朝礼の話題

見たり読んだりして、感じたことを朝礼で話しています。この頃は仕事の話は少なくなりました。

終戦の思い出

2016-08-14 22:20:54 | 21世紀
終戦の思い出
2016/08/15
 昭和20年8月15日に、私は国民学校1年生でした。
 小倉の西小倉小学校に4月に入学しましたが、6月には空襲が激しくなり、住んでいた菜園場にはB-29が墜落することもありました。深さ5m直径20mくらいの大穴が開いていました。 夜は、大抵、防空壕で寝ていました。 近くの愛宕山(小倉高校の裏山)には、高射砲陣地があり、昼間子供が遊びに行くと、暇なのでしょう、兵隊さんは良く相手をしてくれました。 高射砲は、弾を飛行機に当てるのではなく、高度を測定し、その高さで爆発させると、弾の破片で飛行機を傷つけるなどと習いました。
 6月には、疎開と言って、家を売らされ、防火帯とされ、田舎に引っ越しました。
 山口県の西市というところで父の生まれ故郷です。
 西市国民学校は、運動場は全部畑になっていました。サツマイモが植えてあり、1年生の仕事は、芋の葉をとることでした。100本ごとにひとくくりにし、50くくりくらい作りました。芋の葉は、食料として町で配給になるのだと、大事な仕事だと強調されました。
 小月に航空隊があるからでしょう、空襲警報が田舎でもよく鳴りました。
 そうすると授業は裏山で行われ、遠足気分で楽しいものでした。
 飛行機が山に落ち、子供たちは、防弾ガラス取りに行きます。防弾ガラスはプラスチックの一種でしょう、机に擦り付けると、甘い良い匂いがするので人気でした。
 紙がないのでしょう、1年生の試験や作文・お絵かきは、上級生の試験用紙の裏紙です。
 4年生の試験答案紙が配られ、その内容を見ると、1年生にはとても難しく、4年生はすごいもんだと尊敬したものです。
 8月15日は、快晴の暑い日でした。 祖父が町内会長していたので、近所の人20人位が家の裏でラジオを聞きました。あまり良く聞こえず、誰も何のことか分からないようで泣いたりする人も記憶にありません。
 家に入るのに、顔を洗えと言われ、井戸水で洗うととても冷たく目が覚めた気分だったのを覚えています。
 すぐに進駐軍が田舎にも来て、武器の回収です。河原に鉄砲・刀が山積みされ灯油で燃やされ、みなひん曲がったスクラップになりました。
 ジープが神社の石段をそのまま登ったと評判でした。
 秋の祭りは、華やかでした。どこにこんな人がいるかというように雑踏でした。

置き去り

2016-08-14 22:16:28 | 21世紀
・置き去り
2016/08/14
 北海道・函館・近郊の山で、置き去りにされた小学校2年の大和君は6日ぶりに救出されヒローになっています。適切な決断をしたと褒められています。しかし、一番適切な行動は、「その場に留まること」だったと思います。自力で生き残るのも一つの方法ですが、他人に助けてもらうことを考えない「歩き続け」は、何千人の大人を空回りさせました。
 捜索の大人たちは、山の中を歩き回り、道路上を無視していたようです。いくら子供でも道なき山中に入ることはないと考えないのでしょうか?

 置き去りと言うと、私のいとこA子を思い出します。A子の母(私の叔母)は小月で航空自衛隊員の下宿をしていました。A子は幹部候補生から見初められ結婚しました。子供が出来、任地が東京になり、引っ越ししました。東京に家を借り、居ついてすぐ、夫婦と子供で銀座に行きました。そこでA子は夫にはぐれ迷子になりました。お金は主人がすべて持ち無一文でした。警察に行き金を借り、初めての電車に乗り、家に帰りつきました。そこには夫が待っていて、「3時間もかかって不合格」と言ったそうです。自衛隊式のサバイバル訓練をされたのだそうです。怒ったA子は、実家に帰って、離婚騒ぎでした。
 何を躾けようとしたサバイバル訓練だったのでしょうか?
 当時は私も若く、笑い話に感じましたが、知らぬところ、外国や山の中だったりしたら大変なことですね。沖縄だったら、米軍人に襲われたかも知れませんね?
 マズローの5段階欲求では、安全欲求は一番基本の欲求です。置き去りは、安全欲求の訓練でしょう? 大きな勉強になるでしょうが、ストレスも大変なものと感じます。
 私の次女、直子は、4才の時、小倉・徳吉に住んでいたとき、近所の子供と裏山で遊んでいて、はぐれ迷子になりました。5kmくらい離れた両谷出張所というところから電話があり、お宅の娘を預かっているとのことで、迎えに行くとパンを貰って安心して食べていました。
 家に帰って近所の人と話していたら、「山で普通じゃない泣き声がしていたけれど、あれがそうだったのかも」という人がいました。あとは、少し、引きこもり気味になりました。
 一人になること、一人で生活することは、人生修行で大切なことです。甘やかされて成長した私は、下宿生活で、いま考えるとバカなトラブルを起こし、追い出されたりしましたが、良い経験だったと感謝しています。