
北欧旅行で好きになった浅煎りコーヒー
飲めるとこ見つけた。
ケーキも頼んじゃった分おべんきょおべんきょ。
学会誌の最新号、緩和医療がフィーチャーされていましたね。
緩和。
私のメンターは緩和ケア医だったので、自分が進路で悩んでいた時に、彼がなぜ緩和を選択したのか聞いてみたことがあります。
「医者の一番の役目は苦しみを緩和することだから。自分にとってはとても自然な選択だった。」
学会の移動中に本を読んでいて、久しぶりにその先生のセリフを思い出しました。

この本が言うことには、私たちは生物医学を用いて疾患が起こした苦痛を回避する。でもそれとは別の苦しみも存在するのであって、その苦しみとは、患者さんの病の物語に組み込まれたもの。苦痛の物語は「証言する」ことによってのみ和らげられるのだそうです。
吹いてしまったのはこの後です。
“ただ聞いているだけで患者さんがありがとうございますと言うことは珍しいことではありません。”
私は昨年度、ある厳しくて有名な先生から間接的に「あいつは何もしてないわりに患者に感謝される」と言われたことがあります。それを同期から聞かされて知った時はなんとも複雑な気持ちになったものですが(反省を促されたという意味では知れてよかったけど、知るなら直接聞きたかったし、私に知らせてくれた人が私にどう思われたかったのかもよくわからない)、
この本にはいとも簡単にその理由が書いてありました。患者さんが、理解されたい、受け入れられたい、人間関係を持ち社会につながっていたいという欲求を持っているから。“病歴をとることと病に苦しむナラティブを聞くことには世界観の違いがあるのですよ。”と。
…なるほど。ナラティブを医療に取り入れることで、医者は疾患だけでなく病に苦しむ経験そのものに働きかけることが可能となるのですね。
ナラティブ・メディシン。

これは私が初めて心療内科をまわったときに師匠からもらった、biopsychosocial medicineを説明する図です。1980年代、生物医学biomedicineが一人勝ちしてきた医学が、ヒューマニズムを捨ててしまったと批判を受けるようになりました。それに応えるべくこれを生み出したのがエンゲル先生。結果、ナラティブ・メディシンが医学の一部として注目されるようになったのだそうです。
週末、髪が増えちゃってまとまらなくて肩も凝るのでバッサリ切ってください!と美容院に駆け込んだのですが
まだそんなに伸びてないよと言われました。
話すにつれて髪のせいでなく肩凝ってる説が浮上しながらも、いつもより少ない量をカットしてもらった私はじゅうぶん満足感を得てお金を払った。
医者よりナラティブうまい人はそこら中にいる気がします。