HITOMIのおくに(ちょこっと日記)

瞳にうつる たくさんのもの・・・日々を(出来れば面白く)書きたい、ちょこっと日記です。

その場に立たないとわからないが。

2012年06月12日 |  思いのまま
先日、大阪心斎橋で通り魔事件があった。
その日はたまたまワタシも出かけていて、そのニュースを知ることとなったのは、夜だった。
外にいると、特定の情報アプリを起動するか、webサイトを見なければ
まったくと言っていいほど、情報を得ることは出来ないのだ、と改めて実感した。

〔誰でもよかった。自殺しようとしたが死にきれなかったので、
 誰かを殺せば死刑になると思ってやった。〕

と、犯人は言ったそうだが。

甘いんじゃ!自分が死ぬために人の命を奪っておいて
警察や検察を動かし、望み通りに死刑判決が下ったとしても
それまでの居場所や食事、そして執行人にすらお世話になるんだぞ!
そしてな、それは、すべて税金でまかなわれてるんだ。
国民全員に迷惑かけて、望みをかなえてもらうって、どうよ?
この、糞ったれが!!



あ・・・すみません。言葉遣いが悪くて(^^;


こういう事件が起こるたび、考えることがある。

もし、自分がその現場に居合わせたとしたら。

被害者を助けに行くか。
犯人の気を逸らせば、被害者は命が助かるかもしれない。
でも、その代わり、自分がやられるかもしれない。
自分がやられたら、助かった被害者は自責の念を抱くかもしれない。
でも、運がよければ、両方とも助かるかもしれない。
最悪の場合は・・・・

どれも、仮定形だ。

ワタシがまだもう少々若いころ、こういった事件が起こったとき、
必ず家族に言われた。

’変な正義感を出さんと、逃げてや。’

ううう、やはりそう見られていたんだな(苦笑)

壁があると、つい乗り越えようとしてしまうものだから(笑)

だけど、年を重ねて体力がなくなってくると、一歩は踏み出しにくくなるものだな。
そして、思慮深くなるものだから、色々なことを考えてしまう。

今回のことも、犯人は新しい人生を生きられなかった結果にも思えるのだ。

確かに、犯罪者は、もうそれだけで八方塞だ。
その部分をどうするか、によっても再犯率も変わる気がするのだ。
なにより、犯罪者本人の『生きよう』とする気持ちが大切で、
それを受け入れてくれるものがあれば、と思う。
しかし、そう簡単にいくならば、すでに稼動し、再犯率も減っているはずだ。
難しい問題だ。

最近起きた亀岡での無免許運転による死亡事故についても、
(聞きかじりだが)事故後の少年たちの行動には、人としての温かみがなかった、
ように思う。
個々を尊重する風潮のあまり、他人はどうでもよくなってしまったのか・・・
我のためにする行動が、どのようになるのかという想像力すら、なくなってしまったのか・・・


通り魔事件について、娘から聞いたのだが、友達がその近くに居たそうだ。
現場に向かう形で歩いていると、幾人かが走ってきて、そのうちの一人の男性がその友人の手を取り
「あっちは危ない、逃げるんだ」と言って、反対方向へ連れて行かれたそうだ。
しばらく走った後「固まっていると狙われる可能性があるから、ここら辺で。どこかの店に入るかして、身を守って」と言い残し
向かってくる人々に注意を促しながら、彼は去っていったらしい。
娘の友達は【何が起こっているかもわからないまま逃げる】ことの怖さも語っていたそうだ。

これは、もう運というものなのか。

亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
(お一方は、娘が進もうとしている業界において、活躍されていた方でした)

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