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ウィンターズ・ボーン  (2010);観た映画、 Mar. '14

2014年03月27日 02時18分56秒 | 見る


ウィンターズ・ボーン   (2010)
WINTER'S BONE

100分

監督:  デブラ・グラニック
製作:  アン・ロッセリーニ、 アリックス・マディガン=ヨーキン
製作総指揮: ジョナサン・ショイヤー、 ショーン・サイモンズ
原作:  ダニエル・ウッドレル
脚本:  デブラ・グラニック、 アン・ロッセリーニ
撮影:  マイケル・マクドノー
編集:  アフォンソ・ゴンサウヴェス
音楽:  ディコン・ハインクリフェ

出演:
ジェニファー・ローレンス  リー・ドリー
ジョン・ホークス     ティアドロップ・ドリー
シェリル・リー      エイプリル
デイル・ディッキー    メラブ
ギャレット・ディラハント  バスキン保安官
ローレン・スウィーツァー  ゲイル
アイザイア・ストーン    ソニー・ドリー
アシュリー・トンプソン   アシュリー・ドリー
ケヴィン・ブレズナハン   リトル・アーサー
テイト・テイラー
シェリー・ワグナー

サンダンス映画祭でのグランプリ受賞をはじめ各地の映画祭で評判を呼んだインディーズ系クライム・ヒューマン・ドラマ。残された家族を守るため、行方不明となった父を捜して危険な裏社会へと足を踏み入れていく少女の姿を描く。主演はハリウッド期待の新星、「あの日、欲望の大地で」のジェニファー・ローレンス。監督はこれが長編2作目の新鋭デブラ・グラニック。

アメリカ中西部ミズーリ州のオザーク高原。現代のアメリカ社会から見捨てられたかのような貧しい寒村。心を病んだ母と幼い弟妹を抱え、一家の大黒柱として懸命に生活を切り盛りする17歳の少女、リー。とうの昔に家を出ていた父が、自宅を保釈金の担保にしたまま失踪してしまい、自宅差し押さえの窮地に陥る。家と家族を守るため、自ら父親の捜索に乗り出すが、親族はじめ村人たちは父親の存在をタブー視するようにリーを追い返す。それでもひるむことなく、ついには危険な闇社会にも足を踏み入れようとするリーだったが…。

以上が映画データベースの記述だ。 本作をベルギー国営放送の深夜映画として観た。 このあいだ是枝裕和の「奇跡 (2011)」をオランダの国営テレビで観たのだが本作に関連してだいぶ前に観た是枝作品「誰も知らない(2004)」を思い出した。 どちらも子供たちだけで生きていかなければならない事情を描いたものであるけれどそこで対照されるのはその貧しさの違いと苦難をどのように潜り抜けていくかという様子の違いがはっきりとでていて、本作での少女が生き延びていく姿の切迫したところが是枝の日本的家族の描き方との対比で興味深かった。 そのベクトルから言うと「奇跡(2011)」の方は問題はなんだったんだろうかと思うほどの長閑さでありそれが日本のこどもたちを巡る家庭劇としての物語でもあるのだろうし、もし「奇跡」がアメリカの商業映画館で上映されるならば観た観客の感想を聞きたくもなるとともにあえてそこにくる観客の層もぼんやりと分かるような気もするのだ。
 
是枝作品にでてくる近所、家族、親戚というものには本作にみる息詰まるようなテンションはどこにもない。 社会的にも安全でそれは日本社会が暖かい湯の中に存在するような、と例えてみてもいいようなものかもしれない。 当然繁栄下の貧困ということが焦点ともなっているのだろうが日本では貧困の問題にしても喰うものがなければコンビニの期限切れの食料を拾うなり自動販売機を壊して盗むなりのことをして食いつなぎ家賃が滞納していてうちを追い出され路頭に迷えばそれも周りの眼から市の福祉課の網に入ることになるだろう。 日本のオジサンたちはダンボール箱で棲家をつくるなりほかの町に移動するなりするけれどクレジットカード、預金額はある程度保証されているようだから問題はない。 「誰もしらない」では母に棄てられたこどもたちはどうするかということだった。 我々にはどうしてそれがありえるのだ、という驚きが「誰も知らない」の焦点だったのではないか。 それに比べれば本作の世界は田舎では充分普通にありえる話ではあり、「冬の骨」としてしか登場しない本作の父親が起こした問題が下地にあるから主人公の娘の生き方がはっきりするということであり、解説には危険な裏社会とあるけれどここではその灰色が貧しい村なのだ。 ここではアメリカ社会の構造が増幅されて現れているのでことさら特殊事情ということでもなく、問題系の切り取り方がサスペンス仕立ての寒村の物語としてみる我々にアメリカ社会の普遍的な性質を示していることを徐々にしらしめることになるからこれが犯罪の謎解きというより地域共同体の姿を浮かび上がらせ、その中のそれぞれの場面が後ほどこの貧しさを味わい深く反芻されるのだ。

本作の一つのポイントはこの共同体に生きる女達に現れているだろう。 女性解放も男女共同参画もなく彼らの存在が彼女達の共同体の部分として男と同等に機能していることを見るべきだろう。 それが女性監督の本作に含ませたところでもあるのは主人公の周囲に対する視線をみれば明らかだろう。 主人公が自立の姿を示し、灰色の共同体で父がもたらした問題の解決を図るべく叔父をも巻き込み「敵」の女たちに暴行されながらも「敵」から一定の理解を得られ認められ「冬の骨」を与えられることで和解の方向に進んで終わるのだがしかし灰色は灰色のままで続くだろうということも予想される終わりかたでが現実を見据えた良質の映画の条件に叶うということになるのだろうか。 多分日本の女達にはこのような形のドラマは生まれないような気がするのだし、幾ら日本の寒村に行ったとしてもいよいよ食い物がなくなり動物性淡白を摂取するにあたり幼い弟がリスを撃てるように主人公が散弾銃の扱い方、撃ち取った獲物の捌き方を教えるという社会ではない。 日本の寒村は現代社会の姨捨山でしかなく本作での主人公に対応する姿は多分見当たらないだろうし、もしそんな少女を登場させる映画が製作されたとしてもそれは痛みを見据えないコメディー仕立てでしかないのではないだろうか。 


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