伊都国 3-3
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出雲の銅鐸のレプリカがありました。鳴らしてみたら 不思議な音色でした。
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現在の糸島市の地図です。赤い丸はこの博物館の場所で 伊都国の中心部だったそうです。
伊都国の港の場所を 学芸員の方にお聞きすると 「糸島半島の東側(右側)は海が浅く、西側のほうが深いので
おそらく西側の海だと思われますが、記録や出土品がないので断定はできませんが」と
おっしゃっていました。青い丸は私が書きました。
「港からこの中心部へ 広い道路がまっすぐに通っていたはずなのですが、残念ながらその間は
ほとんどが田んぼで、発掘できないでいます。道路が発掘できればいいのですが」とおっしゃっていました。
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博物館のすぐ裏手(南側)は背振り山です。あの山の向こうが吉野ケ里です。
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徐福が生涯を過ごしたと伝わる吉野ケ里です。
その奥の山が背振り山で 山の向こうが伊都国です。
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伊都国の海です。本当は伊都国の海も見たかったのですが、この後佐賀の浮杯へ向かうので時間が無くなり
残念ながら海は見れませんでした。
この写真は糸島市観光協会のホームページからお借りした伊都国の海です。
この海を越えて 朝鮮半島の帯方郡へ幾多の船が行き来したのですね。
機会があれば この海を将来ぜひ見てみたいものです。
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と言うことで 豊玉姫女王と同様に伊都国も記紀では完全に無視されています。
だって「渡来人徐福の子孫の九州王国が二度も大和へ攻め入り、挙句にヤマトの王国や、出雲王国を
血で血を洗う戦で責め滅ぼして新しい征服王朝を打ち立てた」なんてことは絶対に書けませんから。
持統、不比等らの 「自分たちの祖先は天から降りて来て出雲の国を譲ってもらい、その後万世一系の
王家である」という嘘がバレルので 絶対に無視せざるを得ないのです。
それに 伊都国のことを詳しく書けば 和国が魏の属国だった事実がばれて またも万世一系が
崩れるのです。
さすがに徐福は無視することができず、素戔嗚(すさのお)と名前を変えて記紀に登場させますが
ヒミコや豊玉姫など触れてはならないのです。もちろん伊都国にも。
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面白そうな本を伊都国歴史博物館で見つけました。
即購入しましたので 内容は後日載せようと思います。
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次は徐福2回目の和国上陸地の浮盃(ぶばい)です。
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