秀明記(syuumeiki)

着物デザイナーが日々感じたこと、
全国旅(催事)で出会った人たちとのエピソードなど・・・
つれずれなるままに。

洛西竹林公園。

2011年10月03日 06時52分04秒 | 京都非観光迷所案内

 実はワタクシ、竹林を見ると裸になって藪の中を転げまわる性癖があり
ます。ってウソですよ。

長岡京に自宅があったころは竹なんてそこいらに生えていましたから、竹
林公園があることは知っていましたが、見学する気にはなりませんでした。

今回は別に見たいものがあったもんで、洛西巡りのコースに加えてみました。
(結果はオーライでしたね。)

てっきり洛西ニュータウンの中にあると思ってたら、ずいぶん端っこにあったん
んですなぁ。かなり竹薮の中を走行するので、道を間違えたかも?と思ったほど。

以前紹介した野鳥公園は9号線の北、こちらは南側に位置しています。


 
見晴らしも大変ヨロシイですナ。↑

 

 
エジソンが使用したのは八幡の竹ですが、まぁ竹つながり、ということで。↑

今回の目的の一つがこの石仏群です。地下鉄烏丸線の工事中に発掘され
た旧二条城後から出てきたそうです。この城は織田信長が足利義昭のため
に築城したもので、石仏は石垣に使用されていました。(現二条城とは別物です)

石仏はほとんど表情がよみとれないほと風化(土中にあったから風化は変か)
してます。このような石仏は好事家からは「トロケた仏」とよばれ尊重されるそうです。

 
ナゼかこの石仏だけケースがかけられていました。↑

ルイス・フロイスは仏を石垣に使用させた、信長の行為を驚愕の目で
みて、それを「フロイス 日本史」に書き残しています。

しかし、当時は石垣に石仏を利用していた例は他にもみられますから、
イチガイに信長を責めることはできないでしょうね。

それより堀の跡から処刑された人の頭蓋骨も発見されたそうで、私は
そちらに興味をひかれましたね。

そして本当に見学したかったのが、この石橋。別に重要文化財でもない
んですけどね。なんせ下水工事のさいに取り壊されようとしたくらいです。

それを区民の努力によって室町小学校校庭に移し、その後この公園に
移設されて九死に一生を得た橋なのです。

その橋の名は「百々(どど)橋」。東西軍がこの橋を挟んで戦が始まった
といわれる、応仁の乱の遺跡であります。

破壊されそうだった、という話から、どうせ公園の隅っこに打ち捨てられて
るんだと思っていたらアニハカランヤ。

まるで公園の主人公のようにデーンと中央に据えられたその姿を目にし
て、ワタクシ、駆け寄ってその石を撫でつつ号泣しましたね。(これはウソ。)

石仏群といい石橋といい、うまいこと配置されていて、ワタクシ、非常に
感銘いたしました。(ホントは竹に感動しなくてはいけないんですけど)

森林浴じゃなくて、竹林浴を楽しみつつ、歴史に思いをはせてみるのも
良いもんですョ。(入場無料だし、入場者も少ないし・・・・。)
   

追加 10月15日は竹林公園30周年イベントが開催されます。
また、付近の会場ではジャズや和太鼓の演奏会もおこなわれます。
イベント名は「竹の径・かぐやの夕べ」  洛西竹林公園