蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

山村の贅……一夜の舌鼓(その2)

2019年10月30日 | 季節の便り・旅篇

 夢も見ずに、何時ものように5時半に目覚めた。風呂を入れ直す間に、30分の下半身ストレッチで身体を覚醒させる。ゆっくり温まった身体を冷ましに、30分ほど宿の周辺を歩いてみた。矢部川のせせらぎに沿って遡行すると、因縁の矢部中学校があった。ドームの屋根を持った立派な校舎が改装中である。後で訊いたら、文科省がン十億掛けて小中一貫校に造り替えているという。文科省も、金遣いだけは巧い。一見素朴な寒村だが、豊かな底力があるのだろう。
 朝焼けが残る空を、白鷺の群れが川に沿って飛び渡っていった。

 フロント棟の個室で朝食を摂った。私は洋食、カミさんは和食。旅に出ると食欲倍増するカミさんは、今朝も健啖である。
 さて、帰路に迷った。太宰府に帰るには、3つのルートがある。昨日の羊腸のクネクネ道は、「胸がモヤモヤしてくるから、イヤだ!と」カミさんが言う。星野村に北上する第2のルートも同じような山道で、しかも先年の水害復旧工事の為、迂回路が設定してあるという。結局、第3のルート、東に向かって大分県の県境を山越えし、中津江から日田に下ることにした。距離も所要時間も伸びるが、舗装された広い道を幾つものトンネルで結んで走り易いという。途中、大山の「木の花ガルテンに」寄ることにして、「道幅優先」でナビを入れた。
 中津江村、2002年サッカーワールドカップ・カメルーンのキャンプ地に選ばれて名を広めた。ネットによると、こんな嬉しい裏話がある。
 「中津江村」という村名は実は消滅の危機にあった。2005年に実施された日田市との合併の際に、まったく別の地名になる予定だったのである。ただ、あのカメルーン代表を受け入れたという事実の重さと、それによる「中津江村」のネームバリューが認められ、独立した地名としてその名を残すこととなる。

 宿から徒歩1分の物産館「杣のさと」でお土産を買い、帰路に着いた。早朝の雨も上がり、抜けるような秋空に、盛りを過ぎたススキが風に揺れていた。山道ではあるものの、昨日とは打って変わった快適な走りだった。時折、バイカーが追い上げてくる。ハザードを点けて脇に寄ると、片手を上げて挨拶しながら追い越していく。お互いに気持ちがいいマナーである。
 松原ダムで小休止して、お互いに遺影(?)を撮った。

 梅干しで有名な大山町、「木の花ガルテン」で買い物をした。田舎料理のバイキングを楽しめる場所だが、まだ11時前で、たっぷり摂った朝食で空腹感など程遠い。
 カミさんにハプニングを用意しようと、こっそりナビを入れた。心地よい揺れに舟を漕ぎ始めたカミさんを眠らせたまま日田に下り、筑後川沿いに西に向かい、この旅3つ目の夜明けダムを過ぎて、杷木ICで大分道に乗った。甘木ICで降りて向かった先は、キリンビール福岡工場のコスモス畑だった。
 背丈を超えるほどの1000万本のコスモスが圧巻だった。一面のコスモスの後ろに、メタセコイアの並木が鋭い三角錐を秋空に突き上げる。このコントラストがいい。
 出店で久し振りの佐世保バーガーにかぶりつき、ノンアルコールビールで喉を潤した。ビール工場に付随する畑なのに、飲酒運転撲滅の時勢に合わせ、ビールは売っていない。

 午後2時過ぎに帰り着いた。久々のドライブ197キロ、「80代高齢者」は、一度もヒヤッとすることもなく、無事安全運転の二日間だった。
 帰り着いたニュースは、またまた閣僚二人の謝罪と発言撤回。第2次安倍内閣は、既に9人の大臣辞任を重ねている。その度に「任命責任は、全て私にあります」と庇いながら、一度も責任を取ったことがない安倍シンゾウの強シンゾウ!
 こんな嫌な娑婆を離れて、また旅に出ようと思った。

 久住高原に、紅葉が降りてきている。10月が終わろうとしていた。
            (2019年10月:写真:満開のコスモス)

山村の贅……一夜の舌鼓(その1)

2019年10月30日 | 季節の便り・旅篇

 鄙には稀な!……と言えば失礼になるが、こんな山深い村の旅の宿で、これほどのスマートなご馳走を頂くとは思わなかった。しかも、旅の宿に泊まると、ともすれば下を向けないほどの料理にお腹をかかえて呻吟することがあるのに、これは程よい満腹感だった。

 久し振りのドライブ旅行は、その豪華な佇まいに魅せられてネットで選んだ。
 「奥八女別邸・やべのもり」

 矢部川の畔、杉木立に囲まれた広い敷地に、7棟の平屋造りの離れ宿が並んでいる。それぞれが竹垣に隠され、多様な植栽に包まれた豪華な宿だった。
 その中で、最も広い73平米(23坪)の「釈迦岳」という離れを選んだ。福岡県八女市矢部村……周囲を囲む7つの山……釈迦岳、猿駈山、三国山、前門岳、文字岳、城山、高取山…それぞれが離れの名前になっていた。各離れには専用の駐車場があり、フロント棟でチェックインすれば、自分の離れの前に車で移動出来る。
 部屋に案内されれば、あとは自分たちだけの空間。接客は素朴純朴で、決してお上手ではない。しかし、何も構ってくれない気安さが却って心地よいのだ。アツアツの新婚さんや、人目を忍ぶ訳ありカップルには、格好の隠れ宿かもしれない。翌日、太陽が黄色く見えようと、朝の爽やかな大気と温かい湯煙りが癒してくれる。

 数段の階段を降り、玄関を開けると2畳ほどの広い玄関ロビーがある。そこを上がると、琉球畳を敷いた10畳ほどの座敷仕様のリビング。総ガラス張りの明るい部屋にソファーが置かれ、壁には大型のテレビが取り付けてある。その脇の8畳ほどのベッドルームには、クイーンサイズのベッドが二つ、そしてここにも40インチほどの壁掛けテレビが設置されていた。
 3間ほどの総ガラス張りの渡り廊下の奥にトイレと風呂場。2面にガラスが張られた浴室に、3~4人入れそうな御影石の大きな浴槽がある。この浴室とベッドルームに惹かれて、ネットでこの部屋を選んだのだった。
 実は此処は、八女市市有の「山村滞在施設」なのである。調光も、エアコンのリモコンも、シャワートイレも、全自動風呂も、全て最新の仕様で、居心地は申し分なかった。

 辿り着くまでに、小さなハプニングがあった。開設して1年ほどの新しい山宿である。まだカーナビに出ていないのだ。住所で入れても、以前は山林だったのか、そんな番地は存在しない。地図を睨みながら、近くの矢部中学校をナビに入れて筑紫野ICから九州道に乗った。秋の日差しが柔らかく注ぐ午後だった。
 ところが、八女ICで降りるはずなのに、何故かナビは更に南へ走れと指示する。首を傾げながら、八女ICで降りた。ナビが、離合で出来ないような細い田舎道を示し、暫く従っていると、何と一つ南のみやまICで再び高速に乗って南に下れという。道端に停めて、ナビを入れ直した。
 笑うしかない入力ミスだった。矢部中学校が、実は熊本県上益城郡にもあったのだ。十分確認しないまま、2行の上段にあった熊本県の矢部中学校を入れてしまったらしい。苦笑いしながら、みやまICから八女ICまで、九州道を走り戻る羽目になった。
 なに、急ぐことはない。365連休、無為浪々の徒食三昧の日々である。何の慌てることがあろう!……と、これは苦しい負け惜しみである。

 八女市黒木町を過ぎ、矢部村の標識を確かめる頃から、次第に山道が細くくねり始める。羊腸の曲折に神経を遣いながら登り詰めると、そこは長大な日向神ダム。右転左転に悩まされながら、「昔、ダムに沈む前に村を見ておこうと、友だちに誘われて来たことがある」と、カミさんが言う。ダム建設の計画が立ち上がったのは昭和28年(1956年のこと)、60年以上も昔々の想い出話だった。
 ダムを抜けて少し山道を脇に逸れたところに、その旅荘はあった。

 「八女黒毛和牛フィレ&フォアグラステーキ付き特別会席プラン 1泊2食付き15、500円」税サービス込みで一人17,500円を奮発した旅だった。それを「安い!」と感じさせる部屋の佇まいと料理の内容だった。
 地下水を汲み上げた心地よい湯に浸った後、オーストラリア・ワインYELLOW TAILのCabernet SauvignonとChardonnay、赤と白をカミさんと回し飲みしながら羊腸の山道の疲れを癒し、ほろほろと酔い、たんたんと舌鼓を打った。

 今回は、お品書きだけで1編のブログになる。
 前菜八寸(茄子とろめん、栗と占地の白和え、糸雲丹、手作り蒟蒻柚香漬け、鮎万年煮、朴葉寿司、馬もつ煮込み、柿玉子、銀杏串打ち)、お造り(旬の物五種盛り)、吸い物(里の恵みの茸の土瓶蒸し)、台の物(山女魚の姿焼き、粟麩田楽焼き、霞鱒子橘釜盛り)、肉料理(八女産和牛フィレ肉のグリルとフォアグラのソテー~赤ワインソースに季節の野菜を添えて、山葵の風味と共に~)、食事(八女味噌の焼きおにぎり茶漬け、香の物)、デザート(旬の栗を使ったロールケーキに果物を添えて)、珈琲。
 八女黒毛和牛のフィレにフォアグラを載せた主菜は絶品だった。鄙にも稀な!……と敢えて言う所以である。

 酔いを醒まして、再び湯船に浸かった。背もたれして横たわっていても、油断すると頭までズブズブと沈み込んでしまいそうな大きな湯船だった。白く渦を巻いて立ち上る湯気を見上げながら、何とか乗り超えてきた夏を思い出していた。失った体重も取戻し、夏バテからも漸く抜け出した実感がある。
 傍らを流れる矢部川のせせらぎさえ聞こえない静寂の中に、あとは、ただひたすら爆睡Zzz……。
                (2019年10月:写真:主菜・フィレ&フォアグラ)