舵楼の月 平清経 / 月岡芳年「月百姿」
50 The moon and the helm of a boat --- Taira no Kiyotune / Stevenson J: Yoshitoshi’s one hundred aspects of the moon, Hotei Publishing, 2001
小松殿の三男左の中将清経は、もとより何事も思ひいれたる人なれば、「都をば源氏がためにせめおとされ、鎮西をば維義がために追ひだされる。網にかかれる魚のごとし。いづくへゆかばのがれるべきかは。ながらへはつべき身にもあらず」とて、月の夜心をすまし、船の屋形にたちいでて、横笛ねとり朗詠してあそばれけるが、閑に経よみ念仏して、海にぞ沈み給ひける。男女泣きかなしめども甲斐ぞなき。
(巻第八 大宰府落│「平家物語②」, p119-120)
清経「かつては父上に仕えておられた方まで、我等平家を討つと。」
資盛「それが世の中というものだろう。
強いほうにつかねば自分が痛い思いをする。」
清経「だとすれば、誠実さや実直さや恩義というものは、
意味をなさぬではありませぬか。」
資盛「我等平家にそれがあったと。」
(絶賛放映中のTVアニメ「平家物語」第九話より)
平重盛の恩顧を被った人々との関係は畢竟一代限り、当人が泉下の人となれば債権消滅である。源氏がため維義がためと落魄の道行を慨嘆する前に、問うべきは次代のおのれ等がいかに新たな双務契約を結び得たかであろう。先代の恩義に報いて、その後も一門に変わらぬ厚情をみせる輩は限られる。たかり尽くし貪る旨味が失われたなら、口を拭い離れ去るのが当の然で、それが現代においても塵俗の習いである。さりながら、いかに取り繕うとも御身大事の陋劣な振舞という事実に変わりはない。高潔無比、清廉潔白、歳寒松柏の人品との相違は明白である。
應に憐れむべし。未必長如此、芙蓉不耐寒(いまだ必ずしも長(とこし)えに此(かく)の如くならず、芙蓉は寒に耐えず)は寒山詩の一節である。
参考資料:
市古貞次校注・訳:日本古典文学全集「平家物語②」,小学館, 2015