HITOMIのおくに(ちょこっと日記)

瞳にうつる たくさんのもの・・・日々を(出来れば面白く)書きたい、ちょこっと日記です。

死なないで。

2006年10月30日 |  思いのまま
最近、いじめ自殺をよくニュースで見かけます。
(ここでいういじめは、やっている本人が漠然とであっても、意識して《もしくは悪意を持って》やっている行為のことです)

今、学校が槍玉に挙げられていますが、報道側もそれだけで済ませてはいけないと思います。
学校は監督責任がありますから、それを遂行していなかったことについては責められて当然だと思います。しかし、一番の原因はいじめをしていた人間でしょう。ワタシはそちらもキチンと調査して、報道すべきだと思います。
いじめをする人間を育てた親というのは「子供には子供の世界があるから」とか、「子供のやることをいちいち監督してられない」とか、「(自分の子供かわいさに)これがうちのやり方だから、と自己肯定をする」という言い分や人間が多いのです。これは実体験で感じたことです。

「いじめ被害者の会」が発足したようですが、イジメで自殺した子供のご遺族だけではなく、いじめ経験者も入ってもいいと思います。加害者・被害者としていがみ合うのではなく、自分達親がどう育っていくのか、子供達をどう育てていくのか、そして、色んな人間がいるからこそ、一つの意識を持って、社会をどう育て動かしていくのかということを考えていかねばならないと思います。
教師も教育委員会の人間も、子供であり親であるはずです。
根本から考えて正していかねば、それこそ今の子供達が成長し、さらに親になってその後の世代がどのようになっているか考えられると思います。

そして、自殺した子供たちの気持ちもわかります。
「いい子」が多かったと聞きます。
親に心配をかけたくないと思って、言い出せなかったのでしょう。
ワタシ自身もいじめに遭っていたことは、親には話していません。今でも。
「今ここに存在していないかのような」扱いを受け、嫌がらせがあり、辛かった。恥を忍んで書きますが、死ぬことを考えたこともあります。カッターナイフを手首に当てましたが、引けませんでした。親の悲しむ姿が頭に浮かんだから。それこそが最大の親不孝なのですよ。
親が人を憎むことをどう思いますか?
悲しみに明け暮れ、辛い日々を過ごすことをどう思う?

だから、死んではいけない。

死んだら負けです。

ワタシは大人になって新たな経験をしました。
全く違う場所に来て、物事ひとつとっても感覚の違う人がいるってこと。
今さら、と思うかもしれませんが、いじめの後、いい仲間に恵まれ同じような価値観や考え方の人々の中で過ごしていたワタシは、結婚を機に新たな世界へと足を踏み出したわけです。
相手のことを思い遣って言葉をかけるって事、全くない人がいるんですよ。
そう、相手がどう思おうが平気なんですね。
そういう人が いじめる側になっているんです。
でも、そういう人間は「あれくらいのことで?」という感覚でしかない。
こんな人間のために、どうして死ななくちゃならないの?
だから、死んではいけないんです。
そんなくだらない人間に負けることになるから。

今辛くても、必ず良いことがやってきます。
ワタシがそうでした。
辛いことを乗り越えて(凛とした態度を取ったこと)、高校入学という違う環境になり、熱中するものを見つけ、そしていい仲間に恵まれた。結婚後辛い言葉などを浴びせられても、歯を食いしばり我慢し続け、今 大切にしてくれる人がいる、子供達や仲間達。そして、ワタシの時代が来る、と。悩み続ける日々は続くでしょう。性格かもしれません(苦笑) 
ですが、他人を思い遣って生きるということは、なるべく伝えていきたい。
現代社会において、割り切らなくてはならないことはそうやって。

いじめに遭っている子供たち。
歯を食いしばってごらん。
逆切れしてごらん。
相手にぶつかってごらん。
相手にしたくないと思うなら、それでもいい。
ただ、死んではいけない。
相手をのうのうと生かしておいてはいけない。
痛い目はきっとみるからね。
痛い目にあっても、それを感じていないなら、それこそ嘆くべきかわいそうなこと。
自分が感じなくても、間接的に感じることになる。

だけど、例え後で立場が逆転したとしても、いじめられたという事実は消えない。
心に傷となって残る。
そうしないために、相手を思い遣ること、が大切だと思う。
何度も言う、死んではいけない。

コメント
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