家族が倒れたとの知らせが入り、かつて朝まだき飛び乗った、新幹線の一月の車窓から仰ぎ見た富士山。あれから何年たっただろう。京都と東京を行きつ戻りつするなかで数えきれないくらいの富士山を見た。それでも窓辺で塩垂れた私を傲然と睥睨していた、あの時の富士山ほど美しい富士山を私はいまだかつて知らない。いや私は確かに富士山を見上げていたが、富士山に視界というものがあるならばその一隅にさえ私の姿は映ってはいなかった。寄り添うといったふやけた生暖かさには遥かに程遠く、旅中の窓に次々と映りゆく点景に瞭然たる一線を画し、富士山は紛れもなく其処に有った。
家族が倒れたとの知らせが入り、かつて朝まだき飛び乗った、新幹線の一月の車窓から仰ぎ見た富士山。あれから何年たっただろう。京都と東京を行きつ戻りつするなかで数えきれないくらいの富士山を見た。それでも窓辺で塩垂れた私を傲然と睥睨していた、あの時の富士山ほど美しい富士山を私はいまだかつて知らない。いや私は確かに富士山を見上げていたが、富士山に視界というものがあるならばその一隅にさえ私の姿は映ってはいなかった。寄り添うといったふやけた生暖かさには遥かに程遠く、旅中の窓に次々と映りゆく点景に瞭然たる一線を画し、富士山は紛れもなく其処に有った。