イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

ILDIR VE ALACATI(ウルドゥルとアラチャトゥ)

2009-05-27 00:01:20 | 


真っ青な空が広がる日曜日、ジャポンゲリン(日本人嫁)お友達のまめさんご夫婦と一緒にILDIRとALACATIへ出かけました。去年訪れて以来そのMANZARA(マンザラ=景色)のとりこでいつも「行こう行こう」と言っていた夫の希望によりまずはILDIRのMANZARA CAFE(マンザラカフェ)でKAHVALTI(カフヴァルトゥ)。


食べかけですみません。真ん中に見えるのはPAZI(パズ=不断草)のギョズレメ、これが美味しかったー。

ここは夏季のみの営業で5月から週末のみ営業を始めたところです。表現が見つからないほど美しい海の色にゼラニウムの花が映えていました。すごい食欲できれいさっぱり平らげて向かうところは、私達は去年訪れた古代「ERYTRAI=エリュトライ」の遺跡。遺跡への道はエンギナル(アーティチョーク)が大きく育っていました。さすがILDIRは「エンギナルのふるさと」と呼ばれるはずです。去年訪れた時は良く見えた円形劇場も草が生い茂って階段が隠れるほどでした。

ここからALACATIへ向かうまで海水浴場が続くのですが、5月というのにもうすっかりここは夏?という光景で普通にビーチパラソルと泳ぐ人たちで一杯でした。今回の私の密かな目的はALACATIの街。ALACATIは風車で有名ですが最近はリゾート地として急に脚光を浴び始めています。





1850年頃、この辺りの葦の湿原の整地の為に周辺の島々からギリシャ人の労働者が連れて来られます。彼らはせっかくの広い土地の利用を知らないトルコ人を尻目にブドウ栽培、ワイン製造を始め、土地に慣れてしまうともう自分たちの島へは戻りませんでした。ALACATIの港はぶどうとワインの製造工場が作られこの辺は発展します。ところが1914年にバルカン戦争により、移民たちが戻ってきてしまうと定住していたギリシャ人はすべてを捨ててSAKIZ ADASI(サクズアダス=キオス島)へと去ってしまいます。結局この辺りにせっかく根付いた産業も出戻りの移民たちはそれを生かすことができず廃れてしまったということです。その名残がこの粉引き小屋だったのですねえ。





小さな街の中心部へは昼間は車の進入が禁止になっており、こんなにかわいらしい街並みが…。ALACATI特有の石を使った建物はしゃれたカフェやレストラン、ブティックなどに改装されています。「ここはどこ?」と本当に思いました。





トルコでもないしヨーロッパでもない、トルコを代表するリゾート地ボドルムやクシャダスよりも小さいけれど、もっとさりげなくおしゃれで客引きの声もまったく聞かれませんでした。ここは旦那達は放っておいて女同士でゆっくりと歩きに来なければいけません。おしゃれなカフェでお茶と思っていたのに、男性二人は即行いつも行く様な茶店でチャイをオーダー…で終わりました。





最後に向かったのは、ILDIRとは反対の南側の入り江「CARK VE PIYALE KOYU(チャルク ヴェ ピヤレ入り江)」。ここはガイドブックに白い不思議な形をした岩場の写真が載っておりずっと見てみたいと思っていました。視界が開けるとそこは「ウィンドサーフィン天国ALACATI」とはここだったのかとやっと納得の光景が。





日本の実家のある街もウィンドサーフィンをする人でにぎわうところなのですが、入門コースなのかこことはまったく違う!ウィンドサーフィンってこんなにスピードと迫力があるものなのですね、あの日本の海でのそのそ動いているものはなんだったのでしょう。





見ているだけで十分興奮してまた少し車を走らせると誰もいない入り江にたどり着きます。ここがあの写真で見た白い岩場です。








砂の上にかもめの足跡。

風の街ALACATIと言う通り、強い風と波とここ特有の地質により白い岩たちは長い年月を経て不思議な形に彫刻されました。シーズンオフのせいかカモメたちの天国。平らな岩場をロッククライミング状態で歩きました。


まめさん夫妻。

家からこんなに近いところで、すっかり旅をした気分が味わえるイズミルっていいところです。まだまだ隠れた穴場はたくさんあるはず。心地よい疲れと日に焼けた顔をお土産に帰途につきました。







大きなエンギナルの花。
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