花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

きぬたを巡りて│其の一 キヌタ骨と「砧」

2016-11-05 | アート・文化

Fig5-14, 鼓膜(tympanic membrane)の4象限 / Goycolea MV, Paparella MM, Nissen RL: Atlas of otologic surgery, W.B.Saunders, 1989

体の中で最も小さい骨である耳小骨の一つに、砧(きぬた)の名前が付いたキヌタ骨がある。砧とは、洗った布を棒や槌で叩く布打ちに使う石製ないし木製の台、またはこの作業自体を言う。この砧の台、棒や槌などの道具、また砧を打つ音を意味するのが砧杵(ちんしょ)である。砧打ちの道具の形態も時代とともに変遷する。
 鼓膜に達した音の振動は、中耳鼓室内のツチ骨(槌骨、Malleus)、キヌタ骨(砧骨、Incus)、アブミ骨(鐙骨、Stapes)から成る耳小骨連鎖に伝わる。布打つ砧の作業の様に、鼓膜に接するツチ骨の振動を受け止めるのがキヌタ骨である。ちなみに鼓膜の部位はツチ骨柄延長線と臍で直角に交わる線を引いて4区画(four quadrants)に分けて、各々前上・前下・後上・後下象限と名付けられ、キヌタ骨は後上象限後方に存在する。耳小骨の離断、硬化や奇形などがない限り、キヌタ骨に伝わった音の振動はアブミ骨経由で内耳の蝸牛に伝わる。蝸牛の有毛細胞により振動から神経パルスに変換された音情報は、内耳と脳幹を連絡する聴神経、脳幹の蝸牛神経核や幾つかの中継点を経て、大脳皮質の聴覚野に到達して音として認識される。
 秋の夜長に行う砧打ちの音は、古来、物悲しい季節を感じさせる風物詩として詩や絵画に取り上げられてきた。きぬたが伝えるのは音であり心である。


時代物の砧杵

橡(つるばみ)の 衣解き洗ひ 真土(まつち)山 本(もと)つ人には なおしかずけり   万葉集巻第十二:寄物陳思

千五百番歌合に
秋とだに忘れんと思ふ月影をさもあやにくに打つ衣かな   新古今和歌集巻第五:秋歌下 藤原定家朝臣

心の澄むものは、秋は山田の庵毎(いをごと)に、鹿驚かすてふ引板(ひた)の聲、衣しで打つ槌の音   梁塵秘抄


秋篠邑 / 大和名所圖會巻之三, 秋里籬島著, 春朝斎竹原信繁画

長き夜の伊駒おろしや寒からむ秋しの里に衣打つ也   壬二集 / 夫木和歌抄巻十四:秋五 藤原家隆 

題知らず
秋篠や外山の里やしぐるらん生駒の嶽に雲のかかれる   新古今和歌集巻第六:冬歌 / 宮河歌合 西行

秋篠や庄屋さへなき村しぐれ   野沢凡兆

参考資料:
新潮日本古典集成41『万葉集三』新潮社, 1980
新古典文学全集43『新古今和歌集』小学館, 2012
日本古典文学大系73『和漢朗詠集 梁塵秘抄』岩波書店, 1946
岩波文庫『西行全歌集』, 岩波書店, 1946






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