「ミュークルドリーミーみっくす!」を深掘りするにあたって、アニメ振り返り+実写バラエティ(いわゆる「いちなる回」)の事について触れなきゃいけない。 こういう形態をとったのには様々な事情があったとは推察できるが、それについて全く外部の人間が勝手な憶測を垂れ流すのはおこがましい。そして既に存在してしまったものについてその是非を問うのは無意味でしかない。だからここでは「いちなる回」が番組としてどういう位置づけにあったのかを考え、それについて深掘りしていく。
番組構成
当初はAパートにアニメ振り返り、Bパートに実写バラエティという番組構成をとった。慣れてきたことで一番先に気になったのがこの番組構成だった。
この構成だと各パートのつながりを欠き、二つの番組が並列しているように映る。その上で雑多なコーナーを抱えるBパートはどうしても押し込められた感覚がぬぐえない。16話(第2クール)からアニメ振り返りを最初と最後に分割して、その間に実写バラエティを挟む構成に変更した。この構成変更は小さいようだが絶大な効果をもたらした。
最初の振り返りが終わった時にみゅーちゃんが「そろそろいっちーちゃんとなるちゃんの所に行く時間みゃ。また後でお話しするからみんな最後まで見てみゃ」と言って離れる事で振り返りとバラエティに有機的なつながりが生まれた。そして間にCMを挟む事で押し込められた感覚はかなり緩和された。
振り返りをおかなかった18話を除いて、これ以降このフォーマットで「いちなる回」は展開される事になる。これによって二次元と三次元の間には壁こそあっても地続き(注)なのが明確となった。
いちなる
自分も含めたいわゆる「大きなおともだち」は人間キャラを主体として見がちだが、「ミュークルドリーミー」の主体はみゅーちゃんをはじめとしたドリーミーメイトだという事を忘れてはいけない。特にバラエティパートの主役はみゅーちゃんだ。
いちなるパートのみゅーちゃんは16話からほんの少しだけおしゃべりするようになったが、基本的にはしぐさで魅せる。だからしぐさに反応していかなきゃいけないし、押しのけたりイジリすぎてもいけない。
そこら辺をこなしつつ番組を進行していくとなると、ある程度の場慣れが必要となってくる。そして地続きであるがゆえにアニメとの共通項(注2)を持たせない。そういったところが一般的なアニメの「実写特番」(注3)と大きく異なる部分だ。だから「実写回の改善案」としてよく聞く、「中の人(つまり声優)を使えばいい」というのはちょっと違うんじゃないかと思う。
そうやって考えると声優さんほど主体にならず、YouTubeという舞台である程度の場慣れもしているが、お笑いの人ほどにはスレてなくて、歌も歌えてファッションショーみたいなこともできるいちなるの二人はかなりベターな選択だったのではないかと。
50話
50話のBパート冒頭でいちなるの二人が最後の挨拶をして、それを引き継ぐ形でゆめちゃんがいちなるに言及する。総括で述べたように50話の最大の意義はこのようにアニメの側からいちなるにアプローチしたことだ。これによって二次元と三次元が完全にリンクし、「ミュークルドリーミーみっくす!」という番組が完成したと言えるかもしれない。
4話のかけっこはみゅーちゃんがワンちゃん怖くて動けなかっただけ(注4)というのを聞いて、「ぬいぐるみだから動けないのは当たり前」みたいな感想しか持てなかった俺はまだまだだなと痛感した。
注:アニメ本編でも画面の向こう側に呼び掛ける「チアふる☆タイム」があるわけだけど。
注2:このいちなる回でナレーターをされた桃河りかさんは【公式】クトゥルフ神話TRPGにツイッターフォローされている方なので何となく気になってしまっていたり。
注3:アニメ振り返りが一般的なアニメの「実写特番」でよくやるキャストトークに当たると考える事もできる。
注4:という事は8話の風船で空飛んだのにも何か物語があるのか?
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