花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

冬の養生│冬のように生きる

2015-12-27 | 二十四節気の養生


冬は立冬から小雪、大雪、冬至、小寒、大寒までの六節気である。本年の立春に始めた《二十四節気の養生》は一巡まで残すところ二節気となった。さて四季を通して養生で一番重点を置くべきことは何だろう。それは「養神」であって「養形」ではないと、中国前漢時代の思想書『淮南子』は述べる。以下はその泰族訓における一節である。
「治身, 太上養神,其次養形; 治國,太上養化,其次正法。神清志平,百節皆寧,養性之本也; 肥肌膚,充腸腹,供嗜欲養生之末也。」
(養生の方法として最上は精神の修養にあり、次に問うべきが身体の保養である。国家を治めるにあたり人の心を教化することが最上の策で、次が法律での統治となる。精神が清らかで志が穏やかであれば、全身の節々が安らかになる。これが養生の根本原理なのだ。肌をふくよかに、腹を一杯に、欲望を満足させることは養生の末節にすぎない。)

心と身体の問題を考える時、形と神、物質(肉体)と精神は不可分の相互関係にある。形を否定して生命の存続は有り得ない。従ってハードの保守(養形)は大切である。そしてそれ以上に、システム全体の管理を行うオペレーティングシステム(OS)のデバッグ(養神)が重要である。これが出来てこそ、コンピュータは支障なく動作する。すなわち《小雪の養生》で触れた「恬惔虚無, 眞気従之, 精神内守, 病安従来。」(物事にこだわらず心安らかであれば、充実した生命力はおのずから付いて来る。心身を充実させて内部にゆるぎなく保持していれば、病気など入り込む余地はない。)である。栄養素摂取や身体鍛錬、睡眠の工夫などは、OS上で動く養形のためのアプリケーションソフトである。これらが不具合なく動くかどうかは基盤となるOSの安定性にかかっている。

心神を守り養い安寧に保ってゆくことは決して容易ではない。ともすれば世俗の物事や人事での葛藤に巻き込まれ、七情内傷(喜、怒、憂、思、悲、恐、驚など七種類の過ぎた感情が、全身・臓腑・器官の機能活動に影響を与えて疾病を発症させること)に陥ることになる。今一度「恬惔虚無」あるいは「恬惔寂漠、虚無無為」の意味を踏まえ、何事にもこだわらず執着からは離れた静けさに身をおいて、心を空っぽにしてことさらな作為をしないことが肝要となる。《冬の詩》に歌われた如く、冬は今こそ賢しらな我(が)は捨てよと我々に迫っている。



「冬三月, 此謂閉蔵, 水冰地拆, 無擾乎陽, 地気以明, 早臥晩起, 必待日光, 使志若伏若匿, 若有私意, 若已有得, 去寒就温, 無泄皮膚, 使気亟奪, 此冬気之応, 養蔵之道也。逆之則傷腎, 春為痿蹶, 奉生者少。」(『黄帝内経』素問・四気調神大論篇第二) 
(冬、三月、此れを閉蔵(へいぞう)と謂う。水は冰り地は拆(さ)く、陽に擾わされること無れ。早に臥せ晩に起き、必ず日光を待つ。志をして伏するが若く匿すが若く、私意有るが若く、已に得る有るが若くならしむ。寒を去り温に就き、皮膚より泄し、気を亟奪(きょくだつ)せしむること無れ。此れ冬気の応にして蔵を養うの道なり。之に逆うときは則ち腎を傷め、春痿厥を為す。生を奉ける者少なし。)

『黄帝内経』が説く季節の養生において、生長収蔵の四文字で表される四季の属性の中で、冬は貯蔵の「蔵」であり、冬の三か月は「閉蔵」と名付けられる。「閉」はとじる、しめる、「蔵」はおさめる、かくすを意味する。寒冷気候の下、水は氷となり凍てついた大地はひび割れる。草花はすっかり枯れ果てて、種子は土中に埋もれて時を待ち、冬眠する動物は身を隠して冬越しの態勢に入る。冬は木、火、土、金、水の五行の中では「水」にあたる。水が低きに流れ込み、地中深くに地下水源として蓄えられる様に、大自然の陽気は潜降し伏蔵される。そして五臓の中では、封蔵之本とされる「腎」が冬の臓である。

寝起きに関し、春と夏は「夜臥早起」、秋は「早臥早起」であったが、冬には「早臥晩起」となる。朝は秋よりもゆっくりと、必ず日が昇るのを待って起床する。そして夕方になれば活動を控え身体を休めて、他の季節よりも睡眠時間を増加させる必要がある。春と夏は陽を養い、秋と冬は陰を養う時期であり、さらに昼間の陽の時間(交感神経優位)を減らし、陽気が内に収束する夜間の陰の時間(副交感神経優位)を増やすのである。起床後は、体内の陽気を妄動し散失しない為に、身を伏せて隠れる様に、隠し事がある様に、そしてすでに物事を得てしまった時の様に、気持ちを収めて表立った積極的な行動はとらない。冬は秋とともに、もはや志を外に盛んに発信して外界で大いに活動する季節ではない。そして寒冷を避けて温暖につとめ、運動で大いに発汗し陽気を散逸させることは避けねばならない。

以上が冬の気候や地象など天地の動態に対応した、閉蔵の働きを助け養う仕方である。これらに反すれば、冬に働きが旺盛となる腎を障害して、春になって痿厥(いけつ)の病変がおこる。すなわち冬の閉蔵で蓄えるべき力が妨げられ、春の生長の力に引き継ぐことができずに病を発症すると警告がなされる。痿厥は、下肢が委縮して歩行困難が主症状となる痿病(下肢の神経麻痺、筋肉委縮による運動麻痺を主症とする疾患群)に気血厥逆(血行障害)を兼ねた病証である。またさらに陰陽応象大論篇や生気通天論篇では「冬傷於寒, 春必温病」(冬、寒に傷られ、春必ず温病となる)と、冬に遭遇する寒邪を感受して、春に至って伏寒化熱により生じる急性熱病の伏気温病「春温」に対する警鐘が述べられている。春温については《春の養生│春のように生きる》を御参照されたい。