イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

AYVALIK(アイヴァルク)

2007-12-24 10:20:32 | 

雲ひとつないお天気、道路もいつの間にか広くなっていました。

今年のクルバンバイラム(犠牲祭)のお休みは20日から23日の4連休でした。職場によっては19日は半日で午後からお休みのところもあります。ちょうど日本の3連休と重なりましたね。バイラム一日は温暖なイズミルもかなり寒くなり身体の芯まで冷えました。クルバンバイラムの2日目にはクルバン(犠牲になった動物)達の血を流す為に雨が降ると言われるそうですが、イズミルは4日間ともよく晴れおだやかなバイラムでした。親戚も少なくクルバンも切らない我が家、1日目は叔母さんの家へ挨拶に行き近所をお散歩して世間のバイラムの様子を偵察。2日目はAYVALIK(アイヴァルク)というところへ日帰り旅行。3日目はお客さんをお迎えして過ごしました。

    ※クルバンバイラムに興味のある方、以前の記事をよろしかったらご覧下さい。     
   


AYVALIKの港を眺めるこの風景が好きです。

AYVALIKはイズミルから約240km、こじんまりとした漁業とリゾートの街です。ギリシャのレスボス島へ行く船もここから出ています。この辺一帯はオリーブオイルや石鹸の製造で有名な地域でイズミルからアイヴァルクに近づくにつれオリーブオイル工場のなんともいえないにおいが車の中まで入り込んできます。最初は「う、この臭いは何?」と鼻を押さえたものですが最近は慣れてしまいました。





AYVALIKを初めて知ったのは、数年前TVで「KURSUN YARASI(クルシュンヤラス=銃創)」というオスマントルコ帝国末期のトルコの庶民の英雄達のドラマででした。そのドラマの舞台となったAYVALIKの異国情緒あふれる街並みの美しさに惹かれたのです。そして訪問の機会はすぐに訪れ今までに2回出かけました。夏だったのでボートツアーに参加し海からのAYVALIKを満喫したので、今回はドラマで憧れた街並みを歩いて潮風に吹かれてチャイでも飲もうかと出かけました。


教会ともミナレとトルコの国旗と・・・。


昔の人が歩いていそう。

AYVALIKは、第一次世界大戦が終了するまでオスマントルコ帝国のギリシャ系の人達が住んでいました。ここでもギリシャに住むトルコ系の人達との住民交換が行われたのです。ですから街の中にあるジャーミー(モスク)は教会の建物に後からミナレ(ジャーミーの尖塔)をつけたものが多く見られますし、家々もRUM EVI(ルムエヴィ=ギリシャ風の家)が連なっています。きれいに修復されている家もありますが、残念ながら朽ちかけたような住む人のないところが多いのです。迷路のような細い道を気の向くまま歩いていくと、ドラマに出てきたオスマントルコ帝国時代の人達が服装だけは現代風に変えて歩いているように見えてしまいます。バイラムだったせいもあってか道行く人は皆すれ違う人とバイラムの挨拶を交わしながらゆったりと歩いており、都会のイズミルではもうあまり見ることのできない、昔の日本のお正月の光景にも少し通じるような懐かしさを覚えました。


上から2番の写真の左に見える茶色い建物沿いにあるチャイバフチェでチャイ。夏の間は座る場所を確保するのも大変です。


AYVALIKと言えば(?)アイヴァルクトーストが有名です。

AYVALIKから陸続きで行ける小さなCUNDA ADASI(ジュンダ島)は、さらにギリシャの面影が濃く残っています。ギリシャ教会の廃虚や石造りのRUMEVI、店の名前もギリシャ系のところが多く、港沿いの魚レストランやバーからはギリシャ風の音楽が聞こえて国境を越えてしまったような気分を味わえます。


CUNDA ADASIのDEGIRMEN(ディールメン=風車)。


ギリシャの教会跡。


写真ではよく見えませんが、ギリシャ風の名前の骨董品屋さんとトルコ名前のパン屋さんが向かい合っています。

手が届くほど近くに見えるギリシャの島々に沈む夕日を眺めてイズミルへの岐路に着きました。


CUNDA ADASI からAYVALIKを眺める。







何の花でしょう、かわいらしい帽子のような蕾でした。
      



    






☆現在のイズミル☆