福岡市を知る&学ぶ&楽しむ!子連れおでかけと地域史を学び続ける日々

大好きなまち~福岡市~での育児やおでかけと、福岡市の地域史を知り次の世代に伝えたいと学び続ける日々を綴ります。

中学参考書と 高校日本史をベースにした〝もういちど読む〟日本史本を 今日は久しぶり開きました

2013年03月28日 21時25分18秒 | 鴻臚館とその時代を 一から知る・深める・伝えるっ(~2012年)
鴻臚館跡。

地図づくりにすすめばいいのですが、今日は ちょっと その気にならず、
久しぶりに 中学社会の参考書と、高校日本史をベースにした〝もういちど読む〟日本史本を読みました。

掘ってわかったものやこと・・・を考えたときに、
ざっくりとした分け方ですが、7・8世紀、9世紀、10・11世紀と 3つに区分して理解しようとすると
鴻臚館跡のことって わかりやすいのかな?と思ったので、
参考書や〝もういちど読む〟本で、今いちど 確認したいなと思ったんですよね。


10-11世紀にかけての鴻臚館跡の在り方を理解しようとすると
やっぱり 掘って出てきた 陶器の存在が重要になってくるのかな?と思ったのですが。

中学の参考書でも、〝もういちど読む本〟でも、
“博多(博多津)”は載っていて、輸入の拠点や 交流の場としての重要性に触れてありました。

うーん、やっぱりちゃんと あの陶器が出てきたことの意味を 説明できるようになっておかなきゃいけないですねー。


7-8世紀ごろについては やっぱり遣唐使・新羅との関係から ひもとくのがいいかな?と思って
そのあたりを読んでみました。 

この時代の説明や地図から ちゃんと“博多(博多津)”載っているんですね。


ひとまず 古代の時代の内容で 
“博多(博多津)”という地名、中学社会の参考書と 高校日本史をベースにした〝もういちど読む〟日本史本にあったことを
今日 あらためて 確認できたので、
“古代の時代の 博多(博多津)”のこと、
ちゃんと説明できるようにならなきゃなぁって 今一度 気付いたような感じです

筑紫館・鴻臚館という細かな呼び名を知りえる機会って 学生時代 どこにあるんだろうという「?」は まだ残ったままだけれど
ひとまず “博多(博多津)”という言葉と場所と その場の特徴は 
きっと高校日本史では 普通に扱うんだろうなぁということを なんとなくでも 把握できたって 大きいような気がするんです。


高校日本史をベースにした〝もういちど読む〟日本史本のほうに
ちょこちょこっと 図録にあった内容とか、掘って出てきたもののこととかの 説明の書き足しをしておこうかなー
よしよし、そこまでやっておこう♪