goo blog サービス終了のお知らせ 

我が郷は足日木の垂水のほとり

文化芸術から政治経済まで、貧しくなった日本人の紐帯を再構築したいものです

か ~ こ

2010年09月30日 | 課題分類
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

グアム

2010年09月15日 | 課題分類

 

 

 

 

グアム ( Guam もしくは Guahan

太平洋の島である。1898年の米西戦争からアメリカ合衆国の領土になった。
1941年から1944年までは日本軍が占領統治し、「大宮島(だいきゅうとう)」と呼ばれた。
経済面では、アメリカ軍と日本からの観光客が重要な位置を占めている。
日本語では「グァ・ム」、「ガ・ム」と発音されることが多いが、近年は「グ・ア・ム」の発音も主流になっている。


 

グアム島に人類が住み着いたのはB.C.3000年~2000年頃で、東南アジア系民族チャモロ人がマレーシアやインドネシア、フィリピンから航海カヌーに乗って移住してきたことに始まると考えられる。

1521年にマゼランがヨーロッパ人として初めてグアム島に到達。1565年にレガスピが来島してスペインの領有を宣言し植民地となり、1668年にサン・ビトレスを中心としたイエズス会が布教活動のため訪れるようになった。しかし、宣教師が祖霊崇拝を始めとするチャモロ人の伝統的な習慣や文化を厳しく禁止したため、不満を持つチャモロ人も多く、その不満は1669年のスペイン・チャモロ戦争として現れた。キリスト教に反抗的な村は全て焼き払われ、10万人いたとされるチャモロ人が5000人以下に激減した。そして、以降は目立った反抗は無くキリスト教文化が定着するようになったといわれている。

 

1898年にアメリカとスペインの間で勃発した米西戦争にアメリカが勝利し、同年のパリ条約によりグアム島はフィリピン、プエルトリコとともにアメリカ合衆国に割譲された。

 

1941128日に大東亜戦争が勃発。帝國日本海軍は真珠湾攻撃の5時間後(日本時間午前8時30分)、グアムへの航空攻撃を開始した。同月10日日本が占領した。19448月に米軍に奪還された。以後、戦争終結までアメリカ軍の日本本土の爆撃拠点とされた。

                                           ルーズベルト大統領の急死 の後を襲った臨時大統領は、東京大空襲のまさにその、市民大虐殺のその中でアメリカ軍の最高指揮官に就任している。ルーズベルトは4月12日に突然死を遂げた。東京空襲は前年の11月から行われていたが、大統領の死をはさんで、3月10日、4月13日、4月15日そして5月25日に焼夷弾攻撃を中心に、民間人を焼き殺す暴挙として敢行された。 ここから想像出来ることは、ルーズベルトの突然の死は、「人類の歴史への挑戦=大虐殺」を躊躇した為にコロされた。

 

 

1950年にアメリカ合衆国議会により「グアム自治基本法」(Organic Act of Guam)によって主権に制限を受け、「アメリカ合衆国自治的・未編入領域 (organized unincorporated territory)」という政治的地位となり、スキナーが初の民間人知事となった。現在まで米軍の太平洋戦略上、重要な基地のひとつとしてグアム島は活用され、近年は日本からの観光客を中心とした観光地、リゾート地として発展を遂げている。

 

地理 [編集]マリアナ諸島最大の島で、その南西端に位置する。海底火山によって造られた。北部は珊瑚礁に囲まれた石灰質の平坦な台地で、南部は火山の丘陵地帯である。最高所はラムラム山で標高406m。

年間平均気温は約26℃。

 気候 [編集]海洋性熱帯気候に属しており、年間を通して高温多湿。「常夏」といわれ、ほぼ1年中海水浴が楽しめる。6 - 12月が雨季、1 - 5月が乾季。雨季にはスコールが降る。

 主要都市 [編集]ハガニア (Hagatna) :グアムの主都、旧称:アガナ (Agana)


政治 [編集]アメリカ合衆国の準州。大統領選挙の参政権は持っていない。ストローポール(擬似投票)が行われるが、選挙結果には反映されない。

1968年以降は公選によって選ばれた知事が内政執行にあたる。かつてはアメリカ海軍による軍政だった。国家元首はアメリカ合衆国大統領。

グアム議会を形成。議会は立法院のみの一院制。

1972年以降、合衆国議会下院に、本会議での議決権のない代表を1名選出している。

米国が全面的に防衛権を持つ。このために土地を収用することもできる。

自主憲法草案が上程されたが、1979年の住民投票で否決された。その後も米国連邦政府による独立や自治の勧告は無視して、大国との特権的な関係から得られる利益を選んでいるが、次に述べるようにコモンウェルス昇格運動は見られる。

現在でも国際連合非自治地域リストに掲載されている。

 

コモンウェルスへの昇格運動 [編集]隣接する北マリアナ諸島が信託統治を経て1978年に実質的なコモンウェルスとなったことを受けて、グアムでは1980年代から1990年代前半にかけて、プエルト・リコや北マリアナ諸島と同様の自治のレベルを付与したコモンウェルスに向けた重要な推進運動があり、1982年には住民投票を実施してこの方針を決定した。 しかしながら、連邦政府はグアム準州政府の提案したコモンウェルスへの変更を拒否し、理由として改正案の条項が合衆国憲法の領域条項(Territorial Clause ,Art. IV, Sec. 3, cl. 2)と両立する内容ではないことを挙げた。加えて連邦政府との折衝に6年もの時をかけ、(The Draft Commonwelth Act of 1988)を提出し本格的な交渉を開始したのは1988年だった。これに対して運動は徐々にアメリカ本国からの政治的独立、国家としての独立、唯一の独自領土として北マリアナ諸島との連合、或いは現在合衆国の一州となっているハワイとの連合に軸足を置きつつある。一方で、中島洋のように、コモンウェルスが外交権を持たないことや、独立した場合の財政援助面での不利、連邦政府・議会との交渉を通じて内政での自治権を徐々に拡充しつつある点などを挙げて否定的に見る向きもある[9]。

2003年より2011年1月まで2期に渡りフェリクス・カマチョが知事を務めたが、カマチョは北マリアナとの連合を目指していた。


経済 [編集]通貨はアメリカ合衆国ドル(USドル)。ただし現在では日用品や土産等の購入に関し、多くの場合、少額(おおよそ100ドル以内)であれば、日本円でも通用する店舗が増えつつある。

米軍の基地関連産業とアメリカ政府からの補助金、観光業、農業、漁業が主要な経済基盤で、1980年代前半まで米軍への依存度が高かったが、米軍基地の縮小に伴い、近年は観光業が産業の大部分を占め、島民の約60%が観光業に従事している。

年間100万人以上の観光客が訪れるが、観光収入の9割以上が日本からの観光客によるもので、日本への依存度が高い。近年は特に和食料理店など、日本の外食企業の参入も多く見られる傾向にある。

2006年にグアムの携帯電話事業者であるグアムワイヤレス及びグアムセルラーをNTTドコモが買収・統合し、2008年にドコモパシフィックと社名を変更しており、国際ローミング(WORLD WING)を使って、FOMAサービス及びiモードサービスが利用できるようになっている。ただしPulse Mobileなど他の事業者によるローミングと扱いは基本的に一緒となっている(グアムはドコモパシフィックを含め、2010年現在携帯電話事業者が6社存在する)。


マグロ産業 [編集]『ミクロネシア』1997年4月号によれば、ミクロネシアの要所であるグアムは1980年代以降はマグロの転載業でも知られている。ただし、グアム周辺水域においてマグロ資源に恵まれている訳ではなく、大消費地である日本、および先進国であるアメリカ本土への航空貨物直行便がありアクセスに恵まれていることや、漁船の修理施設、乗組員の休養施設、金融サービス機関が整っていることが挙げられる。従って他のミクロネシア水域で漁獲されたマグロ類はアプラ港で水揚げされ、主に日本本土に空輸されている。漁獲を実施しているのは1990年代においては台湾籍船が最も多く、次いで日本籍船であった。

問題はグアム周辺の排他的経済水域内の開発である。アメリカ本国は1978年4月にマグナソン漁業保存管理法によりアメリカの200海里水域内での他国漁船の操業を禁止した。そのため、グアムはパラオやマーシャル諸島に比較し、資源開発で遅れをとった。1980年初頭、グアム準州政府はグアム200海里を法制化する中、外国漁船に200海里水域内での操業許可を与えようとしたが、実現しなかった。その後本格化したコモンウェルス昇格運動の背景にも、200海里内における管轄権を本国政府から入手したいという意向があり、1988年に提出したコモンウェルス法案にも経済水域問題が重要事項として謳われている。その後、本国へのロビー活動などの結果、1996年10月11日にマグナソン法の改正案が公布(Public Law 104-297)された。これは、国務省への申請、入漁料の徴収などを通じて他国漁船への漁業参加を認める内容であった。経済水域内の取り締まりは沿岸警備隊と商務省国家海洋漁業局(National Marine Fisheries Service)が実施している。1997年に海軍は艦船修理施設をグアム準州政府に移管したが、この跡地を活用してアプラ港の総合開発計画が立てられ、漁業基地の強化を狙った内容となっていた。このような努力は周辺諸国も行っており、ミクロネシア水域のマグロ産業規模に比較して従来4~5%程度しか得ることの出来なかった見返りを自主的に漁業を拡大することで移行を図る動きがある[10]。2000年代に入っても、中西部太平洋まぐろ類委員会(WCPFC)をグアムなどで開催し漁業資源の管理と多国間交渉に努力がなされている[11]。


軍事

島の面積の1/3をアメリカ軍用地が占めている。グアム島は、朝鮮半島、台湾、南沙諸島、フィリピン、インドネシア、オーストラリアとあらゆる場所に緊急展開できる戦略上の要地であり、米準州でもあるので、西太平洋の礎石としてその価値を見出されている。しかし、冷戦終結に伴って在グアム米海軍基地整理縮小計画が立てられ、1990年頃には海軍航空隊の基地がグアム国際空港からアンダーセン空軍基地に移設され[9]、1997年9月には艦船修理施設(Ship Repair Facility)が海軍からグアム準州政府に移管されるなど1990年代は基地は縮小傾向にあった。

2000年、ジョージ・W・ブッシュ政権に変わって以降は、地球規模の米軍再編の影響で、世界戦略を見据えた軍事拠点化を進めることになり、兵力の増強が順次実施されてきた。2004年には、グアム島周辺を調査した中国人民解放軍海軍の漢級原子力潜水艦が行き帰りに日本の領海侵犯を行った漢級原子力潜水艦領海侵犯事件が発生した。

島の北部には3,000m級滑走路が2本あるアンダーセン空軍基地が存在する。ここには現在常駐する戦闘機部隊は存在していないが、しばしば飛来する。現在、B-52戦略爆撃機やB-2が配備されている。極東有事の際には、アメリカ本土やハワイなどから前線派遣された航空部隊の重要な出撃拠点になる。

島の西部には、アメリカ海軍も使用しているアプラ港があり、ロサンゼルス級原子力潜水艦が事実上の母港としており、将来的にはオハイオ級原子力潜水艦も配備される予定である。これらは第7艦隊隷下にある。

在日米軍再編の影響により、沖縄本島に駐屯しているアメリカ海兵隊7,000人がグアムに移駐する予定であり、キャンプ瑞慶覧から司令部も移転する予定である。この部隊の受け入れのための費用を日本政府が59%負担することで日米両政府が合意した。上記の基地移転には先住民の一部から反発がおきているが、大半の住民はかつて米軍基地が縮小された事で経済的に大きな打撃を受けたため基地・観光による経済的観点から賛同している。

 

交通

訪島手段として飛行機と船舶がある。飛行場はグアム国際空港、港はアプラ港を利用することが多い。アプラ港はミクロネシア最大の港である。

 アプラ港には旧日本軍の滑走路があります

グアム国際空港には日本航空とデルタ航空、ユナイテッド航空が日本の複数都市から乗り入れているほか、ホノルルやソウル、コロール、サイパンなどへの直行便がある。なお、航空便で到着する乗客の7割が日本国籍である(2010年現在)。

 

 島内交通

島内の交通機関はバスやタクシーのみで鉄道はない。バスは、観光地をまわるトロリーバスなどを運行しているグレイラインバスや「ショッピングセンター」はDFSギャラリア、マイクロネシアモール、グアム・プレミア・アウトレットや小規模なものではタモンサンズプラザなどがありホテル、旅行会社が運行するザ・ショッピングバス、シャトルバスを運行するアイバスなどがある。 日本人観光客向けに、日本のレンタカー会社の店舗が複数存在する。 サイパン島と同様に、島内では九州産業交通の現地法人であるグアム産交が貸切バス事業を行なっていたが、九州産業交通の産業再生機構活用による事業再編の一環として売却されている。

 

 

観光

観光産業は、現在グアムの最大の産業の一つである。直行便が設定されていないアメリカ本土からの観光客よりも、東京、名古屋や大阪などの主要都市から直行便で約3-4時間で訪れることのできる日本からの観光客が多くを占めていたが、そのピークは1990年代で2000年代に入ってからは低減しつつある。近年では同様に直行便のある韓国や台湾からの観光客も増加している。なお、ホテル・ニッコー・グアムやレオパレス・リゾート・グアムなどの日系のホテルも多い。

 

 

 

参考資料、および引用先
 
グアム Wikipedia

 

 わが郷  樺太から シンガポールまで、離島領有の歴史
わたしの里 美術館     わが郷 HOME

 

 

 

 

   

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

国際金融

2010年09月05日 | 課題分類

ご案内

国際金融【課題分類】 国際金融 課題分類

 映像・検索

人気ブログランキングへ最初にポチとお願いしますm(_ _)m

 

 

2021 07 07 話しを盛る。【わが郷】 話しを盛る。  【わが郷

失われた、20年~30年の原因は、支那などに進出した。日産やらパナソニックが、日本国内の人々の。豊かさへの夢を、悪徳産廃業者の、小臭い金融とかに頼んで。不況の谷に、無慈悲にうち捨て続けて来た

これに対して、静岡県や熱海市の対応は、終末処理の大団円で、行政職員も。甘い汁に、ありつけるのでは無いか。それで、対応が緩かった。

OGPイメージ

話しを盛る。 - 我が郷は足日木の垂水のほとり

ご案内映像・検索最初にポチっとお願いします。m(__)m少なくとも、24名以上の方々が行方不明に、なっている。死亡が確認されたのが、とうとう...

話しを盛る。 - 我が郷は足日木の垂水のほとり

 

 

 

2012 12 21 キューポラのない街わが郷

 日本は太平洋の島々をアメリカ支配から奪い返した。これは静かな戦争とも言える、しかし目立たないが戦いだった。東西冷戦構造をテコにして、奄美大島とか小笠原諸島を返還させた。ついには 激烈な街頭闘争 まで繰り出して、沖縄の施政権も奪い返した。1970年代に入れば、日本国の工業水準はアメリカを凌駕していた。日本の自動車はアメリカ国内でも、ビックスリーを駆逐しつつあった。電子通信機器などにおいては、アメリカの産業はほぼ崩壊してしまった。いまでもアメリカは自前でパソコンの一台も作れない。このていたらくでは、日本国が真に独立すれば、アメリカは、軍事的にもその川下に押し流されてしまう。これを危惧して米国ユダヤはキッシンジャーを支那に使わして、支那と経済同盟を結ぶこととなった。支那は政治権力の独占で専制体制である。アメリカは金融をユダヤ勢が専制する、つまり中央銀行たるFRBはユダヤ金融が保有している。この二つの専制国家が、日本国を抑え込むために、ひそかに同盟を結んだ。これが、ベトナム戦争から、現在までのおおざっぱな経緯である。

 しかしここへきて、アメリカの目論みは大いに外れてしまった。

 支那が強大化して、曲りなりにではあるが、航空母艦まで持つにいたった。

 

 

殿戦で突き抜ければ、アメリカの明日が見える

米上院、FRB監査法案で修正―金融政策への影響限定的に
   2010年05月07日 【wsj.com】

イエレン氏を次期FRB副議長に指名-オバマ米大統領
      2010年04月30日   【bloomberg.co.jp】

 

 

国際金融【言葉の説明】わが郷 国際金融【言葉の説明】わが郷 【信用創造 

連邦準備制度(Federal Reserve System, FRS) FRB

各国・地域情勢

 

Site Information

■ 2009年7月9日
  「我が郷は足日木の垂水のほとり」 はじめました。

■ 2010年3月2日
   人気blogランキング(政治)にエントリーしました。 

 

 

 2013 09 24 国債は 民度の指標 国債は 民度の指標

 

わたしの里の美術館【索引】我が郷は足日木の垂水のほとり【HOME】岩淸水
わたしの里 美術館       わが郷 HOME

 

 

 

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

さ ~ そ

2010年08月30日 | 課題分類
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

自衛隊と日本防衛

2010年08月25日 | 課題分類


 

  
 
               
                                      ★仮想敵国にしてみれば『巡航ミサイル』の開発に成功……☆
 
 
 
                TACOM
 
2010年 1月 2日 思想戦の前哨 
 ネトウヨが夢見る幻視の核武装は、実現すればアメリカへも飛翔する能力がある。これを自覚しない『核武装論』は戯言にすぎません。
 
2009年12月31日 三次曲線の交差時空
 東西の対立から生まれた、西側の弥縫策が「福祉国家論」でした。それも、ソ連の崩壊で、お為ごかしの茶番はお仕舞いになりました。それでアメリカに吹き貯まった枯葉に蔓延した菌糸が飛ばした胞子が、構造改革=金融国際主義で、欲惚け経営者の頭に幻覚をもたらしました。痺れた頭脳に去来した幻想が、利益もっと症候群。これに罹ると、労働の手段の手足が萎えて、頭脳・神経繊維もか細くなるのです。
 
 この改革病の侵攻が進めば、国家そのものが溶融して行きます。嘗ての大英帝国は、いまは見る影も無し、所謂『国際金融』にしゃぶり尽くされて、今では見る影もありません。次はアメリカの番です。アメリカを壊した菌糸は日本にも伸びました。日本の文化はそれを拒んで、今は菌糸の消毒作業中。
 
 鳩山総理の任期中に、遣ってもらいたいもの。ノック・ネヴィスを遥かに超える、100万トンの平和の船造ってくれ。
   船体の長さがおよそ、600㍍。
  飛行甲板は、650㍍。
    平和の船 西太平洋防衛(つまり平和)の船
飛鳥Ⅱ世号の、最短離陸滑走距離はおよそ480㍍で、現有C-1のそれは500メートル。
 
2009年12月14日 羨望鏡深度で座礁
 この崇高なる理想実現のためには、東アジア共同の理想に燃えた、倫理と規範が前提となる。隣国の海域や島嶼を、武力と奸計で窺うような、支那には任せられない。戦後一貫して、平和裡に紛争解決に努めてきた日本だからこそ、出来ることがある。雨と嬰はインドやスリランカにおいて、是まで一体何をしてきたのか。イラクとアフガンに於ける蛮行は、世界の衆目の知るところである。
 
 
2009年12月  9日 平和の船
 近未来の話です。沖縄の普天間跡地に、自衛隊基地は色々と困難なことが付きまといます。其処で、金色ネクタイ石橋叩かずとんでます。友愛の船。これ実は、22DDH 19,500トン型DDH のことなのでしょう。2万トンクラスのヘリ空母なのですが、これを平和の鳩山氏は平和の船とかおちゃらけています。<災害救援に自衛艦活用 CEOサミットで首相 >確かに今の民主・社民・国民新では、防衛問題ではオブーラートにくるまなければ、苦い薬は飲めない。基地機能を陸上に持てば、いざ交戦となったとき市街地にも被害が想定されます。これでは、泣き虫市民運動の子供らが騒ぎたてます。海上ならば何処へでも移動が自由。ミサイルで攻撃されまくったら沈みますが、大きければ撃沈まで時間がかかります。核攻撃されたらドウスルかとのネトウヨの声はこの際スルーです。とにかく無くては困る「平和の船」なのです。NPOも乗せますと言っておけば、出来たら乗ってみたいのが子供の心理です。
 
 先帝の我が意を体せよとの詔を想起すれば、戦いは別の形で進められる。国体の精華を発揚するに於いて経済が主戦場でしたがこれからは、道義を篤くする時季……。
 
 実際に敵国から核ミサイルが発射されれば、そのことだけでその時点の日本政府は機能を停止する。代わって別のシステムが機能を発揮し出すのではなかろうか。時間的なラグの表記は遠慮されるが、日本からも最終兵器のお返しが確実に敵国目標に対して投射される。
 
 日本国は核武装を宣言する。それが嫌ならば、疾く核武装の解除を行え。アメリカも、ロシアも支那も全ての核保有国が、核兵器を捨てなければ、日本国は敢然と核武装する。何故こう言えない。憲法九条の護摩の御札を、おでこに貼られて「金縛り」状態。百姓・町人の下郎政治・経済では、日本の核武装など思いも及ばない。
 鳩山由紀夫氏はその憲法試案の中で、自衛軍の創設を謳っている。一定の条件下での是等の国権の制限割譲をも併記している。これは近隣諸国の、危惧に配慮したもの。核兵器の不所持も書いてある。
 彼の政治家としての、それも政府トップの座を窺う身であるならば、かような物書きになるのは自然ではある。
 
2009年11月  8日 ロックオン 
 ある意味では米国経済により深く浸潤して、支配力を増したとも言える。一方国民はその分余計に働かされるようになった。その上国民の所得は増えた実感はない。増えたのは貿易関連企業の、業績と利益で、かえって一般庶民は生活が苦しくなっている。このような経済構造を、日本の対米支配の側面から見れば、是とすべき。なのか。
2009年11月  8日 高い山から谷底見れば
 アメリカの現実的な崩壊を航空機制作や宇宙開発の後退を示して書いてきました。<次期戦闘機は実証機を改装して無人戦闘機となる。>  でも書きましたが、まさかTACOM(無人偵察機)の性能を昂然と実証するわけにもいきません。ですから日本の科学技術力を小学生にも解らせるためには、先ずはロボットを月に、そして安全性が確認できれば生身の人間を送り込むのです。それまでは「強固な日米関係」 <http://ameblo.jp/kanteijp/entry-10382530986.html>  を維持してゆくのです。
 
やはりアメリカ軍は日本を島国に閉じ込めて於くための『牢屋番』なのだと日本人もそろそろ自覚する時期なのでしょう。最優先は日本の防衛力の整備です。公明党の反対にあって日本は、長射程のミサイル配備を邪魔されてきました。尖閣や大陸棚資源を護る艦船の支援の為にも、沖縄や九州から届く巡航ミサイルや其の他の整備は急務です。
 
 
2009年 9月12日  恒星間飛行
 思想家の為体(ていたらく)とは呆れてモノが癒えぬ。ブロガーの矜恃今こそ観せて呉れん。所謂、売文家とは、パットン戦車の影に隠れて歩む、謂うなれば雨の歩兵に過ぎぬ。
 確かにこれは無人偵察機ですが、日本の置かれている軍事的な縛りの状況を考慮すれば少しばかり想像力を働かせる必要があります。例えば支援戦闘機F-2は対艦戦闘が主任務ですが、地上の目標を攻撃することもやれと言われれば出来ないことはありません。この無人偵察機の形状と性能を見てみれば、仮想敵国にしてみれば『巡航ミサイル』の開発に成功と見るのではないでしょうか。形状はトマホークと殆ど変わりませんが、性能はよりアップと見るべきでしょう。会戦空域でプレゼンス機能をとりあえず発揮したあと、引き上げてくることも可能な巡航ミサイルになり得る機体です。 
 
 
2009年 7月25日 左近尉 
 馬鹿とハサミは使いようで、切れる。
 『日米安保も』使いよう
 『憲法九条も』盾としては立派なもの
 『九条改正』は衣の下の鎧で、米支は是だけでたじろぐ。
 
 
参照ブログ
 
 日本の核武装に際し、まず最初に考慮しなければならない点は「核兵器は最強なのか」という事だ。核兵器は、通常爆薬を用いる一般的な兵器に比べ、その弾頭威力が桁違いに大きい。対艦ミサイルは一発で駆逐艦を沈めるが、それが「核弾頭
付き」なら艦隊ごと吹き飛ばす。
 
 日本核武装計画が動き出した http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-159.htm
過去何度か日本の弾道ミサイル(つまり、核兵器)開発計画――例えば、1998年9月2日に上梓した『とんだミサイル威嚇や、2002年9月10日に上梓した『日本外交の成否はH2Aロケットに懸かっている』など――について言及し、今日の事態を予想してきたので読者諸氏にはとりたてて目新しいことはないであろう。これまで、日本においては、宇宙開発は「平和利用のみに限る」という国会決議に基づいて、科学技術実験用もしくは商用(気象衛星や
 
 日本外交の成否はH2Aロケットに懸かっている  http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-136.htm
そのような状況下で、日本が今回、一度に複数の衛星を飛ばすことのできるロケットを開発したというのは、まさに、戦略核兵器の世界で呼ぶところの複数核弾頭個別目標ミサイル(MIRV=Multiple Independently targetable Re-entry Vehicles)と呼ばれる戦略核ミサイルを開発したということそのものである。旧型の核ミサイルのように、1機のミサイルから1発の核弾頭を落とすのではなく、打ち上げたミサイルが、軌道上からいくつかの核弾頭を個別に降ろし、あたかも路線バスがお客さんを一人一人降ろしながら運航するように、それぞれの核弾頭が、誘導された個別の標的に向かって大気圏に再突入するのである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする