蟋蟀庵便り

山野草、旅、昆虫、日常のつれづれなどに関するミニエッセイ。

さよならの絢爛

2013年11月11日 | 季節の便り・花篇

 魔女の悪戯は、一撃では終わらなかった。3連休を抗炎症鎮痛剤の服用と湿布で少しずつ落ち着き、ゆっくりならストックなしで歩け、運転も支障ないところまで回復していた。
 しかし、休み明けのリハビリを受けて帰った夜、ちょっとした弾みで捻った右膝に、再び激痛が走った。3日間歩くことも出来ず、通院さえ断念して脂汗流しながら耐える羽目になった。小康状態に戻るまで、1週間を無駄にした。
 「枕の草子」読書会、「歎異抄」講座、博多学講座、それに伴う「博多検番と老舗料亭の集い」、同窓会幹事会、天神山散策、博物館のボランティア活動……幾つもの犠牲を払いながら、治療に専念する日々だった。

 携帯電話に装備された歩数計が動かないままに、粗大ゴミとなった我が身を持て余しながら、窓から初冬の庭や道行く人影を追う。子供たちが随分増えたというのに、外で遊ぶ声が聞こえてこない。そんな時代が年々加速している。
 引き籠り、虐め、ネット被害、行き過ぎた暴力沙汰、児童虐待、家庭崩壊、学級崩壊……子供たちを巡る暗いニュースは後を絶たない。勿論、悪いのは子供達ではなく、そんな世の中を作った我々大人に責任がある。
 10年ほど前に、ある講座で印象的な話を聞いた。現代社会は、3人の先生を喪ったという。
①ガキ大将がいなくなった――子供たちの縦の集団の中で、強い年上の子が弱い年下の子を守り、下は上を敬い、時には喧嘩して自ら痛みを知ることで、喧嘩の力加減を身体で覚えていった。子だくさんの家庭の中でも、兄弟付き合いで知らず知らずのうちに秩序を学んでいった。(少子化で兄弟のいない子供が増え、家の中でのゲーム等一人遊びに耽って、ガキ大将を頭にする集団の遊びを見なくなった)
②町内やご近所の開放的な付き合いが喪われた――子供たちが悪いことをしたら、町内の大人たちがよその子供でもしっかり叱りつけて躾をしていた。それを親も笑いながら見守っていた。(時代と共に近所付き合いも希薄となって、地域で支える風習も消えていった。下手なことを言ったら、親から何を言われるから分からないから、お年寄りもだんまりを決めるしかない)
③全人格を掛け、身体を張って生徒を導く教師が少なくなった――モンスター・ペアレントなどという家庭の躾を学校に丸投げして責任追及する身勝手な親もいなかったし、放課後暗くなるまで学校で遊んでいても、叱る親や教師はいなかった。時には叩かれても、暴力教師と訴えられることもなく「叩かれたお前が悪い」と親から又叱られる時代だった。勿論、教師も叩く加減を知っていたし、親に怯えておもねることもなかった。(学校運営委員会で、PTAから「箸の持ち方を教えていない」と学校にクレームが付いた現場に立ち会って唖然としたことがある。さすがに「それは家庭の躾けの問題です」と教師が反論したが。身近なところで、学校教師による盗撮事件が新聞を賑わせる……そんな時代である)

 小学校の恩師を今も思い出す。先生が頭の上にごっつい拳骨をかざし「自分が悪いと思って分だけ、勢いをつけて飛び上がれ」という罰が懐かしい。先生から拳骨を落とすことは決してなかった。終戦の年に外地から引き揚げて、翌年に小学校1年からやり直した低学年の私は、かなりの悪ガキだった。悪さをしてバケツ持って立たされたり、指導用の大型ソロバンに座らされても、自分が悪いことをしたという自覚で、おとなしく罰を受けていた。

 身体が思うに任せないと、つい年寄りの愚痴が出る。だから、粗大ゴミと言われても仕方がない。(呵呵)

 3輪の月下美人が、吹き始めた寒風の中で2夜に分かれて花開いた。これまで、こんなに遅くまで咲いたことはなかった。異常気象の煽りに負けることもなく健気に咲き誇り、部屋いっぱいに香りを拡げる豪華絢爛な花を愛でながら、残り少なくなった今年を想う。
 雲が切れ、眩しい日差しが窓から降り注いできた。
                (2013年11月:写真:名残りの月下美人)