明け方、激しい雨と雷の音で目が覚めました。ああ今日はチャナッカレ海峡を渡ることはできないかなあと思っていたのですが、朝食を済ませた頃から白い雲の間から真っ青な空が広がり始めました。
チャナッカレの桟橋からフェリーでチャナッカレ海峡を渡ること20分ほどでアジアからヨーロッパへ、対岸のECEABAT(エジアバト)はゲリボル半島観光の拠点となる街です。
この地は第一次世界大戦中、連合軍が同盟国側のオスマン帝国の首都イスタンブル占領を目指して半島への上陸作戦を行いました。連合軍は、当時国家として末期症状であったオスマン帝国軍を軽んじて短期決戦を想定して挑んだものの、オスマン側の予想外の頑強な抵抗にあって多大な損害を出して撤退、作戦は失敗に終わりました(Wikipediaより)。
北端の戦場跡から南端まで34km、東岸のエジアバトから西岸まで12kmの地で1915年4月の連合軍の上陸から1916年1月に最後のイギリス軍が撤退完了するまで激戦が繰り広げられました。
半島のほとんどは「ゲリボル国立公園」となっており、戦場跡に各国の兵士達が眠る墓地や追悼碑、博物館などがあります。かつて500,000人もの各国の若者が命を落としたと言われる激戦地とは思えない緑におおわれた大地と美しい海に囲まれたとても穏やかな光景が広がっていました。道路やそれぞれの慰霊の場所を示す標識はよく整備され静かに、往時に思いを馳せることができました。
最後に立ち寄った最も激しい上陸作戦が繰り広げられたと言うアンザック湾の慰霊碑にあるオスマン帝国軍で活躍をしたムスタファ・ケマル(後のアタチュルク)の言葉が印象的です。
Bu memleketin toprakları üstünde kanlarını döken kahramanlar,burada bir dost vatanın toprağındasınız,huzur ve sükun içinde uyuyunuz. Sizler Mehmetçiklerle yanyana koyun koyunasınız. Uzak diyarlardan evlatlarını harbe gönderen analar,göz yaşlarınızı dindiriniz,evlatlarınız bizim bağımızdadır,huzur içindedirler ve huzur içinde rahat rahat uyuyacaklardır. Onlar bu topraklarda canlarını verdikten sonra artık bizim evlatlarımız olmuşlardır.
この国の大地で血を流した英雄達よ、あなたは今、友の国の地にいるのです。穏やかな静けさの中で眠ってください。あなた達兵士は並んで横たわっています。遠い国から息子達を戦場へと送リ出した母達よ、涙を拭いてください。息子たちは私たちの胸の中にいます。平穏の中にいます。平穏に静かに眠るのです。彼らはこの地で命をささげた後、今や我々の息子達となったのです。
また毎年4月25日はアンザックデートとしてこの地でも追悼の式典が開かれているのですが、今年のアンザックデーに際しオーストラリアのエバンス移民相がオーストラリアの若者に呈した苦言も意味があると思いました。→http://www.25today.com/news/2010/04/post_4441.php
ゲリボル国立公園の地図。クリックすると大きな写真が表示されます。
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