あまりの面白さに、感にたへざるにやおぼしくて、舟のうちより年五十ばかりなる男の、黒革威の鎧着て白柄の長刀もったるが、扇たてたりける処にたって舞ひしめたり。伊勢三郎義盛、与一がうしろへあゆませ寄って、「御定ぞ、仕れ」といひければ、今度は中差とってうちくはせ、よっぴいてしやくびの骨をひやうふつと射て、舟底へ逆さまに射倒す。平家の方には音もせず、源氏のかたには又箙をたたいてどよめきけり。「あ、射たり」といふ人もあり、又、「なさけなし」といふ者もあり。
(巻第十一│市古貞次校注:新編日本古典文学全集「平家物語②」, p360-361, 小学館, 1994 )
源平合戦の合間、平氏は一艘の小船に”みな紅の扇”(みなぐれなゐのあふぎ、赤地に金色の日の丸を描いた扇)の的を立て、傍らに立つ若い女房に陸の源氏勢に向って手招きをさせた。坂東武者の威信を賭けて選ばれた弓の名手、那須与一宗高は、決死の覚悟を胸に的に臨み、見事に扇を射落とした。その後与一は再び義経の命を受けて、感に堪えず舞い始めた平家の武士を射倒した。
討つか討たれるかの容赦ない世界で「弓馬に携わるの者」が片時も忘れてはならない用心と覚悟を平氏は失っていた。しかしこの落日の情景は敗者しか演じ得ない有終の美に彩られている。文化や教養の類は遠矢の恣意に晒されたら最後、射抜かれ虚空にひらめき海に散るしかない。だからこそ其処には掛け替えのない人間的営為がある。
(巻第十一│市古貞次校注:新編日本古典文学全集「平家物語②」, p360-361, 小学館, 1994 )
源平合戦の合間、平氏は一艘の小船に”みな紅の扇”(みなぐれなゐのあふぎ、赤地に金色の日の丸を描いた扇)の的を立て、傍らに立つ若い女房に陸の源氏勢に向って手招きをさせた。坂東武者の威信を賭けて選ばれた弓の名手、那須与一宗高は、決死の覚悟を胸に的に臨み、見事に扇を射落とした。その後与一は再び義経の命を受けて、感に堪えず舞い始めた平家の武士を射倒した。
討つか討たれるかの容赦ない世界で「弓馬に携わるの者」が片時も忘れてはならない用心と覚悟を平氏は失っていた。しかしこの落日の情景は敗者しか演じ得ない有終の美に彩られている。文化や教養の類は遠矢の恣意に晒されたら最後、射抜かれ虚空にひらめき海に散るしかない。だからこそ其処には掛け替えのない人間的営為がある。