前回の予告どおり「みなみけ おかえり」ドラマCDの感想です。
今回はかなり厳しい事を書くので御覚悟の程を。
とりあえず恒例の「続きを読む」からどうぞ。
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女の子だもん
男の子として生きると決意したマコトだが、みなみけのひな祭りに誘われたのでなし崩し的にマコちゃんになるという導入は悪くない。
着物(下着についてはどうなっているのだろう?)のネタだが、「大和魂」は無印最終話で使っちゃってるよ。でも、そこからいつものマコちゃんVS吉野になっていくのはまあ良い。サイズとか裾とかいう話ではネタとしては弱すぎるけれど。
だが一応評価できるのはそこまで。これ以降は完全に焦点がぼやけ、ダラダラになってしまった。ひな人形の話はただ出てきただけで何の広がりも見せる事無く終わるし、オチが速水の高級ジュースによる強制終了。吉野の追及すら完全放棄されてしまった。
こんなダラダラ話で9分46秒は長すぎるわ。思うにこれは「みなみけ ドラマCD」の「ごろごろ」と「立ちなさいよ」のように吉野の話と速水の話に分割して構成すべきではないか。
ぷしゅぷしゅ
シンメトリー展開が間延びを抑制するというのは以前書いた。だが、それは効率良く構成した場合の話だ。
だがこの話はダラダラと同じ様な入浴シーンを3回も繰り返した挙句、それが何の意味も効果もあげられていないのが致命的。もしこれが映像付きだったならそれぞれの入浴シーンというサービスになったろう。だが、残念な事にこれはドラマCDである。
しかもこの入浴シーンは解答編でもう一回繰り返されるのだからサービス的な意味すらない。問題解決後に面白いオチでもあるかと思えば何もなし。
これで時間が前の話を上回る11分25秒。シンメトリー展開が間延びを助長する完全な逆効果を生んでしまっている。焦点を絞り、余計な描写を切ればもっとましになったろうに。まさしく水で薄められて泡立たないシャンプーのようだ。
気持ち悪い
まじめにバレー部の主将している速見ってのは珍しい。だが何か速水らしくないと感じてしまうのはなぜだろう。
時間的には7分42秒と大分少なくなっているものの、間延びをひどく感じてしまう。それは保坂の話、マキとアツコの話、速水の話、三姉妹の話が接点をほとんど持たないままバラバラに展開してしまっているせいだ。
だがこの話で一番強く言いたいのはなぜ今更「子供たち」なんて話をもちだしたのか、という事だ。
「子供たち」という話自体は原作第8話「バレー部に入ろう」でのネタではある。が、それを大きく広げていったのは「無印」、しかも鴻野貴光という一人の脚本家の手による物だということは脚本家列伝ですでに触れた通りだ。
「カレーの歌」でも保坂ネタを補完する為のオリジナルでも「子供たち」なんて話は一切出てこなかった。原作重視を標榜しているはずの「おかえり」がそれを持ち出す理由がどこにあるのだろうか?
諭吉せんせい
諭吉先生、王子様、バカサイドと内田ネタの羅列に感じられた部分はあったが、全体的にはストーリーの幹がしっかりしていたので間延びを感じる事はなかった。
逆に「これは!」という見所も無いのですが。
それにしてもチアキの「ま、内田だから」はなにげに酷い。
もやもや
向こうの南さんの「どうでもよさ」は良く出ていた。突き詰めて言ってしまえばどうでもいい南三兄弟がどうでもいい会話を繰り広げていただけなんですが。
出ちゃったから
あらすじを書くと、
チアキがふじおかを使っているとふじおかから綿がはみ出しました→カナが直そうとして失敗しました→ハルカが直しました、以上。
それ以上の展開やオチが無く、迷走も間延びもしようがない。ほんとに日常の風景を淡々と描いただけ。焦点がぶれていない(というか合わせるべき焦点が無い)分、話が散漫にならなかったのは良かった。
それぞれの
調理実習でクリスマスケーキを作る・・・、もしかして「メシアガレ」、「アマアマ」、「メリクリ」なんかにインスパイアされましたか?
「おかえり」ならではのリコの妄想、苦労性のケイコ、バカ野郎のカナ、報われない藤岡といった中学生組の要素をクリスマスケーキ作りという一本の幹に上手く組み合わせている。
いささか藤岡の残念がる理由に無理がある(別に早退した訳ではないのだから)とか、カナがハルカとチアキにケーキを持って帰るというネタが広がっていかなかったなどちょっと残念な部分もあったが、このドラマCDの中では一番良くできた話だと思う。
受け取ろう
相変わらず、保坂の使い方が下手。弁当、ナツキとの関係、マキとアツコ、速水といった保坂がらみの要素をただごった煮にしただけで焦点が絞りきれていない。
保坂は本来オチ要員ではない。投げっぱなしを狙うときでない限り、保坂の暴走には誰かがツッコミを入れてやる必要がある。このドラマにおいては誰かのツッコミを締めに置いて、投げっぱなしオチを防いだ方が良かったのではないか。
ごった煮の上に投げっぱなし。グダグダシナリオになる典型パターン。
なんで
カナとチアキでチャンネル争いが始まりました→トウマが仲裁に入ってさらに問題がこじれました→結果、テレビのリモコンが壊れました
あらすじは以上。
間延びも迷走もしてないけど、意外性も無い。
まず一つ言いたいのは「おかえり」で投入した要素をなぜほとんど使わなかったのかという事だ。天使と悪魔もヒトミも使いやすいネタのはずなのに。それだけ自分たちの独自要素というのを出したくなかったのだろうか?
マコちゃんと保坂はネタを詰め込んで「これでいいんでしょ?」と言っているような感じを強く受けた。全体的にも引き伸ばしてグダグダになるか、短くまとまっているけれど起伏も意外性もない話になるかのどちらか。「それぞれの」は要素とストーリーのバランスが取れていて、リコの妄想という「おかえり」独自要素を唯一投入できた話だった。
キャラ把握の弱さ、独自要素を恐れる姿勢など悪い方向での「おかえり」が出てしまったと言うのがこのドラマCDの総括と言う事になるのかな。これが「おかえり」シナリオの限界とは思いたくないのだが・・・。
今回はかなり厳しい事を書くので御覚悟の程を。
とりあえず恒例の「続きを読む」からどうぞ。
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男の子として生きると決意したマコトだが、みなみけのひな祭りに誘われたのでなし崩し的にマコちゃんになるという導入は悪くない。
着物(下着についてはどうなっているのだろう?)のネタだが、「大和魂」は無印最終話で使っちゃってるよ。でも、そこからいつものマコちゃんVS吉野になっていくのはまあ良い。サイズとか裾とかいう話ではネタとしては弱すぎるけれど。
だが一応評価できるのはそこまで。これ以降は完全に焦点がぼやけ、ダラダラになってしまった。ひな人形の話はただ出てきただけで何の広がりも見せる事無く終わるし、オチが速水の高級ジュースによる強制終了。吉野の追及すら完全放棄されてしまった。
こんなダラダラ話で9分46秒は長すぎるわ。思うにこれは「みなみけ ドラマCD」の「ごろごろ」と「立ちなさいよ」のように吉野の話と速水の話に分割して構成すべきではないか。
ぷしゅぷしゅ
シンメトリー展開が間延びを抑制するというのは以前書いた。だが、それは効率良く構成した場合の話だ。
だがこの話はダラダラと同じ様な入浴シーンを3回も繰り返した挙句、それが何の意味も効果もあげられていないのが致命的。もしこれが映像付きだったならそれぞれの入浴シーンというサービスになったろう。だが、残念な事にこれはドラマCDである。
しかもこの入浴シーンは解答編でもう一回繰り返されるのだからサービス的な意味すらない。問題解決後に面白いオチでもあるかと思えば何もなし。
これで時間が前の話を上回る11分25秒。シンメトリー展開が間延びを助長する完全な逆効果を生んでしまっている。焦点を絞り、余計な描写を切ればもっとましになったろうに。まさしく水で薄められて泡立たないシャンプーのようだ。
気持ち悪い
まじめにバレー部の主将している速見ってのは珍しい。だが何か速水らしくないと感じてしまうのはなぜだろう。
時間的には7分42秒と大分少なくなっているものの、間延びをひどく感じてしまう。それは保坂の話、マキとアツコの話、速水の話、三姉妹の話が接点をほとんど持たないままバラバラに展開してしまっているせいだ。
だがこの話で一番強く言いたいのはなぜ今更「子供たち」なんて話をもちだしたのか、という事だ。
「子供たち」という話自体は原作第8話「バレー部に入ろう」でのネタではある。が、それを大きく広げていったのは「無印」、しかも鴻野貴光という一人の脚本家の手による物だということは脚本家列伝ですでに触れた通りだ。
「カレーの歌」でも保坂ネタを補完する為のオリジナルでも「子供たち」なんて話は一切出てこなかった。原作重視を標榜しているはずの「おかえり」がそれを持ち出す理由がどこにあるのだろうか?
諭吉せんせい
諭吉先生、王子様、バカサイドと内田ネタの羅列に感じられた部分はあったが、全体的にはストーリーの幹がしっかりしていたので間延びを感じる事はなかった。
逆に「これは!」という見所も無いのですが。
それにしてもチアキの「ま、内田だから」はなにげに酷い。
もやもや
向こうの南さんの「どうでもよさ」は良く出ていた。突き詰めて言ってしまえばどうでもいい南三兄弟がどうでもいい会話を繰り広げていただけなんですが。
出ちゃったから
あらすじを書くと、
チアキがふじおかを使っているとふじおかから綿がはみ出しました→カナが直そうとして失敗しました→ハルカが直しました、以上。
それ以上の展開やオチが無く、迷走も間延びもしようがない。ほんとに日常の風景を淡々と描いただけ。焦点がぶれていない(というか合わせるべき焦点が無い)分、話が散漫にならなかったのは良かった。
それぞれの
調理実習でクリスマスケーキを作る・・・、もしかして「メシアガレ」、「アマアマ」、「メリクリ」なんかにインスパイアされましたか?
「おかえり」ならではのリコの妄想、苦労性のケイコ、バカ野郎のカナ、報われない藤岡といった中学生組の要素をクリスマスケーキ作りという一本の幹に上手く組み合わせている。
いささか藤岡の残念がる理由に無理がある(別に早退した訳ではないのだから)とか、カナがハルカとチアキにケーキを持って帰るというネタが広がっていかなかったなどちょっと残念な部分もあったが、このドラマCDの中では一番良くできた話だと思う。
受け取ろう
相変わらず、保坂の使い方が下手。弁当、ナツキとの関係、マキとアツコ、速水といった保坂がらみの要素をただごった煮にしただけで焦点が絞りきれていない。
保坂は本来オチ要員ではない。投げっぱなしを狙うときでない限り、保坂の暴走には誰かがツッコミを入れてやる必要がある。このドラマにおいては誰かのツッコミを締めに置いて、投げっぱなしオチを防いだ方が良かったのではないか。
ごった煮の上に投げっぱなし。グダグダシナリオになる典型パターン。
なんで
カナとチアキでチャンネル争いが始まりました→トウマが仲裁に入ってさらに問題がこじれました→結果、テレビのリモコンが壊れました
あらすじは以上。
間延びも迷走もしてないけど、意外性も無い。
まず一つ言いたいのは「おかえり」で投入した要素をなぜほとんど使わなかったのかという事だ。天使と悪魔もヒトミも使いやすいネタのはずなのに。それだけ自分たちの独自要素というのを出したくなかったのだろうか?
マコちゃんと保坂はネタを詰め込んで「これでいいんでしょ?」と言っているような感じを強く受けた。全体的にも引き伸ばしてグダグダになるか、短くまとまっているけれど起伏も意外性もない話になるかのどちらか。「それぞれの」は要素とストーリーのバランスが取れていて、リコの妄想という「おかえり」独自要素を唯一投入できた話だった。
キャラ把握の弱さ、独自要素を恐れる姿勢など悪い方向での「おかえり」が出てしまったと言うのがこのドラマCDの総括と言う事になるのかな。これが「おかえり」シナリオの限界とは思いたくないのだが・・・。