海岸通りに降りて官庁街を眺めると、今日は祝日ではありませんが大きな国旗が市庁舎や県庁舎の建物に掲げられていました。
1938年11月9日午前9時5分、トルコ共和国建国の父と言われるケマルアタチュルクがイスタンブルにあるドルマバフチェサライ(宮殿)で51年の生涯を終えました。
毎年この日には国として、また学校や職場でもアタチュルクに黙祷を捧げ様々な追悼行事が行われています。街でも9時5分になると車が止まり歩行者も歩みを止めて黙祷をするのだそうです。今日も9時5分にサイレンが鳴り響きました。ベランダにでて外を見てみると、道路には人影もなく車も通っていませんでしたが、ちょうど1台のバスが停留所から発車したところでした。運転手さんはすぐにバスを道路脇に寄せるとエンジンを止め運転席の脇に立ちました。それを見た乗客も皆座席の脇に立っています。ちょうど坂道を降りてきた学生もその場で立ち止まりました。サイレンが続くこと2分間、鳴り終わると何事もなかったかのようにバスは出発し、学生も歩き始めました。
アタチュルクが亡くなって72年が過ぎました。
1927年から1938年までアタチュルクの運転手を務めたセイフェッティンさんは105歳!
☆現在のイズミル☆
それに、トルコの地中に眠っている歴史は古く、オスマントルコの時代も長かった訳ですが、現在のトルコ共和国は、若い国なのですね。
日本も古いようですが、戦後の一時期は、日本ではなかったみたいですね。
いつまでもトルコの人々の心の中で生き続けて…愛されているんでしょう
ないような気がします…寂しい限りです。
アタチュルクを継ぐ人が出なかったんだ。新しい国家体制でも底に流れる世紀を超えた伝統は何処かに残っているんでしょうね。
アタトゥルクが今のトルコを見たらどう思うかなぁ??っていつも思います。
ガッカリするかな?(笑
でも、この”若さ(未熟さ?)加減”が トルコらしいと言えばトルコらしいですよね。
何の根拠も無いのにいつでも希望があって、自信もあって、無謀に前進し続ける、それがトルコ