四辺は夕闇に包まれました。
孫の携帯がやっと娘の携帯に繋がり、孫に指示があったようです。「じじちゃん、ばばちゃん、車に乗ってて、お母さん渋滞抜けられたから、間もなく着くって。危ないから乗せとくようにとお母さんが言ってるの」。こうなったら老いては子に従えです。かみさんを促して車内におさまります。日は完全に暮れ真の闇です。
やがて娘が到着し、一台の車に五人おさまります。どうやら孫と娘の間で相談がまとまっていたようで、避難所に自主避難ということになりました。数分で市のセンターに到着。しかしそこは既に満員で、すぐそばの施設に行くように指示されます。そこは毎年敬老会でお世話になっているところです。娘達がそれぞれ毛布や手荷物を抱えて施設に入ります。
かなりの広さの和室が開放されていて、既に十数人の人たちが、ストーブの明かりの中で、長いテーブルを囲んで横になったり、しゃがみ込んでいます。みなさんこちらの挨拶に、気持ちよく場所を空けてくれます。とりあえず一つのテーブルの前に寝場所を確保して陣取りました。
しかし避難所といっても、咄嗟の事態ですから水も電気もガスも止っているのが現状です。夕食はどうなるのかと不安になりますが、小生の持論として、水さえあれば三日は耐えられます。そのうちには救援物資が届くから、それまで辛抱すればよいといったことなのですが、その現実に直面して果たしてどう対処できるか、自分自身に興味がもたれます。
しかし案ずるより生むが易しでして、先ず毛布が届きます。そしてパックに入ったおにぎり二個と唐揚が配られました。ですが亢奮冷めやらぬ精神状態ですので、なかなか喉に通るものではないようでして、かみさんと二人でパック一つだけ開けて食べます。後は明日の朝食にととって置くことにしました。娘達は食べないようです。
辺りが急に明るくなります。消防自動車が配置され、表から投光機を向けてくれたのです。ありがたいことです。
翌朝娘たちは自宅の片づけにと出かけます。「まだ余震が続いているから、じじちゃんたちはこにいてね」。どうやら二人は戦力外らしいのです。
まあこんな状態でその晩も避難所であかし、翌日水が出るようになったので急遽家に戻りました。
なお翌日十二日の朝食には非常用のビスケット。昼はお握り一個と桜餅。
夕食にはお握り一つにパックされたお粥。そして桜餅でした。
感謝感謝であります。