蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

神守る島、大島

2019年10月23日 | 季節の便り・旅篇

 玄界灘の沖合遥か48キロ、強い北風に波騒ぎ、白いウサギが跳び交う波濤の彼方に、世界遺産「沖ノ島」が霞んでいた。年間僅か50日しか見ることが出来ない貴重な姿を遥拝出来た僥倖。福岡県宗像市大島の北、素朴な佇まいの宗像大社沖津宮遥拝所で、風の中に暫し佇んで感慨に耽っていた。
 神宿る島・沖ノ島、そして神守る島・大島……48キロを隔てる海に、確かな神の道を見た。

 玄界灘の真っ只中に浮かぶ周囲4キロメートルの沖ノ島。宗像大社の神領(御神体の島)で、沖津宮が鎮座している。 2017年、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産の一つとして、ユネスコにより世界遺産に登録された。
 「神の島」と呼ばれ、島全体が宗像大社沖津宮の御神体で、今でも女人禁制の伝統を守っている。山の中腹には宗像大社沖津宮社殿があり、宗像三女神の田心姫神(たごりひめのかみ)が祀られている。
 島は一般人の上陸は許されない。男の神職がたった一人10日交代で島に渡るが、御前浜でまず全裸で海に入って禊(垢離)をしなくてはならない。そして、毎朝、神饌を供える「日供祭」が日課である。
 古墳時代前期、4世紀後半頃からとされるが、一般人の上陸が禁止されていたが故に手付かずで残ったおよそ8万点の関連遺物全てが国宝に指定されている。しかし学術調査されたのは祭祀遺構全体のまだ3割にほどであり、その多くはいまだ手付かずの状態で残っている。こうしたことから、沖ノ島は「海の正倉院」と称され、島全体が国の天然記念物に指定されている。

 NHK講座、博多座大歌舞伎の大向うの会「飛梅会」足立会長が講師を務める「歌舞伎のみかた」講座に初級・中級・上級と数年通ううちに、坐る席が固定し、近くの聴講生と親しくなり、講座が終わってお茶会をする7人の仲間が出来た。それぞれご贔屓の役者がいて、話題には事欠かない。何故かこの会も、私以外は全て女性である。
 同じ太宰府のYさん(Y農園の奥様)は、高麗屋の染五郎、糸島に住むKさんは、音羽屋の彦三郎・亀蔵兄弟、福津市のMさんは大和屋の玉三郎、太宰府のGさんは澤瀉屋の猿之助、もう一人音羽屋贔屓のSさんが転勤で徳島に去った後、新たに加わった糸島のYさんは松嶋屋の仁左衛門と播磨屋の吉右衛門。
 カミさんは、特に誰というより歌舞伎そのものが好きなのであり、その意味で歌舞伎役者全てがご贔屓ということになる。
 私は、専ら大向うで3階席から「松嶋屋~ッ!」「成駒屋~ッ!」などと声を落とすのを楽しんでいる。
 見得や所作の一瞬にタイミングを合わせて声を落とす、その緊張感がたまらない。だから、少々眠たくなる古典物でも、居眠りすることはない。但し、舞踊物だけは素人には難しく、おとなしく見入るだけである。だから、時々居眠りしてしまう。
 「飛梅会」から再三勧誘を受けたが、幕内に束縛されるのが嫌いだから、江戸庶民に留まって一般人として気儘に声掛けを楽しんでいる。敢えてご贔屓と言うならば、山城屋・坂田藤十郎の孫である成駒屋の壱太郎かな?
 もう講座は9月で閉講してしまったが、「このまま会わないのは寂しいから、時々美味しいもの食べながらお喋りしようよ」ということになった。その初回として、Mさんの縄張りで海鮮を楽しもうと、秋たけなわの一日を集まったのだった。

 Mさんが用意してくれた車に7人で乗り込み、宮地嶽神社に詣で、民宿「しらいし」のレストラン「達(だるま)」で海鮮料理に舌鼓を打ち、神湊から25分フェリーに揺られて大島に渡った。
 小さなバスに乗り込み、細く曲がりくねった山道に胆を冷やしながら、渡船ターミナルから宗像大社沖津宮遥拝所、日露戦争の砲台跡まで走り、再び遥拝所に戻って下車、沖ノ島遥拝の僥倖に巡り合ったのだった。
 Mさんが用意してくれたレンタカーで宗像大社中津宮、大島灯台まで案内してもらって、再びフェリーで神湊に戻った。
 Mさんが最後に用意してくれたのは、閉門間近に滑り込んだ宗像大社詣でだった。

 こうして、神と触れ合う一日が終わった。自ら運転することなく、巧みなMさんのハンドルに任せて、後部座席でのんびりと揺られる心地よさ!時には、こうして人の運転に身を委ねるのもいいものだ。
 朝、JR二日市まで車で送って下さったYさんのご主人に、地酒「沖ノ島」と「大島」を買って手土産とした。
            (2019年10月:写真:洋上遥かに見る「神宿る島・沖ノ島」)