朝礼の話題

見たり読んだりして、感じたことを朝礼で話しています。この頃は仕事の話は少なくなりました。

ロンサム・ジョ-ジ

2012-07-16 20:10:54 | 21世紀
ロンサム・ジョージ
2012/07/17
 南米ガラパゴス諸島(エクアドル)で乱獲から唯一生き残り、「ロンサム・ジョージ」(孤独なジョージ)の愛称で知られるガラパゴスゾウガメの亜種が24日早朝(日本時間24日夜)死んだ。飼育されていた同諸島サンタクルス島の飼育・繁殖センターで職員が確認した。推定100歳以上だが、死因は不明。ガラパゴス国立公園局が解剖し詳しく調べる。
 たった1匹生き残り、寂しかったことでしょう。我々が孤独死する時の気分でしょうか?
 自然のままの条件で、生物集団が生きていれば、若い頃に沢山病気し、免疫を得た者が生き残ります。沢山生まれ沢山死に、人間でも70才まで生きる人は少なく「古希稀なり」と言われました。
 食料の少ない場所・時代では、働けなくなった老人は姨捨山に捨てられ、若い人の生き残りの一助なりました。
 自分たちの集団の生き残りのため、個人が犠牲になるのは、他の生物、蜂・蟻・ゴリラ・猿などのように生物として当たり前のことで、人間の場合、戦争で死ぬことは集団のため尊い事でした。
 21世紀の今では、病気を駆逐し、若死にすることはなくなり、平均寿命は延び、死ぬことは悪とされ老人社会になりました。死ぬことは人々の目から隠され、事故死の写真・死体は国民の目に見えないよう規制されています。
 人間は幸福に生きる権利があると決められ、医療の面でも100%正しい処置が無ければ医療事故として訴訟にもなり、自然災害でもその場所を管理する機関は訴訟されます。
 病気の痛みを和らげる医療は有り難いですが、死ぬことは悪としてあくまで阻止するのは、生物の歴史とは異なる倫理観だと感じます。
 私達は、死ねない時代に生きている。自分の種族保存のため死ぬことも悪とされる。私達は、生きる意義や楽しみをどう考えればいいのだろう?
 自分の楽しみとして、旅行し、他人から沢山のサービスを受けることを生きる目的としていいのだろうか?
 昔から、若く沢山しにましたが、彼らは死ぬとき、死ぬことを残念だと感じただろうか? おそらく、死ぬ前は意識を失い、痛みも苦しみも感じず、サメに食べられる子魚のように何にも解らないのではないか?  苦しいとか痛いとか感じているのは、未だ死ぬ時期が来ていない。神様がまだ来るな、もうちょっと苦労しろと指示していると考えよう。いずれにしろ死は損得勘定で考えるものでないとしたい。現役の判断基準「損得勘定」は通用しない世界です。