アウトドアライフの記録 その2

「アウトドアライフの記録1」の続きです。山歩き、桜や紅葉、季節の風景、古代史の舞台、南の島を尋ねた記録です。

私のご先祖様が毎日通勤で歩いた安来市月山富田城への道を歩く その1 2020年9月9日

2020-10-07 19:22:46 | 島根の山を歩く

月山富田城への道を歩く その1  

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月山は島根県安来市広瀬町にあり、山頂に富田城がかってそびえていました。戦国時代の大名 尼子経久(つねひさ)をはじめとする尼子氏の居城であり、最盛期は山陰山陽12か国を治める大大名でした。最終的には毛利氏に敗れるのですが。

その忠実な家臣の「山中鹿之助」の名台詞 月に向かいて「願わくば 我に七難八苦を与え給え」が有名ですね。

富田城(とだじょう)は 日本城郭百選(誰がどんな基準で選んだのか知りません)にも選ばれているらしく 私が歩いたのは平日でしたが 私と同時刻に7、8人のお城マニアが登っていました。

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昔私の爺さんの仏壇を掃除していて 過去帳を眺めていたら ジーさんが11代目で初代の人は 松原孫兵衛という人で

延宝四年(1676年)五月没と書かれていました。その仏壇の置かれている親戚のおばさんの話では そのじーさんが書いた

家系図もあるというので見せてもらいました。それには初代の松原孫兵衛さんは寛文六年(1666年)五月没とかかれて

いました。いずれも徳川四代将軍家綱の時代です。

 

伯母さん(母の妹)の話では その初代の孫兵衛さんの四代前まで 月山富田城に勤める勘定方のお侍さんだったということです。

江戸時代に名字を名乗れるのは武士だけでしたから初代の松原孫兵衛さんは当然武士だったのでしょう。

つまり私から見ると17代前の人まで何代かのお侍が 毎日富田城への道を通勤で歩いていたということです。

それでいつかは 私も歩いてみたいと思い続けていました。

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月山ふもとの観光案内所の前に置いてある 月山富田城の模型です。

前を流れる川は飯梨川です。
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道の駅の駐車場の 富田城説明看板です。
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城跡への案内看板です。どうせ山道だろうと思い マダニ対策の長ズボンとスパッツ、長そでシャツと帽子

を装着してこの看板を見ていたら 通りがかりの地元の方が 「途中に駐車場があるので 車でそこまでいけば半分くらいの時間で行けますよ」と教えて頂いた。

丁重にお礼を申し上げてから この道を歩きに来た理由を申し上げると びっくりされていました。ということで ここからスタートしました。
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ここからスタートです。突然雨がぱらついたので 車に積んであった 娘のお古の真っ赤な傘をさして歩き始めました。これが後ほどお城マニアのおっちゃんたちからクレームが来ました。
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雨はすぐに止んで カンカン照りの蒸し暑い山道を歩きます。

じりじりと照り付ける太陽を赤い日傘で影を作りながら 蝉時雨の中を ご先祖様に思いをはせながら歩きます。
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しばらく歩くと広場に出ました。
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尼子神社と書いてあります。尼子氏の代々の当主が祀られていました。
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広場に面して山中鹿介の像が建っていました。
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鹿之助の説明看板です。

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広場を進むと「花の壇」と呼ばれる復元屋敷があり、その先の山上に石垣が見えます。
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石垣の横を進みます。

この石垣も 廃城のあと崩れて土に埋まっていた石垣の石を掘り起こして

復元したものだそうです。

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しばらく進むと山中御殿(さんちゅうごてん)と呼ばれる大きな屋敷跡がありました。
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振り返るとあちこちに 建物や櫓のあったと思われる平地があります。
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山中御殿はとても広い場所です。ふもとからは想像もできませんでした。

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広場に立っている富田城の復元図です。右中央にたくさんの屋敷跡が書かれているのが 山中御殿です。

ここを抜けて ジグザグの山道、七曲りと呼ばれる道を進むといよいよ三の丸、二の丸、本丸です。

 

私のご先祖様は 毎日この屋敷のどこかに通勤して仕事をして給料をもらい家族を養っていたと思うと感慨深いものがあります。

しばらくここにたたずんで 物思いにふけりました。
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いよいよここからお城へ向かいます。
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登りながら振り返ると山中御殿が広いのがよく分かります。

こんな広い屋敷があるなんて ふもとからは全く想像できませんね。まさに山中御殿です。
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その2へ続く
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