蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

遠ざかる昭和

2019年10月12日 | つれづれに

 夜の電車に乗った。始発駅だったから、幸い優先席に坐ることが出来た。次々に席が埋まっていく。発車寸前に3人連れの若い女性たちが賑やかに乗ってきた。そこまではよかった。
 坐るなり、それぞれ取り出したスマホを忙しく操作し始めた。友だち同士の会話もなく、ずっと沈黙のままである。見渡せば、前の列の乗客も、そしてこちら側の列も、そして立って吊革につかまる人も、ただ黙々とスマホをいじくる人の列である。ガタンゴトンと線路を走る電車の音だけが響き、異様な沈黙だけが車内を支配していた。
 毎度のことながら、スッと背筋が寒くなる。そこにいるのは、人であって人でない。会話も通じ合うものもない、孤立した人間の集まりでしかなかった。「スマホ依存症」が、正式な病名として定着した。車内には、無数の予備軍が溢れていた。
 日本が壊れて行っている。生きた「本人」が見えない仮想空間の電波の中でしか生きられない人間が増え続けたら、令和はどんな時代になるのだろう?

 電車の床に座り込む高校生や、座席で化粧をする若い娘、パンやお菓子をぱくつく女の子などは、あまり目にしなくなったが、これもこちらがその時間帯に電車に乗らないようになったから目につかないだけかもしれない。
優先席での狸寝入りは少なくなってきた。譲ってくれるのは、嬉しいことに若い人たちである。「中年のおばちゃん」は、先ず100%譲ってくれることはない……と思っていたら、数日後の昼間の電車で、「中年のおばちゃん」に席を譲られた。
 「すみません、ありがとう!」と言って座らせてもらったが、譲った人は気恥ずかしそうに向こうの吊革に移って行った。席を譲る行為には、譲る方も譲られる方も、少し気まずい思いが付きまとうものかもしれない。
 優先席に坐って、持ち歩いていた文庫本を開いた。ふと気が付くと、右隣りの人も左隣の人も本を開いていた。近年の奇跡である!昔、昭和の時代は、電車に乗ったら本を読むのが当たり前のことだった。平成に喪われたものが、こんな形で生き残っていたとは!……この日は一日ご機嫌だった。

 一方通行のT字路から県道に出ようとする。或いは、一車線の道から右折しようとする。おとなしく待っていても、譲ってくれる人は殆どいない。一台譲ってくれたら、後ろに無駄な渋滞が起こることもないのに、ここでも「中年のおばちゃん」は、ほぼ100%譲ることはない。自動車学校は、技術は教えても、当たり前の常識は教えてくれないのだろう。 
 譲ってくれるのは、バス、タクシー、宅急便、ダンプカー、大型トラックなど、プロの運転手たちである。日頃から、無駄な渋滞に悩まされているから、運転者としての常識を知っている。
 しかも、譲ってあげたら、その後ろの車が手を上げて礼意を告げてくることがある。それもプロの運転手たちである。だから私も、前の車が譲ってもらってスムーズに直進出来た時には、対向車線で譲ってくれた運転手に片手を上げて挨拶するようになった。
 大型ショッピングセンターの一方通行の駐車場で、平気で逆走してくるのも「中年のおばちゃん」である。クラクションを鳴らすと、睨み付けてくる凄まじさ!女が長生きするはずである。

 ちょっとした気働き、気遣いが次第に希薄になっていった平成から令和、人と人の生身の触れ合いが急速に希薄になっていく時代に、遠くなった昭和に想いを馳せることしきりである。
 自身を振り返り、厭味ったらしい頑固爺にだけはなるまいと……いやいや、こんなブログを書いてること自体が、既に頑固爺の嫌味かもしれない。
 恨みは深し、「中年のおばちゃん」!……昭和は、いい時代だったなぁ。

 日頃の憂さを晴らし、ああスッキリした。因みに、今の私の交友守備範囲は、殆どが「高齢のおばあちゃん」である。
 せめて、綺麗な空の写真を添えよう。
                   (2019年10月:写真:昼下がりの秋空)