暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

Joni Mitchel, Both sides Now , 2000

2005年11月21日 06時45分23秒 | ジャズ
いつもの如く土曜日の中古CD/LP漁りで店に入ると40半ばのぼさぼさ頭の亭主が新聞を読みながら聴いているのがある。 たいていこの人はカントリー、フォーク系のものを好んで、ライ・ク-ダーやザ・バンド、など70年ごろのものなどがよくかかっていたりするのだけど今日はジャズのスタンダードである。 けれどその理由が後でわかった。

おなじみの歌曲、You've Changedがかかっておりバックのオーケストレーションが気に入った。 これはアメリカじゃない、ロンドン・シンフォニーあたりの音である。 クラウス・オーガマンの編曲だと思ったが、けれど、更に聴いていると重い。 アメリカものの甘さでひきつけるような編曲にはなっていない。 それに、どこかに鈍重なほどクラシックの音であり、このヴォーカルに合って渋い。 誰におもねることもない、歌詞を心に沁み込ませる、まさに今の時期の、晩秋のアルバムである。もちろん最後にアルバムタイトルのBoth Sides Nowが出てくればはっきりとわかるのだけれど、それまでにComes Loveというので聴いていてこれはいいなあ、と聴き入ったのだ。 雨や雪の嵐がやって来てもしのげるけど恋がくればだめ、といろいろな対句が出て挙句に、なんだかんだやっても恋がくればこれにはどうしようもない、というのに苦笑しながらCDやLPをめくる手をゆるめて関心しながら聴き入ってしまったのだ。 

もう大分前、この店でリッキー・リー・ジョーンズの3枚組みを見つけたのではなかったか。 Pop Popはときどき棚から取り出して聴くアルバムだし、ジョーンズは、そのアルバムでは自分を前面にしっかり出して誰が聞いてもすぐ判る彼女のジャズを歌う。 このミッチェルのものでは少し聞き込めば違うとわかるものの、一聴ダイアナ・クラルかはたまたジュリー・ロンドンかと迷ったくらいであるから、そういう意味ではこれがJoni Mitchelのものだと知らされてちょっと意外な気がした。しかし、人生、秋に入る女性の心向きをきっちりと我々に示す、堂々とした自己を示す個性ははっきりと現れているこのましいアルバムにはミッチェルの軌跡をみて十分納得するものである。

私が聴き誤ったこと、それは二点。 ひとつは彼女の特徴である、少なくとも以前の彼女の歌唱からして、無骨さがあらわれる歌い方、それが抑えられていることと、更に、ジャズのスタンダードがかなり入っているために既存の歌唱と聴き比べができて、まさにこのとき露にこの人の今までの精進が琥珀のごとく現れたこと。そして、これがこの人の今までの声に縛られていた私の耳にうれしいとまどいとともに響いたこと。

それに加えて半年ほど前なのか、彼女の足跡をつづったドキュメントも見ていてそれぞれの時期に私の思い出ともからんで、彼女の喉の特徴はつかんでいたはずと思っていたのだったからこの静かに抑制の効いた、枯れ始めた喉を丁寧に使って歌う歌唱にジャズ専門の女性歌手で誰かを捜そうとあらぬ方向に注意が行っていたことなどが分からなかった理由である。 実際私は自分からは彼女のアルバムを聞いた事はない。

うちに戻って何回か聞き、Diana KrallのCraus Ogerman編曲のものと聞き比べてみた。 オーガマンのものはやはり甘い。 惹かれるのは一部の弦をゆっくり引っ張り和音が変化するさまが美しいのだが、甘みで引っ張る30歳前半を意図した作りではないかと想像する。 喉にしても歌唱にしても然り。 Krallは2000年にジャズ部門でグラミー賞を受賞、このミッチェルのものは2001年に伝統的なポップ・ヴォーカル部門での受賞とのことだ。

これを比べてみてほぼ同時期の製作なのに、私がこれらに出会ったのは幾分かの時差があり、甘いKrallにもずいぶん世話になったけれど、畢竟私はミッチェルの方により惹かれるようだ。 以前にこのコラムでKrall について人生の機微、幾多の経験を積むまで聴くのをもう少し待とうというような皮肉なことを書いたが、まさにその結果の歌唱の例としてここにミッチェルの歌唱があるようで、日にちを待たずしてそれに出会えたし、それに、オーソドックスなオーケストラにも、特にショーターのちょっとしたソロにWeatherreport初期の響きだとなつかしく思ったことにも、幸せを感じたこの週末だったのである。


Joni Mitchel、  Both Sides Now、  Reprise 9362-47620-2

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