まず最初にお断りしておくと、私は「プリキュア」にほぼ思い入れが無い。その視点からという事はご理解いただきたい。
昔の姿に戻ってプリキュアに変身した時、正直感じたことは「あ~あ、変身しちゃったかぁ~」だ。それは過去への回帰、ひいては焼き直しにすぎない。昔の姿に戻した事で結局は「子供の論理」の物語に収まってしまった。そこに中途半端な踏み込みをするから、「何ぞこれ?」という話になる。結局のところ「東京ミュウミュウ」でやっていた(つまり別にオトナにしなくてもよかった)ような話を「オトナ」と称してやっただけ、になってしまった。
で、ラストバトルに初代の二人が何のドラマもなく助けに来る。それはもはや「ファンサービス」以上のものにはなりえない。すでに「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というような話をした後でのあのラストは完全に蛇足。それをもって少し後味を悪くして「オトナ」ぶりたかったのかなととしか思えなかった。
総じてみると確かにこれは現在と未来を生きる子供たちのための「プリキュア」じゃない。だが大人の鑑賞に堪えうるという「プリキュア」でもない。過去の郷愁にとらわれた者たちのための言うなればオタクだましの「プリキュア」だ。
そんなことを考えると、大人になったどれみ達ではなく、「どれみ」を見ていたかつての女児たちの現在を描いた「魔女見習いをさがして」の決断はやはり正しかったのだなぁ、と思う。
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