秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

出雲路の浄覚。

2009年02月07日 09時08分25秒 | 京都非観光迷所案内
昔、この橋のねきに上出雲寺というお寺がおましてん。

その寺の別当は浄覚ていう名の※物臭道心どした。

ある夜浄覚はんの夢の中に、死んだお父はんが鯰に姿を変えて出てきはったんやて。
お父はんが言わはるには、

「えらいこっちゃで浄覚よ。明日大水がでて、このあたり
水びたしになるでぇ。あんじょう逃げるんやで。」

「わしゃこんな姿になってもて、おまはんの縁の下に棲んでおったが、明日
わしの姿みっけたら、加茂の流れにもどいてほしいんや、ホナ、たのんだでぇ」


次の日ホンマに大水が出て、寺もなんもかんもわ~やくちゃ。

寺の跡に戻った浄覚はん、縁の下があったへんで夢のお告げどおりに大鯰を
みっけて生け捕りに。

まわりのモンが「※やめとき、やめとき、バチあたるでぇ~」てゆうたんやけど、

「※だんない、だんない、ほっちち~、かもてなや」と※ナガタンでパパァ~ンと
さばくと鍋で煮て食べてしまいはったんやて。※ごりがんなボンさんやでホンマ。

ところが、ちゅうか、案の定ちゅうか、その鯰の骨が喉にひっかかって、
浄覚はん哀れ、※あだし野の露、鳥辺野の煙となりにけり~、おおきにおやかまっさん。

と、まぁ下町京都弁風に今昔物語を改作してみました。(風、だからクレームつけないでね)

この出雲路あたりには出雲路女がいて、夏になると「ぎり~っ、ぎりーっすっ」
と言いながら市中でキリギリスを売って歩いた、と本に書かれていたと思います。
(どこかにメモしたけど、見つからなかった。売り声が間違っているかも)

キリギリスは子供の頃、市内でも少し残された空き地などで捕獲できたけど、
今はどうなんだろう。スイッチョ(ン)て僕らは呼んでたけど・・・。

あ、そうだ。出雲阿国もこの辺りで生まれた、という説もあります。

阿国も浄覚も、とお~い昔のカナタ、真実は歴史の霧の中・・・・。

物臭道心→発心あっての出家ではなく、働くのが面倒で出家した僧。

やめとき→他県の人から指摘されたんですが、京都人はけっこう言葉を知らず
に重ねているらしい。あっつい、あっつい、など。(暑い、熱いの強調)

だんない→大丈夫。どおって事無い。「だんあれへん」とか、「だぁ~んない」
とも言いますナ。これも重ねて使用するケースが多いですね。

ナガタン→包丁。これは今ではあまり使われていません。

ごりがん→無理を通す。強引なさま。

化野、鳥辺野→ともに昔の埋葬地。高貴な方は鳥辺野で火葬されることが多かった
ようです。

追記 出雲路女の売り声は「ぎすっ!」でした。メモが出てきました。