朝礼の話題

見たり読んだりして、感じたことを朝礼で話しています。この頃は仕事の話は少なくなりました。

昭和20年を振り返れ

2011-05-11 08:19:54 | 21世紀
戦争が終わった時
2011/04/29
 第二次世界大戦の終わった昭和20年、食べるものもなく、着るものも古着、家は間借りの疎開、履くものもなく裸足で歩いていました。別に戦災孤児でもなく普通です。私(渡邉)は国民学校1年生ですから楽しいばかりでした。
 親たちも近所の人も、明るい雰囲気でした。疎開先の田舎の鉄道で配給の砂糖が送られて来ました。4年生の大将の指揮で砂糖貨車を子供だけで襲撃などもしました。買い出しの列、闇市の賑やかさ、町には威勢のいい特攻隊帰り、きれいなパンパン、格好良いアメリカ兵がいっぱいでした。
 大津波・原子力発電所事故で、東北の町は戦後の焼け野原のようです。
 この焼け野原から、新しく何もかも生まれるのです。
 新聞やテレビを見ていると、もう日本は終わりだという雰囲気です。これせは、外国人も来たくなくなります。
 あの戦争のあと、映画「野良犬」「天国と地獄」「酔いどれ天使」「生きる」などの背景の世相の通りで、苦労の中にも明るさ・前向きの力がありました。
 九州に住む私が、安楽な生活しながら、言うのもどうかと思いますけれども、新聞やテレビは、真実の姿・潮流としての雰囲気を伝えていない、あえて気分を悪くすることばかりを見せているとしか思えません。
 政治の悪さ・菅総理の責任逃れ・東電がいかに悪いかとばかりいうけれど、
幹線道路の復旧の速さ、避難所への物資輸送、電気の送電、ごみの片付けと着々と進んでいることを、悪意を持って無視しています。
 「日本を信じてる」「君は一人ではない」などの震災応援メッセージもうつろに聞こえます。「芸能人が炊き出しに行った」「応援のコンサートをした」「募金をいくら集めた」のニュースはいりません。彼らが黙ってそんな活動をしているのが奥ゆかしいですが、マスコミはそれをお仕着せ美談に仕上げます。

 あの戦後の、新しく始めるエネルギーを湧き起こしたいものです。
 東電の補償がどうだ、義捐金の配分がどうだ、風評被害で野菜が売れない、そんな話題はいりません。木材の緊急輸入が決まった。ベニヤ板はインドネシアから何時どれくらい入ってくる。屋根材の製作は順調だ。ハウスメーカーは生産を倍増した。などの建設応援ニュースで建設の雰囲気を作るべきです。
 悟り顔で、自分の意思でしゃべっているような女性キャスター・NHKの国谷さんなど、何が分かっているのか?「何か行動で被災者のためになることをしてみなさいよ」と言いたいです。ニュースはアルジャジーラのアナウンサーが言う雰囲気でやりましょう。言わされている天気予報のようでいいです。


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