峰々が真っ白に化粧しているではないか。下界の雨をもたらした戻り寒波が、山に季節外れの雪を呼び戻した。そればかりではない。夜来の冷気と風が木々の梢にびっしりと霧氷の花を咲かせているのだ。長年憧れながら冬山に縁がなく、初めて出会った霧氷だった。しかもよく見ると、三俣山の斜面の真っ白な霧氷の中に無数の黄色い花が潜んでいる。今真っ盛りのマンサクが霧氷仁包まれて、思いがけない早春と晩冬の競演を繰り広げているのだった。
霧氷の中に身を置いて、風に鳴る音を聴きたくなった。牧の戸峠に車を置いて、沓掛山の斜面を登った。外気温2度、吹く風はカミソリのように鋭く、呼吸するたびに胸の奥に冷たい刃を突き刺す。氷を呑むようなその透明な緊張感は、むしろ快感だった。冬枯れのススキや灌木の梢の先に2センチほどの「海老のしっぽ」が同じ向きに育ち、風の呼吸に身を任せている。この季節に長くはもたない霧氷。多分、やがて雲が切れそうな気配、日差しが戻ればあっという間に消えていくのだろう。
一夜明けたKヒュッテの庭先に、僅かに雪を置いたアセビが小さな壺状の花をみっしりと開いていた。葉に毒を持ち、馬を痺れさせるから「馬酔木」と書く。しかし、可憐に早春を演出する花房は、むしろ馬を恍惚と酔わせる花と思いたいほどに優しい花である。
日差しが暖かく戻り、気まぐれに振り向いた冬が見せてくれた霧氷の饗宴はもうなかった。
(2004年3月:写真:アセビ)
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