暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

先輩K氏と立ち話  Sat. 08-10-05

2005年10月09日 21時51分42秒 | はざまにて
この町の市役所に日本のパスポートを持つ者が100名ほど登録されているというのは5年も前にこの町の秋の独立祭ともいうべき行事にたずさわったときに市の職員から聞いたことで、人口10万を超えるぐらいの町でそれはかなり驚いた数字なのだが、この町に既に15年住んで漫然と生活していると、たまに顔を合わす日本人が何人かいる程度で、まあ、あそこにだれだれさんが、ここに誰さんがすんでいるのだなと思う程なのだが、改めて100という数字を聞かされると、へーっという声が開いた口から漏れるのだ。

世界中どこへ行っても見られる中華料理店ほどのスケールではないけれど世界中のかなりの部分でちょっと探せば近隣の日本人の名前がでてくる、とも聞く。  たしかにこの10年ほどで日本の若者たちが個人単位でリュックをかつぎあちこちを歩くのが見られるし、果敢に慣れぬ言葉と格闘している様をななめに眺めて通り過ぎるのを常としている。 用が無ければそういう若者たちとはかかわりにならない方がいい、日本語をはなす機会などこの先いやというほどあるのだからわざわざ異国にいる雰囲気をこわすことはないのだ。 それに大抵は通り過ぎる人たちなのだ。

例のように土曜日の青空市場をゆっくりとみてまわり、夕飯の材料も仕入れ、古レコード屋も見てまわり、土曜の新聞を買おうと書店に入れば、たまたま顔見知りの先輩と出会い、店の前で立ち話となった。 近くのカフェーにでも入ってビールでも飲みながらだべればいいのだが二人とも通風の持病を持っていて飲めない。 例えコーヒーにするにしても我々年寄りの話は長いから、二人とも1時間、2時間ぐらいは直ぐに経つ。 それがわかっているから、互いにさそわない。 だから本屋の前で犬を連れたご婦人を間に通したり、買い物かごを下げた二人の間をまた大きな買いかごが通っていくといったしまりの無い落ち着きの無い立ち話なのだ。 この前会ったのはいつのことだろうか、バカンスをどうするこうする、と話したから5月ごろか、そんなものだ。

このK氏、もう70をいくつか超えて来月奥さんは65になり、どこかで誕生日のレセプションをするし日本人も何人か呼ぶからうちも夫婦でくるようにとお誘いがあった。 ありがたいことである。  このK氏、長年航空会社に勤めていてスチュワーデスと恋仲になり仲睦まじく現在に至り、この町に住み戦後日本の海外進展の歴史を身の回りに体験してきた人で、もうとっくに定年して安楽な日々を送っているからいつ話をうかがってもおもしろくて時間が直ぐに過ぎてしまう。  この人の奥さんは、家族で日本滞在の期間が10年ほどあったので日本語も上手に話し、娘二人はオランダ語、日本語と両方話す。  私が時たまK氏不在のときに近くを通りかかったからと挨拶に寄って長居をするときはオランダ語で、氏が在宅のときは日本語でという具合なのだ。 氏はものごしの柔らかい紳士なのだが、もうとっくに自立して家を離れて生活している娘さんたちに言わせると暴君らしいから、その様子を想像すると嬉しくなる。 土曜日に買い物籠をぶらぶらさせて時間を気にしながらだべる年長者二人には暴君などとはどこを探しても見つからない。 世界は主観のせめぎあいの場所であり、民主主義という数に物をいわせるやり方で行けば家庭の中ではわれわれの居場所は土曜のごみごみした書店の店先にしかない。

はざまにて、というタイトルで書き始めるのだが、地理的に離れた異文化間のはざまで体験したことを書こうとしているのだが、それよりも世界中に古今普遍的に存在する深淵のふちでそこに落ちないように両手をぐるぐる振り回しつつ冷や汗いっぱい額にためつつもがいている姿をかきなぐるというような醜態になるような気がしてならない。 

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