暇つぶし日記

思いつくままに記してみよう

シェリフのバッジ

2019年01月27日 23時50分31秒 | バンバン


この一ケ月ぐらい自分の部屋着の胸にシェリフのバッジが光っている。 知り合いのオランダ人の禅僧に寺で燻らせる「業務用」の長くて太い線香を日本に帰省した時に買ってくるよう頼まれていて大阪の船場にある大手の香堂に出かけて三箱求めてそれを寺に寄進した。 その禅寺には娘が時々坐りに行くのでそのときに持って行ってもらったのだがその礼なのか一か月ほど前にこのシェリフのバッジが是真和尚からのプレゼントだと娘から手渡された。 和尚は蚤の市、ガラクタ市が好きでどこにも出かけていろんなものを買ってくる。 そのついでに自分が古式銃射撃で西部劇に登場する銃を撃っていることを知っているから面白がってくれたのに違いない。 

射撃クラブの仲間には西部劇に登場する銃を撃つものは沢山いてその話題には事欠かず、年末の打ち上げパーティーには自分のもつ銃に関するコスプレをして参加するのが義務だった。 それにその日は特別に警察の許可を得て弾薬を込めない銃を主宰する射撃クラブのパーティーの会場内でガンベルトに収めて半日をそこで過ごすことができたものだった。 毎年その折にはデービークロケットばりの猟師や南北戦争軍人のコスチューム、アメリカインディアン、カリブの海賊などに加えてかなりのものが西部劇時代の扮装で参加した。 自分もテンガロンハットにバンダナを巻いてダブダブのレーンコートの下にはガンベルト、コルトSSA6連発リボルバーにウインチェスターライフルのいで立ちが常だった。 けれど西部の伊達男に酒場の女、牧師の妻などもいてそのまま映画に出られるようないで立ちだった。 けれどそんな西部劇の男たちの中にはシェリフの格好をする者は殆どいなかった。 男たちは皆悪者、悪役になりたがる。 シェリフなど照れ臭いのだ。 たまにバッジをつけている者がいるがそれらは見るからに安物のプラスチックのもので扮装が西部劇姿に見えないからちゃちな帽子にそんな誰が見ても幼児の玩具を恥ずかしながらつけているという格好だ。 いかつい髭ずらのマッチョな同僚たちは如何にもバイカーかヘルスエンジェルスのメンバーのようなものが多いけれどマッチョにみえるのは外見だけで皆シャイで善良な市民たちだ。 だから自分たちにはシェリフなど柄ではないと思っている節がある。 それなら副保安官や保安官補佐というのもあるからシェリフの星をつけてもいいのだが西部劇では彼らのような格好のものたちは保安官に指図されて罪人を護送したりその途中で撃ち殺されたりするからそんなしょぼい役なら悪役に廻る方がよっぽど奔放で面白いと思い皆肩を怒らせている。 7,8年前まではそんなパーティーには150人ぐらい集まっていたものが数が少なくなりそれとともに警察からの許可が下りなくなり丸腰のしまらない格好となってからはもう西部劇コスプレは止めとなっていた。 自分にも去年の暮れのパーティーが最後となって10年前のパーティーが思い出として残った。

和尚にもらったバッジは厚みがあってブリキではなく鋳物である。 曲げようとしても曲がらない。 眺めていてリンカーン郡シェリフと書いてあるのでネットのグーグルでシェリフのバッジと入力して幾つもバッジが並んだ画像の中に全く同じものがあったので驚いた。 勝手な玩具ではなく本物そのものだ。 そこには次のように記されていた。

On November 7, 1880, the sheriff of Lincoln County, George Kimbell, resigned. As Kimbells successor, the county appointed Patrick Pat Floyd Garrett. Garrett was an American Old West lawman, bartender, and customs agent who became most known for killing Billy the Kid. 

1880年11月7日、リンカーン郡のシェリフ、ジョージ・キンベルが退職するとその後任に郡が任命したパトリック・パット フロイド・ギャレットが就任した。 ギャレットはアメリカ西部の保安官、バーテンダー、税吏であり、ビリー・ザキッドを殺害したことで知られるようになった、とある。 オリジナルのバッジ6ドルとも併記されている。 

重みも厚みも形も細部までそこに書かれ載っている画像と同じものが自分の胸に光っているのだが裏を見ると Made in Spain とある。 スペイン製の複製なのだ。 実際自分のコルトにしてもウインチェスターにしても実銃でオリジナルとは寸分たがわず性能はそれ以上であったりするのだがイタリア製のレプリカだからバッジが複製でも寸分たがわず同じものであればどうということはない。

何か月か後に自分が納棺されたときには背広のネクタイは自分が1968年に初めて買ったネクタイ、襟には先日ここに載せた射撃連盟古式銃射撃部のバッジをつけるよう家人に言ってある。 けれど胸にこのシェリフのバッジをつける勇気はないけれどその代り毎日家ではバッジをつけてごそごそ蠢いている。

和尚は自分の体に巣食う癌という悪と闘う保安官であれ、という意味でこれを呉れたのだと解釈する。 勝てる敵ではなく西部劇の様にだめな保安官の町に登場するクリント・イーストウッドのヒーローも登場しないが負け試合であっても最期まで闘う保安官であれということだろう。 貰った時はヘラヘラと面白がってつけていたけれど今ではかなり本気に保安官の気分になっている。