江戸時代、京と大津を結ぶ東海道に二ケ所の難所がありました。それは日ノ岡峠と
逄坂峠。人も大勢行き来しましたが、荷を運ぶ牛車の数も半端じゃなかったのです。
記録によると安永8年(1778)、この間を往来した牛車の数は15894もあったそうです。
晴れの日でも大変な坂道ですが、雨でも降ろうものならオオゴトです。そこで文化2年
(1805)に一万両をかけて大津から三条まで、この車石が敷設されたのです。
車石で舗装されたのは一車線に限られていたため、一方通行だったそうですよ。
(午前は東行き、午後が西行き)
これら↑は九条山(日ノ岡)の国道沿いに設けられたモニュメント。車で通過している
と一瞬で見逃してしまいます。
コチラ↓は旧東海道と三条通りが交わる場所で見つけた車石。
この他にも革堂行願寺、大将軍八神社などにも数箇所保存されているそうです。
興味のある人はどーぞ。(誰が行くねん!)
余談ですが、この難所でお百姓さんが肥料の大八車を運ぶさい、それを後押しする
専門の人たちもいたそうですョ。
牛馬から疎水運輸、そして鉄道、自動車へと東海道の運輸手段は変転しましたが、
名残の敷石がこうして残されているのは意味深いことだ、と思います、ワタクシ。
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