公営競技はどこへ行く

元気溢れる公営競技にしていきたい、その一心で思ったことを書き綴っていきます。

ドン、またまた偉大なる記録

2006-04-22 19:20:37 | スポーツ

Yahooスポーツより

<男子ゴルフ:つるやオープン>◇2日目◇21日◇兵庫・山の原GC山の原C(6778ヤード、パー71)◇賞金総額1億円(優勝2000万円)

 ドンが「世界新」だ! 68歳の杉原輝雄(フリー)が5年ぶりにレギュラーツアーで予選通過した。小技がさえて4バーディー、2ボギーの69と、ツアー史上初のエージシュートまでもあと1打。通算4オーバーの53位で、01年静岡オープン以来58試合ぶりに予選を突破した。自身が持つ国内最年長通過記録を更新し、サム・スニードの67歳2カ月の米ツアー記録も上回るギネス級の快挙となった。室田淳(50)が通算6アンダーで首位に立った。

 かつてマムシと呼ばれた勝負師の魂が、よみがえった。杉原が迎えた最終9番は489ヤードの最長ミドル。残り212ヤードから3番ウッドで2オンし、全神経を6メートルのパットに注いだ。

 ねじ込めば日本ツアー史上初となる年齢と同じ打数のエージシュート。カップとボールの間を2周してラインを読む。カメラマンを見つけ「邪魔やで! 緊張してんねんから」と笑い飛ばした後、運命の1打がカップ左を通り抜けた。それでも顔をしわくちゃにして、60センチのパーパットを沈めた。堂々の69。5年ぶり、58試合ぶりにレギュラーツアーで予選を突破した。

 杉原「予選通過? そんなことより、エージシュートにあと1ストロークか。惜しかったなあ。でも、よう頑張った」。

 「女子に負けてられへん。盛り上がってくれれば、ええと思ったんや」。スタート前から快挙を目指していた。15番で5メートル、16番では15メートルを放り込み連続バーディー。後半の2番ではグリーン手前からチップイン。5番では隣のホールまでショットを曲げながら、最後は5メートルのパーパットを決めた。プロ生活50年で培った技を出し尽くした。

 今季初戦となる今大会開幕前、1週間ほど風邪で寝込んだ。ラウンド数も10回ほどと例年の半分。5年前に「克服」したはずの前立腺がんの数値(PAP)も倍近く上がっていた。月1度の血液検査、ホルモン注射は欠かせない。だが、勝負根性は健在だった。

 杉原「トップの座から遠のいてるけど、カムバックしたい未練がある。あきらめ切れない、割り切れない心が、僕のゴルフと人生を支えてくれてる」。

 加圧式トレーニングで必死に体力を維持、がんに効くと言われるアガリスクなど2種類の健康飲料を1日に5度以上も飲む。6人の孫がいる「おじいちゃん」の意地がある。

 口も達者だ。会見でいきなり「通訳呼んでや」。気力の源は? と聞かれ「お金がないからね」。残り2日は? と聞かれ「もう彼女を帰らせてしまったからなあ」。2日間の平均飛距離218ヤードは出場選手で最下位。だが、162センチの小さな体には、心と技がまだまだ詰まっている。【木村有三】

亡くなった私の親父が大好きなプロゴルファーで、ゴルフ界の「ドン」と呼ばれる杉原輝雄選手がなんと68歳の身ながらもツアーでの予選を通過した。

これは世界最年長記録なんだとか。

とにかく、私の親父は杉原選手が全盛のころは毎週日曜日になると競馬中継のあとはゴルフ中継を見て、そのたびごとに、

「杉原!杉原!」

と「うるさかった」。

ま、彼がシニアの年齢に達したとき私が、

「杉原の爺様、まだやっとるんか?」

というと、

「アホか!杉原は永久現役やぞ!」

「まだあのクソ尾崎(将司)なんかに負けるかい!」

と執拗以上の「ファン」ぶり。

でも杉原選手といえば、今は公式戦ではなくなった関西オープン9回、関西プロ8回の優勝などツアー53勝を誇り、当初は「関西のドン」と言われたが、やがて関東の中村寅吉らが第一線が退くと、

「ゴルフ界のドン」

と称され、今もなお第一線に君臨するスーパープレイヤーだ。

しかし、身長は162センチという小柄さ。とてもプロの選手とは思えないほどの体つきだ。したがって距離は女子プロよりも「飛ばない」選手としても有名。

だが、ショットは実に正確。絶対に「曲がらない」ことで定評があり、杉原のような正確なショットは今のプロ選手で真似できる選手はいないといわれるほど。

さらに接戦に滅茶苦茶強い選手でも有名だった。

 

いつだったか、ジャンボ尾崎をヒタヒタと追い詰め、最後の18ホールでのこと。

追い詰められたジャンボは顔を引きつらせ、

「またあのオッサン、追い詰めてきたのか?」

とイヤイヤの表情。つまりプレーする前から「負けていた」ということ。

結局そのホールで杉原が逆転で優勝を果たしたが、こんなケースは1回だけではなかった。

よく頑張るね。やはり親父が言ってたけど、

「永久現役選手」なんだね。

コメント (2)
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さらば千六

2006-04-22 01:36:15 | 現場レポート

15日、阪神競馬場へ。

あいにくの雨模様となったが、翌日の16日をもって阪神競馬の開催は12月2日まで「お休み」。そして阪神競馬場はその日に大きく生まれ変わる。

直線は京都よりもはるかに長い474M(外回り)で、周長も2000M強(外回り)に。これまた京都よりも大きくなり、京都よりも見劣りするといわれた阪神は京都をしのぐ大競馬場へと生まれ変わる。

しかし一方、外回りができることにより、阪神「名物の」1角奥懐にある1600Mのポケット地点が「なくなる」ことに。

つまり16日の開催をもってあの「魔の桜花賞ポイント」といわれたコースは「なくなる」。

それを「記念」してか、1600M重賞としては現コース「最後となる」マイラーズカップがメイン。

しかし私はメインレースに目もくれず。勝負は10レースの難波ステークスただ一本と決めていた。

その前に、3レースにまたまたシゲル「株」シリーズ登場。複勝とワイドを100円買ったんだが。

毎日杯当日の1レースではシゲルユウボウカブが勝って単・複ともにせしめたが、今回出走のシゲルナリユキガイ(成り行き買い)とシゲルドッポダカ(独歩高)は「ダメ」だった・・・

ま、今回はダメだと思った。

そのあとは10レースまで「休み」。というか、この日は10レースしか買ってないのも同然だったが。

10レースは1600万円下の難波ステークス

実は私、この1600万円下クラスのレースって過去にあまり負けたことがない。ま、買う機会も少ないけど。

おそらくここ3~4回ほどは必ず儲けているね。そして今回、というわけだが。

ブックと日刊では印が薄かった7・ピカレスクコートだったが、前日ブックと一緒に買った「日刊ゲンダイ」はそのピカレスクに結構な印を打っていた。また、14・トーセンハピネスもゲンダイは印を結構打っていたので、ブック、日刊は半ば無視してゲンダイを重視して、4・7・8・9・10・11・13・14の8頭、馬連ボックス買い。

レースはゲンダイが割りと推していたピカレスクコートが直線半ばで先頭に立ち、勝利寸前かと思われたが、中を突い4・タガノナポレオンが、外から強襲の8・タイガーカフェを首差押さえて勝利。取るには取ったな。ピカレスクは惜しい競馬で3着だった。

取ったけど、4-8はブックも日刊も割りと推していた組み合わせ。これはそんなにつかないと思ったが、3060円もつけた。これを3枚買っていたから3500円ぐらいはプラスになった。前日のびわこの負けを半分ぐらいは取り返した。

メインのマイラーズカップ。過去の優勝馬は錚々たる顔ぶれ。過去に行った日経新春杯や毎日杯よりも豪華かも。しかし2000年に4月に開催が戻ってからはどうもイマイチ級の馬しか勝っていない様相が。

レースはダイワメジャーが4角外の3番手につけ、直線で鮮やかに抜け出し快勝。2着にはダンスインザムードが入って関東馬のワンツー。

そういえば今年は桜花賞も関東馬の優勝だったし、阪神現コース最後の千六重賞は関東馬の天下が続いた。

しかしこの阪神の千六は競馬キャリアを積んだファンが、

「このコースは先に1コーナーを回ったもん勝ちや!果たしてそれがどの馬かや!」

という推理を張り巡らせたもんだが、もうそうした光景はなくなるってことだな。

ある意味残念。


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びわこのビッシー

2006-04-22 00:47:42 | 現場レポート

14日、びわこ競輪場へ。

久しぶりのびわこ競輪だが、この日は、S級競輪選手名鑑が先着900名プレゼントとということであった。しかし。

レースがすべて終了しても相当に「余っていた」。ま、内容を見たら結構面白かったんだけど、あるオッサンが、

「そんなもん家もって帰ったら嫁はんに何言われるかわからんやろ!」

と言っていたし、また競輪ファンからすれば、

「そんなもんなくても選手のことはよーく知っとるわい!」

ということなのか?

ところで、「ビッシー」というキャラが待ってくれていたので写真を撮ることに。ビッシーはしっかりポーズを決めてくれた。

このビッシーだけど、なんと「踊り」も披露してくれるんだね。

締め切り3分前のBGMに合わせて見事な「舞い」?

ところで指定席に入ったんだが、指定席はソフトドリンク飲み放題。また、指定席内の食堂「銀輪」の鉄火丼だが、シャリ(ご飯)が実にうまい。食べ物ならばこの銀輪はお勧め。

また、びわこの指定席はラウンジがあるし、結構くつろげる。競輪場の指定席としては屈指の内容。宮杯以外は1日1000円で入れるから是非。しかも800席もあるよ。

しかし車券のほうは、といえば・・・

スカ連発で一銭も帰ってこず。

まず4レース。A3の最下級選手ながらも「なぜか」有名な渡辺大助が登場した4レースを購入。大助も「買ったよ」。ところが・・・

渡辺が「なぜ」有名かというと、彼は決まって西宮・甲子園に出てくると、

「この弱~いの!」

「アホか!!」

とボロカスに野次られる選手だったから。

レースのほうは7・伊藤を2・鈴木が捲くったけど、8・西山が直線一気につきぬけて4万シュー。大助は5着。

「この弱~いの!」

この西山だけど、実は私が3月に向日町に行ったときにも出ていたんだな。それを覚えていれば・・・

あとは11レース決勝か。

これは難しいレースだったけど、1・2・3・4・6・9の2車単ボックス買い。最後まで9・斉藤か5・梅山のどちらかにしようか迷ったが、斉藤の「実績」を買うことに。しかし・・・

1・石渡と3・岡村がやりあったところを、岡村マークだった6・伊勢崎が番手から抜け出して優勝。ところが。

石渡マークの梅山が伸びてきやがった。

「いらんことすな!」

でも、2着は梅山。ああ~。

これでびわこは3回続けて一回も当たらずという、今や「鬼門の地」となってしまったよう。同じびわこでも今度は競艇にしようか。競輪は今後、向日町・奈良、それに一宮に限定せんとアカンかも。

となると翌日の阪神競馬は「負けられん」。そして・・・


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「新」競輪学校は如何に?

2006-04-22 00:00:02 | 競輪

93期より「2期制」が復活するばかりでなく、年齢制限の事実上の撤廃や入試における学科試験の廃止、という競輪学校93期生の入学試験募集要項が発表された。

http://www.keirin.go.jp/nkg/news_index/news_index20060420_2.html

さらに入学後は93期からは特に優秀な生徒は早期の卒業をさせる一方、プロの名に値しないような生徒は「ふるい落とす」ということも検討されている。

ところがファンの間からは、

「早期卒業には疑問」

の声が上がっている。

私もそうだと思うね。

まず、競輪学校の授業って一体どうなっているのか、ということが肝心だが、これに関しては、ぺりかん社から発行されている、中野浩一著、

「競輪選手になるには」

が参考となるのでそれから紐解きたい。

私が一番気にしているのは実技以外の科目、つまり、「学科」科目である。

学科科目というのは案外軽視されがちだが、むしろ今の時代、相当に重要である。とりわけ高度な情報化時代を迎え、

「どうやれば勝てるのか?」

という概念はフィジカルトレーニングだけでは捉えきれない部分も出てくると思うからである。

ということは、1年ちょっとという短い時間であるが、「学科」教育こそ徹底的に叩き込む必要がある。なぜなら、競輪選手になったらそういったことはもうほとんど「やれない」からだ。

前期では競輪関係法規や運動生理学、自転車の基礎的な構造といったごく「基本的」で、ともすれば競輪ファンの方のほうが「詳しい」かもしれないといった内容ばかりである。

後期になると上記の内容を応用してかなり高度な内容となるみたいだが、それにしても少々不満だね。

とりわけ、競輪は今、売り上げが14年連続でダウン、入場者にいたっては2005年度はついに1000万人割れを引き起こし、1975年度の4600万人と比較してなんと、

「80%減」

という体たらくぶりである。

と考えると、どうして競輪の人気がここまで落ちてしまったのか?ひいてはどうして今、施行者が競輪事業に対して「苦しみ」を味わっているのか?ということを競輪学校の生徒に説き伏せる必要がある。

競輪学校の関根校長は卒業記念レース開始前に、

「競輪の入場・売り上げが毎年落ちていることが一番の気がかりである。」

と述べられておられたが、まずは学科教育の根幹として、施行者だけではない、ファンもまた一番気にしている競輪人気の浮上策をどうしたらいいのか、これは単純に「座学」ではなくて、ゼミナール形式によって教官と生徒で議論させていくべき問題である。あるいは、特別講師などを呼んでその問題点をどうすべきかを生徒たちに説き伏せることでもよかろう。

その中で、色々な問題点が出てくるはずだ。

「先輩」たちが毎日のようにどこかでやらかしている「大量落車」の件も然り、世界選手権で歯が立たないことも然り、はたまた、レース内容そのものが学校で学んだことを果たして「先輩たち」がそのとおり実践しているのかどうか、ということなどである。

つまり、今の先輩たちは完全に「反面教師」なのである。

ということは、これから競輪学校で学ぶ生徒については、

「俺が競輪を変えてやる!」

という気概を持たねばダメだってことなのだ。

逆に言えば、今の競輪を変えるような逸材でないと選手としてもおそらく大成しないだろうから、フィジカルトレーニングにおいても、

「ああではない、こうではない」

と生徒に考えさせるべきであろう。

前期は教官が基礎的な部分を教えるにしても、後期にはどんどん生徒に考えさせる機会の授業を行うべきではないか。

今の競輪学校の1日のスケジュールはこうなっている。

http://www.keirin.go.jp/nkg/news_index/news_index20060420_2.html

朝の訓練の時間が9:05始まりとなっているが、競艇学校では8:00始まりとなっている。

http://www.kyotei.or.jp/yamato/schedule.html

この1時間あまりの差ってのはかなり大きいと思うけど。

また、「終わる時間」は一緒だ。

この1時間の差の部分こそ、学科教育に充ててもらいたいもの。

3月まで放送されていた「ミラクルC」で、91期のとある生徒が、

「競輪学校で楽しむにはどうしたらいいんでしょうか?」

と中野浩一さんに尋ねてきたので、

「何を考えているのか?競輪学校はそんなところじゃない!逆に楽しむ時間などなく、どうやれば競輪選手になってから強くなれるのか、と考える時間が「足りない」と思うほどにならなければダメだ!」

と一喝していたが、ほんと、楽しむ時間どころか、わずか1年あまりで叩き込まねばならない教育内容はたくさんあるぞ。早期卒業なんでできるわけがなかろう。

その一環はなんといっても生徒が自分でどうやって強くなれるのかということを考える「教育」。

それができないと競輪選手になってから苦労するだけだ。


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