蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

至福のひとときー追想のバリ・その4ー

2005年06月10日 | 季節の便り・旅篇

 芳醇な香りと、とろけるよう滑らかな感触に、目が潤むほどの陶酔があった。鼻先までは異臭といっていいほどに強烈な匂いがありながら、口に入れたとたんに甘く濃密な香りが膨らむ。唇を境にこれほど劇的に味わいを変える食べ物を私は他に知らない。
 ガイドブックにこんな表現があって、思わず笑ってしまった。「プロパンガスの栓を開けっ放しにした部屋にクサヤを置き、それに腐ったニラのエキスを振りかけた感じ…」それではあまりに果物の王・ドリアンに失礼というものだろう。
 かつてバンコクの水上マーケットで初めてドリアンに出会った。チャオオプラヤ河(メナム河)の小さな支流に、笹舟を大きくしたような鋭角の舳先を持つ水上タクシーで滑り込むと、たくさんの小舟が果物や土産物などを山積みして寄ってくる。色々な果物が日本の感覚ではタダ同然の安い値段の中で、ひとりドリアンだけは3000円ほどの高値が付いていた。折角ここまで来て幻の「果物の王様」から目を背けては罰が当たる。
 喩えようのない不思議な匂いだった。仲間の多くは、その匂いだけで吐きそうな顔になり、とうとう最後まで手を出せなかった。その強烈な匂い故に、ホテルやレストランは持ち込み禁止であるし。勿論お土産に航空機に持ち込むなどもってのほか。屋外で食べる機会がない限り決してお目に掛かれない幻の逸品なのだ。
 棘だらけの外皮の中から黄色いネットリとした果肉が現れる。それを指で掬い取るようにして口に運ぶと、一瞬にしてこの世にない絶妙の味わいが広がった…以来病みつきとなって、再会の機会をひたすら待つことになる。強烈なバンコクの思い出のひとつである。
 
 二度目のバリの大きな目的は「ドリアン再見」にあった。その為の季節を選んだ。ボロブドゥール、プランバナンの日帰りツアーだけで、あとは一切フリーという願ってもないプランを見付けて申し込んだ。「2名以上催行」という条件が意外な幸運をもたらすことになる。オフを狙ったのが奏功したのだろう、何と参加者は私達だけとなり、個人ツアーに等しい好き勝手な贅沢をさせて貰うことになったのだ。これが結果としてドリアンを呼び込むことになる。
 再び最古の仏教遺跡・ボロブドゥールを訪ね、プランバナンの遺跡を存分に歩いた。最大の規模を誇るヒンズー教寺院ロロ・ジョングランのシバ堂を中心とするビシュヌ堂やブラフマー堂等の聖堂はまだ数多くの瓦礫に囲まれ、年々ひとつずつ再建が進められている。その周辺にチャンディ・カラサン、チャンディ・サリ、チャンディ・セウ、チャンディ・プラオサン等の仏教寺院が点在し、ヒンズー教と仏教のチャンディ群を短時間で鑑賞することが出来る。ボロブドゥールの圧倒的迫力とはひと味違った、美しい観光スポットである。
 バリに帰り着けば再び無為の至福の時が待っていた。そんな一日、ガイドに無理を言って、前回訪ね損ねたバリ・ヒンズーの総本山であるベサキ寺院に走ってもらうことにした。バリ島最高峰の聖なる山アグン山の中腹の斜面に階段を連ねて、伽藍が立つ。割れ門をくぐり、数々の塔や石像の表情に触れて歩いた。ガイドがバリの正装で現れたのに驚いたが、これがここでの規則、「聖なる場所」を訪れる常識なのだ。観光客も肌を大きく露出することは許されない。ノースリーブ、ショートパンツは当然御法度。先年娘が訪れたときはバリの衣装を借りたそうだが、今回は腰に色鮮やかな布帯を巻くことで拝観を許された。これも観光地バリのひとつの変化と思うと、一抹の寂しさがある。
 殆ど毎日、バリの何処かの寺院で祭があるが、この日のベサキ寺院も正装に着飾ったたくさんの人々が捧げ物を抱いて列をなしていた。寺院のここかしこから、竹で作った素朴な風琴がカラカラと乾いた音を響かせる。雲に包まれたアグン山の山頂から吹き下ろす風に、風琴の響きが一段と冴えた。
 その帰路の道端にドリアンの売り子を見付けた。思わず駆け寄ろうとするのをガイドが引き止めた。「観光客と見たら高い値が付きます。私が買ってくるから、知らん顔して通り過ぎなさい。」
 二つも抱えてきたのを、ガイドの車の中で運転手と4人でむさぼり食べた。何という芳醇な味わいだろう。王の王たる所以、ここにあり…そんな思いでドリアンとの贅沢な再会にのめり込んだのだった。その2個のドリアンを、ガイドは自分が奢ると言って聞かない。こんな贅沢な物を甘えていいのだろうか、と幸せを噛みしめる一方、ここではそれ程に普通の果物なんだな、と納得する出来事でもあった。

 数日後、真っ黒に日焼けして満たされた心でバリを去るに当たり、デンパサール空港まで同じガイドと運転手が送ってくれることになった。その車中、ニコニコ笑いながら彼がビニール袋から出してきたのが、何とふたつのドリアンだった。「もう一度食べてもらいたくて買って来ました。ご一緒にいかがですか。」これも彼の奢りだという。
 もう言葉がない…。これ以上何の言葉があろう。バリには限りない至福があった。
            (1997年11月:写真:ベサキ寺院)

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1 コメント

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ドリアン (nora)
2005-06-16 16:45:22
バリのお話も読ませて頂きました。

海外は娘のいるLAの極一部しか知りませんので、へー、ふーーん、と想像を切磋琢磨???して。でも、バリはアラスカより想像力が必要だったかも。多分アジアに住みながら私にとってアジアは小説以外では未知の世界だからでしょうか。



最後の「ドリアン」。

これは何となく分かるような。

よく絶対にダメと言う人の話しを聞きますが・・・

ご隠居様のレポートを読んで、果物の王様と言われる所以を見たような嗅いだような気がいたしました。

何か締めくくりが変ですが、ごちそう様でした!?(笑)
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