ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

悪いワンチーム

2019-12-29 08:15:23 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「あえての曲解」12月20日
 客員編集委員近藤勝重氏が、『ワンチーム』という表題でコラムを書かれていました。『ラグビーW杯で史上初のベスト8入りを果たした日本代表のスローガン』であるワンチームについての考察です。その中で近藤氏は、『「花見の会」で見せた自民党と官僚のワンチームぶり』『忘年会やるの?ワンチームでやれって言われるんだろうな』などの「使用例」をあげています。
 ラグビーにおける「ワンチーム」精神は、外国にルーツをもつ者と日本にルーツをもつ者が、それぞれの違いを尊重したうえで、補い合い助け合ってより良い集団や社会を作り上げていくという考え方なのです。しかし、近藤氏が見聞きする「ワンチーム」は、一つにまとまるという側面が強調されています。それは、一つにまとまれないのはダメだという主張にも繋がり、異物排除、異見排除という考え方の肯定に発展していってしまうのではないか、と近藤氏は懸念をもたれているのです。
 確かに、もし「国民には知る権利があります。公文書は我々のものではなく国民全体の財産です。国民が正しい情報を得られることが民主主義の大前提です。招待者名簿とその推薦者名はすべて公表しましょう」などという官僚がいれば、チームワークを乱すばか者として、排除されてしまうでしょう。「ワンチーム」がそんな風に活用されてしまうことを憂いている近藤氏の思いには同感です。
 実は学校という場も、「花見の会」流のワンチーム思想が根強いのです。通常の学級には、発達障害のある子供もいれば、表面化しにくいですが性同一性障害の子供もいます。しかし、そうした個性の違いを無視、もしくは軽視して「みんなで力を合わせてやり抜こう」「クラスの仲間と心を一つにして頑張ろう」といった排除型ワンチームが、横行しがちな体質があるのです。例えば、運動会での組み体操。同性同士で体を密着させたり股間に顔を突っ込んだりしますが、自分の体と心の性が一致しない子供にとっては、とてつもない苦痛であるはずです。しかし、そんな配慮はありません。
 学校現場では、排除型ワンチームが、むしろ協力や協働といった良いイメージでしか使われず、となる感覚や価値観をもつ人に無理矢理同一歩調をとらせることを、協調性を培う指導として肯定する考え方をもつ教員が少なくないのです。一度でも、「みんなやっているのにどうしてあなただけができないの、やろうとしないの」というような言葉を口にしたことのある教員が多数派なのです。
 私もそうでした。そして自己弁護をするわけではないのですが、集団生活を通して学ぶ場である学校においては、協調を強調することが必要かつ有効である場合があることは否定できないと思います。ただ、ワンチームの流行が、異見排除的な風潮を助長することがないか、教員には自省し続ける必要があると考えるのです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 周回遅れの愚策 | トップ | 人前でも叱る »

コメントを投稿

我が国の教育行政と学校の抱える問題」カテゴリの最新記事