ようこのかまど

おいしいからうれしくなるのかな、うれしいからおいしくなるのかな。

牛肉とミニトマトのすき煮

2013年10月30日 | ひとり飯 ~持続可能な生活会議~

牛肉とトマトって相性いいのね。
Aちゃんが送ってくれた鍋のレシピもこのコンビだった。

ごはんは、送ってもらった新米。
何時に帰れるか分からなかったけど炊きたてが食べたかったので
帰宅後即スイッチオンして
お腹空いたなあと炊飯器を何度もチラ見しながら洗濯やら何やら。
いやあ、待った甲斐がありました。

せっかくの牛だったけどお肉は硬め。
加熱時間が長かったかな。


*****


人づきあいー友だちや恋人や親や妻やこどもを含めてーには、本当にいろいろな感じ方があって、正解などないのだなあ
と、最近ますます思うようになった。

何の拍子か、昔からお世話になっている人が突然自分の子どもの話をしてくれた。
冷たい人間のように思われるかもしれないが、自分には「ああ疲れたなあこの人に会いたいなあ」と思うような相手や、相手からは何も期待していないけど自分が「この人には何でもしてあげたい」と思うような相手が今まで誰もいなかった、子どもが生まれるまでは…と。
無力な赤ちゃんだからこそ分かりやすい。具体的な何かを与えてくれるわけないだろうに、父親は我が子に対してそう感じると言うのだから。
人によってそれが友人であったり妻であったり一人であったり複数であったりするにしても、いつかは必ずそんな存在に出逢えるように準備されているんじゃないかなあ。

ちょうど私はその前日、ジョニー・ウィアーさんのインタビューを読んでいた。そこにこんな回答があった:
I didn't grow up dreaming about being married and having children and having a big family. I thought of becoming a big champion, I thought of ruling the world. I never thought of marriage as a part of my future. But when you're young in America, and I'm sure it's similar in Japan, you almost need to have a situation where you are stuck together so you're forced to fix your problems. There's no easy way out of a marriage. So, no matter what comes up, we have to work on it together. It's special that I'm legally stuck to my husband, and I have no way out. And it's nice to be able to have that security. It's more of a security than being so proud of my lifestyle and everything that I am allowed to do.
人と繋がる理由や目的というのも、それらの有無を含めて様々なんだなあ。

さらにその翌日に歌のレッスンに行けば、母がこんな歌詞をさらっているのだから、これはこれでしみじみしてしまう。
Io senza dar risposta me ne starò nascosta
un po' per celia
e un po' per non morire al primo incontro
(私はこっそり隠れているの、
ふざけるの、それに
会った時に死んでしまわぬように。)
オペラ「蝶々夫人」“ある晴れた日に”より
蝶々は、長い間待っていたピンカートンが来てくれることを信じて、想像して、こう歌う…結末を知っている我々は、これを聴いている時からもう切なさしか感じない。
お互いのニーズが食い違えばこのようなことだって起こってしまうのだなあ。ピンカートンには裏切った自覚それほどなかったんじゃないかなあ。