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イズミル便り

IZMIR'DEN MERHABA

PRIENE,MIRETUS,DIDIM(プリエネ、ミレトス、ディディム)

2006-12-20 23:00:02 | 


2ケ月以上もたってしまいましたが、10月の上旬に日本から友達が来てくれた時のことを今頃更新。私よりも数倍トルコ通の彼女、短い休暇の3日間をイズミル訪問に割いてくれました。イズミル周辺で日帰りで行けるところということでクシャダスから更に南へ行ったところにある3つの遺跡プリエネ、ミレトス、ディディムへ行くことにしました。ラマザン中だったこともあり、4時半に起きて一緒にサフル(一日の断食前の最後の食事)をとりそのまままだ暗い6時半に出発と言う日本人ツアーも真っ青なハードスケジュールです。

 プリエネ、アテナ神殿の後ろにそびえるミカエ山。

クシャダスを通り過ぎショケからプリエネへ。プリエネは紀元前300年頃イオニア人による最古の計画的な都市設計がなされた格子状の町並みで知られているそうです。劇場跡、競技場跡等地図を見ながら探すのも楽しみです。聳え立つミカレという山と松の緑を背景にしたアテナ神殿、松林の中を歩くだけでフィトンチッドが胸いっぱいの森林浴。

   
劇場跡。貴賓席の装飾がいまだに残っています。     松の落ち葉を踏みながら森林浴。
  
                        
               まだまだ若い?高いところは登らずにいられないタイプ。飛んでます。

プリエネから約22キロ南にあるミレトスはローマ時代の初めまでこのあたりの最も大きな港湾都市で交易と政治の重要な場所であったそうです。大きな劇場の後ろにはピザンチン時代の城壁が残り、歴史の流れを感じます。劇場の後部からはアゴラや隊商宿、かつての港の名残などを一望でき当時の繁栄を偲ぶことができました。


ミレトスの大劇場から見渡す遺跡群。

ディディムはギリシャのデルフィと並ぶ信託のメッカとして栄えていたそうです。神のお告げを参拝者に告げる神官だけが住んだことから上記の二つの遺跡とは異なり街として栄えませんでした。



 

アポロン神に捧げられたという巨大な神殿は今も当時の威容を想像できます。神官たちはどんなことを告げたのでしょう、そして人々は何を求めてはるばるディディムへと足を運んだのでしょう。


神官はここで聖水を飲んで神託を告げた?


レリーフの美しさ、いにしえ人の技術の素晴らしさ。

予想していたよりも早くにディディムまで行けたので最後にBafa(バファ)湖へ向かいました。かつてエーゲ海はこの辺りまであったそうですが、今は一部だけが切り取られ湖として残っているのだそうです。ヘラクレイアと言う遺跡と自然の岩石が絡み合った異様な光景と深い水を湛えた湖、そんな神秘的なイメージで訪れたのですが、村の入り口でいきなり入村料1人5YTL(夫は3人のところを2人分に値切った)をぼったくられ、村に入るなりパザルのトマト売りのおじさんやスルタンアフメットの絨毯売りをもしのぐ強烈、押し付けがましい村のおばさんと娘に英語とドイツ語の単語を並べただけの3分間ガイドを聞かされた後は、ひたすら自分達が作った手芸品や蜂蜜などの押し売り口上を聞く羽目に。人気のない静かな神秘的な湖を見たかったのに…景色を眺める気もなくなってしまいました。どうにも解放してくれそうにないのでこういう時気の優しい夫は蜂蜜を買っていました。買うことない!と私は思うんですけどね。

帰り道は、睡眠不足がたたった夫、ハンドルを握りながら眠りそうだったのでショケに新しくできたアウトレットセンターで休憩、夫は一眠りをし私達はちょっと買い物をした後はそこのレストランでイフタル(その日の断食を明ける)の食事をしてイズミルへ戻りました。Bafa湖ではぷんぷんだったけれど(今思い出してぷんぷんになった)久しぶりの彼女とのトルコ旅はやっぱり楽しい、また一緒に行こうね!




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旅はおいしい♪

2006-10-06 22:57:40 | 

たわわに実をつけたオリーブ。

今日(10月6日)は十五夜です。今朝サフル(ラマザン期間中、日の出前の最後の食事をとる時間)の為に4時半頃起きて外を見ると煌々と光る大きなお月様が。ススキの穂にお団子を飾ってお月見がしたくなるようなまさに絵に描いたようなまん丸お月様でした。


先日の夏休みの旅から早くも3週間が過ぎてしまいました。旅の思い出にお土産を・・・と思うのは日本人的なのでしょうか?トルコでは日本のように観光地の○○饅頭とか○○Tシャツのようなものはよほどメジャーな観光地でないとありません。今回行ったASSOS、BOZCAADA、ALTINOLUKの辺りでも絵葉書1枚見つけることができませんでした。そのかわりいたるところにオリーブ林が広がりたわわに実をつけていました。トルコ人が朝食を終えた後の食卓の上に山のように残っているオリーブの種種種・・・あのオリーブ需要はこの木々たちが満たしていたんだなあ、と実感。ホテルの庭にもただただオリーブ!雑木林のように放置されていたけれど収穫するのでしょうか。

今回の旅もやっぱり食いしん坊の私、買ってきたものは食べ物ばかりと言う結果に。それをちょこっと紹介します。

まずはウニを求めて行ったBOZCAADAで食べた昼食。ウニは魚卸市場のお兄さんに聞いたら「決まったレストランへ行くだけでここでは売ってない」と言われました。今度は夫に潜ってもらいます。(若い頃はよくもぐってウニを獲っていたそう)

 

メインに頼んだのはBOZCAADAでよく獲れると言うSARDALYAという鰯の一種とイカのフライ、写真を写すのを忘れました。(しかも値段が書いてないので気になって食べた気がしなかった。)メゼ(前菜)としてでてきたナスのサラダやオリーブはさすがに絶品でした。

BOZCAADAで「トマトジャム」と言う看板を色々なところで見かけて気になっていた私、オバちゃんたちがスタンドで売っているのを発見、ついでにオバちゃんの手作りだと言うナスのジャムも買ってみました。トマトジャムもナスジャムも普通にお砂糖で作ってあるのですがいい味、特にトマトのジャムはなかなか癖になる味です。

 

帰り道に道路脇にに並ぶ生産者直売のオリーブオイルを試飲しながら購入、4年前に訪れたYESILYURTという村を再訪すると、ちょっぴり観光地化されこんなかわいらしいお店が。ここではオリーブと焼きたてのどっしり重い田舎パンを。見かけは岩のようですが味わいがあってパン好きの我が家では、あっという間になくなってしまいました。

 

最後に、ALTINOLUKでEDERMIT湾を一望できる高台のチャイバフチェスィ(チャイガーデン)で白チーズが入ったギョズレメとチャイを頂き、満足して帰途についたのでした。次はどこへ行くことができるかな・・・


熱々で油たっぷり!でも私にとってトルコの旅には欠かせない味のひとつ。


 
オリーブオイルも市価よりもずいぶん安く、さらさらでくせがなく美味しい。




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YAZ TATILI(夏休み)♪

2006-09-29 05:55:29 | 
 
Assosのアテネ神殿からレスボス島を望む。

トルコの学校の3ケ月に渡る長い夏休みも終わると言う先々週末、ようやく我が家も2泊3日のさやかな夏休みを過ごすことができました。

行き先は北エーゲ地方(トルコ語ではEGE=エゲと発音します)。私がなぜか昔から憧れていたのが「Assosに沈む夕陽」。どこかで見たその光景を夢に見て、Assosへ行こう!とすぐに話はまとまりました。また「イスタンブール@トルコフォトダイアリー」のakikoさんが、昨年ご旅行されたBozcaadaを見てみたい、ウニが食べたいと言う期待もありました。

 
ホテルの前の海岸。


我が家を8時30分に出発、イズミルからは約270キロ程ですが、ゆっくり行ったのでAssosのホテルには13時半に到着しました。2泊3日と短い日程で日本人的にあっちもこっちも見てみたいところではありますが、やっぱり「ここはトルコ」、一日くらいホテルのビーチでゆっくりとバカンス気分を味わいたいではありませんか!と言うことでこの日は部屋に着くやいなや水着に着替え目の前の海岸へ。学校が始まる前の週末であったせいか、子供連れも若者の姿もなく、静かで穏やかな海辺の景色です。水はかなり冷たく泳ぐことに相当の勇気がいりましたが一度入ってしまえば、ゴミひとつ、葉っぱひとつ浮いていないどこまでも透明な海です。夕方までたっぷり時間があるので本を持参しましたが、本など読む気にもならないくらい、そこにいるだけで楽しくて時間が過ぎるのを忘れるほどでした。

 
これが長年憧れていた「Assosに沈む夕陽」


ホテルからAssosの遺跡までは車で5分ほど。Assosは紀元前8世紀に眼前に横たわるギリシャのレスボス島から入植してきた人々によって建設されたそうで、このアテネ神殿のオリジナルは紀元前530年に築かれたそうです。哲学の都として栄え、あのアリストテレスも3年間過ごしたことがあるのだとか。夕陽を待つこと1時間、かつての繁栄の跡を歩き回ったつもりだったのに「円形劇場」を見落としたことが帰宅後発覚。また来年行こうね!

 
フェリーでBozcaadaへ。


Bozcaadaの西端

翌日はBozcaada(ボズジャアダ)へ日帰り。Bozcaadaは「トロイの遺跡」で有名なチャナッカレへ向かう手前にあるEzineという町からフェリーで30分ほど、直径5~6キロ、人口約2500人の小さな島です。珍しく島民の多くは観光に頼らず漁業やぶどう園、ワイン製造などで生計を立てているようです。

       
 
港には城砦が修復され、そこからはギリシャ風の住居が狭い石畳の両脇に軒を連ねています。島内は車で10分も走れば端から端まで行けるほど、トルコブルーに光る入り江を帰りのフェリーの時間まで巡りました。気持ちのよい太陽の光が島一面に広がるブドウ畑にふりそそぎ、素晴らしいBag(バー=果樹園、農園)の石造りの家々はまるで童話に出てきそうです。

          

写真にある巨大な風車は60,000戸への電気の供給ができる風力発電所です 。
ここは最低でも1週間くらい、何も予定を立てずに何も考えずに都会の雑踏を忘れて心を休ませに来るための場所のようでした。帰り道にはトルコ最西端の岬Babakale(ババカレ)へも立ち寄りました。

 
Babakaleからの眺め、ギリシャの島々が目の前です。

あっという間の3日目、ホテルのチェックアウトの時間まで再び海岸で過ごし、ゆっくりとイズミルへの帰途に。さすがエゲ地方、どこへ行ってもオリーブの実がたわわになりまさに豊穣の季節です。道端には農家の人が手作りのオリーブやオリーブオイルを売っていました。

 
素敵な夏休みをありがとう~!

イズミルまでは行きに通った海岸沿いの道ではなく、ベルガマの遺跡に続く内陸の道を選びました。これが大正解。エゲの山の景色と言うと岩がむき出しで荒涼としているイメージなのですが、ベルガマまでの40キロあまりは山の中を突っ切る細いながらも整備された道で見事な松の森がどこまでも続くのです。松の木の香りが甘く贅沢です。そして時折のぞくこじんまりとした集落、イズミルの近くにもこんなに緑豊かな場所があることを発見できて心地よい疲れで旅を締めくくることができました。




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ISTANBULからIZMIRへの船旅

2006-07-04 06:00:15 | 



イスタンブルからイズミルへいらっしゃることをお考えの方、交通手段はどうなさいますか?最近は飛行機会社も増えたことだし飛行機で一っ飛び?それともやっぱりトルコの国内移動はバスに限りますか?

トルコに住み始めて、私にとって日本よりも遠くなってしまった感のあるイスタンブルですが、こんな船旅ならしてみたい!と興味津々なニュースを読みました。かつてイスタンブル-イズミル間は週に一日だけ船便があったと聞いたことがありますが、バスや飛行機利用客の増加、また宣伝不足から利用者が減り3年程前から休航となっていたのだそうです。
この6月16日に豪華客船に生まれ変わった「サムスン」と「アンカラ」と言う客船によりMAVI YOLCULUK(青い旅)が再開されたそうです。

Deniz Cruise and Ferry Linesと言う会社によって運営され、5星ホテルにも引けをとらない快適さが提供されるという船内ではレストラン、ディスコ、バー、子供クラブ、フィットネスセンター、プール、美容院そしてビジネスセンターの利用が可能。定員は車220台と旅客575人。169の客室と110の座席があるそうです。

気になるお値段は・・・
パノラミックスイート(4人まで)750YTL(約55,000円)、
エグゼクティヴスイート(4人まで)695YTL(約50,000円)などなど・・・。スイートじゃなくてもと言う方は300YTL(約22,000円)で4ベッドつきの部屋あり。
座席だけの場合は窓なしデッキだと65YTL(約4,700円)窓ありだと75YTL(約5,500円)
車での乗船の場合は別途195YTL(約14,000円)が必要です。

16時間の船旅、イスタンブルはサライブルヌ港より、イズミルはアルサンジャック港より午後4時半にそれぞれ出航、翌朝9時15分に到着です。限られた日数でのトルコ旅の際にも、この船を利用すればちょっとリッチな気分が味わえるのではないでしょうか。


我が家の窓からDENIZをキャッチ!真ん中に見える白い船がDENIZです。9:15到着のはずなのに10:30頃目撃しました。

エーゲ海とマルマラ海を眺めながら優雅なプチクルーズ、いかがですか?どなたかお試しください!

オンライン予約はこちらから→ http://www.denizline.com/index.html



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Spil Dagi Milli Parki (スピルダー国立公園)

2006-04-17 06:16:29 | 
 広々としたマニサ平野、遠くに光るイズミル湾が。

夜更しの我が家、夕べも3時過ぎに就寝だったので今朝目が覚めたのは10時、夫が「どこかへ行く?」と珍しく自分から言ったので「行く行く!」と飛び起きました。その時点でどこへ行くかは未定。でもせっかくお天気のいいピクニック日和の日曜日、やっぱり先週流れたスピルダーへ行こう!

何も準備をしていなかったので、朝食後あわててトマトやキュウリ、玉ねぎを刻んでパンを1本用意、あとはいつもたっぷり沸かしてあるチャイをポットに詰めて果物とお菓子をかばんに入れたら準備OKです。

我が家からお隣のマニサ県にあるスピルダー国立公園の入口までは約1時間程、そこから急カーブをくねくねとのぼれどのぼれどそれらしき公園は見えず、20キロ以上走ってようやく公園の料金所に着きました。車1台5YTL(約400円)。

 木陰に車をとめて

公園内はシンプルに松林の中にベンチと水汲み場があちこちにあって既に何組かの家族がトルコのピクニックには欠かせないマンガル(炭火焼肉)をするいい匂いがします。鳥のさえずる声に耳を澄ませながら、木陰に寝っころがりました。
なぜか車にあったゴムボール、「バレーボールしよう!」と言う私、「いい年した大人なんだから恥ずかしい」と言う夫。

  簡単ランチでお恥ずかしいですが! 

                          
あちこちから漂ってくるマンガルのかおりに食欲だけはすぐに刺激されて、簡単ピクニックランチを頂きました。こんなに簡単ランチでも青空の下で食べるとどうしてこんなに美味しいのでしょう。でも次回は、マンガル持参でね。

帰り道、桜っぽい花が満開でした。畑の持主らしきおじさんに「何の花ですか?」と聞くと「桜だよ。1ケ月半後においで、大きなサクランボがなるよ。イズミルのマーケットに送るんだ」との返事。私はこの満開の桜に出会えたことが嬉しかったのに、おじさんにとっては花が咲いた後にサクランボがなることが嬉しい春の知らせなんだなあ、と人それぞれに喜びは違うものだということが新鮮に思えた日曜日のプチ旅行でした。

 満開の桜の花、1ケ月半後には大きなサクランボがなるそうです。






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バイラム休暇最終日♪♪♪♪

2005-11-25 20:00:10 | 


ツアー最終日、ツアーの行程表では今日の予定はイズミルへ戻るのみ。時間はたっぷリあるので帰路にあたるDalyan(ダルヤン)へ行くことに。ダルヤンもオフシーズンとあって今は静かな観光地。ダルヤン川を行くボートツアーに参加しました。川岸にはアジアのどこかの国かと見間違うほどボートがひしめき合っており、その一艘をガイドさんが交渉してレンタル。20名ほどで1人3YTL(約250円)でした。釧路湿原を思い出させる葦原の中を進むと、対岸に紀元前9世紀頃つくられたと言うカリアの主要都市であったカウノスの劇場やリキア式の岩窟墓が姿を現します。



アヒルの親子やdalyanlar(ダルヤンラル=魚を捕るやな、川をせき止めて魚を捕る仕掛け)も見えます。dalyanlarがこのダルヤンの地の名前の素になったのでしょうか。橋の両側でおじさんが網を手に船が通るたびに上げたり降ろしたり・・・。



船はiztuzu(イズトゥズ)海岸へ。ここは海水と淡水が出会う場所、そしてiztuzuの名前の由来はtuzizu(塩の跡)、つまりあまりにも海岸の砂が細かくてきれいなので波が寄せるたびに潮の跡を残すことからこのように呼ばれる様になったそうです。



ガイドさんの説明によると、地中海地方は他の地域に比べて刑務所経験者(?)の割合がとても高いそう。かつては一家に1人は刑務所帰り、なんてこともあったそうです。その理由は、遺産相続。どこの国も同じ、この辺でも男子にはお金になる農耕地を、女子には使い途のない海辺の土地を残していたのだそうです。ところが時代は変わり、今や地中海は海外からも注目のリゾート地と言うことで海沿いの土地の値段が急騰!相続をした娘の夫と農耕地を相続した息子の間での争いが勃発!トルコでは、悲しいかな争いとなるとすぐに刃傷沙汰に発展するわけで不名誉な刑務所経験者率のアップに貢献してしまったようです。

こんな話も聞きながら、とうとうあっという間の4日間は過ぎ一路イズミルへ向かいました。因みに往路は霧で見えなかったCINE(チネ)の奇岩。夕暮れの中でしたが、巨大な亀のような形をした岩がいっぱい。数千年後にはカッパドキアのような観光地になるかもしれません。

今回ほぼ初めてとも言える、地中海への旅。今まではヨーロッパ人でいっぱいの巨大リゾート地、と敬遠していました。私の住んでいるエーゲ海と同じ海の風景なのですが、地中海は自然も観光地としても成熟した大人(?)の雰囲気がありました。松の木が多いのですが、11月と言うのに新緑のような美しさ。車窓を眺めるだけでも心が洗われるようでした。日本の景色を思い出させるような情緒にあふれ、また行きたい!それもシーズンオフ限定!と病み付きになりそうな予感です。



バイラム休暇3日目♪♪♪

2005-11-23 21:57:17 | 
3日目も雲ひとつない青空がひろがり、気温もだいぶ上がってきました。この日はホテルからバスで10分ほどのOludeniz(オリュデニズ)へ。ここの海岸は地中海屈指の美しさと言われるとおり、ほかに表現が見つからないのがもどかしいのですが「まさにエメラルドグリーン」の水の色。国立公園内とあってシャワーや更衣室、トイレの設備も完備されています。11月とあってツアーのメンバーは誰も海に入らないので逡巡していた夫ですが、意を決して海パン姿に。そして海へ飛び込んだまま集合時間まで出てきませんでした。それ程水は素晴らしく気持ちがよかったそうです。海の中で魚達が足をツンツンと突っついたとか。





オリュデニズは、パラグライダーでも有名らしく近くの山から弧をえがくパラグライダー達が海岸へと飛んでいました。ツアーの中にイズミルの大学の先生がいて、ご自身の大学のパラグライダーチームについて薀蓄を述べられていました。

 パラグライダー見えるかなあ。

次の目的地はkayakoyu(カヤキョイ=岩の村)。ここはオスマントルコ時代にキリスト教系オスマン人が住んでいたそうですが、第一次大戦後の住民交換の折にギリシャに住むイスラム教系ギリシャ人と交換されたそうです。キリスト教系オスマン人の人数の方が多かったため、この村はそのまま廃墟となってしまったそう。2000戸あまりの石造りの家がそのまま残されており、フレスコ画や庭に敷き詰められた美しいモザイクがきれいに残った教会もありました。



この村はどの家も他の家の影にならないようにとの配慮がなされているそうです。



最後にフェティエの町に戻り、フリータイム。港を歩いたり市場に行ったりチャイを飲んだり思い思いの時を過ごしました。それまでに聞いていたのかもしれませんが忘れていた夫の過去!10年ほど前、テレコム(トルコのNTT) の仕事をしていた夫はフェティエの電話線の架線もしたそうで「ここの線は自分が引いた」とか「ここに寮があった」とか「このホテルの電話線は自分達が引いた」などなど懐かしそうでした。でも10年で驚くほど変わったフェティエの町、そして「自分も10年で変わったもんなあ」としみじみ感傷にふけっている夫でした。

こんな紅葉を見るのは久しぶり。


バイラム休暇2日目その2♪♪

2005-11-17 23:20:50 | 
カシュへ向う途中サクルケント渓谷まで続いていると言われるKaputas(カプタシュ)の海の色を見てください!



カシュにはAntik Tiyatoro(古代劇場)があります。収容人数約4,000人、ガイドさんの説明によるとこのような古代劇場の収容人数×10が当時の人口だったとか。だからカシュ=古代Antiphellos(アンティフェロス)の人口は40,000人もいたということになります。ちなみに現在のカシュの人口は8,000人。
劇場の眼前には真っ青な海、そしてギリシャの島々が間近に見渡せました。近眼の私でもメガネをかければ島にある家々が見える程の近さ。ツアーの人々はガイドさんに「あの島は我々のものか?奴ら(ギリシャ人)のものか?」といちいち尋ねていました。地図で見ると本当にギリシャ本島よりもトルコにくっついているような島々。小さいとはいえ領土、漁場のことを考えるとやられた!という感じです。



夏はヨーロッパ等からの観光客で賑わったと思われるカシュもようやくふだんの静けさを取り戻したと言ったたたずまい、お土産屋さんの並ぶ通りもひっそりとして猫が日向ぼっこをしていました。

この片足のあげ具合がなんとも粋です。

カシュの町並み。

カルカンはオスマントルコ時代にKalamaki(カラマキ)と呼ばれ、ギリシャ人が多く住んでいたそうです。今は港へと続く坂道のあちらこちらに豪邸が建ち並ぶリゾート地となっていました。



駆け足で廻ったカシュ、カルカン…というのもガイドさんの心の中では、行程にはないもののフェティエに戻る途中でパタラ海岸に寄り、沈む夕陽を見せようと言う心積もりがあったようです。パタラの海岸は海がめの産卵地としても有名、幅の広いビーチは18kmも続いているそうです。どんどん赤く染まっていく空を見ながらバスを降り、小走りで海岸へ。まさにその時太陽は地中海に沈んでいきました。


バイラム休暇2日目その1♪♪

2005-11-11 22:32:21 | 


2日目は昨夜の祈りが聞いたのかピカピカの晴天。冷たい風も頬に心地よいくらいです。バスが出発するとすぐに5分の「バッカル(トルコのコンビニ、musmulaさん語によるとよろず屋)休憩」がありました。バッカルでツアーの面々はタバコや水、新聞を購入、そしてバスが動き出すやいなや多くの人が新聞を読み出したのにはびっくり。ツアーのメンバー28名のうち女先生が4名、母・息子ペアが3組、あとは全部ご夫婦でした。



今日の行き先はTurkuvazさんのブログで拝見して以来、行きたくて仕方がなかったSaklikent(サクルケント)。サクルケントとは「隠された町」という意味でAkdaglar(アクダーラル)山脈に横たわる全長18kmの渓谷です。板敷きの歩道があり、その下にはかなりな急流、木々の緑とあいまって大好きな奥入瀬渓谷が思い出されます。歩道があるところはわずかでその先は水の中を対岸に渡るのですが、シーズンオフと言うこともあり誰も渡る人はおらず、サンダルを用意していた私達もすごすごと退散。今度は暑い時に来よう!
サクルケントの入口にはお土産もの屋さんや川岸に座ってチャイやギョズレメというトルコ風クレープ(具はチーズや挽肉など)を食べさせるところがあり、私達もそこで休憩。ぽかぽかと暖かい日を浴びながら川で泳ぐアヒルをかまいながら、のどかなひとときでした。



次はカシュ、カルカンへ向います。だんだん打ち解けてきたバスの中、運転手さんがCDをかけた途端、女先生3人組が耐え切れずに(?)と言うか待っていました!とばかりに立ち上がり踊り始めました!これぞトルコ旅の醍醐味?CDが終わってもバスの中はカラオケボックスと化し、女先生たちのワンマンショーはツアー終了!まで続くのでした。



ちなみに写真の女先生は翌日曲目リストを作成してバスに、メモを片手にマイクを放しませんでした。

バイラム休暇1日目♪

2005-11-10 20:39:36 | 

30日間続いたラマザンが終わった11月3日早朝、今にも降り出しそうな空模様を気にしながら今回参加する「フェティエツアー」の集合場所へ向いました。総勢28名の参加者+ガイドさんと旅行社の面々が驚くことに誰も遅れることなく集合。定刻の7時半には出発となりました。
途中大きな墓地があるのですが、まだ8時前だと言うのに墓地の入口には花屋がびっしりと並び墓参りをする人でいっぱいでした。トルコの墓参り風景を見るのは初めてで、感動のあまりシャッターチャンスを逃してしまいました。

今回のツアーは地中海西部のフティエを基点に遺跡や自然を見ながらオリュデニズ、カシュ、カルカンまでを廻ることになっています。
イズミルから進路を南にとると間もなく雨が降り出しました。奇岩が見えるというCINE(チネ)の辺りは一面の霧でした。最初の休憩地点のGOCEK(ギョジェク)に到着。ここは先の首相、大統領となったトゥルグトオザル氏のお気に入りの保養地だったそうで、小さいながらも豪華ヨットが停泊するヨットハーバー、雨にぬれたすずかげやブーゲンビリアがしっとりとした日本の秋を思い出させてくれました。

バスは一路フェティエへ。フェティエは紀元前450年頃のリキアの古代都市Telmessos(テルメッソス)として繁栄していたそうですが、1958年の大地震によりその面影はあちらこちらに残る岩窟墓や石棺でしのばれるだけになってしまったようです。
フェティエの町はすぐうしろに山を控えそこに紀元前350年建造のイオニア式神殿風アミンタスの岩窟墓がありました。そのすぐ横にはアミンタスの妻や子供の墓、その下にはシンプルな当時の庶民の墓も見られます。

雨はいよいよ本格的に降り、気温も低いのでバスから降りて岩窟墓を見学する人も半分くらいでした。多くは車窓見学、早々にホテルへ向いました。
ホテルはOvacik(オヴァジュク)村にあるAymera Hill Resortと言う三ツ星ホテル。客室はアパートのような棟が10ほどありフロント、レストランは別棟になっています。前日まで半袖でプールでも泳げるほどだったそうですが、雨のせいで気温が急に下がったこと、そしてバイラムツアーの大量のお客さんに暖房やシャワーのお湯が対処できないという不手際があったものの、トルコ人の皆さんが大声で文句を言うこともなく静かに夜は更けていきました。眠る頃には雨も上がり、夜空を見上げると雲の合間に星が見え、明日の「日本晴れ(?)」を期待して眠りにつきました。