VOICE5月号の矢板明夫氏の記事を読んだのですが、「軍や保守派のなかに北朝鮮支持者が圧倒的に多い。」「習氏は保守派と軍を支持基盤としており、朝鮮戦争への参戦を決めた毛沢東を崇拝している。」とあります。そうだとすると、中国は中々北朝鮮に圧力をかけないでしょうし、実際にそのようにも見えますが、ちょっと待てよと思いますよね。朝鮮戦争とはスターリン(ソ連)の戦争ではなかったかと。
朝鮮戦争(ウィキペディア)
>これらの状況の変化を受け、同年3月にソ連を訪問して改めて開戦許可を求めた金日成と朴憲永に対し、金日成の働きかけ(電報の内容を故意に曲解し「毛沢東が南進に積極的である」とスターリンに示したり、また逆に「スターリンが積極的である」と毛沢東に示したりした)もあり、スターリンは毛沢東の許可を得ることを条件に南半部への侵攻を容認し、同時にソ連軍の軍事顧問団が南侵計画である「先制打撃計画」を立案した。また12月にはモスクワで、T34戦車数百輛をはじめ大量のソ連製火器の供与、ソ連軍に所属する朝鮮系軍人の朝鮮人民軍移籍などの協定が結ばれた。
>これを受けて、同年5月に中華人民共和国を訪問した金日成は、「北朝鮮による南半部への侵攻を中華人民共和国が援助する」という約束を取り付けた。
>金日成は人民軍が崩壊の危機に瀕するとまずソ連のスターリンへ戦争への本格介入を要請したが、9月21日にソ連が直接支援は出せないので、中国に援助を要請する様に提案があった。諦められない金日成はソ連大使テレンティ・シトゥイコフに再度直接ソ連軍の部隊派遣を要請すると共に、スターリンにも書簡を送っている。しかし返事は変わらず、10月1日にスターリン自身が金日成に「中国を説得して介入を求めるのが一番いいだろう」と答えてきた。
>参戦が中華人民共和国に与えた影響として、毛沢東の強いリーダーシップのもとで参戦が決定され、結果的にそれが成功したため、毛沢東の威信が高まり、独裁に拍車がかかったという見方がある。毛沢東にはスターリンから参戦要請の手紙が届けられたようである。
中国参戦の経緯を見る限りどう見ても大本営はソ連であり、スターリンの戦争ではないかと思います。実際に兵を出したのは中国ですから、毛沢東の戦争に見えるかもしれませんが、北朝鮮はソ連の意向を真っ先に仰いでおり、中国に出兵しろと指示を出しているのもスターリンです。この辺の経緯を押さえずして朝鮮戦争を理解することはできないと思います。
教科書の記述はどうなっているか知りませんけれども、筆者も長年北朝鮮と中国は仲良しで中国が兵を出したんだろうぐらいに思っており、スターリンの戦争だったということを知ったのもそれほど昔の話ではありませんが、もしそうなっていないなら、今の子達には正確な歴史を教えてほしいと思います。
スターリンの死後、フルシチョフのスターリン批判をきっかけに中ソ対立(ウィキペディア)が始まるとされているようですが、トップが生きている間は批判もできない独裁体制も難儀だなと思うと共に、毛沢東は伝統ある大国中国のトップですし、創業者でスターリン時代を生き抜いているせいか、次は俺の番だと思ったのでしょう、かつての宗主国であるソ連のトップを相手にかなり挑戦的な批判を行ったようです。
>1957年10月、モスクワでロシア革命40周年記念式典開催、中国共産党中央委員会主席毛沢東2度目の訪ソ、モスクワ大学で講演「東風は西風を圧す」を語り暗にフルシチョフの平和共存政策を批判。
この後いろいろあったようですが、1969年に軍事衝突が起こり核戦争の危機が到来しました。
言うまでも無く現在は経済力で中国がロシアを圧していますが(結局金正恩の初外遊先は中国になりました)、今の情勢を当時の戦争に重ねるべきではなく、その後の語り継がれたストーリーが無意味とは思いませんが、やっぱり朝鮮戦争はスターリン(ソ連)の戦争であり北朝鮮の戦争なのであって、血を流したのは中国ですが、それでも毛沢東(中国)の戦争とは決して言えないのだろうと思います。ここのところは案外重要でしょう。何故なら北朝鮮が朝鮮戦争において感謝すべきは第一にソ連になるのであって、中国としてはソ連に言われて助けてやったということになるからです。案外血の友誼は弱いのであって、だからこそ中国は北朝鮮に対して厳しい態度を(少なくとも表面上は)とったと見ることもできると思います。まぁ何だかんだで制裁に消極的は明らかですけどね。でも「血の友誼」の強弱はやはり重要な問題です。
現代日本で戦争は中々考えにくいところはありますけれども、軍事進出している国は周辺に複数ありますし、明らかに安全保障環境は厳しさを増しています。必ずしも歴史は繰り返す訳ではないと思いますが、政策決定の経緯が明らかになることは後世の役に立つことなんだろうと思います(何度も言いますが機密や重要情報を公開して「敵」をアシストしろとは言っていません)。公文書制度に詳しくありませんけれども、そういう後世の検証に資する制度であればいいとは思っています。
そしてソ連の情報はグラスノスチのせいか崩壊したせいかいろいろ明らかになっていますが、中国の情報が明らかになることはあるのかなとは思いますね。会談は相手国がありますが、国内の話し合いや独裁国どうしの話し合いなどどうやれば情報が明らかになるのか良く分からないところがあります。情報の非対称性がありますので、全部公開するのが公平ということには残念ながらなりそうにもありません。
※4月29日追記:朝鮮戦争の大本営はソ連でありその意味ではスターリンの戦争だと思いますが(開戦の意志は実質的に北朝鮮にありスターリンが許可を出したようです)、中国参戦の経緯は形式的にはソ連(スターリン)と思いますが、実質的には事前に中国(毛沢東)の強い意志があったようです。
朝鮮戦争(ウィキペディア)
>これらの状況の変化を受け、同年3月にソ連を訪問して改めて開戦許可を求めた金日成と朴憲永に対し、金日成の働きかけ(電報の内容を故意に曲解し「毛沢東が南進に積極的である」とスターリンに示したり、また逆に「スターリンが積極的である」と毛沢東に示したりした)もあり、スターリンは毛沢東の許可を得ることを条件に南半部への侵攻を容認し、同時にソ連軍の軍事顧問団が南侵計画である「先制打撃計画」を立案した。また12月にはモスクワで、T34戦車数百輛をはじめ大量のソ連製火器の供与、ソ連軍に所属する朝鮮系軍人の朝鮮人民軍移籍などの協定が結ばれた。
>これを受けて、同年5月に中華人民共和国を訪問した金日成は、「北朝鮮による南半部への侵攻を中華人民共和国が援助する」という約束を取り付けた。
>金日成は人民軍が崩壊の危機に瀕するとまずソ連のスターリンへ戦争への本格介入を要請したが、9月21日にソ連が直接支援は出せないので、中国に援助を要請する様に提案があった。諦められない金日成はソ連大使テレンティ・シトゥイコフに再度直接ソ連軍の部隊派遣を要請すると共に、スターリンにも書簡を送っている。しかし返事は変わらず、10月1日にスターリン自身が金日成に「中国を説得して介入を求めるのが一番いいだろう」と答えてきた。
>参戦が中華人民共和国に与えた影響として、毛沢東の強いリーダーシップのもとで参戦が決定され、結果的にそれが成功したため、毛沢東の威信が高まり、独裁に拍車がかかったという見方がある。毛沢東にはスターリンから参戦要請の手紙が届けられたようである。
中国参戦の経緯を見る限りどう見ても大本営はソ連であり、スターリンの戦争ではないかと思います。実際に兵を出したのは中国ですから、毛沢東の戦争に見えるかもしれませんが、北朝鮮はソ連の意向を真っ先に仰いでおり、中国に出兵しろと指示を出しているのもスターリンです。この辺の経緯を押さえずして朝鮮戦争を理解することはできないと思います。
教科書の記述はどうなっているか知りませんけれども、筆者も長年北朝鮮と中国は仲良しで中国が兵を出したんだろうぐらいに思っており、スターリンの戦争だったということを知ったのもそれほど昔の話ではありませんが、もしそうなっていないなら、今の子達には正確な歴史を教えてほしいと思います。
スターリンの死後、フルシチョフのスターリン批判をきっかけに中ソ対立(ウィキペディア)が始まるとされているようですが、トップが生きている間は批判もできない独裁体制も難儀だなと思うと共に、毛沢東は伝統ある大国中国のトップですし、創業者でスターリン時代を生き抜いているせいか、次は俺の番だと思ったのでしょう、かつての宗主国であるソ連のトップを相手にかなり挑戦的な批判を行ったようです。
>1957年10月、モスクワでロシア革命40周年記念式典開催、中国共産党中央委員会主席毛沢東2度目の訪ソ、モスクワ大学で講演「東風は西風を圧す」を語り暗にフルシチョフの平和共存政策を批判。
この後いろいろあったようですが、1969年に軍事衝突が起こり核戦争の危機が到来しました。
言うまでも無く現在は経済力で中国がロシアを圧していますが(結局金正恩の初外遊先は中国になりました)、今の情勢を当時の戦争に重ねるべきではなく、その後の語り継がれたストーリーが無意味とは思いませんが、やっぱり朝鮮戦争はスターリン(ソ連)の戦争であり北朝鮮の戦争なのであって、血を流したのは中国ですが、それでも毛沢東(中国)の戦争とは決して言えないのだろうと思います。ここのところは案外重要でしょう。何故なら北朝鮮が朝鮮戦争において感謝すべきは第一にソ連になるのであって、中国としてはソ連に言われて助けてやったということになるからです。案外血の友誼は弱いのであって、だからこそ中国は北朝鮮に対して厳しい態度を(少なくとも表面上は)とったと見ることもできると思います。まぁ何だかんだで制裁に消極的は明らかですけどね。でも「血の友誼」の強弱はやはり重要な問題です。
現代日本で戦争は中々考えにくいところはありますけれども、軍事進出している国は周辺に複数ありますし、明らかに安全保障環境は厳しさを増しています。必ずしも歴史は繰り返す訳ではないと思いますが、政策決定の経緯が明らかになることは後世の役に立つことなんだろうと思います(何度も言いますが機密や重要情報を公開して「敵」をアシストしろとは言っていません)。公文書制度に詳しくありませんけれども、そういう後世の検証に資する制度であればいいとは思っています。
そしてソ連の情報はグラスノスチのせいか崩壊したせいかいろいろ明らかになっていますが、中国の情報が明らかになることはあるのかなとは思いますね。会談は相手国がありますが、国内の話し合いや独裁国どうしの話し合いなどどうやれば情報が明らかになるのか良く分からないところがあります。情報の非対称性がありますので、全部公開するのが公平ということには残念ながらなりそうにもありません。
※4月29日追記:朝鮮戦争の大本営はソ連でありその意味ではスターリンの戦争だと思いますが(開戦の意志は実質的に北朝鮮にありスターリンが許可を出したようです)、中国参戦の経緯は形式的にはソ連(スターリン)と思いますが、実質的には事前に中国(毛沢東)の強い意志があったようです。