花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

名もあらたまる│當る申歳「吉例顔見世興行」

2015-12-24 | アート・文化


京都河原町四条、南座にまねきが掲がり、當る申歳、吉例顔見世興行、東西合同大歌舞伎が始まった。今年も師走の吉日、観劇の機会を得た夜の部の演目は、第一「信州川中島合戦、輝虎配膳」、第二「四代目中村鴈治郎襲名披露口上」、第三「玩辞楼十二曲の内、土屋主税」、第四「歌舞伎十八番の内、勧進帳」である。(以下敬称略)

「信州川中島合戦、輝虎配膳」 母親を篭絡して山本勘助を寝返らせようと画策する長尾輝虎(中村梅玉)に対し、勘助の老母越路(片岡秀太郎)は、息子に筋を通させ義を貫かせんがため一歩も譲らない。将軍家から拝領した小袖の進呈も古着など着るかと言い捨てる。大将自らが運んだ膳をも蹴っ飛ばす。かくして釣り針付の接待を嘲笑い、駿馬の老骨にみなぎる気概をみせて、最後は勘助の妻、お勝(中村時蔵)の身を挺した機転に救われ無事に館を後にする。幕外の引込みで城に向かい無礼を心で詫びて手を合わそうとするが、それも途中でやめにする。その風姿は、卒塔婆に腰掛ける姿を咎めた僧を相手に丁々発止の問答を展開する《卒塔婆小町》の百歳の姥となった小町に似通う。身体は円背になろうとも、心根の背筋がぴんと張られた老いは美しい。

「四代目中村鴈治郎襲名披露口上」 幹部俳優総出演で、後見人の片岡仁左衛門の襲名披露口上から始まり、舞台上手下手に列座する役者の口上が続く。御父君の坂田藤十郎の後で、四代目が面を上げて翫雀改め鴈治郎襲名の挨拶となった。二階の最前列から見下ろしながらは甚だおこがましいが、この一刻、襲名披露に遭遇させて頂いたのを御縁と感じ、ますますの御活躍をと願う気持ちが自然に湧いて来る。通りすがりの烏合の衆に過ぎない私がそう思ったのだから、初舞台の子供の頃からずっと見守ってこられた御贔屓筋の感慨はひとしおであろう。

「玩辞楼十二曲の内、土屋主税」 吉良邸隣家の御大身旗本、土屋主税(中村鴈治郎)が主人公である。山鹿流陣太鼓は真の武士の耳にしか届かず、武士の心は武士にしか解らない。礼を尽くして土屋邸を辞した大高源吾(片岡仁左衛門)を見送った後の、「浅野殿はよい家来をもたれた」という土屋候の詠嘆は、事が起こった元禄十五年、殿様と名の付く多くの主人達の心底と同じであったろう。眼前に控える家来達をずいと眺めて、彼等なら如何にと殿様連は思いを馳せたに違いない。それにしても芝居中の晋其角(市川左團次)の描かれ方は軽い。人の機微を知るべき俳人が大高源吾の真意を読み取れず、勝田新左衛門の妹お園(片岡孝太郎)を馘首せよと土屋邸に慌ただしく御注進の挙句に、討入ったと知るや松の木に登り野次馬見物をする。この作とは関係はないが、「かれは定家の卿也。さしてもなき事をことごとしくいひつらね侍る、ときこへし評に似たり。」というのが松尾芭蕉が残した宝井其角評である。

「歌舞伎十八番の内、勧進帳」
 《安宅》を踏まえた松羽目物の演出で、勧進帳の読み上げから、緊迫した山伏問答、四天王を金剛杖で押しとどめる詰寄り、そして幕切れの飛び六方まで、文字通り手に汗握る、息をもつかせぬ展開である。武蔵坊弁慶(市川海老蔵)の動が舞台狭しと炸裂し、富樫左衛門(片岡愛之助)の静は一歩も行かせぬと相打つ。関所での窮地を脱した後、危機を脱出するための思案とは申せ、主君を打擲した弁慶は涙にむせて平伏する。その弁慶に向かって労わりの手を差し伸べる源義経(中村壱太郎)の姿は、幾多の戦いで敵をねじ伏せて来た筈の血の匂いなど微塵もなく、気品に溢れて優美であり、あまつさえ儚げである。判官贔屓のこちらの心情をかき立てて余りあり、観る者は愚直なまでに一途な弁慶の心に同化することになる。ところで弁慶に向かって伸ばした義経の手、感無量な面持ちで主を拝し自らも手を捧げる弁慶。この手と手の構図は何処かでかつて見た様な。ミケランジェロが描くシスティーナ礼拝堂の《アダムの創造》である。神がアダムに命を吹き込むべく、そしてお互いの指はわずかに離れる。勧進帳の両者の手はこれよりも離れて、しかしこの距離にこそ今生の主従を超えた聖なる絆を感じたのである。