花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

源義経と梶原景時が生きた時代│鎌倉殿の13人・第8回「いざ、鎌倉」

2022-03-05 | アート・文化
NHK大河ドラマ《鎌倉殿の13人》(脚本は三谷幸喜、敬称略、以下同文)、先週放映の第8回<いざ、鎌倉>で、源義経(演者は菅田将暉)は野兎の帰属を行きずりの野武士と争う。遠矢を競うと合意させ、同時に矢を放つと見せかけ相手が射た直後、その男に向かって矢を放つ。別の場面では、里芋の鍋を取り巻き箸でつかめぬと騒ぐ従者達を尻目に、瞬時に箸を芋に突き立て旨いと食す。見るものを完璧に圧倒し鼻白む隙を与えない、清々しいほどの”おごりの春”、“時分の花”の若武者像である。気に臨み変に応じた当機立断、意味なきもの一切を截断し顧みず、おぼつかない遅疑逡巡は微塵もない。“いくさは平攻め”(ひたすら攻め立てること)と逆櫓で争い、那須与一に黒革威の男を射倒させた、『平家物語』に描かれた後の義経像に重なる演出である。

一方、後世に判官贔屓される義経に対する讒言などの敵役を担わされた梶原景時(中村獅童)だが、坂東武者集団の中では異色で、「文筆に携はらずといへども、言語を巧みにするの士なり。專ら賢慮に相叶ふと云々。」と『吾妻鏡』に記録がある文武両道の武人官僚である。<いざ、鎌倉>では戦いの最中に盆景を丹精する一場面があり、大庭景親(國村隼)を見限ったことを傍らの北条義時(小栗旬)に告げて小枝を切り落としながら、“粗暴な”男は苦手でなと言い放つ。盆景は器の中に秩序ある小宇宙を構成する造形である。

何を是とし非とするかが相異なる二人の武人は、奇しくも「狡兎死して走狗烹らる」の同じ運命を辿る。獅子身中の虫と組織にみなされたか、時代の潮流が粛々と要無きものと引導を渡したか。ともに弊履のごとき使い捨てられ感は半端ない。
 最後に記すのは『実朝考』からの心に残った一節である。現代の価値基準、道徳倫理で「譎而不正」、「正而不譎」の裁定を下せば、確実に過去の歴史を見誤るに違いない。

「つまりこれは後世の朱子学ふうの観念的君臣関係ではなくて、歴史の桎梏を脱したばかりの気迫にみちた自由人どうしの、反逆の可能性をいつもはなさない主従関係なのである。もしそれがかれらの代表としてふさわしくないのであれば、かれらは頼朝でさえ殺したであろう。」
(「実朝考---ホモ・レリギオーズスの文学」, p26)

参考資料:
貴志正造訳注:「全譯吾妻鏡」第一巻, 新人物往来社, 1976
市古貞次校注:新編日本古典文学全集「平家物語②」,小学館, 1994
中野孝次著:「実朝考---ホモ・レリギオーズスの文学」, 講談社, 2000