日々是雑感

アニメや映画の感想を中心に雑多に述べていきます

仮面ライダーキバ総括

2009-01-18 12:10:32 | アニメ
相変わらずストーリーは見せ場重視で、無理やりどたばたのなし崩し解決。いい加減もう慣れちゃったよ。慣れって怖いもんだ。

ただ、当初の不安材料だった過去と現在のリンクは上手く機能していたと思う。このおかげで未来オチも納得できたし。

来週からは「仮面ライダーディケイド」。平成ライダーの全てが平行世界でつながるとか。それは開けちゃいけない禁断の扉だと思うぞ。うまくやればそれこそ伝説になるだろうけど。


「みなみけ」「今日の5の2」脚本家について

2009-01-16 17:38:00 | アニメ
TVアニメ「今日の5の2」のシナリオスタッフが「みなみけ」(無印)の脚本陣だ、というのは総括で述べた。

考えてみれば、「みなみけ」と「今日の5の2」の共通点は原作者と脚本家だけ(実は例外あり)だ。だとすると、原作に無いオリジナル部分で共通項を探し当てれば、脚本家の特徴というものが見えてくるのではないか。そう考えたのがきっかけで、「みなみけ」をもう一回見返したり、ふぁんぶっくやDVDのライナーノートを調べたりすると、色々面白い事実にぶち当たった。それをこれから書いていきたい。今後、別な場所で彼らの脚本を目にした時、これが判断材料の一つとなっていくのではないだろうか。

とりあえず、一人一人やっていきますが、順番は「5の2」の順番で。

「今日の5の2」TVアニメキャラ紹介(サブキャラ編)

2009-01-16 07:51:00 | アニメ
メインキャラだけで世界は成立しない。世界を確立する為にはメインキャラを支えるサブキャラたちの存在は必要不可欠だ。今回はそんなサブキャラたちにスポットを当ててみた。

【田中ハルカ】
原作初登場 2時間目「サコツ」
TVアニメ初登場 3時間目「ノリノリ」(画像は「メクリ」から)

原作にちょこちょこと出てくるものの、名前すら無かったキャラに「田中ハルカ」という名前が与えられた。その後、この「田中ハルカ」は原作での出番を確実に押さえつつ、
「ウチアイ」では

レギュラーキャラによる「Gメン’75」の一角を占め、「カミガタ」に至っては

レギュラーキャラと一緒になってネタをやったりするなど着実に自分の地歩を固め、最終的にはレギュラーメンバーと肩を並べてエンディングに顔を出すまでになった。結局、キャストに名前が出てこなかった回は2話だけ。もう9人目のレギュラーキャラと言っても差し支えない感じもするけど、メインの話が無い為、やはりサブキャラなんだよな。その辺のバランス感覚が、作品世界から嫌われずに受け入れられた最大の理由かもしれない。

7/10追記:
「べつばら」収録のOAD告知映像にも登場。

【その他モブキャラ】
ハルカの他にも、準レギュラー的なモブキャラがいる。それがこの3人だ。(画像は「サコツ」より)

名前が無いので、「メクリ」の時の意見にユウキが付けたコメントをコードネームにする。(画像は全て「メクリ」から)

武闘派

登場頻度が一番多い。


(「ヌレギヌ」、「カチマケ」、「ギュウニュウ」)
と、まあこんな感じでナツミと一緒に行動する事が多いので、仲が良いのかもしれない。容姿や言動を考えると委員長タイプという感じか。ともあれ眼鏡とヘアピンという分かりやすいパーツが2つもあるので、キャラの識別がしやすい。

このキャラクターのモデルとなったのは同じXEBEC製作である「かのこん」(ちなみに「かのこん」には「おかえり」でシリーズ構成脚本を担当された小鹿りえさんが脚本として参加している)の朝比奈あかねというキャラクターではないかと推測される。

比較用リンク
http://www.xebec-inc.co.jp/anime/kanokon/design03.html

目には目を

セーターかトレーナーのような服とショートカットくらいしか特徴が無いので、混ざってしまうと一番識別が困難。キャラ作画が安定しないこの作品では特に。まあ容姿と「お返しにズボンを下ろす」の言動を考えると、ボーイッシュキャラか。

器がデカイ

シャツとロングヘアが特徴。服装と髪型以外に識別できるパーツが無い為に、作画が崩れるとやっぱり判別が困難になったりする。描き易いせいか、結構出番が多い。

その他はまとめてごちゃっと。

田村先生の顔出しは原作通り「マケナシ」のみだけど、「ミズカケ」で声だけ出演をしている。OPにも出ているから原作より目立っているといっていいのかな。あと男性の声優を必要とする場面はここと「ナツマツリ」の夜店の親父くらいなので、その点からも重要。保健の先生は原作同様、「ヌキウチ」での登場だが、原作では後姿しか描かれなかったので、この正面からのカットはTVアニメなりの挑戦といっても良い。駄菓子屋のばあさんの登場は「ウチアイ」のこの場面だけだが、駄菓子屋の存在自体は作品世界の中ではかなり重要な位置を占めている。

次回からはいよいよ脚本家という側面から作品を見ていく。

7/10:追記しました
12/21:画像を追加し、それに合わせて文章を一部修正。 

「今日の5の2」TVアニメキャラ紹介(女子 後編)

2009-01-14 16:38:47 | アニメ
では、前編の続き。

【ナツミ】
原作初登場 3時間目「マケナシ」
TVアニメ初登場 3時間目「ノリノリ」(画像は「アメフリ」から。理由は後述)

TVアニメを見終わってから原作を読むと、このナツミの扱いが一番もったいないと感じる。

リョータとの勝負(「マケナシ」、「ウトウト」)、無防備と言うか無頓着なところ(「キセカエ」、「セクラベ」)、天然で軽い嘘を信じ込んでしまうところ(「アマアマ」)と色々使える要素が出ているのに、それらのほとんどが導入や中途のネタのみで終わってしまっていて、話のメインになっていかない。だから原作でのナツミは脇を固めるだけのキャラで終わっている。

これは言い方を変えれば、ナツミは最もポテンシャルを引き出しきれていないキャラクターだということができる。ということはそれを引き出すようなオリジナルさえ用意してやればナツミのキャラはどんどん立っていくということになる。

おそらくスタッフはその事を完全に理解していたのだろう。

リョータとの言い争いに端を発し、無防備属性をオチに据えた「ウエシタ」

「マケナシ」の続編の形をとり、リョータとの対決に焦点を当てた「カチマケ」

ナツミの天然さを話のメインに置いた「ギュウニュウ」

これらのナツミをメインに据えたオリジナルエピソードはナツミが持っていたポテンシャルを100%、いや120%以上引き出して見せた。そして脇を固めるキャラクターとしても八面六臂の活躍を見せた。

PV的なエピソードである、「ヒトハ」まで用意してもらえる優遇振りである。

ただ、TVアニメでの登場のさせかたは少し首をひねる。

「ノリノリ」ではゴミ箱を運んでいただけなので、実質的な初登場は次の「アメフリ」からなのだが、この「アメフリ」はやはり初登場に使うべきエピソードではなかった。やはり「マケナシ」を初登場エピソードにして、ナツミのキャラを示してから「アメフリ」をやったほうが、「アメフリ」のメインともいえる

このシーンがもっと印象的なものとなったのではあるまいか。(しかも原作の最後のコマにあった「もてあそばれました」という言葉がカットされている為に、どこまでが冗談だか分かりにくくなっている)

同じボーイッシュキャラであっても自分を女の子だと意識しているか、完全に男であろうとしているのかの差が「ボク」と「オレ」の差なのかな、とナツミとトウマを比較して思う。

【カズミ】
原作初登場 1時間目「グラグラ」
TVアニメ初登場 同上

原作と登場のさせ方は変わらないが、最も面白い進化をしたのがこのカズミだろう。メインではないんだけどおいしい所を持っていく、そんな感じの進化を遂げた。それが最初に出てきたのが「ウエシタ」だ。

「ウエシタ」のメインは前述の通りナツミとリョータの言い争いだが、状況を動かす役割をことごとくカズミが担っている。
その他にも、

雷雨の中ヘソ出しで遊んでいるナツミを心配して飛び出し、派手に転ぶ(「ユウダチ」)

エピソードのオチ担当(「アタタメテ」)

脚本およびナレーション担当の自称”不思議な妖精”(「メルヘンII」)

雑学で論争を解決に導こうとする(「コンコン」)などなどボケ、ツッコミ、オチと大活躍だ。これだけおいしい所を持っていくなら、メインヒロインではなくても最初に登場させるのは納得だ。ラブコメ的な側面からも援護射撃担当として重要な役割を担っている。(「ナガレボシ」「カンサツニッキ」「ウトウト」「メルヘンII」「ユビキリ」)

ふぁんぶっくの対談の中でチカ役の下田麻美さんが「カズミもリョータのことが好きなんじゃないか」という疑問を抱き、原作者さんにこの疑問をぶつけた事があると述べている。答えは頂けなかったそうだけど、もしそうならカズミはさらにこの世界の中での重要度は増す。

小学生限定だとこのタイプってのは記憶に無い。思えば当然で「ライジンオー」や「ゴウザウラー」のようなクラスの団結を謳う作品の場合、こういうキャラがいると一人浮いてしまう可能性が高い。事実「5の2」においても、チカ以外のキャラはカズミのことを「相原さん」もしくは「相原」と呼んでいる。無口キャラが「萌え属性」として認識されたのもつい最近の事だ。

OVAでのCVは能登麻美子さんだそうだが、一般的に期待されている能登声(「ネギま!」の宮崎のどか、「スクールランブル」の塚本八雲など)ではこのTVアニメバージョンのカズミをやるには弱すぎるんじゃないかな。特に「カモ」での
「何でコバヤシなんだ?」
「コバヤシだから」




この一切の反論を許さないような断言に説得力を持たせられないと思う。(全くできないとは言わないけどね)

【メグミ】
原作初登場 4時間目「メモリ」
TVアニメ初登場 2時間目「スーパーボール」(良いのが無いので、「ヌレギヌ」から)

メインヒロインであるチカ、まとめと進行役であるユウキ、属性が追加されていったカズミやナツミに対して、このメグミは完全に出遅れてしまった感がある。こうなってしまうと結局残っているのは不幸要員、オチ要員としての立ち位置しかない。原作でもそういう立ち位置だったしね。こういうキャラの宿命とでも言うべきか。あとラブコメという流れから完全にハブられてしまったのも大きい。

しかも後ろからは原作では完全なサブキャラにもかかわらず、アニメになってメインキャラばりに猛追してくる田中ハルカの存在もある。(田中ハルカについては次のサブキャラ編で)

むしろユウキよりもかわいそうな扱いを受けているのかもしれない。

「メモリ」は初登場用のエピソードというよりは、キャラ固めのエピソードという感じがする。初登場用としてはむしろ「ヌレギヌ」の方がふさわしかったんじゃないかな。
少しいじればチカやコウジ達抜きでも話は成立させられるし。サブキャラ的に手早く紹介するなら「スーパーボール」も答えの一つではある。

メグミのようなキャラは確かにお約束ではあるんだけど、私の記憶ライブラリからは小学生でのタイプってあまり出てこないんだよなぁ。



次回はこの世界を固めていったサブキャラたちを取り上げる。



カラオケについて思うこと・・・

2009-01-12 15:16:23 | 雑感
ちょっと気になった記事があるので、その話題でも。

最も不快な発明品は「カラオケ」…携帯電話などを抑え 英紙報道
http://sankei.jp.msn.com/world/europe/090109/erp0901090940002-n1.htm

私はカラオケを「不快な発明品」だとは思わないが、この記事で書かれている事は理解できる。場の空気を読み、雰囲気に合っていて、みんなが理解できる曲。かつ他の人とはと被らない。こんなことで悩みながら歌うのは正直苦痛以外の何物でもない。ただ私は歌える曲の範囲が極めて狭いが故に、あまり場の空気を読まずに選曲する。それで場の空気を冷やしたのは1度や2度の事じゃない。



ビールを飲みながら会話を楽しむパブにカラオケが設置されているケースが目立つ。

「楽しいのは歌っている人だけ。周りの人にとっては苦痛」
記事からの引用だが、これと似たようなケースにぶち当たったこともある。ある時、わが兄十字路の関東時代の知り合いで、私もずいぶんと世話になった方が、TRPGコンベンションのマスターとして、北海道の方にわざわざいらしたという事があった。

そのコンベンション自体に私は仕事の都合で参加しなかったけれど、その後の親睦会には私も参加させていただいた。(いつもの如く、十字路を送る為に飲酒はご法度だったが)

つつがなく1次会が終わって、2次会ということになり、カラオケボックスに行く事になった。そのときの話が「カラオケボックスでもどこでもいいから、色々語り合える場所にしよう」というもののはずだった。

ところが誰かが歌い始めると堰を切ったように、私を含めた皆が曲を入れ始め、語るどころの騒ぎではなくなってしまった。その方もこの状態なら語り合えないので帰る、とホテルへ戻ってしまった。私は「カラオケ」という話題を聞くたびに、この事を思い出して自己を悔いるのである。


これらの出来事から、私はカラオケに対する以下の教訓を得た。





・カラオケは趣味の合う人間、少なくともお互いの趣味を理解できる人間と行くべきである
つまりカラオケとはお互いが仲良くなる為のツールではなく、すでに仲良くなったもの同士が一緒に盛り上がる為のツールであるということだ。

だから仕事仲間だとか、(私には全く縁の無い事だが)合コンだとかでカラオケというのは私は全く推奨しない。

・カラオケとは魔性の機械である
前述のようにお互い趣味を理解しているのなら盛り上がることもできるが、記事にある通り基本的に楽しいのは歌っている人だけだ。周りの人にとって特にお互い色々語り合おうとしている人にとっては騒音以外の何物でもない。

だが歌っている人自身にとっては楽しいので、つい何曲も何曲も歌ってしまう。その度に周りの人間に苦痛を撒き散らしていることを考えもせずに。

仕事仲間でストレス発散の為に行く、というのはむしろストレスをお互いに押し付けあっているだけなのではないか。








こう考えていくとカラオケというのは難しいツールだな、と思う。大声で歌ってストレスを発散するという行為は理解できる。だが、それは結局ストレスを周りの人間に撒き散らすだけではないか。「みんなで歌って仲良くなろう」と言うが、聴きたくも無い歌を聴かされるのは逆に仲をこじれさせる原因にもなりかねない。

ストレス発散なら一人でやってくれ、すなわち「ヒトカラ」(一人でカラオケ)というのはそういうことなのかもしれない。

皆さんもこの機会にカラオケというツールの適正な使い方というのを考えてみてはいかがでしょう?